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'''インディアナポリス'''('''Indianapolis''' {{IPA-en|ˌɪndiəˈnæpəlɪs|}})は、[[アメリカ合衆国]][[インディアナ州]]中央部に位置する都市。同州の[[州都]]である。[[1970年]]にインディアナポリスに郡庁を置く[[マリオン郡 (インディアナ州)|マリオン郡]]と[[市郡]]合併した結果、マリオン郡域のほとんどがインディアナポリスの市域となり、945.6km<sup>2</sup>の広い市域を有している。人口は820,445人([[2010年]][[国勢調査]])<ref name="FactFinder">[http://factfinder2.census.gov/main.html American FactFinder]. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.</ref>で、インディアナ州では最大、[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]では[[シカゴ]]に次ぎ、全米でも第12位である。近郊の[[カーメル (インディアナ州)|カーメル]]や[[アンダーソン (インディアナ州)|アンダーソン]]を含む都市圏は11郡にまたがり、人口1,887,877人(2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />を数える。この都市圏に[[マンシー (インディアナ州)|マンシー]]・[[コロンバス (インディアナ州)|コロンバス]]両都市圏、および周辺の5つの小都市圏を加えた広域都市圏は2,266,569人(2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />の人口を抱えている。
 
== 歴史 ==
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[[File:Monument Circle, Indianapolis, 1907.jpg|right|thumb|250px|[[1888年|1888]]-[[1901年]]に建設された[[インディアナ兵士水兵記念塔]]]]
 
南北戦争が終わると、主にインディアナ州中央部から東部にかけて広がるトレントン[[ガス田]]の発見によってインディアナ・ガスブームがもたらされ、インディアナポリスは急速に発展した<ref>Gray, Ralph D. ''Indiana History: A Book of Readings''. p.187. Bloomington, Indiana: Indiana University Press. 1995年. ISBN 9780253326294.</ref><ref>Glass, James A. and David Kohrman. ''The Gas Boom of East Central Indiana''. p.11. Arcadia Publishing. 2005年. ISBN 9780738539638.</ref>。インディアナポリス出身の作家[[ブース・ターキントン]]は、[[1899年]]に発表した小説「インディアナ出の紳士」で、インディアナポリスの変貌を次のように記した。
 
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[[1821年]]に創設されたインディアナポリスの当初の都市計画は、マイル・スクエアと呼ばれる1平方マイルの区画で、モニュメント・サークルという[[ロータリー交差点|ロータリー]]を中心とし、イースト・ストリート、ウェスト・ストリート、サウス・ストリート、およびノース・ストリートをそれぞれ東西南北の境としていた<ref>Browne, William A. Jr. "The Ralston Plan: Naming the Streets of Indianapolis". ''Traces of Indiana and Midwestern History''. Vol.25. Issue 3. pp.8-9. Indianapolis: Indiana Historical Society. 2013年夏.</ref>。また、インディアナ・アベニュー、マサチューセッツ・アベニュー、ケンタッキー・アベニュー、およびバージニア・アベニューの4本の通りは斜めに通り、それぞれモニュメント・サークルのすぐ外側のブロックから北西、北東、南西、南東へと向かっている<ref>Browne, pp.11, 16.</ref>。その他のマイル・スクエア内の主要な通りは、モニュメント・サークルから南北へ延びるメリディアン・ストリート、東西へ延びるマーケット・ストリート、およびその1ブロック南を通るワシントン・ストリート([[ジョージ・ワシントン]]もしくは[[ワシントンD.C.]]に由来と言われている)の3本を除いて、インディアナポリスの創設時点で連邦に加入していた州、およびインディアナ州の北に隣接していた[[ミシガン準州]]からその名がつけられた<ref>Browne, p.9, 17.</ref>。 その後[[1895年]]に、テネシー・ストリートはキャピトル・アベニューに、またミシシッピ・ストリートはセネート・アベニューにそれぞれ改名された<ref>Browne, p.17</ref>。また、ノース・ストリートより北には数字のついた東西の通りがいくつか通っているが、これは1895年に条例で、旧1stストリートを10thストリート、旧2ndストリートを11thストリート、旧3rdストリートを12thストリート... といった具合に改称し、さらにノース・ストリートと旧1stストリートの間に通っていた旧プラット・ストリートを9thストリートとしたため、9thストリートから始まって、北に行くほど数字が大きくなっている格好になっている<ref>[https://sites.google.com/site/marioncountyinahgp/street-numbering-in-indianapolis Street Numbering in Indianapolis]. The American History and Genelogy Project. 2016年5月24日閲覧.</ref>。現在では、東西に通る通りの東(E)と西(W)の境はメリディアン・ストリート、南北に通る通りの南(S)と北(N)の境はワシントン・ストリートとなっている。
 
モニュメント・サークルの円内には、インディアナポリスのシンボルである[[インディアナ兵士水兵記念塔]]が建っている。[[1888年|1888]]-[[1901年]]に建設され、[[1902年]]に除幕されたこの記念塔は高さ86.7m<ref>[http://www.emporis.com/buildings/118685/soldiers-sailors-monument-indianapolis-in-usa Soldiers & Sailors Monument]. Emporis. 2016年5月24日閲覧.</ref>で、その後の条例で、この記念塔を超える高さの建物を建てることがしばらく禁じられていた<ref>Bodenhamer, David J., and Robert G. Barrows, p.646.</ref>こともあって、[[1962年]]に高さ113m、28階建てのインディアナポリス市・マリオン郡政府ビルが完成するまで、インディアナポリスで最も高い建築物であった<ref>[http://www.emporis.com/buildings/118692/city-county-building-indianapolis-in-usa City-County Building]. Emporis. 2016年5月24日閲覧.</ref>。インディアナ兵士水兵記念塔は[[1973年]]に[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に指定登録された<ref name="NRHP_MarionCountyIN">[http://www.nationalregisterofhistoricplaces.com/IN/Marion/state.html INDIANA - Marion County]. ''National Register of Historic Places''. 2016年5月24日閲覧.</ref>。現在、インディアナポリスで最も高い建築物は、[[1990年]]に完成した、高さ247m、49階建てのチェース・タワーである<ref>[http://www.emporis.com/buildings/118700/chase-tower-indianapolis-in-usa Chase Tower]. Emporis. 2016年5月24日閲覧.</ref>。
 
== 政治 ==
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同局はマリオン郡域のうち、ビーチグローブ、ローレンス、スピードウェイの3市町域、インディアナポリス空港局の管轄区域、および[[インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス校|IUPUI]]キャンパス警察の管轄区域を除く地域を管轄区域としており、その管轄区域を北・東・北西・南東・南西・ダウンタウンの6つの地区に分けている<ref>[http://www.indy.gov/eGov/City/DPS/IMPD/Enforcement/Districts/Pages/home.aspx Service Districts]. Indianapolis Metropolitan Police Department, City of Indianapolis and Marion County. 2016年5月31日閲覧.</ref>。インディアナポリス・メトロポリタン警察局は警察官約1,700人、および文官約250人を抱えている<ref>[http://www.indy.gov/eGov/City/DPS/IMPD/About/Pages/home.aspx General Departmental Information]. Indianapolis Metropolitan Police Department, City of Indianapolis and Marion County. 2016年5月31日閲覧.</ref>。
 
インディアナポリスの治安は同じインディアナ州内の[[ゲーリー (インディアナ州)|ゲーリー]]に比べればかなり良いものの、全米では良いほうであるとは言えない。[[2015年]]版のCQプレス社傘下、[[モーガン・クイットノー]]社による「全米の危険な都市」ランキング([[2013年]]の[[連邦捜査局|FBI]]のデータを使用)では、インディアナポリスはワースト25に入っており、全米で24番目に危険な都市であると報じられた<ref name="CQPress">[http://data.sagepub.com/sagestats/document.php?id=6373 Crime Rate Rankings (City)]. CQ Press, SAGE Publications. 2015年. 2016年5月31日閲覧.</ref>。[[2014年]]には、インディアナポリスの殺人件数は138件(人口100,000人あたり16.0件)を数え、その被害者の約6割は若いアフリカ系の男性であった<ref>[http://news.wsiu.org/post/indianapolis-tensions-stir-murder-rate-surges Indianapolis: Tensions Stir As Murder Rate Surges]. WSIU, College of Mass Communication and Media Arts, Southern Illinois University. 2015年4月28日. 2016年5月31日閲覧.</ref>。一方、インディアナポリス都市圏内、北東郊の[[フィッシャーズ (インディアナポリス)|フィッシャーズ]]は[[2011年|2011]]-15年まで5年連続、全米で最も安全な都市であると報じられ、特に2015年版では[[カーメル (インディアナ州)|カーメル]]もフィッシャーズに次ぐベスト2位に入るなど、郊外の治安は良好である<ref name="CQPress" />。
 
== 経済 ==
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[[File:2006 0219FirstFUJIFOLDER0012.JPG|left|thumb|250px|イーライリリー本社]]
 
中西部の多くの都市と同様、[[20世紀]]後半以降の製造業の流出は、インディアナポリスの地域経済に大きな影響を与えてきた。かつて、インディアナポリスは60社以上の自動車製造業者を抱える、[[デトロイト]]にも匹敵する自動車産業の中心地であった<ref>[http://www.indystar.com/story/news/history/retroindy/2013/10/24/motor-city/3180615/ Retro Indy: City came close to being "Motor City"]. ''The Indianapolis Star''. 2016年4月24日. 2016年6月2日閲覧.</ref>。例えば、[[ロールス・ロイス・ホールディングス|ロールス・ロイス]]は[[1915年]]以来、インディアナポリスに北米法人の本社を置いている<ref>Turner, Kris. [http://www.indystar.com/story/news/2015/10/07/rolls-royce-celebrates-100-years-indy/73527466/ Rolls-Royce celebrates 100 years in Indy]. ''The Indianapolis Star''. 2015年10月8日. 2016年6月2日閲覧.</ref>。ロールス・ロイス北米法人は、現在では市最大の製造業者の1つで、航空用[[エンジン]]の開発・製造で約4,300人を雇用している<ref name="CBRE_p3">[http://www.cbre.us/o/cincinnati/AssetLibrary/Market%20Overview_Indianapolis%20Brochure_July%202015_Small%5B1%5D.pdf 2015 Market Overview: Indianapolis & the CBD]. p.3. Cincinnati: CBRE. 2015年. 2016年6月2日閲覧.</ref>。しかし、[[1990|1990]]-[[2012年]]にかけて、インディアナポリスにあった[[ゼネラルモーターズ]]、[[フォード・モーター|フォード]]、[[クライスラー]]各社の工場はすべて閉鎖されたのを含め、製造業の雇用は約26,900人減少した<ref>[http://www.indy.gov/eGov/City/DMD/Planning/Documents/2014-IndyFastTrack.pdf Indy FastTrack]. p.32. City of Indianapolis and Marion County. 2014年. 2016年6月2日閲覧.</ref>。[[2016年]]には、[[キヤリア (空調設備メーカー)|キヤリア]]がインディアナポリスの工場を閉鎖して[[メキシコ]]へ移転し、この地から約1,400人の雇用が失われた<ref>Schwartz, Nelson D. [http://www.nytimes.com/2016/03/20/business/economy/carrier-workers-see-costs-not-benefits-of-global-trade.html Carrier Workers See Costs, Not Benefits, of Global Trade]. ''New York Times''. 2016年3月19日. 2016年6月2日閲覧.</ref>。
 
衰退した製造業に代わって、インディアナポリスの地域経済を支えるようになってきているのが[[生物工学]]、[[生命科学]]、および[[ヘルスケア]]である。バテル記念研究所およびバイオテクノロジー産業機構による2014年の報告書では、インディアナポリス・カーメル・アンダーソン都市圏は全米で唯一、農業原料・化学、生命科学関連流通、医薬品、医療機器、および調査・試験・医学研究の5分野全てで生命科学産業が雇用を創出している都市圏であると報じられている<ref>[http://www.bio.org/sites/default/files/Battelle-BIO-2014-Industry.pdf Battelle/BIO State Bioscience Jobs, Investments and Innovation 2014]. p.7. Biotechnology Industry Organization. 2014年. 2016年6月4日閲覧.</ref>。また、セント・ビンセント・ヘルス、インディアナ大学ヘルス、コミュニティ・ヘルス・ネットワークは、インディアナポリス都市圏における雇用者数で1-3位を占めており、これにフランシスカン・セント・フランシス・ヘルスをあわせて、インディアナポリス都市圏におけるヘルスケア産業は、この4法人だけで43,700人を雇用している<ref name="CBRE_p3" />。
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コミュニティ・ヘルス・ネットワークは、マリオン郡内に4つの医療センターを置いているほか、ココモや[[アンダーソン (インディアナ州)|アンダーソン]]にも医療センターを置いている<ref>[https://www.ecommunity.com/locations/locations.aspx Locations]. Community Health Network. 2016年6月5日.</ref>。また、フランシスカン・セント・フランシス・ヘルスは、その中心となる医療センターを市南部に置いている。
 
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== 交通 ==
[[File:Indianapolis International Airport (16164994946).jpg|right|thumb|250px|インディアナポリス国際空港]]
 
インディアナポリスの玄関口となる商業空港は、ダウンタウンの南西約14km<ref>[http://www.gcr1.com/5010web/airport.cfm?Site=IND Indianapolis Int'l]. ([http://www.gcr1.com/5010ReportRouter/IND.pdf Form 5010]) ''Airport Master Record''. Federal Aviation Administration. 2016年5月26日. 2016年6月7日閲覧.</ref>、環状線I-465のすぐ外側に立地する[[インディアナポリス国際空港]]([[IATA空港コード|IATA]]: '''IND''')である。同空港には主要航空会社が各社[[ハブ空港]]からの便を就航させており、38都市に1日平均135便の直行便がある。加えて、前述の通り、同空港には[[フェデックス]]第2のハブも置かれている<ref>[http://business.ind.com/information_news/ Information & News]. Indianapolis International Airport. 2016年6月7日閲覧.</ref>。
 
[[File:Indianapolis.svg|left|thumb|250px|インディアナポリスの州間高速道路・国道・州道網。ダウンダウンの北・東・南はI-65とI-70によってコの字状に囲まれている。]]
 
インディアナポリスでは[[州間高速道路65号線|I-65]]、[[州間高速道路69号線|I-69]]、[[州間高速道路70号線|I-70]]、および[[州間高速道路74号線|I-74]]の4本の[[州間高速道路]]が交わる。I-65は南北の幹線の1つで、ダウンタウンの北と東(I-70との共用部分)を通っており、北へは[[ラファイエット (インディアナ州)|ラファイエット]]を経て終点の[[ゲーリー (インディアナ州)|ゲーリー]]で[[州間高速道路90号線|I-90]]に合流し、南へは[[コロンバス (インディアナ州)|コロンバス]]を経て[[ルイビル (ケンタッキー州)|ルイビル]]、[[ナッシュビル]]方面へと通ずる。このI-65の支線であるI-465はインディアナポリスの[[放射線・環状線|環状道路]]になっている。もう1本の支線であるI-865はI-465の北側とI-65本線とを結ぶ短絡路となっている。I-69はI-465から北東へ、[[フォートウェイン]]方面へと通ずる。将来的にはI-465から南西へ、[[エバンズビル (インディアナ州)|エバンズビル]]方面へも通ずる予定になっている。I-70は大陸を横断する幹線で、ダウンタウンの東(I-65との共用部分)と南を通っており、東へは[[デイトン (オハイオ州)|デイトン]]、[[コロンバス (オハイオ州)|オハイオ州コロンバス]]方面へ、西へは[[セントルイス]]方面へと通ずる。I-74はI-465から南東へ[[シンシナティ]]に、また北西へは[[シャンペーン (イリノイ州)|シャンペーン]]/[[アーバナ (イリノイ州)|アーバナ]]を経て[[ダベンポート (アイオワ州)|ダベンポート]]へと通じている。このほか、国道31号線、および州道431号線(キーストーン・パークウェイ)のI-465以北がそれぞれ、[[カーメル (インディアナ州)|カーメル]]へと通ずる高速道路となっている。
 
[[File:Union station Indianapolis.jpg|right|thumb|180px|インディアナポリス・ユニオン駅]]
 
[[インディアナポリス駅|インディアナポリス・ユニオン駅]]はモニュメント・サークルの南4ブロックに位置している。この駅は[[1853年]]に設置された全米最古のユニオン駅で<ref name="NPS Discover" />、[[1974年]]に[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に登録された<ref name="NRHP_MarionCountyIN" />。この駅には[[シカゴ]]と[[ニューヨーク]]をシンシナティ経由の南回りで結ぶ[[アムトラック]]の長距離列車[[カーディナル (列車)|カーディナル]]号が西行、東行とも週3便停車し、カーディナル号が運行しない日にはインディアナポリス始発の中距離列車フージャー・ステート号が運行している<ref>[https://www.amtrak.com/ccurl/341/787/Cardinal-Hoosier-State-Schedule-011116,0.pdf Cardinal and Hoosier State]. p.2. Amtrak. 2016年1月11日. 2016年6月8日閲覧.</ref>。また、この駅は[[グレイハウンド (バス)|グレイハウンド]]のバスターミナルも兼ねており<ref>[http://locations.greyhound.com/bus-stations/us/indiana/indianapolis/bus-station-260392 Indianapolis Greyhound Station]. Greyhound. 2016年6月8日閲覧.</ref>、シカゴ、セントルイス、オハイオ州コロンバス、シンシナティ、ルイビル方面への同社のバスが発着するほか、バロンズ・バス<ref>[http://www.baronsbus.com/bus-stop-locations Bus Stop Locations]. Barons Bus Lines. 2016年6月8日閲覧.</ref>やフージャー・ライド<ref>[http://hoosierride.com/locations/#tab-indiana-locations Indiana Bus Stop Locations]. Hoosier Ride. 2016年6月8日閲覧.</ref>のバスも発着する。
 
インディアナポリスにおける公共交通としては、インディアナポリス公共交通公社がIndyGoという[[路線バス]]網を運行している。この路線バス網は31系統を有し、インディアナポリス・マリオン市郡内をカバーしている<ref>[http://www.indygo.net/route/ Bus Routes], [http://www.indygo.net/wp-content/uploads/2015/02/System-Map-Map-Only.pdf System Map]. Indianapolis Public Transportation Corporation. 2016年6月8日閲覧.</ref>。また、Indy Connectという[[バス・ラピッド・トランジット|BRT]]の計画も、[[アメリカ合衆国運輸省|連邦運輸省]]の支援の下に進められている<ref>Tuohy, John. [http://www.indystar.com/story/news/2015/04/23/usdot-announce-boost-indys-rapid-transit-system/26229481/ Indy's rapid transit plan moving fast]. ''The Indianapolis Star''. 2015年4月23日. 2016年6月8日閲覧.</ref>。しかし、全米の多くの他都市と同様、インディアナポリス都市圏における主要な交通手段は自家用車であり、90%以上の労働者が通勤に自家用車を利用しているのに対し、公共交通機関の利用率は1%にとどまっている<ref>"Travel to Work in 2014: Indiana METROs - Indianapolis-Carmel-Anderson MSA". ''[http://www.stats.indiana.edu/dms4/new_dpage.asp?profile_id=23&output_mode=1 STATS Indiana]''. Indiana University. 2016年6月8日閲覧.</ref>。
 
== 教育 ==
[[File:Campus Center - IUPUI - DSC00526.JPG|left|thumb|250px|インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス校(IUPUI)]]
 
[[インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス校]](IUPUI)のキャンパスはダウンタウンの西隣、ホワイト川の河畔に広がっている。同学は[[1969年]]、[[インディアナ大学]]と[[パデュー大学]]がそれぞれ別個に置いていたインディアナポリス校を合併してできた都市型州立研究大学である<ref>[https://www.iupui.edu/about/history/index.html History: A visionary university with humble beginnings]. Indiana University-Purdue University Indianapolis. 2016年6月12日閲覧.</ref>。同学は17の学部を有し、学部生約22,000人、大学院生約8,000人の学生を抱えている<ref>[https://www.iupui.edu/about/rankings-statistics.html Rankings & Campus Statistics]. Indiana University-Purdue University Indianapolis. 2016年6月12日閲覧.</ref>。また、同学のキャンパス内には、インディアナ大学の医学部<ref>[http://medicine.iu.edu/ Home]. School of Medicine, Indiana University. 2016年6月12日閲覧.</ref>、および歯学部<ref>[https://www.dentistry.iu.edu/index.php/about-us/ About Us]. School of Dentistry, Indiana University]. 2016年6月12日閲覧.</ref>の本部も置かれている。加えて、インディアナ大学に2つある[[ロー・スクール (アメリカ合衆国)|ロー・スクール]]の1つで、[[2011年]]に地元銀行家・弁護士のロバート・H・マッキニーから数百万ドルにのぼる寄付を受けてその名を冠したロバート・H・マッキニー法科大学院も同学に置かれている<ref>[http://mckinneylaw.iu.edu/about/history.html History: Our Name]. Robert H. McKinney School of Law, Indiana University. 2016年6月12日閲覧.</ref>。IUPUIは、[[USニューズ&ワールド・レポート]]の大学ランキングでは、全米の総合大学の中で上位200位以内に入る評価を受けている<ref>[http://colleges.usnews.rankingsandreviews.com/best-colleges/rankings/national-universities/page+17 Best Colleges 2016: National Universities Rankings]. p.17. ''U.S. News & World Report''. 2015年. 2016年6月12日閲覧.<br />2016年版(2015年発行)では199位であった。</ref>。
 
[[File:ButlerFall2014 08.JPG|right|thumb|250px|バトラー大学]]
 
[[バトラー大学]]はダウンタウンの北約8km、住宅地の中に295[[エーカー]](1,200,000m<sup>2</sup>)のキャンパスを構えている<ref name="Butler_Glance">[https://www.butler.edu/glance At a Glance]. Butler University. 2016年6月12日閲覧.</ref>。同学は[[南北戦争]]前夜の[[1855年]]に、地元の弁護士で、[[奴隷制度廃止運動]]家でもあったオービッド・バトラーが、人種や性別に関係なく皆が優れた教育を受けるに値するとの理念の下に創立した[[リベラル・アーツ・カレッジ]]を起源とする私立大学である<ref>[https://www.butler.edu/history-traditions History & Traditions]. Butler University. 2016年6月12日閲覧.</ref>。同学は6学部を有し、約4,000人の学生を抱える中規模総合大学であるが、開学以来の伝統である[[リベラル・アーツ]]教育を基本とし<ref>[https://www.butler.edu/colleges Colleges]. Butler University. 2016年6月12日閲覧.</ref>、学生対教授の比は12:1という少数精鋭制の教育を行っている<ref name="Butler_Glance" />。また、同学のスポーツチーム、ブルドッグズは[[全米大学体育協会|NCAA]]ディビジョンIの[[ビッグ・イースト・カンファレンス]]([[アメリカンフットボール|フットボール]]のみFCS/旧I-AAのパイオニア・フットボール・リーグ)に所属しており、男子8種目、女子10種目で競っている<ref>[http://www.butlersports.com/ Home]. ''Butler Bulldogs''. Butler University. 2016年6月12日閲覧.</ref>。男子バスケットボールチームは[[1990年代]]後期以降、[[NCAA男子バスケットボールトーナメント|NCAAトーナメント]]常連校となっており、[[2010年]]には地元インディアナポリスで開催されたファイナル4に初進出、決勝戦では59-61で[[デューク大学]]ブルーデビルズに敗れたものの、全米準優勝に輝いた。決勝戦の翌日、[[バラク・オバマ]]は選手とコーチに賛辞を述べた<ref>Woods, David. "NCAA blog 27: America's Team". ''The Indianapolis Star''. 2010年4月6日.</ref>。バトラー大学は、USニューズ&ワールド・レポートの大学ランキングでは、州内のバルパレーゾ大学やエバンズビル大学、近隣のザビエル大学やブラッドリー大学等と共に、中西部の「地方区の大学」の中で常にトップ10に入る評価を受けている<ref>[http://colleges.usnews.rankingsandreviews.com/best-colleges/rankings/regional-universities-midwest Best Colleges 2016: Regional Universities Midwest Rankings]. p.1. ''U.S. News & World Report''. 2015年. 2016年6月12日閲覧.<br />2016年版(2015年発行)では2位であった。</ref>。
 
[[File:IMCPL Central Library Atrium.jpg|left|thumb|250px|インディアナポリス中央図書館]]
 
このほか、インディアナポリスには、[[カトリック教会|カトリック]]([[フランシスコ会]])系のリベラル・アーツ・カレッジであるマリアン大学<ref>[http://www.marian.edu/about-marian About Marian]. Marian University. 2016年6月12日閲覧.</ref>、[[メソジスト]]系の中規模私立総合大学であるインディアナポリス大学<ref>[http://www.uindy.edu/about-uindy About UIndy]. University of Indianapolis. 2016年6月12日閲覧.</ref>、およびカトリックの[[ベネディクト会]]の神父が低所得者層に高等教育の機会を与える目的で創立した、アフリカ系の学生が多い[[マーティン大学]]<ref>[http://www.martin.edu/about-martin About Martin]. [http://www.martin.edu/history History]. Martin University. 2016年6月12日閲覧.</ref>がキャンパスを置いている。
 
インディアナポリスには、市郡合併以前から存在していた、合併前のインディアナポリス市域をカバーするインディアナポリス公立学区に加えて、マリオン郡内の各郡区の学区が8つ、合計9つの学区があり<ref>"East Central Indiana Unified School Districts" ([[http://www.stats.indiana.edu/maptools/maps/boundary/school_districts/region3_unified.gif GIF], [http://www.stats.indiana.edu/maptools/maps/boundary/school_districts/region3_unified.pdf PDF]). ''[http://www.stats.indiana.edu/maptools/school_districts.asp STATS Indiana: Unified School District Maps]''. Indiana University. 2016年6月12日閲覧.</ref>、それぞれ[[K-12]]課程を支える公立学校を運営している。中でも最大の学区であるインディアナポリス公立学区は、小学校・中学校・高校をあわせて約30,000人の児童・生徒を抱えている<ref>[http://www.myips.org/domain/104 Who We Are]. Indianapolis Public Schools. 2016年6月12日閲覧.</ref><ref>[http://compass.doe.in.gov/dashboard/enrollment.aspx?type=corp&id=5385 Indianapolis Public Schools (5385)]. ''DOE Compass''. Indiana Department of Education. 2016年6月12日閲覧.</ref>。
 
インディアナポリス公共図書館はダウンタウンに立地する中央図書館、マリオン郡を広くカバーする23の支館、[[移動図書館]]、および図書館サービスセンターから成っている<ref>[http://www.indypl.org/locations/ Locations & Hours]. Indianapolis Public Library. 2016年6月12日閲覧.</ref>。同館はシステム全体で、年間420万人の来館があり、貸出数は年間通算で1,590万冊を数える<ref>[http://www.indypl.org/about/glance/ Library at a Glance]. Indianapolis Public Library. 2016年6月12日閲覧.</ref>。
 
== 文化 ==
=== 博物館 ===
[[File:The Childrens Museum of Indianapolis Welcome Center.jpg|right|thumb|250px|インディアナポリス子供美術館]]
 
ダウンタウンの北約5km、メリディアン・ストリートと30thストリートの北西角にはインディアナポリス子供博物館が立地している。[[1925年]]に開館した同館は世界最大の子供博物館で、29エーカー(117,000m<sup>2</sup>)の敷地に472,900平方フィート(44,000m<sup>2</sup>)の床面積を有し、常設・特別展示あわせて11の展示スペースを有している<ref>[http://www.childrensmuseums.org/about/facts.htm Quick Facts About the Museum]. Children's Museum of Indianapolis. 2016年6月15日閲覧.</ref>。同館の収蔵品は大きく分けて自然科学、アメリカ合衆国の文化、および世界の文化の3分野におよび、120,000点を数える<ref>[https://www.childrensmuseum.org/content/museum-collections Museum Collections]. Children's Museum of Indianapolis. 2016年6月15日閲覧.</ref>。育児雑誌ペアレンツ誌では、同館は全米で最も良い子供博物館の1つに挙げられている<ref>Mauer, Elena. [http://www.parents.com/fun/vacation/us-destinations/the-10-best-childrens-museums/ The 15 Best Children's Museums in the U.S.] ''Parents''. 2016年6月15日閲覧.</ref>。
 
[[File:Benjamin Harrison home.JPG|left|thumb|250px|ベンジャミン・ハリソン私邸跡]]
 
インディアナポリスは第23代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]][[ベンジャミン・ハリソン]]ゆかりの地である。ダウンタウンのすぐ北にはハリソンの私邸が保存されている。[[1875年]]に完成したこのイタリアネット様式の家屋は、[[1964年]]に[[アメリカ合衆国国定歴史建造物|国定歴史建造物]]に<ref name="NHL_StateListing_Indiana">[https://www.nps.gov/nhl/find/statelists/in/IN.pdf Listing of National Historic Landmarks by State: Indiana]. p.1. National Park Service. 2016年6月19日閲覧.</ref>、また[[1966年]]に[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に<ref name="NRHP_MarionCountyIN" />それぞれ登録された。現在では、この家屋は博物館として一般に公開されており、ハリソンの最初の妻で、在職中の[[ファーストレディ]]でもあったキャロラインの手による水彩画および陶芸品の絵付け<ref>[http://www.bhpsite.org/learn/collections/caroline-harrison-s-art Caroline Harrison's Art]. Benjamin Harrison Presidential Site. 2016年6月19日閲覧.</ref>や、ハリソンとその子供たちが存命であった頃の婦人参政権運動に関する事物<ref>[http://www.bhpsite.org/learn/collections/women-s-suffrage Women's Suffrage]. Benjamin Harrison Presidential Site. 2016年6月19日閲覧.</ref>など、ハリソン一家に関する事物を収蔵・展示している<ref>[http://www.bhpsite.org/learn/collections Collections]. Benjamin Harrison Presidential Site. 2016年6月19日閲覧.</ref>。また、敷地内の庭園も、植物園として一般に公開されている<ref>[http://www.bhpsite.org/visit/gardens Gardens]. Benjamin Harrison Presidential Site. 2016年6月19日閲覧.</ref>。
 
[[File:Indiana State Museum CIMG0244.JPG|right|thumb|250px|インディアナ州立博物館]]
 
[[インディアナ州会議事堂]]から西へ2ブロック、[[インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス校|IUPUI]]のキャンパスの南東に広がるホワイト川州立公園内にはインディアナ州立博物館が立地している。同館はインディアナ州の芸術、科学、および文化に関する事物を常設展示している<ref>[http://www.indianamuseum.org/about About]. Indiana State Museum. 2016年6月19日閲覧.</ref>。また同館は、[[フォートウェイン]]のアレン郡公共図書館と共同で、[[エイブラハム・リンカーン]]にまつわる事物を収蔵、および展示している<ref>[http://lincolncollection.org/access/visit-the-collection/ Visit the Collection]. The Lincoln Financial Foundation Collection. 2016年6月19日閲覧.</ref>。
 
インディアナポリスのシンボルである[[インディアナ兵士水兵記念塔]]の下層階はイーライ・リリー大佐南北戦争博物館になっている<ref>[http://www.in.gov/iwm/2335.htm Colonel Eli Lilly Civil War Museum]. ''Indiana War Memorial''. State of Indiana. 2016年6月20日閲覧.</ref><ref>[http://www.indianawarmemorials.org/museums/civilwarmuseum.html Colonel Eli Lilly Civil War Museum]. Indiana War Memorials Foundation. 2016年6月20日閲覧.</ref>。また、その3ブロック北、[[インディアナ世界大戦記念広場]]にはインディアナ戦争記念博物館が立地している<ref>[http://www.in.gov/iwm/2333.htm Indiana War Memorial Museum]. State of Indiana. 2016年6月20日閲覧.</ref><ref>[http://www.indianawarmemorials.org/museums/warmemorialmuseum.html Indiana War Memorial Museum]. Indiana War Memorials Foundation. 2016年6月20日閲覧.</ref>。
 
=== 美術館と視覚芸術 ===
[[File:Indianapolis Museum of Art - IMA (2592098617).jpg|left|thumb|250px|インディアナポリス美術館の「[[LOVE (インディアナポリス)|LOVE]]」]]
 
ダウンタウンの北西約8km、バトラー大学やマリアン大学のキャンパスにも程近い、ミシガン・ロードと38thストリートの北西角には[[インディアナポリス美術館]]が立地している。同館は[[1883年]]に、婦人参政権運動家メイ・ライト・スーウェルがダウンタウンに建っていたイングリッシュ・ホテルで行った展覧会を起源とし、[[1970年]]に現在の場所に移転した<ref>[http://www.imamuseum.org/about/history History]. Indianapolis Museum of Art. 2016年6月21日閲覧.</ref>。同館はアフリカ、アジア、アメリカ、ヨーロッパの5,000年にわたる芸術作品54,000点を収蔵しており、そのジャンルも絵画、彫刻、工芸品、写真、デザイン、現代芸術と多岐にわたる<ref>[http://www.imamuseum.org/collections Collections]. Indianapolis Museum of Art. 2016年6月21日閲覧.</ref>。また、同館の敷地内には、インディアナ州出身の現代芸術家[[ロバート・インディアナ]]の代表作品、「[[Love (彫刻)|LOVE]]」の彫刻が展示されている。高さ・幅3.6m、厚さ1.8mのこの[[耐候性鋼|コールテン鋼]]製の彫刻は[[1970年]]に制作されたもので、世界中にレプリカが数多くある「LOVE」の彫刻の中でも最初に創られたものである<ref>[http://collection.imamuseum.org/artwork/28170/ Love]. Indianapolis Museum of Art. 2016年6月21日閲覧.</ref>。
 
[[File:Facade 6-12-14 379.jpg|right|thumb|250px|アイテルジョーグ・アメリカンインディアン・西部美術館]]
 
ホワイト川州立公園内、インディアナ州立博物館の東隣に立地するアイテルジョーグ・アメリカンインディアン・西部美術館は、[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]では唯一の、その名が示す通りネイティブ・アメリカンの芸術や西部芸術の作品に特化した美術館である<ref>[http://www.eiteljorg.org/about/the-museum The Museum]. Eiteljorg Museum of American Indians and Western Art. 2016年6月21日閲覧.</ref>。同館の収蔵品はネイティブ・アメリカン芸術、西部芸術、および現代芸術の3つに大別される。ネイティブ・アメリカン芸術については、同館はアメリカ合衆国およびカナダの先住民族による彫刻、宝飾、織物などの作品を広く収蔵しているほか、常設展示[[ギャラリー (美術)|ギャラリー]]内には[[マイアミ族]]、[[ポタワトミー族]]、[[レナペ|デラウェア族]]など、インディアナ州に先住していたネイティブ・アメリカンの各部族に対する理解を深める ''Mihtohseenionki'' (「人々の場」の意)というコーナーを設けている<ref>[http://www.eiteljorg.org/explore/collections/native-american Native American]. Eiteljorg Museum of American Indians and Western Art. 2016年6月21日閲覧.</ref>。西部芸術については、[[ジョージア・オキーフ]]ら、[[アメリカ合衆国西部|西部]]に創作のヒントを得た芸術家による作品を収蔵・展示している<ref>[http://www.eiteljorg.org/explore/collections/western Western]. Eiteljorg Museum of American Indians and Western Art. 2016年6月21日閲覧.</ref>。現代芸術に関しては、同館は伝統絵画、[[ビーズ]]細工や[[ビーバー]]毛皮細工など、ネイティブ・アメリカンによる現代芸術作品に注力している<ref>[http://www.eiteljorg.org/explore/collections/contemporary Comtemporary]. Eiteljorg Museum of American Indians and Western Art. 2016年6月21日閲覧.</ref>。
 
ダウンタウンの北約13km、ブロード・リップル・ビレッジ地区内に立地するインディアナポリス芸術センターは絵画、彫刻、陶芸、織物など、多岐にわたる芸術教室を開いている<ref>[https://apm.activecommunities.com/indianapolisartcenter Home]. Indianapolis Art Center. 2016年6月21日閲覧.</ref>。ダウンタウンの南東、ファウンテンスクエア地区内のマーフィー芸術センター、およびダウンタウンのシティウェイに立地するホテル、アレクサンダーでは、インディアナポリス現代美術館がその収蔵品を展示している<ref>[http://indymoca.org/info/visit/ Visit]. Indianapolis Museum of Contemporary Art. 2016年6月21日閲覧.</ref>。また、[[インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス校|IUPUI]]のキャンパス内には、同学芸術学部の学生および卒業生による作品を主とした、芸術学部所蔵の彫刻作品が至るところに展示されている<ref>Hernandez, Emma. [http://inside.iupui.edu/features/photos/2014-07-15-gallery-campus-art.shtml Explore IUPUI's public art collection]. Indiana University-Purdue University Indianapolis. 2016年6月21日閲覧.</ref>。
 
=== 演技芸術 ===
[[File:Circle Theater.jpg|left|thumb|250px|ヒルバート・サークル・シアター]]
 
モニュメント・サークルには、[[1984年]]以来[[インディアナポリス交響楽団]]が本拠地としている、1,660席を有するヒルバート・サークル・シアターが立地している。この[[新古典主義建築]]様式の劇場は[[1916年]]に建てられたもので、以来映画の放映や音楽の公演に使われてきた。[[1928年]]には、市史上初めての[[トーキー]]映画の放映となる、「[[ジャズ・シンガー]]」の放映がこの劇場で行われた。[[1940年代]]には、[[グレン・ミラー・オーケストラ]]など、[[ジャズ]]の[[ビッグバンド]]がこの劇場のステージで公演を行った<ref name="Hilbert">[https://www.indianapolissymphony.org/about/hilbert-circle-theatre Hilbert Circle Theatre]. Indianapolis Symphony Orchestra. 2016年6月24日閲覧.</ref>。サークル・シアターは、[[1980年]]に[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に登録された<ref name="NRHP_MarionCountyIN" />。[[1996年]]、地元実業家スティーブン・ヒルバートがこのサークル・シアターに多額の寄付をし、劇場にヒルバートの名が冠せられた<ref name="Hilbert" />。
 
このサークル・シアターの成功を受けて[[1927年]]、ワシントン・ストリートとキャピトル・アベニューの北東角、[[インディアナ州会議事堂]]の向かいに、より規模の大きい映画館として建てられたのがインディアナ・シアターであった。完成当初、インディアナ・シアターは3,200席を有し、ボールルームや昼食[[カウンター (インテリア)|カウンター]]、[[理容所|理髪店]]などの施設も併設していた。[[1980年]]以降、インディアナ・シアターはインディアナ・レパートリー・シアターという[[レパートリー・シアター]]になっている<ref>[https://www.nps.gov/nr/travel/indianapolis/indianatheatre.htm Indiana Theatre]. ''Discover Our Shared Heritage Travel Itinerary''. Washington, D.C.: National Park Service. 2016年6月24日閲覧.</ref>。インディアナ・シアターは、[[1979年]]に国家歴史登録財に登録された<ref name="NRHP_MarionCountyIN" />。
 
[[File:Madame Walker Theatre Center.jpg|right|thumb|250px|マダム・ウォーカー・シアター]]
 
インディアナ・シアターと同じく1927年、当時アフリカ系の住民が集住していた地区の中心、インディアナ・アベニューとウェスト・ストリートの北西角に建てられたのがマダム・ウォーカー・シアターである。この建物は、もともとはアフリカ系アメリカ人女性起業家、マダム・ウォーカーが起業し、娘のアレリアが継いだヘアケア用品製造・販売会社の本社・工場として建てられたもので、ボールルームや劇場、[[美容所|美容院]]も併設し、地域のアフリカ系住民にとっての文化センターとしての役割も果たしていた<ref>[https://www.nps.gov/nr/travel/indianapolis/walkerbuilding.html Madame C. J. Walker Building]. ''Discover Our Shared Heritage Travel Itinerary''. Washington, D.C.: National Park Service. 2016年6月24日閲覧.</ref>。[[エラ・フィッツジェラルド]]や[[ナット・キング・コール]]なども、この劇場で公演を行った<ref>[http://www.thewalkertheatre.org/about/about-us About Us]. Madame Walker Theatre. 2016年6月24日閲覧.</ref>。マダム・ウォーカー・シアターは、1980年に国家歴史登録財に<ref name="NRHP_MarionCountyIN" />、また[[1991年]]に[[アメリカ合衆国国定歴史建造物|国定歴史建造物]]に<ref name="NHL_StateListing_Indiana" />それぞれ登録された。
 
モニュメント・サークルから北東へ4ブロック、マサチューセッツ・ストリート、ミシガン・ストリート、およびニュージャージー・ストリートの六叉路の北西角にはオールド・ナショナル・センターが立地する。ミュラ・シュラインとも呼ばれていたこの建物は[[1909年]]に建てられた。同館は2,600席を有する劇場、1,800席および宴会場を有するコンサートホール、および600席を有する多機能室を持っており、大小様々な催し物に対応できる多目的催事場となっている。オールド・ナショナル・センターでは年間300のイベントが開催される<ref>[http://www.oldnationalcentre.com/venueinfo Venue Info]. Old National Centre. 2016年6月24日閲覧.</ref>。
 
また、ワシントン・ストリートとイリノイ・ストリートの交差点の上に架かる形で建っているインディアナポリス・アーツガーデンでは、年間300以上の演技芸術の公演、および月例の視覚芸術作品の展示が行われる<ref>[https://indyarts.org/artsgarden/performing-exhibiting Artsgarden: Performing & Exhibiting]. Arts Council of Indianapolis. 2016年6月24日閲覧.</ref>。
 
インディアナポリスは高校生の[[マーチングバンド]]の全米組織で、ミュージック・フォー・オールの一部門であるバンズ・オブ・アメリカ、およびドラムコー・インターナショナルが本部を置く地でもある<ref>Kuzma, Gregory M. [http://www.halftimemag.com/features/indianapolis.html Indianapolis: The Center for the Music Arts?] ''Halftime Magazine''. 2008年7月14日. 2016年6月24日閲覧.</ref>。また、インディアナポリスは[[1982年]]に始まった、4年に1度の[[インディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクール]]が開かれる地でもある<ref>[http://www.violin.org/quadrennial-competition Quadrennial Competition]. International Violin Competition of Indianapolis. 2016年6月24日閲覧.</ref>。
 
=== 文学 ===
[[File:James Whitcomb Riley House in Indianapolis, front and western side.jpg|left|thumb|250px|ジェームズ・ウィットコーム・ライリーの家]]
[[File:Booth-Tarkington-TIME-1925.jpg|right|thumb|200px|[[タイム (雑誌)|タイム]]誌(1925年12月11日)の表紙を飾ったブース・ターキントン]]
 
[[1880年|1880]]-[[1920年]]にかけて、インディアナポリスは詩人[[ジェームズ・ウィットコーム・ライリー]]、[[ピューリッツァー賞]]を2度受賞した[[ブース・ターキントン]]、ベストセラー作家メレディス・ニコルソンらを輩出し、インディアナ文学の黄金時代と呼ばれた。[[1947年]]に行われたある調査では、この40年間においては、インディアナ州出身の作家が生み出したベストセラーの数は、[[ニューヨーク州]]出身作家に次ぐ全米2位であった<ref name="Golden Age">[http://www.indianahistory.org/our-services/local-history-services/traveling-exhibits/the-golden-age-indiana-literature-1880-1920 The Golden Age: Indiana Literature (1880–1920)]]. Indiana Historical Society. 2016年6月25日閲覧.</ref>。アーサー・W・シューメーカーは著書 ''A History of Indiana Literature'' (インディアナ文学の歴史)において、この時代がもたらした影響を次のように記した。
 
<blockquote>
''It was the age of famous men and their famous books. In it Indiana, and particularly Indianapolis, became a literary center which in many ways rivaled the East.'' <ref>[http://www.literaryclub.org/id12.html Founding of the Club]. The Indianapolis Literary Club. 2016年6月25日閲覧.</ref>
</blockquote>
 
<blockquote>
(訳)この時代は、有名な者たちとその有名な著書の時代であった。この点においてインディアナ、殊にインディアナポリスは、多くの意味で東部に匹敵する、文学の中心地になっていた。
</blockquote>
 
ダウンタウンの北東、ロッカビー・ストリート沿いにはジェームズ・ウィットコーム・ライリーの家が保存されており、博物館として一般に公開されている。ジェームズ・ウィットコーム・ライリーの家は[[1962年]]に[[アメリカ合衆国国定歴史建造物|国定歴史建造物]]に<ref name="NHL_StateListing_Indiana" />、また[[1966年]]に[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に<ref name="NRHP_MarionCountyIN" />それぞれ登録された。
 
そして、[[20世紀]]中盤以降に現れた最も有名なインディアナポリス出身の作家は、おそらく「[[タイタンの妖女]]」([[1959年]])、「[[猫のゆりかご]]」([[1963年]])、「[[スローターハウス5]]」([[1969年]])等の作品で知られた[[カート・ヴォネガット]]であろう。ヴォネガットは多くの作品において、インディアナポリス出身の人物を1人以上登場させた<ref name="Vonnegut">[http://www.indianahistory.org/our-collections/reference/notable-hoosiers/kurt-vonnegut Kurt Vonnegut]. Indiana Historical Society. 2016年6月25日閲覧.</ref>。[[1986年]]に帰郷した際、ヴォネガットはインディアナポリスが彼の作品にもたらした影響について、次のように語った。
 
<blockquote>
''All my jokes are Indianapolis. All my attitudes are Indianapolis. My adenoids are Indianapolis. If I ever severed myself from Indianapolis, I would be out of business. What people like about me is Indianapolis.'' <ref name="Vonnegut"/><ref name="Memorial Library">Graves Fitzsimmons, Emma. [http://www.nytimes.com/2010/11/20/us/20vonnegut.html?_r=0 Indianapolis Honors Its Literary Native Son]. ''The New York Times''. 2010年11月19日. 2016年6月25日閲覧.</ref>
</blockquote>
 
<blockquote>
(訳)私の全てのジョークはインディアナポリスにある。私の全ての態度はインディアナポリスにある。私のアデノイドもインディアナポリスにある。私からインディアナポリスを取ったら何も残らない。人々が私を愛する理由もインディアナポリスにある。
</blockquote>
 
ヴォネガットの死後、[[2010年]]には、モニュメント・サークルの北西2ブロック、インディアナ・アベニュー、セネート・アベニュー、およびバーモント・ストリートの六叉路の南西角に建つ、[[1983年]]に国家歴史登録財にも登録されている<ref name="NRHP_MarionCountyIN" />エミリーという歴史的建造物の中に、カート・ヴォネガット記念図書館が開館した<ref name="Memorial Library"/>。
 
[[21世紀]]初頭には、インディアナポリス生まれの[[ヤングアダルト]]小説作家、[[ジョン・グリーン]]が現れた。グリーンが[[2012年]]に発表した出世作、「[[さよならを待つふたりのために]]」は、インディアナポリスを舞台として書かれた。[[2008年]]の作品「ペーパータウン」は、[[2015年]]にジェイク・シュライアー監督、[[ナット・ウルフ]]、[[カーラ・デルヴィーニュ]]主演で映画化された。同年7月14日にグリーンは出演者と共にインディアナポリスで映画のプロモーションを行い、市長グレッグ・バラードはこの日をインディアナポリスの「ジョン・グリーンの日」と名付けた<ref>Lindquist, David. [http://www.indystar.com/story/entertainment/movies/2015/07/16/green-paper-towns-dftba-wolff-delevingne-indianapolis-lost-found/30166091/ Indianapolis shows local love to author John Green]. ''The Indianapolis Star''. 2015年7月16日. 2016年6月25日閲覧.</ref>。
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