牧野貞幹
1787-1828, 江戸時代後期の常陸笠間藩主。『琉球草木写生』画
牧野 貞幹(まきの さだもと)は、常陸笠間藩の第4代藩主。成貞系牧野家7代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明7年1月16日(1787年3月5日) |
死没 | 文政11年8月18日(1828年9月26日) |
改名 | 外之助(幼名)、貞幹 |
戒名 | 靖徳院殿泰雲紹敬大居士 |
墓所 | 東京都墨田区千歳の要津寺 |
官位 | 従五位下、越中守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 常陸国笠間藩主 |
氏族 | 牧野氏 |
父母 | 父:牧野貞喜、母:間宮氏 |
兄弟 | 貞為、貞幹 |
妻 |
正室:浜(戸田光行娘) 継室:昭(池田斉稷養女・池田治道娘) 側室:糸女 |
子 |
廉次郎、貞一、康哉、松平忠粛(四男)、貞観、 貞勝、娘(山野辺義観室)、娘(森忠徳正室)、娘(関長道正室)、娘(鈴木寧政室)、 娘(京極高富室) |
天明7年(1787年)1月16日、第3代藩主・牧野貞喜の次男として生まれる。長兄の貞為が享和3年(1803年)2月に早世したため、5月21日に世子に指名された。文化元年(1804年)12月16日に兵部少輔に任官され、文化11年(1814年)2月12日に左京亮に遷任された。
文化14年(1817年)10月21日、父が足病を理由に隠居したため家督を継ぎ、従五位下・越中守に叙位・任官する。文政11年(1828年)8月18日に死去した。享年42。跡を子の貞一が継いだ。
系譜
編集父母
- 牧野貞喜(父)
- 間宮氏 - 側室(母)
正室、継室
側室
- 糸女
子女