論介
論介(ノンゲ、ろんかい、ハングル: 논개、万暦2年(1574年) - 万暦21年(1593年))は、李氏朝鮮時代の妓生。本貫は新安[1]。
論介 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 논개 |
漢字: | 朱論介 |
発音: | チュ・ノンゲ |
日本語読み: | ちゅ ろんかい |
彼女は朱達文(チュ・ダルムン、주달문)と夫人密陽朴氏の娘として全羅道長水に生まれた。夫の崔慶曾(チェ・ギョンフェ)は1593年に発生した晋州城攻防戦で自害した。夫の仇として日本軍が晋州城の矗石楼で宴席を開いている際、妓生に扮し、酒に酔った日本の武将[2]を崖の上に呼び込み、南江に身を投じ、命を落とした[3] [4]。死後、投身した場所の近くに祠堂が建立され[5]、毎年6月に祭事が行われている。
脚注
編集- ^ ““논개는 기생 아닌 장군 후실”/신안 주씨 종친회 주장” (朝鮮語). 한국일보 (1997年3月15日). 2022年7月18日閲覧。
- ^ 韓国では貴田孫兵衛と同一視されている
- ^ 晋州の女神 - テレビ朝日
- ^ 論介生家 - Korea trip
- ^ 論介 - 韓国中央研究院
参考文献
編集- 鄭棟柱 著、呉満 訳「朝鮮のジャンヌダルク 論介(ノンゲ)」大阪経済法科大学出版部 2002年
- 「世界大百科事典」平凡社 2007年