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七つ割
丸に二引
追っかけ
五枚銀杏

片岡 我童(かたおか がどう)は歌舞伎役者の名跡屋号松嶋屋定紋は七つ割丸に二引、替紋は追っかけ五枚銀杏。

  • 二代目 片岡我童
    • 七代目の養子、1810–63。はじめ七代目市川團十郎の門人からその養子にまでなったが、後に離縁され、二代目嵐璃寛の門人に。その後、今度は七代目仁左衛門の門人となり、さらにその養子になって大名跡を継いだ。
    • (六代目)市川新之助(成田屋)→ 三升岩五郎(成田屋)→ 嵐橘次(伊丹屋)→ 初代片岡我當 → 二代目片岡我童 → 八代目片岡仁左衛門
  • 三代目 片岡我童
    • 二代目の三男、1851–95。意固地と負けん気が災いして晴れ舞台となるはずの仁左衛門襲名披露興行を台無しにしてしまい、そのことを気に病んで間もなく悶死。
    • 初代片岡土之助 → 片岡松若 → 三代目片岡我童 → 九代目片岡仁左衛門 → 十代目片岡仁左衛門(明治四十年改)
  • 四代目 片岡我童 - 三代目の子。後の十二代目片岡仁左衛門。
    • 二代目の外孫で三代目の養子、1882–1946。戦後間もない食糧難の時代、喰い扶持の少ないことを逆恨みした住み込みの門人によって、妻・三男・女中二人とともに自宅で惨殺された( →「片岡仁左衛門一家殺害事件」を参照)。
    • 片岡東吉 → 二代目片岡土之助 → 四代目片岡我童 → 十二代目片岡仁左衛門
  • 十三代目 片岡我童
    • 四代目の長男、1910–93年。惨殺された十二代目仁左衛門の長男として、我こそが「十三代目仁左衛門」たるべきとの自覚から、本来は「五代目我童」であるべきところをあえて「十三代目我童」と名乗る。女形であるが故に生前は果たせなかった「仁左衛門」を、死後まもなく追贈された。
    • 片岡はじめ → 片岡ひとし → 五代目片岡芦燕 → 十三代目片岡我童 → 十四代目片岡仁左衛門(追贈)