鄂州(がくしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から初にかけて、現在の湖北省武漢市一帯に設置された。

概要

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454年孝建元年)、南朝宋により置かれた郢州[1]を前身とする。

589年開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、郢州は廃止されて、鄂州が置かれた。鄂州は江夏永興武昌蒲圻の4県を管轄した。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、鄂州は江夏郡と改称された[2]

621年武徳4年)、蕭銑を滅ぼすと、江夏郡は鄂州と改められた。742年天宝元年)、鄂州は江夏郡と改称された。758年乾元元年)、江夏郡は鄂州の称にもどされた。鄂州は江南西道に属し、江夏・永興・武昌・蒲圻・唐年漢陽汊川の7県を管轄した[3]

のとき、鄂州は荊湖北路に属し、江夏・崇陽・武昌・蒲圻・咸寧通城嘉魚の7県と宝泉監を管轄した[4]

1277年至元14年)、元により鄂州は鄂州路総管府と改められた。鄂州路は湖広等処行中書省に属し、録事司と江夏・咸寧・嘉魚・蒲圻・崇陽・通城・武昌の7県を管轄した。1301年大徳5年)、鄂州路は武昌路と改称された[5]1364年朱元璋により武昌路は武昌府と改められた[6]

脚注

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  1. ^ 宋書』州郡志三
  2. ^ 隋書』地理志下
  3. ^ 旧唐書』地理志三
  4. ^ 宋史』地理志四
  5. ^ 元史』地理志六
  6. ^ 明史』地理志五