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  • 最新 08:022022年1月4日 (火) 08:02220.158.58.76 会話 7,073バイト +213 1909年(明治42年)10月10日、旧新鶴村(現会津美里町)生まれる。 福島県立会津工業高等学校卒業後、福島県経済農業協同組合連合会に勤務する。 同校出身者として初めて旧新鶴村長に選出され、旧新鶴村長を務める。在任中、「簡易水道布設費国庫補助に関する請願」を国会に提出し、それらが1963年(昭和38年)12月21日に受理され、広域簡易水道を完成させた。 新鶴村長退任後、同校出身者として初めて福島協和信用組合理事長に就任。 1998年(平成10年)12月22日、旧新鶴村(現会津美里町)にて死去 取り消し タグ: ビジュアルエディター

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  • 最新 03:372021年10月25日 (月) 03:37220.220.49.50 会話 6,270バイト +121 →‎外部リンク 取り消し タグ: ビジュアルエディター
  • 最新 03:342021年10月25日 (月) 03:34220.220.49.50 会話 6,149バイト +776 →‎新鶴村長: 水道事業への取り組み 1954年(昭和29年)以来、新鶴村では簡易水道を布設してそれらの管理を行ってきたが、1963年(昭和38年)5月、新屋敷水源地が汚染され赤痢病が発生し714名の罹患者を出し、それを受け、当時新鶴村長だった金田利雄を筆頭に村当局は原因究明、整備、補強工事等の危機対応にあたり、調査の結果、当該水源地は安全上問題があり、その代替として二岐、仏沢両地区に安全性に優れた水源地を見出し、新鶴村長の金田は、参院建設委員長等歴任の大河原一次参議院議員と連携して「簡易水道布設費国庫補助に関する請願」を国会に提出し、それらが1963年(昭和38年)12月21日に受理され、これをもって、大規模測量、大規模工事を要する大事業であった広域簡易水道を完成させた。金田が村長として推進した同水道事業の是非を主要な争点として、金田は再選を目指して同村長選挙に出馬。金田は安全性の高い水道供給実現との立場で同事業を推進したが、現代と異なり、当時の水道普及率の低さ、水道などライフラインへの理解の低さなど当時の同村の地域的、時代的背景が相まって、金田の推進する同水道事業への支持が 取り消し タグ: 条件数過多 ビジュアルエディター

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  • 最新 01:222021年9月21日 (火) 01:22220.220.49.50 会話 5,289バイト −63 →‎新鶴村長 取り消し タグ: ビジュアルエディター
  • 最新 01:122021年9月21日 (火) 01:12220.220.49.50 会話 5,352バイト +1 1909年(明治42年)10月10日、旧新鶴村(現会津美里町)生まれる。 福島県立会津工業高等学校卒業後、福島県経済農業協同組合連合会に勤務する。 1960年代(昭和30年代後半)、同校出身者として初の旧新鶴村長に選出され、1期4年務める。 村長退任後、同校出身者として初の福島協和信用組合理事長に就任。 取り消し タグ: ビジュアルエディター
  • 最新 01:092021年9月21日 (火) 01:09220.220.49.50 会話 5,351バイト +1,317 福島県立会津工業高等学校卒業後、福島県経済農業協同組合連合会にて勤務。 福島県経済農業協同組合連合会は、法人である県内の各農業協同組合が組合員となって加入しており、農産物の流通・販売の効率化に取り組む。 新鶴村長 1954年(昭和29年)以来、新鶴村では簡易水道を布設してそれらの管理を行ってきたが、1963年(昭和38年)5月、新屋敷水源地が汚染され赤痢病が発生し714名の罹患者を出し、それを受け、当時新鶴村長だった金田利雄を筆頭に村当局は原因究明、整備、補強工事等の危機対応にあたり、調査の結果、当該水源地は安全上問題があり、その代替として二岐、仏沢両地区に安全性に優れた水源地を見出し、新鶴村長の金田は、参院建設委員長等歴任の大河原一次参議院議員と連携して「簡易水道布設費国庫補助に関する請願」を国会に提出し、それらが1963年(昭和38年)12月21日に受理され、これをもって、大規模測量、大規模工事を要する大事業であった広域簡易水道を完成させた。金田が村長として推進した同水道事業の是非を主要な争点として、「安全な水道実現選挙」とスローガンのもと、金田は2期目を目指して同村長選挙に 取り消し タグ: 条件数過多 ビジュアルエディター

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