烏塁(うるい、烏壘、簡体字:乌垒)は、中国西域オアシス国家亀茲に過去存在した地域、西域古国の一つ。現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区バインゴリン・モンゴル自治州ブグル県(輪台県)チェディヤ郷(策達雅郷)南部の東側の地域にあった[1]前漢都尉1名、訳長(通訳)1名を置き、110世帯・住民1200人、兵士300人がいた。渠犁(コルラ)まで南へ330の位置にあった。

前漢の宣帝神爵2年(紀元前60年)に「西域」を統括する西域都護府をこの地に設置し、鄭吉を西域都護に任命し駐在させた。

その後の時代には西域都護が廃止され、中国からの交通が途絶えて亀茲に西域諸国が復活していたが、後漢永元3年(91年)に亀茲から分割する形で烏塁国となった。

関連項目

編集

脚注

編集
  1. ^ 干潟龍祥「九世紀までの中央アジアの主住民とその宗教」『日本學士院紀要』第38巻第2号、日本学士院、1982年、83-108頁、doi:10.2183/tja1948.38.83ISSN 0388-0036