「サッカー日本女子代表」の版間の差分

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|W杯出場回数=6
|W杯初出場年=1991
|W杯最高成績=[[Image:Med 1.png|Winners]] 優勝 ([[2011 FIFA女子ワールドカップ|2011]])
|オリンピック出場回数=3
|オリンピック初出場=[[アトランタオリンピックにおけるサッカー競技|アトランタオリンピック(1996)]]|
|オリンピック最高成績=4位 ([[北京オリンピックにおけるサッカー競技|2008]])
|ナショナルチームによる国際大会1=[[AFC女子アジアカップ]]
|国際大会出場回数1=12
|国際大会最高成績1=[[Image:Med 2.png|Runners-Up]] 準優勝 ([[1986 AFC女子選手権|1986]], [[1991 AFC女子選手権|1991]], [[1995 AFC女子選手権|1995]], [[2001 AFC女子選手権|2001]])
|ナショナルチームによる国際大会2=[[アジア競技大会サッカー競技|アジア競技大会]]
|国際大会出場回数2=6
|国際大会最高成績2=[[Image:Med 1.png|Winners]] 優勝 ([[2010年アジア競技大会におけるサッカー競技#女子|2010]])
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[[1980年]]には[[全日本女子サッカー選手権大会]]が始まり、翌[[1981年]]には日本女子代表チームとして日本国外のチームとの試合が行われるようになる。当初は各地域の選手ごとに編成された「選抜チーム」を臨時に任用された監督が指揮するというものであったが、[[1986年]]に[[鈴木良平]]が初の女子代表専任監督に就任すると、日本全国のチームを対象とする「全日本」チームが編成されるようになる。そして1989年には女子の全国リーグである「[[日本女子サッカーリーグ]](L・リーグ)」が誕生し、[[1991年]]の第1回[[FIFA女子ワールドカップ|FIFA女子世界選手権]]・[[1991 FIFA女子ワールドカップ|中国大会]]にも参加した。
 
==== 鈴木保・宮内聡監督時代 ====
=== 日本女子代表と国際大会 ===
==== 鈴木保・宮内聡監督時代 ====
[[女子サッカー]]がオリンピック種目となったのは[[1996年]]の[[アトランタオリンピック|アトランタ大会]]からである。
 
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ところが現実には思惑通りに行かなかった。[[宮内聡]]率いる日本女子代表前回同様に五輪予選を兼ねて行われた第3回FIFA女子世界選手権・[[1999 FIFA女子ワールドカップ|アメリカ大会]]では、初戦にカナダと1-1と引き分けたものの、つづく[[サッカーロシア女子代表|ロシア]]に0-5、ノルウェーに0-4で敗戦。ベスト8入りを逃したため、目標としていたシドニー五輪出場を逃す。すると女子サッカーへの関心は瞬く間に低下し、L・リーグの観客動員は急速な落ち込みをみせることになる。やがてそれはL・リーグからの相次ぐチームの脱退を引き起こし、日本の女子サッカーは衰退の危機に瀕することになった。
 
==== 上田栄治監督時代 ====
[[2002年]]8月、[[サッカーマカオ代表|マカオ男子代表]]の監督を務めていた[[上田栄治]](元[[湘南ベルマーレ|ベルマーレ平塚]]監督)を代表監督に起用。女子サッカーの再起を期するべく2004年[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]に向けたチーム再編を図った。しかし就任当初は敗戦つづきで、とくに2003年の第4回FIFA女子ワールドカップ(「FIFA女子世界選手権」改め)・[[2003 FIFA女子ワールドカップ|アメリカ大会]]のアジア地区予選を兼ねて6月に[[タイ王国|タイ]]の[[バンコク]]行われた「[[2003 AFC女子選手権|第14回アジア女子選手権]]」では3位決定戦で格下の[[サッカー大韓民国女子代表|韓国]]にまさかの敗戦を喫してしまい、本戦最後の座を賭けて[[サッカーメキシコ女子代表|メキシコ]](北中米カリブ海地区)との「[[FIFA女子ワールドカップUSA2003予選 プレーオフ]]」([[ホーム・アンド・アウェー]]方式)に進出することになった。
 
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これら一連の活躍により日本国内での女子サッカーに対する認知度が高まり、国内のトップリーグである'''[[日本女子サッカーリーグ]](略称:L・リーグ)'''の人気も上昇し観客が飛躍的に増加。とくに五輪後には「'''なでしこリーグ'''」という愛称も採用され、ますます注目を浴びる存在になっている。さらに「'''なでしこ'''」という名称を用いた女性向けのサッカー教室や大会、そして2005年から「'''[[なでしこスーパーカップ]]'''」も開かれ、女子サッカーのブランド名として活用されるようになった。
 
==== 大橋浩司監督時代 ====
[[2004年]]10月、[[日本サッカー協会]]は前月に退任した上田の後任に[[大橋浩司]]を新監督として任命した。11月から代表合宿を行い、[[12月18日]]の[[キリンチャレンジカップ]]で[[サッカーチャイニーズタイペイ女子代表|チャイニーズタイペイ]]と対戦。11-0という大量得点に加え、被シュート0という内容で上々のスタートを切った。なおこの試合のチラシやプログラム、応援用のブルーシートには[[ナデシコ]]の花をイメージした模様がはじめて描かれた。
 
119 ⟶ 118行目:
[[2007年]]に[[中華人民共和国|中国]]で行われた[[2007 FIFA女子ワールドカップ]]でグループリーグA組となり、[[サッカーアルゼンチン女子代表|アルゼンチン]]に勝利したものの、[[サッカーイングランド女子代表|イングランド]]と引き分け、最後のドイツに敗北しグループリーグ敗退となった。また、日中関係の問題から日本選手に対してのブーイングが多かったが、ドイツ戦終了後に日本選手らが「謝謝」(ありがとう)と書かれた横断幕を揚げ、中国のマスメディアから称賛された<ref>女子サッカー日本代表の横断幕に、ブーイングの中国反省[http://www.asahi.com/sports/fb/japan/TKY200709250400.html ]</ref><!--ニューストップ > トピックス > スポーツ > 女子サッカー > なでしこ「謝謝」横断幕に中国で賛否激論 - Infoseek ニュース - Infoseek ニュース http://news.www.infoseek.co.jp/topics/sports/n_women_soccer__20070922_5/story/20070922hochi091/-->。
 
==== 佐々木則夫監督時代 ====
[[2008年]]1月、大橋の任期満了による退任に伴い、コーチを務めていた[[佐々木則夫 (サッカー指導者)|佐々木則夫]]が監督に就任。2月に行われた[[東アジアサッカー選手権2008|東アジアサッカー女子選手権2008]]で初采配の監督のもと、なでしこジャパンは3戦全勝で大会初優勝。日本女子代表初のタイトル獲得となった。
 
132 ⟶ 131行目:
[[2011年]]6月、[[ドイツ]]で行われた[[2011 FIFA女子ワールドカップ]]では、グループリーググループBでニュージーランドと[[サッカーメキシコ女子代表|メキシコ]]に勝利、第3戦の[[サッカーイングランド女子代表|イングランド]]には敗れたものの、グループリーグ2位で1995年大会以来となる決勝トーナメント進出を決めた<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/2011/text/201107060002-spnavi.html なでしこジャパン、喜びと悔しさが交錯するベスト8 強烈なインパクトも1位通過ならず] -スポーツナビ: 2011年7月6日</ref>。決勝トーナメント準々決勝、大会3連覇を狙う開催国[[サッカードイツ女子代表|ドイツ]]には延長戦の末1-0で勝利し<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/143676 実は失速の可能性もあったなでしこ。前W杯王者のドイツ代表撃破の裏側。] -[[Sports Graphic Number|Number]]Web: 2011年7月12日</ref>、準決勝の[[サッカースウェーデン女子代表|スウェーデン]]戦は得意のパスサッカーで3-1で快勝し決勝進出を果たす<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/144962 なでしこジャパン、歓喜の決勝進出。スウェーデン戦での意外な選手起用。] -NumberWeb: 2011年7月14日</ref><ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/2011/text/201107140007-spnavi.html なでしこジャパンを導く日替わりヒロイン 苦労も失敗もすべてを糧に頂点へ] -スポーツナビ: 2011年7月14日</ref>。決勝は世界ランキング1位、対戦成績が0勝21敗3分という、それまで1度も勝利がなかった強豪[[サッカーアメリカ合衆国女子代表|アメリカ]]との対戦となり、終始アメリカの猛攻にさらされるも延長戦に持ち込み、先行された延長も残り4分、[[澤穂希]]の同点弾で2-2とし、PK戦の末アメリカに対し歓喜の初勝利(公式記録は引き分け)。男女、年齢別代表を通じ、日本代表としては初のFIFA主催の世界大会優勝という快挙を成し遂げた<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/144760 笑顔で世界の頂点に立ったなでしこ。最強アメリカを倒した“折れない心”。] -NumberWeb: 2011年7月18日</ref><ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/2011/text/201107180007-spnavi.html 澤のゴールが示した「あきらめない心」 なでしこジャパンの快挙と進むべき道] -スポーツナビ: 2011年7月18日</ref>。また、チームはフェアプレー賞、[[澤穂希]]が得点王とMVPを受賞。決勝戦後、2011年3月11日に発生した[[東日本大震災]]に対する世界からの支援へ感謝を表す横断幕をかかげ、会場の大きな拍手を受けた。各国メディアは復興への思いも勝利へのモチベーションとなっていると分析、なでしこジャパンの素早いパスサッカーとともに、その戦いぶりを賞賛した<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/2011/text/201107180006-spnavi.html なでしこ優勝に歓喜と称賛の声が続々世界が伝えた日本の快挙]-スポーツナビ: 2011年7月18日</ref>。さらに、この優勝により、国際Aマッチの代表ユニフォーム左胸エンブレムに、ワールドカップ優勝回数を示す「星」を付け加える栄誉も獲得した。
 
== 監督・コーチ成績 ==
=== FIFA女子ワールドカップの===
=== 監督 ===
* [[市原聖基|市原聖曠]](1981年)※[[1981 AFC女子選手権]]および[[神戸ポートアイランド博覧会|ポートピア'81]]国際女子サッカー大会時の監督
* [[折井孝男]](1984年)※中国遠征時の監督
* [[鈴木良平]](1986年 - 1989年)
* [[鈴木保]](1989年 - 1996年・1999年)
* [[宮内聡]](1997年 - 1999年)
* [[池田司信]](2000年 - 2001年)
* [[上田栄治]](2002年 - 2004年)
* [[大橋浩司]](2004年 - 2007年)
* [[佐々木則夫 (サッカー指導者)|佐々木則夫]](2007年 - )
 
== 女子ワールドカップの戦績 ==
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
|-
157 ⟶ 145行目:
!+/-
|-
||{{flagicon|China|}} [[1991 FIFA女子ワールドカップ|1991]]||グループリーグ敗退||3||0||0||3||0||12||−12
|-
||{{flagicon|Sweden}} [[1995 FIFA女子ワールドカップ|1995]]||ベスト8||4||1||0||3||2||8||−6
|-
||{{flagicon|USA}} [[1999 FIFA女子ワールドカップ|1999]]||グループリーグ敗退||3||0||1||2||1||10||−9
|-
||{{flagicon|USA}} [[2003 FIFA女子ワールドカップ|2003]]||グループリーグ敗退||3||1||0||2||7||6||+1
|-
||{{flagicon|China}} [[2007 FIFA女子ワールドカップ|2007]]||グループリーグ敗退||3||1||1||1||3||4||-1
|- bgcolor=gold
||{{flagicon|Germany}} [[2011 FIFA女子ワールドカップ|2011]]||'''優勝'''||6||4||1||1||12||6||+6
176 ⟶ 164行目:
:''*[[PK戦]]勝利は公式記録上引き分けとなる。''
 
==== 第1回FIFA女子世界選手権(1991年)====
(詳細は「[[1991 FIFA女子ワールドカップ]]」を参照)
*開催期間:11月16日 - 30日
*開催地:[[中華人民共和国]]
*グループリーグB組4位(4チーム)3戦0勝0分3敗
**11月17日 ×0●0-1 {{BRAf|サッカーブラジル女子代表|ブラジル}}
**11月19日 ×0●0-8 {{SWEf|サッカースウェーデン女子代表|スウェーデン}}
**11月21日 ×0●0-3 {{USAf|サッカーアメリカ合衆国女子代表|アメリカ合衆国}}
 
==== 第2回FIFA女子世界選手権(1995年)====
(詳細は「[[1995 FIFA女子ワールドカップ]]」を参照)
*開催期間:6月5日 - 18日
191 ⟶ 179行目:
*グループリーグA組3位(4チーム)3戦1勝0分2敗
*決勝トーナメント 準々決勝敗退(ベスト8):決勝トーナメント進出により[[アトランタオリンピック]]出場権獲得
**6月5日 ×0●0-1 {{DEUf|サッカードイツ女子代表|ドイツ}}
**6月7日 ○2-1 {{BRAf|サッカーブラジル女子代表|ブラジル}}(得点:[[野田朱美]]2点)
**6月9日 ×0●0-2 {{SWEf|サッカースウェーデン女子代表|スウェーデン}}
**6月13日 ×0●0-4 {{USAf|サッカーアメリカ合衆国女子代表|アメリカ合衆国}}
 
==== 第3回FIFA女子世界選手権(1999年)====
(詳細は「[[1999 FIFA女子ワールドカップ]]」を参照)
*開催期間:6月19日 - 7月10日
202 ⟶ 190行目:
*グループリーグC組4位(4チーム)3戦0勝1分2敗:グループリーグ敗退により[[シドニーオリンピック]]出場ならず
**6月19日 △1-1 {{CANf|サッカーカナダ女子代表|カナダ}}(得点:[[大竹奈美]])
**6月23日 ×0●0-5 {{RUSf|サッカーロシア女子代表|ロシア}}
**6月26日 ×0●0-4 {{NORf|サッカーノルウェー女子代表|ノルウェー}}
 
==== 第4回FIFA女子ワールドカップ(2003年)====
(詳細は「[[2003 FIFA女子ワールドカップ]]」を参照)
*開催期間:9月20日 - 10月12日
211 ⟶ 199行目:
*グループリーグC組3位(4チーム)3戦1勝0分2敗
**9月20日 ○6-0 {{ARGf|サッカーアルゼンチン女子代表|アルゼンチン}}(得点:[[大谷未央]]3点、澤穂希2点、[[山本絵美]])
**9月24日 ×0●0-3 {{DEUf|サッカードイツ女子代表|ドイツ}}
**9月27日 ×1●1-3 {{CANf|サッカーカナダ女子代表|カナダ}}(得点:澤穂希)
 
==== 第5回FIFA女子ワールドカップ(2007年)====
(詳細は「[[2007 FIFA女子ワールドカップ]]」を参照)
*開催期間:9月10日 - 9月30日
223 ⟶ 211行目:
**[[9月14日]] ○1-0 {{ARGf|サッカーアルゼンチン女子代表|アルゼンチン}} 上海虹口足球場 (Hongkou Football Stadium)
***(得点者:[[永里優季]] 1点)
**[[9月17日]] ×0●0-2 {{DEUf|サッカードイツ女子代表|ドイツ}} 杭州黄龍体育場 ([[:en:Yellow Dragon Sports Center|Hangzhou Dragon Stadium]])
 
==== 第6回FIFA女子ワールドカップ(2011年)====
[[File:Germany vs Canada in Dresden (pic14).JPG|130px|thumb|FIFA女子ワールドカップ優勝トロフィー]]
(詳細は「[[2011 FIFA女子ワールドカップ]]」を参照)
239 ⟶ 227行目:
** [[7月17日]] △2-2(○ 3-1 PK){{USAf|サッカーアメリカ合衆国女子代表|アメリカ合衆国}} [[ヴァルトシュタディオン|フランクフルト]] (得点者:[[宮間あや]] 1点、[[澤穂希]] 1点(PK成功者:宮間あや、[[阪口夢穂]]、[[熊谷紗希]]))
 
=== オリンピックの===
(関連項目:[[オリンピックサッカー競技]])
 
258 ⟶ 246行目:
!+/-
|-
||{{Flagicon|USA}} [[アトランタオリンピックにおけるサッカー競技|1996]]||グループリーグ敗退||3||0||0||3||2||9||−7
|-
||{{Flagicon|AUS}} [[シドニーオリンピックにおけるサッカー競技|2000]]||colspan="8"|''予選敗退''
271 ⟶ 259行目:
|}
 
==== アトランタ大会(1996年) ====
(詳細は[[アトランタオリンピックにおけるサッカー競技]]及び[[アトランタオリンピック日本選手団]]参照)
*開催期間:7月21日 - 8月1日
**7月21日 × 2-3 {{DEUf|サッカードイツ女子代表|ドイツ}}(得点:[[木岡二葉]]、野田朱美)
**7月23日 × 0-2 {{BRAf|サッカーブラジル女子代表|ブラジル}}
**7月26日 × 0-4 {{NORf|サッカーノルウェー女子代表|ノルウェー}}
 グループステージ敗退
 
==== シドニー大会(2000年) ====
*開催期間:9月13日 - 28日
*[[1999 FIFA女子ワールドカップ|第3回女子世界選手権]]の成績により参加できず
 
==== アテネ大会(2004年) ====
(詳細は[[アテネオリンピック (2004年) におけるサッカー競技]]及び[[アテネオリンピック (2004年) 日本選手団#サッカー女子|アテネオリンピック (2004年) 日本選手団]]参照)
*開催期間:8月11日 - 26日
*グループステージ(E組)
**8月11日 ○ 1-0 {{SWEf|サッカースウェーデン女子代表|スウェーデン}}(得点:[[荒川恵理子]])
**8月14日 × 0-1 {{NGAf|サッカーナイジェリア女子代表|ナイジェリア}}
*決勝トーナメント
**8月20日 (準々決勝) × 1-2 {{USAf|サッカーアメリカ合衆国女子代表|アメリカ合衆国}}(得点:山本絵美)
 
==== 北京大会(2008年) ====
(詳細は[[北京オリンピックにおけるサッカー競技]]及び[[北京オリンピック日本選手団#サッカー女子|北京オリンピック日本選手団]]参照)
*開催期間:8月6日 - 21日
*グループステージ(G組)
**8月6日 △2-2 {{NZLf|サッカーニュージーランド女子代表|ニュージーランド}} [[秦皇島オリンピック・スポーツセンター・スタジアム]](得点:[[宮間あや]]([[ペナルティーキック|PK]])、[[澤穂希]])
**8月9日 ×0●0-1 {{USAf|サッカーアメリカ合衆国女子代表|アメリカ合衆国}} 秦皇島オリンピック・スポーツセンター・スタジアム
**8月12日 ○5-1 {{NORf|サッカーノルウェー女子代表|ノルウェー}} [[上海体育場]](得点:[[近賀ゆかり]]、[[オウンゴール]]、[[大野忍]]、澤穂希、[[原歩]])
*決勝トーナメント
**8月15日(準々決勝)○2-0 {{CHNf|サッカー中華人民共和国女子代表|中華人民共和国}} 秦皇島オリンピック・スポーツセンター・スタジアム(得点:澤穂希、[[永里優季]])
**8月18日(準決勝)×2)●2-4 {{USAf|サッカーアメリカ合衆国女子代表|アメリカ合衆国}} [[北京工人体育場]] 得点:大野忍、荒川恵理子)
**8月21日(3位決定戦)×0)●0-2 {{DEUf|サッカードイツ女子代表|ドイツ}} 北京工人体育場
 
=== AFC女子アジアカップ(AFC女子選手権)の===
(関連項目:[[AFC女子アジアカップ]])
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
312 ⟶ 300行目:
*[[1981 AFC女子選手権|1981]] - グリープリーグ敗退
*[[1983 AFC女子選手権|1983]] - 不参加<ref>[[アジアサッカー連盟]](AFC)非公認で開催という理由で参加取りやめ</ref>
*[[1986 AFC女子選手権|1986]] - 2位準優勝
*[[1989 AFC女子選手権|1989]] - 3位
*[[1991 AFC女子選手権|1991]] - 2位準優勝
*[[1993 AFC女子選手権|1993]] - 3位
*[[1995 AFC女子選手権|1995]] - 2位準優勝
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
*[[1997 AFC女子選手権|1997]] - 3位
*[[1999 AFC女子選手権|1999]] - 4位
*[[2001 AFC女子選手権|2001]] - 2位準優勝
*[[2003 AFC女子選手権|2003]] - 4位
*[[2006 AFC女子アジアカップ|2006]] - 4位
327 ⟶ 315行目:
</div><br style="clear: left;" />
 
=== アジア競技大会の戦績 ===
(関連項目:[[アジア競技大会サッカー競技]])
*[[1990年アジア競技大会におけるサッカー競技|1990]] - 準優勝
336 ⟶ 324行目:
*[[2010年アジア競技大会におけるサッカー競技|2010]] - '''優勝'''
 
=== 東アジア女子サッカー選手権の成績 ===
(関連項目:[[東アジアサッカー選手権]])
*[[東アジアサッカー選手権2005|2005]] - 3位
342 ⟶ 330行目:
*[[東アジアサッカー選手権2010|2010]] - '''優勝'''
 
=== 国別対戦成績 ===
270272試合1361373637分98敗(2011年7月918現在アメリカ戦終了時
==== アジアサッカー連盟 ====
*142試合92勝16分34敗
(オーストラリア、チャイニーズタイペイは在籍時の対戦結果のみ記載)
387 ⟶ 375行目:
|}
 
==== オセアニアサッカー連盟 ====
*20試合6勝7分7敗
(オーストラリア、チャイニーズタイペイは在籍時の対戦結果のみ記載)
400 ⟶ 388行目:
|}
 
==== アフリカサッカー連盟 ====
*1試合0勝0分1敗
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
408 ⟶ 396行目:
|}
 
==== ヨーロッパサッカー連盟 ====
*5556試合2122勝5分29敗
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
!対戦相手国 (地域)!!試合!!勝利!!引分!!敗戦
419 ⟶ 407行目:
| style="text-align: left;"|{{fbw|FRA}}||4||2||0||2
|-
| style="text-align: left;"|{{fbw|SWE}}||910||34||2||4
|-
| style="text-align: left;"|{{fbw|RUS}}||6||4||0||2
444 ⟶ 432行目:
|}
 
==== 北中米カリブ海サッカー連盟 ====
*42試合10勝7分25敗
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
456 ⟶ 444行目:
|}
 
==== 南米サッカー連盟 ====
*11試合7勝2分2敗
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
543 ⟶ 531行目:
|}
 
== 記録 ==
== 年代別代表チームの戦績 ==
[[2011年]][[7月918日]]現在アメリカ戦終了時:(#)は現役選手。
=== U-20女子代表 ===
=== 出場数 ===
{{main|U-20サッカー日本女子代表}}
 
=== U-17女子代表 ===
{{main|U-17サッカー日本女子代表}}
 
== キャップ・得点ランキング ==
[[2011年]][[7月9日]]現在:(#)は現役
=== キャップ ===
{|class="wikitable"
!style="background:#0070FF;"|<font color="white">位!!style="background:#0070FF;"|<font color="white">名前!!style="background:#0070FF;"|<font color="white">キャップ数!!style="background:#0070FF;"|<font color="white">代表招集期間
562 ⟶ 543行目:
|3||[[池田浩美 (サッカー選手)|池田(磯﨑)浩美]]||113||1997 - 2008
|-
|4||[[宮間あや]] (#)||9799||2003 -
|-
|5||[[山郷のぞみ]] (#)||96||1997 -
|-
|6||[[柳田美幸大野忍]] (#)||9193||19972003 - 2008
|-
|67||[[大野忍安藤梢]] (#)||9192||20031999 -
|-
|8||[[安藤梢柳田美幸]] (#)||9091||19991997 - 2008
|-
|9||[[大部由美]]||85||1991 - 2004
585 ⟶ 566行目:
|2||[[長峯かおり]]||48||64||1983 - 1996
|-
|3||[[大野忍]] (#)||35||9193||2003 -
|-
|4||[[永里優季]] (#)||32||6870||2004 -
|-
|5||[[大谷未央]]||31||73||2000 - 2007
599 ⟶ 580行目:
|9||[[内山環]]||26||58||1991 - 1999
|-
|109||[[宮間あや]] (#)||2526||9799||2003 -
|}
 
== 歴代監督・コーチ ==
=== 監督 ===
* [[市原聖基|市原聖曠]](1981年)※[[1981 AFC女子選手権]]および[[神戸ポートアイランド博覧会|ポートピア'81]]国際女子サッカー大会時の監督
* [[折井孝男]](1984年)※中国遠征時の監督
* [[鈴木良平]](1986年 - 1989年)
* [[鈴木保]](1989年 - 1996年・1999年)
* [[宮内聡]](1997年 - 1999年)
* [[池田司信]](2000年 - 2001年)
* [[上田栄治]](2002年 - 2004年)
* [[大橋浩司]](2004年 - 2007年)
* [[佐々木則夫 (サッカー指導者)|佐々木則夫]](2007年 - )
 
== 年代別代表チームの戦績 ==
=== 日本U-20女子代表と国際大会 ===
{{main|U-20サッカー日本女子代表}}
 
=== U-2017女子代表 ===
{{main|U-17サッカー日本女子代表}}
 
== 脚註 ==