照山 修理(てるやま しゅり、天正13年(1585年) - 寛永18年7月26日1641年9月1日))は、江戸時代前期の農民[1]。名は広重[1]

経歴・人物 編集

常陸多賀郡金沢村(現:茨城県日立市金沢町)の庄屋[1]。先祖は、佐竹氏に仕えた武士で、久慈郡照山村(現:茨城県久慈郡大子町山方宿)に住み照山を氏としていたが、照山昭広の代に金沢村に土着した[2]

寛永18年(1641年)金沢村では水戸藩による初めての検地が行われた。検地は非常に厳重なもので修理は村の代表としてこれに反対する。その結果、捕えられ、弟の主税と次男の新次郎と共に金沢村塙山にて処刑された[2][3]

大子町にある長福寺には照山一族の墓と明治28年(1895年)建立の義民碑がある[2][3]

脚注 編集

  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『照山修理』 - コトバンク
  2. ^ a b c 柴田勇一郎著『ひたち地方の伝説』(1977)
  3. ^ a b 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『照山修理』 - コトバンク