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{{Infobox 湖
|名称 = 榛名湖
|画像 = [[ファイル:HarunaKo.jpg|300px|榛名湖と榛名富士]]<br />榛名湖と[[榛名富士]]
<center>[[ファイル:榛名湖の広域地図640.jpg|300px|榛名湖の位置]]<br>群馬県における榛名湖の位置</center>
<center>{{Location map|Japan Gunma Prefecture|width=300|float=center
|所在地 = {{JPN}}<br>[[群馬県]][[高崎市]][[榛名湖町]]・[[吾妻郡]][[東吾妻町]]
|caption=|mark=Cyan pog.svg|marksize=8
|label=榛名湖|position=right|background=|relief=1
|lat_deg=36|lat_min=28|lat_sec=30|lat_dir=N
|lon_deg=138|lon_min=52|lon_sec=00|lon_dir=E
}}榛名湖の位置(群馬県)</center>
|所在地 = {{JPN}}<br />[[群馬県]][[高崎市]]
|coords = {{coord|36|28|30|N|138|52|00|E|region:JP-10_type:waterbody|display=inline,title}}
|面積 = 1.24<ref name="menseki"/>
|面積 = 1.24<ref name="menseki">{{Cite web|author=国土地理院|authorlink=国土地理院|date=2015-03-06|title=平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201410/kosyo.pdf|format=PDF|accessdate=2015-03-22}}</ref>
|周囲長 = 64.8<ref name="新百科-榛名湖"/>
|最大水深 = 12.6<ref name="榛名学-榛名湖"/>-14.0<ref name="新百科-榛名湖"/>
|平均水深 =
|貯水量 = 0.0122<ref name="榛名学-榛名湖"/>
|標高 = 1,084<ref name="新百科-榛名湖"/>
|成因 = [[火口原湖]]([[カルデラ湖]]
|淡汽 = [[淡水]]
|湖沼型 = 栄養湖<ref name="平凡地名-榛名湖"/>
|透明度 = 51.59-4.2<ref name="新百科-榛名湖"/>
|frozen = 1-3月
|outflow = [[沼尾川 (榛名山)|沼尾川]]
}}
'''榛名湖'''(はるなこ)は、[[群馬県]]西部にある[[高崎市]]。[[榛名山]]の[[カルデラ]]内に生じた[[火口原湖]]で<ref name="menseki新百科-榛名湖"/>、水系としては[[榛名山利根川]]山頂位置する<ref name="河川大事典"/>。周囲は約4.8キロメートル、[[面積]]。古名は約1.2平方キロメートル伊香保沼最深部は約12メートルから15メートル
 
『[[万葉集]]』の時代から[[上野国]]を象徴する歌題「'''伊香保の沼'''」として知られる。[[榛名神社]]とともに、江戸時代以降は関東地方を中心とする雨乞い信仰「榛名講」の目的地となった。明治以降は近接する[[伊香保温泉]]に集まった文化人によって文芸作品に描かれた。大正時代からは本格的な観光開発がはじまり、年間百数十万人(1987年<ref name="平凡地名-榛名湖"/>)の観光客を集め {{refnest|group="注"|1980年代から1990年代は、毎年の年間観光客数は120万人から140万人で推移している<ref name="山本小金沢-水質"/>。}}、一年を通じて群馬県を代表する観光地の一つとなっている。
標高1,084mに位置し、日本では[[中禅寺湖]]([[栃木県]][[日光市]])に次いで2番目に高い湖。
 
{{Clearright}}
== 概要 ==
{| style="float:right;font-size:0.8em;padding:0px 10px 10px 10px;"
夏季は湖畔がキャンプ場になり、また[[ブラックバス|バスフィッシング]]のメッカとまで言われている。湖上は遊覧船が就航し、貸しボート、また、[[スワンボート]]などで楽しめる。
|-
|[[ファイル:逆さ榛名富士 - panoramio.jpg|thumb|逆さ榛名富士]]
|-
|}
群馬県にある[[赤城山]](標高1827メートル)・[[榛名山]](標高1449メートル)・[[妙義山]](標高1103メートル)はいずれも火山で、[[上毛三山]]と呼ばれて県のシンボルになっている。なかでも[[高崎市]]、[[前橋市]]、[[渋川市]]や[[利根川]]をはさんで東西に対称的に位置する赤城山と榛名山は、同時期に活発な火山活動を行って[[成層火山]]へと成長し、後代の噴火でその頂部を失い[[カルデラ]]を形成した。それぞれ山頂部のカルデラ内に湖沼を有し、赤城山に[[大沼 (赤城山)|大沼]]や[[覚満淵]]、榛名山には'''榛名湖'''がある<ref name="旧百科-上毛三山"/>。湖水は北側の火口瀬から[[沼尾川 (榛名山)|沼尾川]]として流れ出て[[吾妻川]]に注ぎ、さらに[[利根川]]へと合流する。湖水は一部で農業用水として利用されている。湖は標高1084メートルにあり、厳冬期には湖面全体が氷結する。
 
榛名山は約50万年前から同じ場所で噴火を重ねており、山頂のカルデラは馬蹄形に連なる多重の外輪山に囲まれている。約22万年前の爆発で直径3キロメートルほどのカルデラが生じ、そこに榛名湖の原型ができた。4万年ほど前にカルデラ内で再び噴火があり、東西4キロメートル、南北2キロメートルほどのカルデラをつくった。これが現在の榛名湖の周囲を囲む外輪山で、当時はその内側が全て湖だったと考えられている。その後も、このカルデラ内で何度か噴火があり、榛名富士などが生じた。カルデラ内の湖の一部が火山噴出物で埋め立てられ、いまの榛名湖の姿になった。
湖畔は[[高峰三枝子]]唄の「湖畔の宿」のモデルになったこと、及び[[伊香保温泉]]から近いことから避暑地としては人気があり、テニスコートやキャンプ場、トテ車による湖畔の遊覧、[[榛名山ロープウェイ]]による榛名富士参りなどの行楽がある。周辺には[[ユウスゲ]]群生地があり、夏には美しい花を咲かせる。
 
[[奈良時代]]には『[[万葉集]]』にも「伊香保の沼」(※「伊香保」は、現在の高崎から榛名山一帯をさす広域地名)として詠まれるようになり、[[上野国]]を代表する景物として都の歌人たちにも知られていた。中世から信仰の対象となり、江戸時代以降は[[雨乞い]]に霊験あらたかな地として関東一円の農民を集めるようになった。これを「榛名講」といい、榛名湖の南にある[[榛名神社]]に詣でて泉水を竹筒にいれて持ち帰り、田畑にまくと雨が降るとされていた。この信仰の濫觴として、戦国時代の関東の武将の妻が、敗死した夫の後を追って榛名湖に入水し、龍神となって農民の願いをきくようになったと伝えられている。
冬季は結氷し[[ワカサギ]]釣りや[[スケート]]などが楽しめる。榛名の名称は、ワカサギを意味する春の肴(春菜)からといわれている。
 
明治時代になると、榛名湖の北隣にある[[伊香保温泉]]に文化人が集まるようになり、[[竹久夢二]]、[[与謝野晶子]]、[[高浜虚子]]らによって榛名湖は文学、絵画、音楽に描かれるようになった。大正時代には、群馬県内で最初の自然公園に指定され、観光客が急増した。高度成長期には1日3万人の行楽客が押し寄せたといい、夏は水上スポーツやボート遊び、冬はスケートや氷上でのワカサギ釣りなどが行われる観光地となった。湖畔には土産物屋がならび、対岸には温泉が掘られ、湖畔の榛名富士や沼ノ原にはキャンプ場やスキー場がつくられ、[[榛名山ロープウェイ|ロープウェー]]も建設された。近年は湖上の花火大会やイルミネーションイベントも催されている。
なお湖底は背丈の高い藻や水草が中央部まで生い茂っており、これが足にからみつくために地元の人は決して水中に入らない。「榛名湖で溺れたら絶対助からない」と噂される。
 
{{Clearright}}
榛名湖の水は[[一級河川]]・'''[[沼尾川 (榛名山)|沼尾川]]'''(ぬまおがわ)として流出し、[[吾妻川]]へと注いでいる<ref>『河川大事典』766ページ。</ref>。
== 地形 ==
{| style="float:right;font-size:0.8em;padding:0px 10px 10px 10px;"
|-
|[[ファイル:Haruna00.JPG|thumb|湖畔西側の硯岩付近から北湖畔を望む。中央が榛名富士、右後方に相馬山。湖畔の左隅に榛名湖温泉。その背後に小高く蛇ヶ岳、その後方に二ツ岳。]]
|-
|[[ファイル:Haruna04.JPG|thumb|湖畔西側の硯岩付近から南湖畔を望む。中央が天目山、その左後方が三ツ峰山。湖畔の右側に土産物街、その後方に榛名神社へ続く天神峠。]]
|-
|[[ファイル:Lake Haruna Numao River.jpg|thumb|北東の火口瀬から流出する沼尾川]]
|-
|[[ファイル:如月の榛名.jpg|thumb|氷結した榛名湖と榛名富士]]
|-
|}
[[榛名山]]の[[カルデラ]]にできた[[火口原湖]]<ref name="新百科-榛名湖"/>{{refnest|group="注"|一般的には、火山の火口に生じた窪地地形のうち、直径1kmから2km程度までを火口、直径2kmを超えるものをカルデラと称する。噴火の際の火道に連なる火口は1km程度までとされ、2kmを超える凹状地はふつうは単純な爆発だけでは生じないと考えられており、区別されている。カルデラの内側には火口丘や平地が生じることがあり、この平地部を火口原とよぶ。火口原湖は火口原に生じた湖のことで、広い意味ではカルデラ湖でもある。火口そのものに水が溜まってできたものは火口湖とよび、これも広義ではカルデラ湖の一種である<ref name="地形用語"/>。}}。
[[ファイル:榛名湖周辺地図.jpg|thumb|none|480px|榛名湖周辺地図]]
湖面の標高1084メートル<ref name="平凡地名-榛名湖"/><ref name="角川地名-榛名湖"/><ref name="新百科-榛名湖"/>。ただし取水によって水面の高さは2メートルほどの季節変動がある<ref name="角川地名-榛名湖"/>。
 
南北方向の長径は約1.3キロメートル、東西方向の短径は約1キロメートル<ref name="榛名学-榛名湖"/>{{refnest|group="注"|1987年刊行の『日本歴史地名大系10群馬県の地名<ref name="平凡地名-榛名湖"/>』および『群馬県百科事典<ref name="旧百科-榛名湖"/>』(1979年)・『群馬新百科事典<ref name="新百科-榛名湖"/>』(2008年)では南北1.5キロメートル、東西0.8キロメートル。『角川日本地名大辞典10 群馬県<ref name="角川地名-榛名湖"/>』(1988年)では長径1.9km、短径1.2km。国土地理院の電子国土webで計測すると、北端と南端の直線距離は約1.6km、東端と西端の距離は約1.2km。ここでは最も新しい情報源『なるほど榛名学』(2009年)の数値を採用した。}}、周囲4.8キロメートル<ref name="新百科-榛名湖"/><ref name="平凡地名-榛名湖"/><ref name="角川地名-榛名湖"/>。面積は約1.24平方キロメートル<ref name="menseki"/>{{refnest|group="注"|1987年刊行の『日本歴史地名大系10群馬県の地名』では面積1.26平方キロ<ref name="平凡地名-榛名湖"/>、2009年刊行の『なるほど榛名学』では面積122万平方メートル(1.22平方キロメートル)<ref name="榛名学-榛名湖"/>。このほか1.19平方キロメートル<ref name="ブリタニカ-コトバンク-榛名湖"/>、1.2平方キロメートル<ref name="ブリタニカ-日立-榛名湖"/>など。ここでは2014年の国土地理院発表の数値<ref name="menseki"/>を採用した。}}。湛水量はおおよそ1,220万立方メートル<ref name="榛名学-榛名湖"/>。形状は「勾玉形<ref name="榛名学-榛名湖"/>」、「東側がくびれたひょうたん形<ref name="平凡地名-榛名湖"/>」ないし「楕円形に近似<ref name="角川地名-榛名湖"/>」している。
 
湖底は、湖岸付近では急斜面になっているが、水深10メートル付近からはなだらかで、湖底平原になっている<ref name="角川地名-榛名湖"/>。最大深度は14メートル<ref name="新百科-榛名湖"/><ref name="平凡地名-榛名湖"/><ref name="角川地名-榛名湖"/>ないし12.6メートル<ref name="榛名学-榛名湖"/>。湖底には[[珪藻類]]の死骸が堆積し、珪藻骸泥となっている<ref name="新百科-榛名湖"/>。
 
水温は夏場の湖面近くは22度から25度、湖底付近で10度ほど<ref name="角川地名-榛名湖"/>。春と秋は水温は一様である<ref name="角川地名-榛名湖"/>。冬になると1月から3月にかけて湖面が凍結し、氷厚は0.4メートルに達する<ref name="角川地名-榛名湖"/>。
 
透明度は観光客の増加に伴って低下が進んでおり、春季で4.2メートル、秋季には1.9メートル<ref name="旧百科-榛名湖"/><ref name="新百科-榛名湖"/><ref name="角川地名-榛名湖"/><ref group="注">透明度に関する記述は1979年刊行の『群馬県百科事典』に記されており、1988年刊行の『角川日本地名大辞典10 群馬県』や2008年刊行の『群馬新百科事典』はこれを踏襲している。</ref>。
 
榛名湖の水は、湖の北東の火口瀬から'''[[沼尾川 (榛名山)|沼尾川]]'''(ぬまおがわ)として流出している。沼尾川は[[吾妻川]]に合流し、さらに[[利根川]]を経て[[太平洋]]に注ぐ<ref name="河川大事典"/>。河川法上は[[一級水系]]利根川の三次支川と位置づけられている<ref name="県_模式図"/>。これとは別に、人工的に開削された水路とトンネルを通じて[[烏川 (利根川水系)|烏川]]の支流榛名川や[[長野堰]]へ導水する設備があり、灌漑に必要な時期には湖の南に設けられた水門をひらいて取水が行われている<ref name="新百科_長野堰"/><ref name="新百科-榛名湖"/>。
 
{{Clearright}}
 
== 形成史 ==
{| style="float:right;font-size:0.8em;padding:0px 10px 10px 10px;"
|-
|[[ファイル:冬の榛名湖、髭櫛山、烏帽子ヶ岳、榛名富士、相馬山.jpg|thumb|左から榛名山の髭櫛山、烏帽子ヶ岳、榛名富士、相馬山]]
|-
|[[ファイル:Haruna-san.JPG|thumb|榛名山の遠景]]
|-
|}
 
==== 榛名山の四重式カルデラ ====
[[榛名山]]は狭い範囲で何度も噴火を繰り返してきた火山で、底部の直径28キロメートル×22キロメートルの同心円状にできた馬蹄形のカルデラを有する四重式の火山である<ref name="榛名学-形成史"/><ref name="新百科-榛名山"/><ref name="新百科-榛名山地質"/>。
[[ファイル:榛名山の多重カルデラ640.jpg|thumb|none|480px|榛名山の多重カルデラ。相馬山、水沢山、二ツ岳はカルデラ形成後に噴火したもの。]]
最初の噴火はおよそ50万年前に遡り、[[柏崎千葉構造線]]の一部を成す断層(利根川構造線)で[[赤城山]]と同時に噴火した<ref name="榛名学-形成史"/>。これは25万年ほどをかけて標高2500メートルの[[成層火山]]に成長した(古期榛名火山)<ref name="榛名学-形成史"/>。これが22万5000年前に大噴火をおこして山体上部のおよそ半分が吹き飛び、直径4.5キロメートルほどになるカルデラが形成された<ref name="榛名学-形成史"/>。
 
そのカルデラ内部に22万年前から標高1800メートルほどの新たな成層火山ができ、やがて噴火して直径3 - 3.5キロメートルのカルデラ(氷室カルデラ)を作った。その後の火山活動は終息し、16万年ほどのあいだ、カルデラは湖になっていたと考えられている<ref name="榛名学-形成史"/><ref name="新百科-榛名山地質"/>。
 
4万2000年前からこのカルデラ内での火山活動が再び活発化して、標高1700メートルに達する溶岩ドームをつくり、大爆発を起してカルデラを作った。このときのカルデラは東西約4キロメートル、南北約2キロメートルの規模で、おおむね現在の榛名湖の外輪山に相当する<ref name="榛名学-形成史"/>。当時は、このカルデラ全体に水が湛えられて巨大な湖になっていた<ref name="榛名学-榛名湖"/>。
 
3万1000年前になると、このカルデラ湖の中央部で新たな火山活動があり、溶岩ドームが形成された。これが現在の[[榛名富士]](標高1390.5メートル)である{{refnest|group="注"|カルデラが同心円状に形成され、[[寄生火山]]・[[側火山]]も均等・対称的に分布していることなどから、これ以前に形成されたカルデラも榛名富士を火口としていたと考えられている<ref name="榛名学-形成史"/>。}}。また、蛇ヶ岳(標高1229メートル)も同時に形成されているが、蛇ヶ岳が[[中央火口丘]]であるか火口縁であるかは説が分かれている<ref name="榛名学-形成史"/><ref name="新百科-榛名山地質"/>。当時、榛名富士や蛇ヶ岳は巨大な榛名湖の湖中島になっていた<ref name="榛名学-榛名湖"/>。
 
==== 現在の榛名湖の誕生 ====
その後カルデラの内外で、約2万年前に相馬山(標高1411メートル)、約1万年前に水沢山(標高1194メートル)、[[古墳時代]]に二ツ岳(標高1343メートル)の噴火があった<ref name="GSI-研究史"/><ref name="榛名学-形成史"/><ref name="榛名学-榛名湖"/><ref name="新百科-榛名山地質"/>{{refnest|group="注"|[[古墳時代]]の6世紀頃に二ツ岳を形成した噴火が榛名山としては最新の噴火であり、その後、現在に至るまで噴火は確認されていない<ref name="榛名学-形成史"/>。[[伊香保温泉]]はこの噴火でできたものである<ref name="平凡地名-榛名山"/>。}}。これらの火山噴出物によってカルデラ内部の榛名湖が埋め立てられてゆき、現在の姿になった<ref name="榛名学-榛名湖"/>。
 
現在の榛名湖の南東側の湖岸には、'''沼ノ原'''と呼ばれる湿地帯がひろがっており、これは榛名湖が埋め立てられた際の名残と考えられている<ref name="榛名学-榛名湖"/>。
{{Clearright}}
 
== 人文史 ==
{| style="float:right;font-size:0.8em;padding:0px 10px 10px 10px;"
|-
|[[ファイル:Farsari, Adolfo (1841-1898) - B11 - The Fuji of Haruna.jpg|thumb|19世紀のイタリア人写真家[[アドルフォ・ファルサーリ]](1841-1898)による榛名湖と榛名富士。背後の小高い山は相馬山。]]
|-
|[[ファイル:Monochoria vaginalis ? 01250.jpg|thumb|万葉集の題材になった[[コナギ]]]]
|-
|}
 
=== 伝説 ===
室町時代に成立したとみられる『[[神道集]]』には、赤城山と榛名山の湖をめぐる伝説が収録されている<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。
 
これによると、[[上野国]]へ配流された「[[赤城神社|高野辺家成]]」(高野辺大将)という公卿に3人の美しい娘がおり、「淵名姫」「赤城姫」「伊香保姫」といった。ところが、娘たちの継母が彼女らの命を狙う。淵名姫は[[利根川]]に沈められて殺され、逃げた赤城姫は[[赤城山]]の[[大沼 (赤城山)|沼]]に棲む龍神によって[[赤城神社|赤城大明神]]となった。末妹の伊香保姫は伊香保(榛名山)に逃れ、のちに上野国の国司(高光中将)と結婚した。その後、後任の国司が伊香保姫に横恋慕し、姫の夫を殺してしまう。伊香保姫が夫の後を追って榛名湖(伊香保沼)に入水すると、姫は沼の龍神によって伊香保大明神とされた(伊香保姫は、夫(高光中将)が生前に建立した[[水澤寺]]に弔われたとされている。)<ref name="赤城神社-伝説"/><ref name="平凡地名-榛名湖"/><ref name="水澤寺-伝説"/><ref name="榛名学_伊香保姫"/>{{refnest|group="注"|この継母はのちに姉妹たちの兄弟によって捕らえられ、継母の故郷である長野県の[[姥捨山]]に捨てられて死んだとされている<ref name="榛名学_伊香保姫"/>。そのほか関連項目:[[淵名荘]]}}。
 
このほか、次のようなエピソードも記されている<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。
*赴任した上野国司が伊香保の山を荒らして伊香保大明神の怒りに触れ、大明神によって湖畔の石楼に閉じ込められた。
*赤城沼の龍神と榛名湖の龍神が争い、岩の投げ合いをした。
 
=== 歴史的呼称 ===
古代の榛名湖は「'''伊香保沼'''(いかほのぬま)」と呼称されていた<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。
 
『[[万葉集]]』に収録されている東歌には9種に「伊香保」が詠まれており<ref name="万葉の旅-252"/>(「伊香保」自体は榛名山一帯を指す広域名)、そのうち榛名湖を詠んだものと推定されている歌に次のようなものがある{{refnest|group="注"|万葉集に登場する「いかほのぬま」は、榛名山の山中にある湖沼をさすと考えられている。ただし、必ずしも榛名湖とは限らず、山中のどこか別の沼沢地である可能性もある<ref name="万葉の旅-252"/>。}}。
{{Quotation|上毛野 伊香保の沼に 植ゑ子水葱 かく恋ひむとや 種求めけむ<ref name="平凡地名-榛名湖"/><ref name="榛名学_文芸"/>|[[詠み人知らず]]|『[[万葉集]]』([[国歌大観|3415]])}}
:*[[順徳天皇]](在位:1210-1221年)による『[[八雲御抄]]』の解説によれば、この「伊香保の沼」は「''在山上池''」であり、榛名湖をさすとしている<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。
:*注)「上毛野」(かみつけの)は[[毛野]]を参照。「植ゑ子水葱」で詠まれている植物は、「子菜葱(小菜葱)」(こなぎ)ととると秋の[[季語]][[コナギ]]を指し、「植えし水葱」(なぎ)ととると[[ミズアオイ]]のことになる{{refnest|group="注"|『万葉集』の原文は[[万葉仮名]]で書かれている。本歌の原文は「可美都気努 伊可保乃奴麻尓 宇恵古奈宜 可久古非牟等夜 多祢物得米家武」であり、「宇恵古奈宜」(うえこなぎ)と解釈するのが一般的。『万葉集の植物たち』によれば、万葉集で「ナギ」が詠みこまれている作品は1首のみで、この歌ではない。一方、コナギは3首で詠われている。ナギは食用は可能だが不味く、唯一詠まれている歌でも「ナギよりも[[ノビル]]を食べたい」となっている。一方のコナギは栽培して食用にしたり、染料として用いられていた<ref name="万葉植物-コナギ"/>。ただし、平安時代になってこの歌をモチーフにして詠まれた作品「かみつけの 伊香保の沼に 植ゑしなが かく恋ひんとや 種もまきけん」(詠み人知らず、『[[古今和歌六帖]]』)のように「植えしナギ」と解釈するものもある。なお、この和歌の大意は、遊びのつもりで「種を植え」た相手が恋しくなってしまった、或いは、遊びのつもりだったのに子ができてしまった、とされている。ここでは出典に即して「子菜葱」と表記した。}}。
 
{{Quotation|伊香保ろに 天雲い継ぎ かぬまづく 人とおたはふ いざ寝しめとら<ref name="平凡地名-榛名湖"/>|[[詠み人知らず]]|『[[万葉集]]』([[国歌大観|3409]])}}
:*[[天台宗]]の僧[[仙覚]]の『萬葉集註釈』([[文永]]6年(1269年))によれば、「イカホノヌマ」は「請雨之使」であり、[[雨乞い]]の信仰の対象だったと示唆されている<ref name="榛名学_雨乞講"/>。
:*注)「かぬま」は「神沼」であり、榛名湖をさすという解釈のほかに、「鹿沼」([[栃木県]][[鹿沼市]])と結びつけて解釈する説もある。
 
[[平安時代]]の『[[古今和歌集]]』や『[[拾遺和歌集]]』などには「伊香保詠」の和歌として次のような作品が採録されている。
{{Quotation|くれ竹の 世世のふること なかりせば いかほのぬまの いかにして 思ふ心を のばへまし<ref name="平凡地名-榛名湖"/><ref name="榛名学_文芸"/>|[[壬生忠岑]]|『[[古今和歌集]]』}}
{{Quotation|伊香保のや 伊香保の沼の いかにして 恋しき人を 今ひと目見む<ref name="榛名学_文芸"/>|[[詠み人知らず]]|『[[拾遺和歌集]]』}}
{{Quotation|かくれなく 逢はずなりな ばみちのくの 伊香保の沼の 我いかにせん<ref name="榛名学_文芸"/>|[[詠み人知らず]]|『[[古今和歌六帖]]』}}
 
このように、平安時代には既に榛名湖は「伊香保の沼」として、ポピュラーな題材になっていた。しかし、奈良時代の万葉集では榛名湖が描かれているのに対し、上の平安時代の3首は、共通して、榛名湖そのものは具体的に詠まれていない。「いかほのぬま」は、続く「いかにして」を同じ「いか」という音で導くための[[序詞]]として用いられていて<ref name="平凡地名-榛名湖"/>、修辞的技法のために利用されているだけである。平安時代の京都の歌人にとって「いかほのぬま」はよく知られたものではあったが、遠く離れた東国の湖にすぎず、深い関心はなかったものと考えられている<ref name="榛名学_文芸"/>。
 
このほか歴史上の文学作品に登場する榛名湖については[[#文芸|文芸節]]を参照。
 
室町時代中期に堯恵が著したという『北国紀行』には、「ぬのたけといふ、麓に流水あり、これをいかほのぬまといへり」とある<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。
 
江戸時代初期の[[寛文|寛文年間]](1662-1673年)から[[天和 (日本)|天和年間]](1681-1684年)に、この伊香保沼(榛名湖)や周辺の土地の境界をめぐって、[[榛名神社]](江戸時代の呼称は満行権現榛名寺<ref name="新百科-榛名神社"/>)、[[伊香保神社]]、周辺の村を治める[[高崎藩]]と[[沼田藩]]らのあいだで、争論が相次いだ<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。この争いの結果、湖は榛名寺の寺領と認定され、それから湖は「'''榛名神社御手洗沼'''」、「'''満行権現みたらし'''」や「'''榛名沼'''」と称することになった<ref name="平凡地名-榛名湖"/><ref name="榛名学_雨乞講"/>。[[国学者]][[跡部良顕]](1658 - 1729<ref name="朝日-跡部良顕"/>)は『伊香保紀行』(1698年)のなかで、[[神道]]の立場からこれを批判した<ref name="平凡地名-榛名湖"/>{{refnest|group="注"|「山上に沼有、古よりいかほの沼とて(中略)昔は名所にてみたらしのさたなし、近年仏法ひろまり、僧法師いろいろいひなして、はるな権現のみたらしなりとて旅人をするる事甚だし」<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。(注)江戸時代の榛名神社は[[寛永寺]](東京都[[台東区]])の傘下にあり、榛名寺(榛名山寺)と称していた。榛名神社となるのは明治維新に伴う[[神仏分離]]のこと<ref name="新百科-榛名神社"/>。}}。江戸後期の[[慶応]]3年(1867年)には、榛名湖周辺を含めた12の村に対して、水域周辺での漁猟や狩猟が禁止されている<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。
 
{{Clearright}}
=== 榛名湖と信仰 ===
{| style="float:right;font-size:0.8em;padding:0px 10px 10px 10px;"
|-
|[[ファイル:Harunajinja-mannnennizumi.jpg|thumb|榛名神社の萬年泉。この水を竹筒で持ち帰り畑に撒くと雨が降るという。]]
|-
|[[ファイル:Haruna-minumaokamijinja.jpg|thumb|湖畔の御沼龗神社。後方に見えるのは榛名富士。]]
|-
|[[ファイル:26 Kozuke.jpg|thumb|[[歌川広重]]が描いた「[[六十余州名所図会]] 上野 榛名山 雪中」。冬の榛名湖から榛名神社前の谷を流れていくように描かれているが、実際には明治時代に水門と隧道が建設されるまで、榛名川は榛名湖とはつながっていなかった。]]
|-
|}
;榛名講
[[仙覚]](1203?-)『萬葉集註釈』で示唆されたように、「伊香保沼(榛名湖)」は古くから雨乞い祈願の信仰を集めた<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。14世紀の僧[[頼印]](1323-1392)の『頼印大僧正行状絵詞』には、頼印自身が榛名湖に参詣し、湖に米を奉納したという記述があり、中世には榛名湖が雨乞い信仰の地として知れ渡っていたと考えられている<ref name="榛名学_雨乞講"/>。
 
江戸時代の中頃から<ref name="歴史散歩_77"/>、榛名湖の南山中にある[[榛名神社]]に参詣して、境内の湧水(神泉)を[[竹筒]]に詰めて持ち帰り、田畑に注ぐと雨に恵まれるという信仰が盛んになった。関東一円の農村では「榛名[[講]]」と称して毎年村の代表者を送り込んだという<ref name="平凡地名-榛名湖"/><ref name="新百科-榛名講"/><ref name="新百科-榛名信仰"/><ref name="新百科-榛名神社"/>。江戸時代に[[中川久盛]]の妻が伊香保温泉や榛名湖を巡って書いた紀行文『伊香保記』では、「此沼の辺にて民とも雨こひすればあめふるといふ」と伝えている<ref name="榛名学_雨乞講"/>。
 
後述のように、高崎市南部の木部町には、戦国時代に当地の姫が榛名湖に入水して水神になったという伝承があり、雨乞いをするには木部出身者が最適とされていた。このため他地域から木部へ榛名講の代理人を依頼されることもあったという<ref name="榛名学_雨乞講"/>。
 
こうした榛名講は現代でも行われているという<ref name="新百科-榛名講"/><ref name="榛名神社-講"/>。竹筒を運ぶ者は途中で立ち止まってはならないとされており、村までは複数の運び手によって休むことなく移送される<ref name="榛名学_雨乞講"/>。こうした方法は一部の地域では現代でも忠実に行われているが、多くは自家用車で参詣するようになった<ref name="新百科-榛名講"/>。
 
;姫の入水と腰元蟹
榛名湖の湖畔には「[[淤加美神|御沼龗(みぬまおかみ)神社]]」(木部神社)が祀られている<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。神社の謂れにはさまざまな異伝が流布しているものの、大筋では、戦国武将の妻(姫)が榛名湖に入水して転生した龍神(または蛇神)を祀っているとされている。湖畔には、姫を祀るため、命日の5月5日には赤飯を榛名湖に流す風習があるとされる<ref name="東京新聞20130814"/><ref name="県史27-790"/>。
 
姫の入水の経緯や出自については様々な言い伝えがある。湖を見物に訪れた姫が突如理由もなく入水してしまったという伝えと、武将の妻が夫の戦死の報に接して身を投げたという伝えがある<ref name="東京新聞20130814"/><ref name="県史27-790"/>。
 
このとき、姫の従者([[腰元]])も姫の後を追って入水し、[[サワガニ|蟹]]に転生したという。これを「腰元蟹」といい、腰元蟹は[[神使]]として湖水の落ち葉や藻を除き、姫の棲む榛名湖の水を清めているとされる。腰元蟹は、落ち葉を掻き分け下を覗き、姫を探しているとも言われる<ref name="フジパン-腰元蟹"/><ref name="榛名学_戸田"/>。江戸時代の紀行文『伊香保記』では、榛名湖のカニは湖水を清める神聖な存在であり、湖畔を歩く際にはカニを踏んではならないと記されている<ref name="東京新聞20130814"/>。木部氏の地元である木部町(高崎市)などでは、「カニを食すると榛名湖に行くことができない」と、カニに対する禁忌が伝わる<ref name="東京新聞20130814"/><ref name="県史27-790"/><ref name="旧百科-木部姫伝説"/>。
 
姫の身分については諸説あり、[[渋川氏]]の一族で[[蕨城]]城主の[[渋川義基 (蕨渋川氏)|渋川義基]]の妻「北の方」とする説<ref name="榛名学_龍體院"/>、[[箕輪城]]主[[長野業正]]の妻「長野姫」とする説<ref name="東京新聞20130814"/>、長野業正の娘で、家臣の[[木部氏]]([[木部城]]主[[木部範虎]]、[[木部貞朝]]参照)に嫁いだ姫(「長野姫」または「木部姫」)とする説<ref name="榛名学_木部姫A"/><ref name="旧百科-木部姫伝説"/>、その木部氏の娘(木部姫)とする説<ref name="県史27-790"/><ref name="榛名学_木部姫B"/>、長者の娘だった「藤波姫」とする説などがある<ref name="東京新聞20130814"/><ref name="榛名学_藤波姫"/>。
 
[[蕨城]]([[埼玉県]][[蕨市]])城主の渋川義基とその妻(龍體院)の伝承については、埼玉県の各地に関連する言い伝えが残されており、御沼龗神社の境内には、夫妻を祀るため1971年(昭和46年)に建立された石碑がある<ref name="東京新聞20130814"/>。渋川義基は、もともとは[[足利氏]]一門だったが、戦国時代に足利系の[[扇谷上杉氏]]と[[後北条氏|小田原北条氏]]との勢力争いに巻き込まれ、北条氏の軍門に降った。妻の「北の方」(龍體院)は、榛名湖に近い[[渋川市|渋川]]の出身だったとされている。渋川義基は、[[永禄]]10年(1567年)に[[下総国]](千葉県)で起きた[[三船山合戦]]に北条方で参戦し、討ち死にした<ref name="コトバンク-蕨城"/><ref name="榛名学_龍體院"/>。妻はその報せを受けて故郷の榛名湖に身を投げたという。龍體院は龍神へと化身し、埼玉方面の雨乞いに霊験があると信仰されるようになって、榛名講の流行につながったという<ref name="榛名学_龍體院"/><ref name="現地石碑"/><ref name="東京新聞20130814"/>。
 
蕨市に隣接する[[埼玉県]][[戸田市]][[美女木]]にも同様の伝承がある。仁政を敷き、美女木で「わらびさま」と呼ばれて敬愛されていた城主が敗死すると、その妻が侍女とともに榛名湖へ身を投げた。死に祭して妻は、死後は龍神となって村に恵みの雨をもたらし、作物を害する雹を防ごうと誓ったという。その言葉通り、妻は龍神に、侍女は蟹となった。ある年に美女木で厳しい日照りがあり、八幡神社で神託を得たところ、榛名湖の湖水を撒くとよいと出た。以来、村では「お水もらい」と称して榛名講がはじまったという<ref name="榛名学_戸田"/>。榛名講は埼玉県で最も盛んであり、これは蕨城主の妻が榛名湖に祀られていることに由来するとされている<ref name="現地石碑"/>{{refnest|group="注"|美女木の伝承によれば、「わらびさま」こと城主の渋川義基は、合戦に敗れて逃れる途中、行く手を血の川に遮られ、一面が血の海であると考えて切腹したのだという。しかしこれは義基の誤認で、川のように見えたのは[[ソバ]]畑で、赤く見えたのはソバの茎であった。このため美女木ではソバの栽培は避けられるようになったという<ref name="榛名学_戸田"/>。}}。
 
一方、御沼龗神社の境内には、[[箕輪城]]([[高崎市]][[箕郷町]])の城主[[長野業正]]の妻「長野姫」とその腰元の供養塔もある<ref name="東京新聞20130814"/>。異伝では、入水した姫は長野業正の4女で<ref group="注">9女とも</ref>、家臣[[木部氏]]([[木部城]]主[[木部範虎]]とも)の妻であるといい、「長野姫」または「木部姫」と伝わる。[[永禄|永禄年間]](1558-1570)に、[[武田信玄]]が長野氏の領内に侵攻すると、これを事前に察知した木部氏は戦の前にあらかじめ夜闇に乗じて妻を城から出し、榛名山の山中に隠れさせたという。しかし、山に登った妻が城の方角を見ると空が赤く染まっており、城が焼け落ちて夫が戦死したと悟った妻は榛名湖に入水したという。妻が龍神になり、腰元が蟹になるのは共通している<ref name="榛名学_木部姫A"/>。入水した木部姫は、その母(長野氏の妻)が榛名湖へ参詣した際に懐妊した娘で、龍神の血をひいていたとする伝えもある<ref name="旧百科-木部姫伝説"/>。細部にはさまざまな異伝があり、落城したのが木部城とするもの、箕輪城とするもの、夫の木部氏が木部城で戦死したとするもの、箕輪城に詰めていて戦死していなかったとするもの、落城の年を永禄6年(1563年)とするもの、永禄9年(1566年)とするものなどである。
 
これら一連の伝承は細部で異なるものの、ルーツは同じものと考えられている<ref name="榛名学_龍體院"/>。
 
;箱島湧水
榛名湖の北方約10キロメートルのあたり、榛名山の北麓には[[箱島湧水]]という湧き水があり、[[名水百選]]に選ばれるなど、名水として親しまれている。この箱島湧水は、榛名湖の湖底とつながっているという伝承がある。木部氏一族の子<ref group="注">榛名湖に入水した伝説のある「木部姫」とその夫である木部範虎の間の子で、嫡男の木部高成(木部宮内少輔高成)という人物がおり、この仏僧はその木部高成の子とする説もある。</ref>で、仏門に入った僧のもとへ、その母「北の方{{refnest|group="注"|入水伝説にある「北の方」は渋川義基の妻ということになっている<ref name="榛名学_龍體院"/>。箱島湧水の「北の方」は木部範虎の妻、あるいは木部範虎の嫡男の妻<ref name="榛名学_箱島湧水II"/>。さまざまな伝承は細部で異なるものの、ルーツは一緒であろうと考えられている<ref name="榛名学_龍體院"/>。}}」が面会に来る。この仏僧は知らないが、実は既に木部氏は敗戦によって追われる身となっており、母はこの面会のあと榛名湖に身を投げてしまう。仏僧は母を弔うために榛名湖に位牌を沈めたところ、地下を通って箱島湧水からその位牌が湧いてきたという<ref name="榛名学_箱島湧水II"/>。こうした伝承により、箱島湧水は榛名湖の伏流水であるという俗説が根強く流布している<ref name="名水"/>。実際にはそうではなく、周辺の山へ降った雨水が火山灰層を通って湧き出ているものである<ref name="榛名学_箱島湧水I"/>。
 
===利水===
江戸時代の初期から中期にかけて、榛名湖の北から流出する[[沼尾川 (榛名山)|沼尾川]]の水を引水し、榛名山北麓の開墾が行われた。開削には70年を要し、完成した用水路は指導者[[岡上景能]]の名から「岡上用水」と呼ばれ、岡上景能は榛名神社で「岡上大明神」として祀られている。ただし、この用水による新田開発への寄与は限定的だったとみるむきもあり、実際の開拓は近代以降に行われたとも考えられている<ref name="角川_岡崎"/><ref name="平凡_岡崎新田"/><ref name="平凡_沼尾川"/>。
 
江戸時代中期の[[宝永|宝永年間]](1704-1710年)には、[[高崎藩]]の藩主[[松平輝貞]](大河内輝貞)が、榛名湖の東山麓にある藩内の村へ水を引くために沼尾川から水路を築こうとした。しかし、既に作られていた岡上用水を利用してた地域は旗本領であり、この工事について高崎藩、旗本、榛名神社を巻き込んで争いになり、幕府に裁定が持ち込まれた。その結果、岡上用水の取水を妨げないように一定の条件<ref group="注">新しい取水口は、岡上用水よりも1尺7寸(約51センチメートル)高い位置に設けることになった。すなわち、湖水がじゅうぶんにある時だけ取水が可能で、水位が低い場合には岡上用水しか取水できない。</ref>をつけたうえで、高崎藩側の利水が認められた。藩ではこれを受けて工事に取り掛かったのだが、榛名湖外輪山東側の岩山(磨墨峠)を貫くトンネル工事に失敗し、未完成のまま放置された。この時の遺構は現存し、当時の藩主の官名(松平右京亮輝貞)から「右京の無駄堀」「右京の馬鹿堀」「右京の泣き堀」と呼ばれている<ref name="平凡_沼尾川"/><ref name="榛名学_右京"/><ref name="平凡地名-榛名湖"/>。
 
明治時代になると、今度は榛名湖の南山麓の開発のため、榛名湖の水を引く計画が持ち上がった。これは榛名湖の南湖岸の外輪山にトンネルを掘って水を流そうというものだった。再び、岡上用水側との利害が衝突し、群馬県によって調停が行われた。その結果、江戸時代の幕府の裁定と同条件<ref group="注">岡上用水よりも1尺7寸(約51センチメートル)高い位置に水門を設ける</ref>で、南側への引水が認められた。この工事は3ヶ月の工事を経て1903年(明治36年)に完成し、翌年から利用されるようになった<ref name="新百科_長野堰"/><ref name="新百科-榛名湖"/><ref name="平凡地名-榛名湖"/><ref name="群馬の川_長野堰"/>。しかしこの榛名湖からの限られた取水だけでは思うような効果は得られず、1960年(昭和35年)頃まで、さらに他の河川からの取水路を整備するなどして拡張された<ref name="群馬の川_長野堰"/>。一連の施設は[[国際かんがい排水委員会]]の[[かんがい施設遺産]]に登録されている。
 
新しく設けられた南湖畔の水門は、普段は閉じられており、渇水期に限って1週間から2週間、開かれる。このほかに特別な干魃の際には、岡上用水側の承認を得て水門をひらくことが認められている。この水門新設の結果、榛名湖の湖水は季節によって2メートルほど変動するようになった<ref name="平凡地名-榛名湖"/><ref name="角川地名-榛名湖"/>。
{{Clearright}}
 
== 開発と観光 ==
{| style="float:right;font-size:0.8em;padding:0px 10px 10px 10px;"
|-
|[[ファイル:Harunasan Ropeway Haruna-Kogen Station.jpg|thumb|榛名高原から榛名富士へ登るロープウェー]]
|-
|[[File:Mount Haruna Fujisan-jinja torii.jpg|thumb|榛名富士の頂上にある神社]]
|-
|[[File:Gunma Pref r-028 Kinoenetei.JPG|thumb|南湖畔の土産物街]]
|-
|[[ファイル:Hemerocallis thunbergii 2226.JPG|thumb|夏の夕暮れに咲く黄色いユウスゲの花。]]
|-
|[[ファイル:Gunma Prefectural Road 33 1.JPG|thumb|秋の沼ノ原]]
|}
榛名湖の南東は湿地状の平地がひろがっており、沼ノ原と呼ばれている。ここはかつて湖の一部だったものが、榛名山の火山噴出物によって埋め立てられたものである。[[太平洋戦争]]のさなか、旧[[日本海軍]]が沼ノ原の開拓を試みた。終戦後は開拓者が入植したものの、野菜の栽培には成功したが[[穀類]]は得られず、大半の開拓者が撤退した。残った者は観光客向けの事業を営むようになった<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。
 
1924年(大正13年)4月28日に当時皇太子の[[昭和天皇]]の結婚を祝賀して、一帯の[[御料地]]が群馬県によって'''榛名公園'''に指定された。これは群馬県内では最初の県立公園だった<ref name="新百科_榛名公園"/><ref name="山本小金沢-水質"/>{{refnest|group="注"|当時はまだ[[国立公園法]]がなく、[[太政官布告・太政官達|太政官布達]]と[[都市計画法]]に基づく自然公園だった。その後、1956年(昭和31年)に国立公園法、翌1957年(昭和32年)に[[自然公園法]]が制定され、全国の都道府県でも都道府県ごとの自然公園条例が整備されたのだが、群馬県では既に自然公園の性格をもつ県立公園があるとして、自然公園条例を制定しなかった。群馬県ではそのかわりに県立公園条例を昭和33年に制定されており、いまでもそれを根拠としている。自然公園条例を持たない都道府県は群馬県と大阪府のみとなっている<ref name="橋本1997"/><ref name="県庁-公園"/>。}}。土地は1935年(昭和10年)に群馬県に払い下げになり、県有地となっている。当時の公園の指定範囲は395ヘクタール<ref name="角川地名-県立公園"/>{{refnest|group="注"|2008年『群馬県新百科事典』では約520ヘクタール<ref name="新百科_榛名公園"/>、2009年『なるほど榛名学』では403ヘクタール<ref name="榛名学_県立榛名公園"/>。}}。指定地域には榛名湖、榛名富士、掃部ヶ岳、榛名高原(沼ノ原)が含まれる<ref name="新百科_榛名公園"/><ref name="角川地名-県立公園"/>。
 
榛名公園内には群馬県によって、ビジターセンター、温泉施設、スポーツ施設などが整備された<ref name="角川地名-県立公園"/>。榛名湖を訪れる観光客の総数は1950年代には年間50万人ほどだったが、1970年代には90万人を超え、1980年代には120万から140万人、1990年には150万人に達した。1916年(大正5年)には湖畔の施設はただ1軒だったと伝わるが、1990年(平成2年)には85ヶ所となった<ref name="山本小金沢-水質"/>。
 
1946年(昭和21年)には群馬県立榛名高原体育学校(のちに榛名高原学校と改称)が設けられた。当初は湖畔の旅館を借りて開設されたものだが、のちに湖畔に専用の校舎が建設されている。これは県内の青少年や教育関係者を対象に、自然の中での集団生活や、登山・[[カッターボート]]・スケートなどの体育活動を通じて教育を行うものである。毎年100団体2万名(2008年現在)が利用している<ref name="平凡地名-榛名湖"/><ref name="新百科_高原学校"/><ref name="生涯学習-高原学校"/>。
 
1958年(昭和33年)には榛名高原(沼ノ原)から榛名富士山頂を結ぶ[[榛名山ロープウェイ]]も建設された<ref name="角川地名-県立公園"/>。榛名富士の山頂には、かつて巨岩を神体とする祠があり、[[木花咲耶姫]]を祭祀していたと伝えられている。しかし明治末期に榛名神社へ合祀されたあとは顧みられなくなっていた<ref name="冨士山神社縁起"/>。ロープウェー建設時には跡形もなくなっていたといい、1964年(昭和39年)には地元のバス会社によって、山頂にコンクリート造の神社が建立された<ref name="榛名学_県立榛名公園"/><ref name="冨士山神社縁起"/>。
 
1962年(昭和37年)に[[伊香保温泉]]と榛名湖畔を結ぶ[[群馬県道33号渋川松井田線|伊香保榛名有料道路]]が開通した<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。道路は1981年(昭和56年)から無料となり、[[群馬県道33号渋川松井田線]]の一部となっている。
 
これに先だって、1929年(昭和4年)には伊香保温泉から榛名湖を目指す[[伊香保ケーブル鉄道]]が開業していた。しかし、終点の榛名山駅は沼ノ原(榛名高原)の東端のヤセオネ峠にあり、そこから榛名湖観光の中心地である湖畔までは3キロメートルあまり離れていた。さらに、太平洋戦争の前後の18年間の運行休止をはさんで、1961年(昭和36年)にようやく再開にこぎつけたものの、翌年の有料道路の開通によって業績不振に陥り、間もなく廃止となった<ref name="榛名学_伊香保ケーブル"/>。
 
榛名湖の北東湖畔では、1968年(昭和43年)に[[温泉]]が発見された。しかし民間企業による[[温泉法|温泉許可]]に手間取り、1976年(昭和51年)になって[[榛名町]](当時)の財団法人によってようやく認可を得て'''[[榛名湖温泉]]'''として開業した<ref name="小温泉-榛名湖"/><ref name="新百科_榛名湖温泉"/>。1979年(昭和54年)には町営となり<ref name="小温泉-榛名湖"/>、1980年(昭和55年)に「老人休養ホームゆうすげ」が開設された。これが後に「レークサイドゆうすげ」となり、公共温泉として日帰り客や宿泊客の拠点のひとつとなった<ref name="小温泉-榛名湖"/><ref name="新百科_榛名湖キャンプ"/><ref name="新百科_榛名湖温泉"/>。2006年に榛名町が高崎市へ編入合併すると、温泉は民営化された<ref name="小温泉-榛名湖"/>。2010年(平成22年)時点では2軒の温泉施設が営業している<ref name="新百科_榛名湖温泉"/><ref name="小温泉-榛名湖"/>。周辺には企業の保養所や教育施設<ref group="注">[[板橋区]]立榛名湖畔荘、板橋区立榛名林間学園</ref>が点在している<ref name="新百科_榛名湖温泉"/>。
 
1997年(平成9年)には、群馬県観光開発公社によって湖の東方にオートキャンプ場が整備された。これは、榛名公園内での無秩序なキャンプによって自然環境が損なわれることを防ぐ目的で設置されたものである<ref name="新百科_榛名湖キャンプ"/>。
 
=== さまざまなイベント ===
榛名湖を中心として、榛名高原(沼ノ原、真弓が原)、榛名富士や、外輪山の掃部ヶ岳、烏帽子ヶ岳、天目山などは、一年を通じてレジャーやスポーツ、観光で行楽客が訪れる。春は平地よりも遅れて[[ヤマツツジ]]や[[レンゲツツジ]]、サクラの開花期を迎える。夏季は榛名湖でのボート遊びや観光遊覧船、周辺のハイキングや登山などで賑わう<ref name="はるなビ"/>。5月に開催される「榛名山ヒルクライムin高崎」(通称ハルヒル)という自転車競技([[ヒルクライム]])では、7000人を超す(2016年)エントリーがある<ref name="毎日新聞-20160413"/>{{refnest|group="注"|日本最大級とされる[[Mt.富士ヒルクライム]]は8000人規模であり、高崎市長は「(富士ヒルクライムに)迫る勢い」としている<ref name="毎日新聞-20160413"/>。}}。8月の「榛名の祭り」では御沼龗神社の灯篭流しや湖上での花火大会が行われ、約2万人の見物客を集める<ref name="Jo-花火2017"/>。夏の終わりから秋にかけては、榛名地域を代表する農産物のひとつである[[梨]]{{refnest|group="注"|群馬県の梨の生産量のうち、約50%は榛名地区で生産されている<ref name="JAはぐくみ"/>。}}の収穫期にはいり、榛名湖畔で「はるなの梨まつり」が行われる<ref name="高崎新聞-20150812"/>。梨の配布や販売のほか、1分間の時間制限で梨の皮をどれだけ長く剥けるかを競う「皮むき大会」などが行われている<ref name="高崎前橋経済新聞-20160823"/>。9月に行われる「榛名湖マラソン」は、[[日本陸上競技連盟]]の公認コースとしては日本で最も標高が高い場所で行われるもので、1周約7.8キロメートルの湖畔の周回コースを5周して競われる<ref name="高崎市-榛名湖マラソン"/>。
 
秋の紅葉シーズンや冬のウィンタースポーツも榛名湖の特徴になっている。榛名湖周辺は標高が高いために周囲の地域よりも早く紅葉シーズンが訪れ、10月の半ばから一ヶ月間ほどが見頃を迎える<ref name="榛名学_県立榛名公園"/>。冬は12月に「榛名湖イルミネーションフェスタ」として55万球の照明による[[イルミネーション|イルミネーション・イベント]]が催され、期間中13万人が訪れる<ref name="Jo-イルミ2016"/><ref name="高崎市-山湖"/>。1月から2月にかけては榛名湖が全面的に凍りつき、氷上でのゴーカート遊びやスケート、[[ワカサギ]]の穴釣りが目玉になっている。ただし近年は湖氷の発達が不十分な年があり、2007年や2009年には氷上は立入禁止になった<ref name="榛名学_県立榛名公園"/>。
 
榛名湖では、行楽客向けの釣りが行われている。マス、コイ、フナは通年、ワカサギは秋から春にかけてが遊漁シーズンである。漁業者によるワカサギ漁も行われており、榛名湖漁業協同組合が規則を設けてこれらを管理している<ref name="漁協"/>。榛名湖は[[バス (魚)|バス]]釣りの名所としても知られている。4月から7月上旬と9月から11月がバス釣りの好適期とされ、湖畔やボートでの釣りが行われる。平均30センチから大きいもので50センチのバスの釣果があるという<ref name="バス釣り"/>。
 
湖畔には北東岸に公営宿泊施設があるほか、南西岸には宿泊施設や土産物店、飲食店がならび、貸しボートや遊覧船の発着する港もある。「湖畔の宿記念公園」([[#歌謡]]参照)も付近にあり<ref name="榛名学_文芸"/>、背後には国有地を[[定期借地権|定期借地]]する別荘地がある<ref name="ふれあいの郷"/>。南東の湖畔から沼ノ原の平原地帯にかけても山荘や旅館、テニスコートなどが点在し、榛名富士へのロープウェーの発着駅がある。榛名富士の山麓にあたる東岸には県立榛名公園の管理棟やビジターセンター、キャンパーむけのバンガロー村がある。観光客向けに[[乗合馬車|トテ馬車]]{{refnest|group="注"|「トテ馬車」は、明治時代から日本でも運行されるようになった旅客を乗せた[[乗合馬車]]の俗称である。馬車を操る御者が吹き鳴らすラッパの音から「トテ馬車」との呼び名がついたもの<ref name="日立大百科-トテ馬車"/>。}}も運行されている<ref name="はるなビ"/>。
 
沼ノ原では、8月の夕刻に開花する[[ユウスゲ]]が見頃を迎える。薄黄色のユウスゲは榛名山のシンボルとされており、沼ノ原に設けられた遊歩道は「ユウスゲの道」と命名されている。ここでは初秋の[[マツムシソウ]]もみどころの一つである<ref name="榛名学_県立榛名公園"/>。
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== 自然環境 ==
=== 水質 ===
腰元蟹の伝承([[#榛名湖と信仰]]参照)でも語られるように、榛名湖の湖水は透明で美しいとされてきた。これらの伝承では、腰元蟹のおかげて、落ち葉や大雨の濁流が流入しても水がきれいである、としている<ref name="榛名学_木部姫A"/>。[[跡部良顕]](1658 - 1729<ref name="朝日-跡部良顕"/>)の『伊香保紀行』(1698年)では「水清くして細波たち箱根の湖水の如し」と伝えている<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。現代では、湖水の清浄さは榛名湖周辺の地形的特性によるところが大きく、急傾斜の外輪山や火山地質を経て湧く水源が水質を決定づけていると考えられている<ref name="山本小金沢-水質"/>。
 
明治時代にも、榛名湖は湖水の清浄さで名高かったと伝えられている<ref name="山本小金沢-水質"/>。透明度は、1906年(明治39年)に9.5メートル、1916年(大正5年)には6メートルと記録され、湖水は「藍色にして清澄<ref name="上毛山水志"/>」と評されていた<ref name="山本小金沢-水質"/>。当時の榛名湖の岸には、一軒宿の「湖畔亭」があるだけだったという<ref name="山本小金沢-水質"/>([[#文学・小説]]の[[横光利一]]作品や[[#歌謡]]参照。)。
 
しかし1924年(大正13年)の県立自然公園の指定により開発がすすみ、観光客が爆発的に増加した。それでも、1930年(昭和5年)には透明度5メートルを保っていたが、[[高度成長期]]を迎えた1950年代になると多い時には1日3万人の観光客であふれ、駐車場もバスで埋まるようになり、1955年(昭和35年)には透明度は3メートルまで低下した<ref name="山本小金沢-水質"/>。観光客の増加とボートやモーターボートの導入が湖の富栄養化をもたらし、透明度の低下が進行したものと分析されている<ref name="山本小金沢-水質"/><ref name="角川地名-榛名湖"/><ref name="新百科-榛名湖"/>。
 
富栄養化の要因は、湖畔の旅館や土産物店・飲食店の排水が湖に流入していることにあると考えられており、1981年(昭和56年)に榛名湖水質管理センターが開設され、下水道の整備などが行われた<ref name="新百科-榛名湖"/>。同施設では開設後も処理能力の拡充が行われている<ref name="水質管理"/>。ワカサギ漁などを営む漁協でも、湖水の浄化やプランクトン育成を目的に炭素繊維の設置を行っている<ref name="漁協"/><ref name="炭素繊維"/>{{refnest|group="注"|ブラックバスの増殖などに起因するとみられるプランクトン不足と水草不足を解消するための試みで、1999年(平成11年)から湖底への炭素繊維の植え込みが行われた。設置後まもなく、炭素繊維を核として微生物のコロニーが形成されるようになり、藻場が形成されていった。2ヶ月後にはここにフナなどが産卵するようになり、さまざまな魚群の増加が確認された<ref name="炭素繊維"/>。}}。こうした取り組みが奏功して水質が改善し、姿を消していた[[ゲンジボタル]]が棲むようになり、例年7月の後半には榛名湖の南湖畔のガソリンスタンド付近で多くのホタルが見られるようになった<ref name="榛名学_県立榛名公園"/>。[[環境省]]による水質検査(平成27年度(2016年度))では、[[化学的酸素要求量|COD]]の[[環境基準]]でA(4段階のうち上から2番め<ref group="注">水浴びや[[サケ科]]やアユの水産に適い、沈殿濾過や高度の浄水操作を経て上水道の利用可能。</ref>)、水生生物の生息状況の適応性について生物A(4段階のうち上から2番め<ref group="注">イワナやサケ、マスの生息に適する</ref>)に類型されている<ref name="環境省H27"/>{{refnest|group="注"|COD平均値2.6mg/L<ref name="環境省H27"/>。}}。
 
ただし透明度は1955年頃と大きく変わっていない<ref name="山本小金沢-水質"/>。透明度は季節変動があり、5月には4.2メートルだが、9月には1.9メートル(1988年)となる<ref name="新百科-榛名湖"/><ref name="角川地名-榛名湖"/>。こうした季節的変動は、冬季の氷結と、春の解氷による湖水の循環と関連があり、夏季から秋にかけては湖水が停滞期となるものと推測されている<ref name="山本小金沢-水質"/>。地元では毎年早春、本格的な行楽シーズンの前にボランティアを募り、榛名湖の湖底の清掃を行っている<ref name="はるとら"/>。水質改善のための新たな取組として、湖底に鉄分を供給して水草の成長を促し、湖底を緑化する試みも行われている<ref name="上毛新聞20170704"/>。
 
=== 植物 ===
榛名山は平地よりも標高が高いため、サクラやツツジの開花期が平地よりも遅い<ref name="はるなビ"/>。ただし、赤城山など群馬県内の他の山と比較すると高標高というわけではなく、降雪量も少ないため、これらの高山との比較では植生の幅は広くない<ref name="新百科_植物"/>。南東側の沼ノ原や観光施設が並ぶ南岸をのぞき、湖は概ね急斜面に囲まれていて、これらの斜面は[[イタヤカエデ]]、[[サワグルミ]]、[[ハルニレ]]といった[[落葉広葉樹]]が中心である<ref name="角川地名-榛名湖"/>。このほか[[ミヤコザサ]]や[[ミズナラ]]の分布が特徴的ではあるが、全体としては原生林ではなく、人の影響を受けた[[潜在自然植生|代償植生]]である<ref name="新百科_植物"/>。また、湖畔の多くは人の開発によって自然度は低下している<ref name="新百科_動物"/>。
 
かつて湖だった南東の沼ノ原は湿原から草原、さらに森林へと[[遷移 (生物学)|遷移]]している。ここには[[ユウスゲ]]([[キスゲ]])や[[マツムシソウ]]の群落があり、特に夏の夕刻に黄色い花を咲かせるユウスゲは榛名山や榛名湖のシンボルになっている<ref name="榛名学_県立榛名公園"/><ref name="新百科_植物"/>。このほか、沼ノ原では[[キキョウ]]、[[オミナエシ]]、[[スズサイコ]]、[[コウリンカ]]といった[[絶滅危惧種]]がみられる<ref name="新百科_植物"/>。近代から昭和にかけて開墾が試みられたり、スキー場として利用されたりしたことで、[[ススキ]]の群落から森林への2次的な乾性遷移が進んでいる<ref name="新百科_動物"/><ref name="新百科_植物"/>。草原に分布する[[カシワ]]の林は群馬県内としては最大規模のものであり、カシワと[[ミズナラ]]の交雑種である[[ホソバガシワ]]といった貴重種もみられる<ref name="新百科_植物"/>。
 
草原を縦断する[[群馬県道33号渋川松井田線]]の周辺では、外来植物の侵入が懸念されている。とりわけ、2000年以降[[オオハンゴンソウ]]が道路脇に群落を作るようになっており、危険視されている<ref name="新百科_植物"/>。
 
榛名山で発見された植物としては、[[ハルナユキザサ]]、[[ジョウシュウカモメヅル]]([[コバノカモメヅル]]の変種)、[[ミヤマフナバラソウ]]([[フナバラソウ]]と[[クサタチバナ]]の交雑種)がある。[[榛名山]]も参照。
 
;ギャラリー
<gallery>
ファイル:Haruna00Hemerocallis thunbergii 2228.JPG|榛名湖と榛名富士のシンボル、ユウスゲ
ファイル:LakeScabiosa Harunajaponica in February (a)03.jpg|氷結した2月の榛名湖マツムシソウ
ファイル:LakeKikyo Haruna in March (a)06c1347s.jpg|春先のボート乗り場キキョウ
ファイル:LakePatrinia Haruna Numao Riverscabiosifolia2.jpg|榛名湖より流出する沼尾川女郎花ことオミナエシ
ファイル:Vincetoxicum pycnostelma 1.JPG|スズサイコ
ファイル:Maianthemum robustum 1.JPG|ハルナユキザサ
ファイル:Oohangousou.JPG|外来種として危険視されているオオハンゴンソウ
</gallery>
 
榛名湖の湖中で夏季にみられる主要な[[沈水植物]](水草)としては[[オオカナダモ]]、[[エビモ]]、主な[[植物プランクトン]]としてハリケイソウ、フラギラリア、シネドラ、アステリオネラが挙げられる<ref name="環境省4回調査"/>。
 
=== 動物 ===
{| style="float:right;font-size:0.8em;padding:0px 10px 10px 10px;"
|-
|[[ファイル:Neozephyrus japonicus male.JPG|thumb|沼ノ原はゼフィルス(ミドリシジミ類)の楽園として知られてきいたが、近年は姿を消しつつある]]
|-
|[[ファイル:榛名の冬曙、氷上には動物の足跡.jpg|thumb|榛名湖の氷上に残された動物の足跡]]
|-
|}
;昆虫類
沼ノ原にあるミズナラやカエデ、その雑種であるホソバガシワからなる混生林は、[[ミドリシジミ|ミドリシジミ類]]([[ゼフィルス]])の多さで知られる格好の住処だった。しかし近年は急速にミドリシジミが減ってきており、これが他の昆虫類や動物の生態系へどのように影響を及ぼすかが懸念されている<ref name="新百科_動物"/>。
 
沼ノ原の草原や森には様々な植物や環境があり、それに合わせた様々な昆虫類が棲息している。草原では特に[[カメムシ目]]([[カメムシ|カメムシ類]]、[[アワフキムシ]]、[[セミ|セミ類]])、[[甲虫目]]([[ハムシ|ハムシ類]]、[[テントウムシ|テントウムシ類]])やチョウ類が豊富である<ref name="新百科_動物"/>。このほか[[ハチ目]]([[ハチ|ハチ類]]、[[アリ|アリ類]])、[[バッタ目]]([[バッタ|バッタ類]]、[[イナゴ|イナゴ類]])などの棲みかになっている<ref name="新百科_動物"/>。
 
榛名湖の湖岸では、近年復活した[[ゲンジボタル]]をはじめ、[[カワゲラ|カワゲラ類]]、[[トビケラ|トビケラ類]]、[[カゲロウ|カゲロウ類]]などの幼生が水中にみられる。ただし止水性のトンボ類は少ない<ref name="新百科_動物"/>。
 
;魚介類
[[環境省]]の[[自然環境保全基礎調査]]によれば、榛名湖では1987年(昭和62年)に22種、1993年(平成5年)には11種の魚類の生息が確認されている<ref name="環境省4回調査"/>。1995年の11種は日本全国の主要湖沼のなかでは37位<ref name="環境省4回調査"/>。
 
{|class=wikitable
|-
|colspan=5 style="font-size:0.9em;"|凡例<br>◎=調査で繁殖が確認されたもの<br>○=聞き取りによる生息確認<br>+=確認されなかったが記録にあるもの
|-
|中分類||魚名||1987年||1993年||備考
|-
|rowspan=4|[[サケ科]]||[[イワナ]]([[ニッコウイワナ]])||◎|| ||
|-
|[[ニジマス]]([[スチールヘッド]])||◎|| ||
|-
|[[ヒメマス]]||◎|| ||
|-
|[[ヤマメ]]([[ニッコウヤマメ]])||◎|| ||
|-
|[[キュウリウオ目|キュウリウオ科]]||[[ワカサギ]]||◎||◎||
|-
|rowspan=13|[[コイ科]]||[[ヒガイ属|ヒガイ]]||◎|| ||style="font-size:0.9em;"|※[[カマツカ亜科]]参照
|-
|[[カマツカ (魚)|カマツカ]]||◎|| ||
|-
|[[モツゴ]]||◎||◎||
|-
|[[ウグイ]]||◎|| ||
|-
|[[アオウオ]]||◎|| ||
|-
|[[ソウギョ]]||◎||+||style="font-size:0.9em;"|[[要注意外来生物]]
|-
|[[ハス (魚)|ハス]]|| ||◎||
|-
|[[オイカワ]]||◎||◎||
|-
|[[ハクレン]](レンヒー)||◎|| ||
|-
|[[コイ]]||◎||◎||
|-
|[[ギンブナ]]||◎||◎||
|-
|[[ゲンゴロウブナ]](ヘラブナ)||○||◎||
|-
|[[タナゴ]]||◎|| ||
|-
|[[ドジョウ科]]||[[ドジョウ]]||◎||◎||
|-
|rowspan=2|[[ナマズ科]]||[[ナマズ]]||◎|| ||
|-
|[[イワトコナマズ]]|| ||◎||
|-
|[[ウナギ科]]||[[ウナギ]]||◎||◎||
|-
|[[ハゼ科]]||[[ヨシノボリ]]||◎||◎||
|-
|[[サンフィッシュ科]]||[[ブラックバス]]([[オオクチバス]])||◎||<!--入力ミスではなく調査では未確認-->||style="font-size:0.9em;"|県の漁業調整規則により放流禁止
|-
|colspan=5|[[環境省]][[自然環境局]][[生物多様性センター]][[自然環境保全基礎調査]]1993年度「第4回基礎調査湖沼調査報告書(全国版)資料集」より<br><div style="font-size:0.9em;">※この調査(1993年)では確認されていないものの、その後に出版されている様々な文献でブラックバスの存在が言及されている。2000年以降の文献では榛名湖は群馬県を代表するバス釣りの名所とみなされている<ref name="バス釣り"/>。</div>
|}
 
名物として知られる[[ワカサギ]]をはじめ、[[ニジマス]]、[[ヒメマス]]、[[ゲンゴロウブナ]](ヘラブナ)や[[コイ|コイ類]]は計画的な放流事業によって生息するようになった。[[オオクチバス]]([[ブラックバス]])と[[ブルーギル]]は無断で持ち込まれた外来種である<ref name="新百科_動物"/>。榛名湖本来の在来種は[[ドジョウ]]と[[ウナギ]]程度しかいない<ref name="新百科_動物"/>。
 
「第4回基礎調査」によると、このほか夏季にみられる主要な[[底生生物]]として、巻き貝の[[タニシ#マルタニシ|マルタニシ]]、[[チリメンカワニナ]]、[[タテヒダカワニナ]]、[[カワニナ]]を挙げている<ref name="環境省4回調査"/>。[[タテヒダカワニナ]]([[カワニナ|カワニナ属]])は1940年(昭和15年)頃に[[琵琶湖]]から移入されたものである<ref name="新百科_動物"/>。湖岸ではほかに、[[ナミウズムシ]]などの[[ウズムシ|ウズムシ類]]や、二枚貝([[マシジミ]]、[[シジミ|マメシジミ]])、巻き貝([[モノアラガイ]]、[[カワニナ|カワニナ類]])などがみられる<ref name="新百科_動物"/>。このほか湖中の主要な[[動物性プランクトン]]として、[[コシブトカメ]]、[[コウワムシ]]、[[イケツノオビムシ]]([[ケラチウム属]])、[[ゾウミジンコ]]、[[ヤマトヒゲナガケンミジンコ]]が挙げられている<ref name="新百科_動物"/>。
 
<gallery>
ファイル:Wakasagi Adult (70mm).tif|榛名湖の名産ワカサギ
ファイル:Oncorhynchus mykiss.jpg|ニジマス
ファイル:Himemasu.JPG|ヒメマス
ファイル:Carassius cuvieri by OpenCage.jpg|ヘラブナ(ゲンゴロウブナ)
ファイル:Rhinogobius flumineus(Hamamatsu,Shizuoka,Japan).jpg|ヨシノボリの一種
ファイル:Oikawa1.jpg|オイカワ
ファイル:Pseudorasbora parva(Hamamatsu,Shizuoka,Japan).jpg|モツゴ
ファイル:Yamame.jpg|ヤマメ
ファイル:Blackbass.jpg|ブラックバス
ファイル:Bluegill (Lepomis macrochirus).jpg|ブルーギル
</gallery>
 
榛名湖のワカサギ漁は2011年の[[東日本大震災]]に伴う[[福島第一原子力発電所事故|原発事故]]の影響を受けた。榛名湖のワカサギから検出された[[放射性セシウム]]濃度が基準値を上回ったため、漁業者にはワカサギの出荷の自粛要請が出され、観光客もワカサギを釣っても持ち帰ることが禁止されたのである。この結果、ワカサギ漁は事実上の休業となり、釣り客は激減した<ref name="産経20150829"/>。
 
2015年になって、放射性セシウムの濃度が基準値を安定的に下回るようになり、ワカサギ漁が解禁となった{{refnest|group="注"|基準値は100ベクレル。2014年から100ベクレルを下回るようになっていたが、「安定的」ではないとして解除が見送られた。2015年の調査では20-62ベクレルにとどまり、解除となった<ref name="産経20150829"/>。}}。この間、湖水中の動物プランクトンが著しく減少し、珪藻類の増加と水中の酸素量が大幅な低下が見られた。数年のあいだ漁が行われなかったために湖中のワカサギが増え、ワカサギが捕食する動物プランクトンが減少し、ワカサギの呼吸によって酸素濃度が低下したと推測されている<ref name="水質H25-27"/>。
 
;両生類・爬虫類
榛名湖周辺(榛名山)の両生類では[[ヤマアカガエル]]や[[アズマヒキガエル]]が代表的である。爬虫類では8種が確認されており、[[シマヘビ]]、[[ヤマカガシ]]、[[アオダイショウ]]、[[ジムグリ]]などがいる<ref name="新百科_動物"/>。
 
;鳥類
榛名湖で見られる水鳥としては、夏場の[[アオサギ]]、[[コアジサシ]]、[[ゴイサギ]]、冬場の[[マガモ]]や[[カルガモ]]などがいる<ref name="新百科_動物"/>。このほか湖岸や周辺の山で見られるものとして、[[トビ]]、[[ハシボソガラス]]、[[ハシブトガラス]]、[[スズメ]]、[[オナガ]]、[[ヒヨドリ]]、[[ヒガラ]]、[[コガラ]]、[[アカゲラ]]、[[ウグイス]]、[[サンショウクイ]]、[[オオルリ]]、[[コルリ]]、[[キビタキ]]、[[サンコウチョウ]]、[[カッコウ]]、[[ホトトギス]]、[[センダイムシクイ]]などがいる<ref name="新百科_動物"/>。
 
;哺乳類
榛名湖周辺の森には、次のような哺乳類が生息している。[[ヒメネズミ]]、[[アカネズミ]]、[[ノウサギ]]、[[キツネ]]、[[タヌキ]]、[[イタチ]]、[[テン]]、[[ニホンリス]]、[[モモンガ]]、[[ムササビ]]、[[キクガシラコウモリ]]、[[ウサギコウモリ]]<ref name="新百科_動物"/>。近年は[[ツキノワグマ]]や[[イノシシ]]の目撃例が増えてきている<ref name="新百科_動物"/>。
{{Clearright}}
 
== 文芸 ==
{| style="float:right;font-size:0.8em;padding:0px 10px 10px 10px;"
|-
|[[ファイル:Teika(3).jpg|thumb|藤原定家]]
|-
|[[ファイル:Monochoria korsakowii flower.JPG|thumb|「水葱」として詠まれた[[ミズアオイ]]]]
|-
|[[ファイル:Akiko Yosano in western clothe.jpg|thumb|与謝野晶子]]
|-
|[[ファイル:Lake Haruna in February (a).jpg|thumb|2月の榛名湖]]
|-
|[[ファイル:榛名山 March,2010 - panoramio.jpg|thumb|3月のボート乗り場]]
|-
|[[ファイル:Kyoshi Takahama 01.jpg|thumb|高浜虚子]]
|-
|[[ファイル:TakehisaYumeji-1931-Verse for Mount Haruna.png|thumb|竹久夢二『榛名山賦』。榛名富士と春の女神[[佐保姫]]が描かれ、右上には「久方の光たたえて匂ふなり榛名の湖に春たちにけり」と詠まれている。]]
|-
|[[ファイル:Mt. Haruna in fall.JPG|thumb|秋の榛名湖。榛名富士の後方には「イルカの背びれ」と呼ばれる相馬山が見える<ref name="登山-相馬山"/>。]]
|-
|}
 
=== 和歌 ===
*万葉集・平安時代の和歌集に登場する榛名湖については[[#歴史的呼称|歴史的呼称節]]を参照。
 
古代の『[[万葉集]]』や『[[古今和歌集]]』の中で「いかほのぬま」として詠まれた榛名湖は、その後も和歌の題材になってきた<ref name="榛名学_文芸"/>。[[#歴史的呼称|歴史的呼称節]]で述べたように、奈良時代の東歌では榛名湖が具体的に描かれていたのに対し、平安時代になると、榛名湖が詠まれる事自体は増えたものの、実景として詠まれるのではなく、「いか」という音を修辞に用いるための歌枕として採用されるに過ぎなくなっていた。平安末期に詠まれた次の作品でも、「伊香保の沼」は具体的なイメージを持った湖としてではなく、はるか遠い東国を詠むのに定型的に用いる語として使用されているにすぎない<ref name="榛名学_文芸"/>。
{{Quotation|東路の 伊香保の沼の かきつばた 袖のつまより 色ことに見ゆ<ref name="榛名学_文芸"/>|[[源顕仲]]|『[[堀河百首]]』}}
 
鎌倉時代に入るとこうした状況は一変した。[[鎌倉幕府]]の樹立により、東国の武士が政治の表舞台へ登場したことで、榛名湖は再び和歌に描かれるようになった。[[建保]]3年(1215年)には、[[内裏]]で開催された「名所百首」で、夏の題材として榛名湖(伊香保沼)が撰定された<ref name="榛名学_文芸"/>。以下はそのときに詠まれたものである。<!--←以下といかをかけてある。-->
 
{| class="toccolours" style="float:none;margin-left:40px;padding: 10px 15px 10px 15px;"
|-
|
[[マコモ|真薦]]生ふる 伊香保の沼の いかばかり 波越えぬらん 五月雨の頃<ref name="榛名学_文芸"/> — 順徳院([[順徳天皇]])<br><br>
こなぎ植ゑし 伊香保の沼の あやめ草 長きほどおば 誰もとめけん<ref name="榛名学_文芸"/> — [[行意]]<br><br>
から衣 かくる伊香保の 沼水に 今日は玉ぬく あやめをぞ引く<ref name="榛名学_文芸"/> — [[藤原定家]]<br><br>
影暗き 伊香保の沼は 夏草の 霧のみはぎは つきぞやどれる<ref name="榛名学_文芸"/> — [[藤原俊成女]]<br><br>
水鳥の 玉もの床や しをるらん 伊香保の沼の 夕立の空<ref name="県女石川"/> — [[藤原康光]]<br><br>
いはかきも みごもり深く なりぬらん 伊香保の沼の 五月雨のころ<ref name="県女石川"/> — [[藤原忠定]]<br><br>
かはづ鳴く 伊香保の沼に すむ蛍 もゆる思ひに 音をぞあらそふ<ref name="県女石川"/> — [[世尊寺行能]]<br><br>
思ふこと あやめの草の 長き根に 伊香保の沼の いかで残らん<ref name="榛名学_文芸"/> — [[順徳院兵衛内侍]]<br><br>
五月雨に 伊香保の沼の あやめ草 きょうはいつかと 誰か引くらん<ref name="榛名学_文芸"/> — [[藤原家隆 (従二位)|藤原家隆]]<br><br>
伊香保のや いかにほどふる 五月雨に 沼のいはかき 波もこすらん<ref name="県女石川"/> — [[藤原家衡]]<br><br>
五月雨に 伊香保の沼の あやめ草 刈る人なみに くちやはてなん<ref name="県女石川"/> — [[藤原知家]]<br><br>
おりたちて 引く手に夏は なぎの葉の 伊香保の沼の いかがすずし<ref name="榛名学_文芸"/> — [[藤原範宗]]<br>
|}
 
このほか『[[新撰和歌六帖]]』([[寛元]]2年(1243年))では、「沼」というお題に対して5人の詠み手のうち2名が「伊香保の沼」を詠んだ<ref name="榛名学_文芸"/>。残る3首はいずれも特定の沼に言及しない歌だった<ref name="県女石川"/>。
{{Quotation|底深き 伊香保の沼の いかほどに 恋しきことを 思ふとか知る<ref name="県女石川"/>|[[衣笠家良]]|『[[新撰和歌六帖]]』}}
{{Quotation|我が身今 なほも頭に かみつけの 伊香保の沼の いかが悲しき<ref name="県女石川"/>|[[藤原信実]]|『[[新撰和歌六帖]]』}}
 
近世から近代には、[[伊香保温泉]]を訪れた多くの文人が榛名湖へ足を伸ばし、紀行文や歌集に榛名湖を詠んだ。なかでも[[与謝野晶子]](1878 - 1942)は伊香保温泉に造詣が深く、温泉街の中心をなす「石段」に与謝野晶子の『伊香保の街』の一部が刻まれている。与謝野晶子の死後刊行された『白桜集』の「伊香保遊草」には、伊香保温泉を詠んだ[[短歌]]が掲載されており、それらの中に次のような歌がある。この歌でも「いか」を用いる古典的な修辞が行われている。
{{Quotation|秋の日の 空の曇りて 恐しき 気に包まれし 山のみづうみ<ref name="国文与謝野"/>|[[与謝野晶子]]|『白桜集』「伊香保遊草」}}
{{Quotation|湖や 手など人振り 小舟来ぬ 新月ならば いかにしてまし<ref name="国文与謝野"/>|[[与謝野晶子]]|『白桜集』「伊香保遊草」}}
 
[[木下尚江]](1869 - 1937)も明治末期に伊香保温泉に1年滞在し、『懺悔』『飢渇』『霊か肉か』を書き上げた。当時詠んだ歌が後に発表されている。
{{Quotation|蛍飛ぶ 夕闇の沼 船浮けて ほのほ吹きたる 昔しのびつ<ref name="榛名学_文芸"/>|[[木下尚江]]|『山居一年』}}
{{Clearright}}
 
=== 俳句 ===
榛名湖の湖畔の公園には、「ホトトギス三代句碑」が建立されており、[[高浜虚子]]とその長男、孫による俳句が刻まれている。
 
{| class="toccolours" style="float:none;margin-left:40px;padding: 10px 15px 10px 15px;"
|-
|
榛名湖の ふちのあやめに [[床几]]かな<ref name="榛名学_文芸"/> — [[高浜虚子]]<br>
塗りかへの ボート揚げあり 凍湖畔<ref name="榛名学_文芸"/> — [[高浜年尾]]<br>
雲降りて 山湖の朝の 霧となる<ref name="榛名学_文芸"/> — [[稲畑汀子]]<br>
|}
{{Clearright}}
=== 詩歌 ===
[[堤ヶ岡村|棟高村]](市町村合併により後に[[高崎市]][[群馬町]]棟高)出身の詩人、[[山村暮鳥]](1884 - 1924)は次のような作品を残している。
{{Quotation|自分は山上の湖がすきだ<br>自分はそのみなぞこの青空がすきだ<br>その青空には白銀の月がでてゐる<br>ひるひなか<br>その月をめぐつて<br>魚が二三尾およいでいる<br>ちやうど自分達のやうだ<br>おお人間のさびしさは深い<ref name="榛名学_文芸"/>|[[山村暮鳥]]|「山上にて」}}
{{Clearright}}
=== 美術 ===
画家として知られる[[竹久夢二]](1884 - 1934)は、1930年(昭和5年)に伊香保温泉に1ヶ月ほど逗留している。夢二ははじめ榛名湖の湖畔にアトリエを設けた。その頃の夢二が描いた代表作『榛名山賦』では、早春の榛名山を背景に春の女神[[佐保姫]]が描かれている。そして右上の[[画賛]]には次のような歌が詠まれている<ref name="夢二山賦"/>。
{{Quotation|久方の 光たたえて 匂ふなり 榛名の湖(うみ)に 春たちにけり<ref name="夢二山賦"/>|[[竹久夢二]]|「榛名山賦」}}
夢二はアトリエでは飽き足らず、生活と美術が完全に直結し、商業主義と粗悪品に満ち溢れた俗世とは隔絶された空間を実現するため、榛名湖畔に土地を確保して[[榛名山美術研究所|美術学校]]<ref group="注">この施設は結局実現しなかったので、正式な名称はない。一般には「産業美術研究所」「榛名美術研究所」「榛名山産業美術研究所」などと通称されている。夢二自身による『夢二外遊記』では「榛名山美術学校」と表現されている。</ref>の建設にとりかかった<ref name="榛名学_文芸"/> {{refnest|group="注"|この企てはさまざまに評されている。夢二が言うには、日本国内に広がる商業化は俗悪なものを大量生産し、日本各地に古来からあった伝統的な美術・工芸を破壊しつつあった。夢二は榛名の湖畔で、群馬に伝わる工芸に磨きをかけようとしたのだという。一方で、好況から不況に傾いて国内のムードが変わったことや、愛人騒動のスキャンダルなどによって芸術界の寵児から転落した夢二が、喧騒を離れて隠居の地を求めていた、とみるむきもある<ref name="夢二"/>。}}。
 
この企画には各方面から賛同者・支援者が集まった。文学界からは[[島崎藤村]]、美術界からは[[藤島武二]]、[[森口多里]]、声楽界からは[[淡谷のり子]]、実業界からは[[桜井伊兵衛]]、[[篠原秀吉]]などである。しかし、その頃の夢二は、[[佐々木カネヨ|お葉]]・[[山田順子 (作家)|山田順子]]をめぐる醜聞によって急速に人気を失いつつあり、建設資金の確保に手間取り計画は思うように進まなかった。夢二は翌1931年に、淡谷のり子の出演を目玉に据えて資金集めのための「舞踊と音楽の会」を群馬県の主要都市で開催した。これによって「かなりの」資金が集まったが、夢二はそのまま2年余りにわたって欧米への旅行にでかけてしまい、その道中で資金を使い切ってしまった。夢二は帰国後間もなく病死してしまい、美術学校は実現しないまま終わった<ref name="夢二"/><ref name="高崎-夢二"/>。1989年に整備された「湖畔の宿記念公園」には復元されたアトリエが設けられている。また、伊香保温泉には[[竹久夢二伊香保記念館]]が開設された<ref name="榛名学_文芸"/>。
{{Clearright}}
=== 文学・小説 ===
*文筆家の[[横光利一]](1898 - 1947)は、1922年(大正11年)に[[中央公論|中央公論社]]から小説『榛名』を発表した。これは紀行文のような内容で、利一は榛名湖畔に数日間滞在してその様子を綴っている。
 
{{Quotation|山頂へ着いた。自動車でまた高原の中を行く。私のステッキを持つた青年とは別別の車になつた。しかし、やがて湖が鮮明な色で草の中から現れた。車から降りると私一人日歸りの皆と別れて森を通り、ただ一軒よりない宿屋へ行つた。農家とどこも變らぬ宿屋だが、湖の岸まで芝生が一町もなだらかに下つてゐる。縁側に坐つて湖を見ると、すでに山頂にゐるために榛名富士と云つても對岸の小山にすぎない。湖は人家を教軒湖岸に散在させた周圍一里の圓形である。動くものはと見ると、ただ雲の團塊が徐徐に湖面の上を移行してゐるだけである。音はと耳を立てると、朝から窓にもたれて縫物をしてゐる宿の女中の、ほつとかすかに洩らした吐息だけだ。もう早や私は死に接したやうなものだ<ref name="横光-榛名"/>。|[[横光利一]]|『榛名』}}<!--著者の死後50年以上経過-->
{{Quotation|湖の向ふに見える小舍は氷屋でございますよ。湖の番人がゐるのです。と女は私の質問に答へて云つた。私は湖面に一つ浮んでゐる白い箱を指差してまた訊ねた。あれは燈籠流しの殘り物です。もう一週間早くいらつしやれば御覽になれましたのにといふ。燈籠流しの夜には湖面へ五百ばかりの燈籠を浮べる。それが風の間に間に湖いつぱいに漂ひ流れて沈んでいく<ref name="横光-榛名"/>。|[[横光利一]]|『榛名』}}<!--著者の死後50年以上経過-->
{{Quotation|私は湖の岸を廻つてゐる道を左の方へ歩いていつた。この道は道とはいへ長らく人が通らぬために、巾一間半もあるにもかかわらず、荒れはてて茫々とした草原に見えてゐたのである。進むにしたがつて、すぐ眞下に迫つてゐる湖が、身を沒する苺の垣や茅や葡萄の蔓のために全く見えない。山面を遠くから雲のやうに白く棚曳き降りて來た獨活の花の大群生が、湖面にまで雪崩れ込んでゐる裾を、黄白の野菊や萩、肉色の虎杖の花、女郎花と、それに混じた淡紫の一群の花の、うるひ、薊、龍膽、とりかぶと、みやまおだまき、しきんからまつ、――道はだんだん丈なす花のトンネルに變つて來る。花の底で波がかすかにごぼりごぼりと音を立てる。苺のとげに片袖が觸れるたびに、爆け切つた實がぼろぼろとこぼれ落ちる。絶えず唸りながら花から花へと馳けめぐつてゐる蜂の群が、都會の中央で擦れ違ふ自動車の爆音のやうに喧騷を極めて來て、むせ返つて來る花の強烈な匂ひにふらふら眩暈を感じ出す。進む鼻の前で、空中に浮き上つたままぴたりと停止してゐる蜻蛉。花を蹴つて足もとから飛び立つ鳥の群。ぴしりと脛を叩くおばこの固い紐の花。無數の小蜂を舞ひ込めて襲ふ花の匂ひの隙間から、突如として閃くやうに旋囘して來る熊蜂の鋭い風。腐つた電柱の頂きまで這ひ上つてゐる蔓草の白い花<ref name="横光-榛名"/>。|[[横光利一]]|『榛名』}}<!--著者の死後50年以上経過-->
 
このほか、榛名湖を舞台とする作品として次のようなものがある。
*山口寒水『氷採人夫』(『群馬文学全集 17 群馬の作家』)
*[[中町信]]『榛名湖殺人事件』(1987年)
{{Clearright}}
== ポップカルチャー ==
=== 歌謡 ===
{| style="float:right;font-size:0.8em;width:140px;padding:0px 10px 10px 10px;"
|-
|[[ファイル:Mieko Takamine 1.jpg|140px]]
|-
|1941年の高峰三枝子
|-
|[[ファイル:Sonosuke Sato.jpg|140px]]
|-
|作詞者の佐藤惣之助
|-
|}
1989年(平成元年)になって、榛名湖畔では太平洋戦争前後の歌謡曲が一躍脚光を浴びるようになった。これは1940年(昭和15年)に[[高峰三枝子]]が唄ってヒットした『[[湖畔の宿 (曲)|湖畔の宿]]』という歌謡曲である<ref name="榛名学_文芸"/>。
{{Quotation|山のさびしい湖に(中略)書いてまた消す湖畔の便り(歌詞の一部を抜粋<ref name="榛名学_文芸"/>)|作詞:[[佐藤惣之助]]|「湖畔の宿」}}
このように、歌詞は何処かの山中の湖畔に泊まった女性が、一人寂しく便りを綴るという内容だった<ref name="榛名学_文芸"/>。1989年の[[夕刊フジ]]によると、物悲しいこの歌謡曲は戦時中の時勢に適さないとして発売中止にもなったが、前線の兵士にも人気だったという<ref name="湖畔亭"/>。
 
歌詞の中では、曲の舞台が具体的にどこの湖であるかは言及されていない。一般には[[諏訪湖]]([[長野県]])、[[浜名湖]]([[静岡県]])、[[山中湖]]([[山梨県]])などが舞台だと解釈されていたし、歌い手の高峰三枝子自身は[[芦ノ湖]]([[神奈川県]])をイメージしていた<ref name="榛名学_文芸"/>。
 
流行から半世紀あまりも経った1988年になって、榛名山に縁の深い詩人[[萩原朔太郎]]{{refnest|group="注"|[[萩原朔太郎]]は、群馬県前橋市の出身。朔太郎の父親は伊香保温泉で勤務していたことがあり、朔太郎は幼い頃から毎年伊香保温泉に滞在していた。朔太郎は1942年に没してるが、これは毎年恒例の伊香保温泉での湯治のときに風邪を引き、それが原因で病没したものである<ref name="榛名学_文芸"/>。}}の義弟で、『湖畔の宿』の作詞者である[[佐藤惣之助]](1890 - 1942)が、曲の発表当時の1942年に書いた手紙が発見された。手紙は榛名湖畔の旅館(湖畔亭)の[[仲居]]宛のもので、「『湖畔の宿』は榛名湖のこと」と明記されていた<ref name="榛名学_文芸"/>。
 
この「発見」により、地元の自治体や商工会はこれを観光の呼び物にしようと、自動でメロディが流れる歌碑、ハンドルを引くと曲が流れるフェンス、野外ステージなどを備えた「湖畔の宿記念公園」を整備した。園内には群馬県出身の彫刻家[[分部順治]]による「乙女の像」が設置されているほか、竹久夢二のアトリエ([[#美術]]参照)も復元されて設置されている<ref name="榛名学_文芸"/>。
 
このほか、榛名湖を題材にした楽曲として次のようなものがある。
*『榛名湖の少女』(1967年)- 歌:[[布施明]]、作詞:[[なかにし礼]]、作曲:[[平尾昌晃]]、編曲:[[森岡賢一郎]]。
{{Clearright}}
=== テレビ・漫画・アニメ ===
{| style="float:right;font-size:0.8em;padding:0px 10px 10px 10px;"
|-
|[[ファイル:Harunastraight.jpg|thumb|県道33号の直線路]]
|-
|[[ファイル:Gunma Pref r-033 1170M.JPG|thumb|ヤセオネ峠付近をゆく『頭文字D』風の「[[トヨタ・AE86|ハチロク]]」]]
|-
|}
1960年代に整備された[[群馬県道33号渋川松井田線]]は、榛名山の標高600-700メートル付近にある伊香保温泉から、山頂付近のヤセオネ峠(標高1185メートル)まで、30ヶ所の[[ヘアピンカーブ]]が連続して「ヘビのように曲がりくねって<ref name="産経20140927"/>」いる。そして峠から先は、榛名湖が火山噴出物によって埋め立てられてできた沼ノ原(榛名高原)の平地に入り、長さ約2キロメートル、高低差約100メートルの直線道路になっている。標高1000メートル級の山頂にこうしたストレートがあるのは「世界でも非常に珍し<ref name="榛名学_交通"/>」く、きわめてスピードが出やすい道路である<ref name="榛名学_交通"/>。
 
1995年から2013年にかけて『[[週刊ヤングマガジン]]』誌に連載された『[[頭文字D]]』(作者:[[しげの秀一]])では、この道路が主要な舞台の一つになっている<ref name="産経20140927"/>。主人公は家業の豆腐店の配達を手伝ってこの道路を走るうちに運転技術に磨きがかかり、やがて[[公道レース]]に熱中するようになる<ref name="産経20140927"/><ref name="読売20140221"/>。『頭文字D』は原作の漫画からTVアニメ化(1998 - 2014年)、劇場用アニメ(2001年、2014-2016年)、実写版の劇場作品(2005年)へ発展し、世界的な人気作品となった<ref name="産経20140927"/><ref name="読売20140221"/>。
 
「[[上毛三山]]」として知られる[[赤城山]]・[[妙義山]]・[[榛名山]]のうち、赤城山と妙義山は『頭文字D』の作中でも実名で登場するが、榛名山だけは「秋名山」という仮名で描かれ、榛名湖も「秋名湖」として登場する<ref name="産経20140927"/>。映像化作品でも実際に現地で撮影が行われるなどしており、日本全国からファンが「[[巡礼 (通俗)|聖地巡礼]]」に訪れる<ref name="読売20140221"/>。現地では、作中の自動車や施設を再現し、関連グッズを集めた展示販売なども行われ、愛好者を集めたイベントも開催されている<ref name="読売20140221"/>。
 
なお現地の直線道路には、速度超過の抑制を目的として2008年に群馬県によって[[メロディーロード]]が施工された。これは「榛名湖メロディライン」と呼ばれ、適切な速度で実走すると『[[静かな湖畔の森の影から|静かな湖畔]]』のメロディが流れる仕組みになっている<ref name="メロディライン"/>。選曲は榛名湖のイメージをもとに行われたという<ref name="広島N20140524"/>。これは居眠り運転防止の機能もあるとされ、観光客誘致の効果も期待されていた<ref name="メロディライン"/>。2014年5月に、榛名湖メロディラインを舞台とする[[ダイハツ工業]]の軽自動車[[ダイハツ・タント|タント・カスタム]]のテレビコマーシャルが放映された。これは自動車の静粛性をアピールする狙いのCMで、路面から流れる『静かな湖畔』にあわせて走行中の車内で出演者が輪唱するという演出のものだった<ref name="TVLIFE20140517"/><ref name="広島N20140524"/>。
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== ギャラリ ー==
<gallery>
ファイル:Lake Haruna 01.jpg|10月の榛名湖畔
File:Haruna02.JPG|南湖畔の掃部ヶ岳
</gallery>
{{Clearright}}
== 交通 ==
{| style="float:right;font-size:0.8em;padding:0px 10px 10px 10px;"
;鉄道
|-
:[[高崎駅]]からバスで約90分。
|[[ファイル:Gunma Prefectural Road 33 2.JPG|thumb|県道33号のつづら折れ]]
;自動車
|-
:[[関越自動車道]][[渋川伊香保インターチェンジ|渋川伊香保IC]]から約40分。
|}
;道路
榛名湖のほぼ全周に自動車用の道路が通じている。このうち湖の南岸を[[群馬県道]]が通っており、[[伊香保温泉]]、高崎市中心部方面、[[国道406号]](草津街道)、吾妻川中流([[岩櫃城]])方面とを結んでいる。湖畔を走る県道のうち、西側半分は[[群馬県道28号高崎東吾妻線]]、東半分は県道33号(28号との重複区間)である。
 
*[[群馬県道33号渋川松井田線]](旧・'''伊香保榛名有料道路''') - [[伊香保温泉]](標高約690m)からヤセオネ峠(標高約1170m)まで約9km、ヤセオネ峠から沼ノ原(標高約1100m)まで約2km、沼ノ原から南湖畔(標高約1090m)まで約2km。南湖畔から天神峠(約1120m)まで約500m、天神峠から[[榛名神社]]門前(標高約800m)まで約3.5km。その後約7.5kmで榛名山の南西山麓(標高約400m)へおり、[[国道406号]]と合流する。沼ノ原の一部区間が「榛名湖メロディライン」となっている([[#テレビ・漫画・アニメ]]を参照。)。
== 歌謡曲 ==
 
[[布施明]]がこの湖を舞台とした『榛名湖の少女』(作詞:[[なかにし礼]] 作曲:[[平尾昌晃]] 編曲:[[森岡賢一郎]])を歌っている。
*[[群馬県道28号高崎東吾妻線]] - 高崎市中心部を起点とする。[[箕輪城|箕輪城跡]]を経て榛名山の東南山麓を[[大沢川 (高崎市箕郷町)|大沢川]](利根川水系[[烏川 (利根川水系)|烏川]]支流)に沿って登り、松之沢峠(標高約1130m)を越えて沼ノ原に至る。沼ノ原から榛名湖南岸までが県道33号との重複区間。湖の西岸から掃部ヶ岳と鬢櫛山のあいだで外輪山を越え、榛名山を北西にくだる。[[吾妻川]]と[[温川 (群馬県)|温川]]の合流点にある[[岩櫃城|岩櫃城跡]]付近で[[国道145号]]に合流する。
 
*[[群馬県道126号榛名山箕郷線]] - 路線としては榛名神社前を起点とする。ここから天神峠、榛名湖畔、沼ノ原までは県道33号との重複区間である。沼ノ原から分岐し、榛名山外輪山の天目山(1303m)と三ツ峰山(1316m)の鞍部を越え、車川(利根川水系[[烏川 (利根川水系)|烏川]]支流)沿いに東南へくだる。箕輪城付近で[[群馬県道26号高崎安中渋川線|県道26号]]に合流する。
 
;鉄道・索道
*[[榛名山ロープウェイ]] - 沼ノ原にある榛名高原駅(標高約1100m)と榛名富士山頂駅(標高約1360m)とを結ぶ。
*[[伊香保ケーブル鉄道]] - 伊香保温泉の新伊香保駅とヤセオネ峠の榛名山駅を結んでいた。1966年に廃止。
 
;船舶
*榛名湖遊覧船 - 湖畔から約20分で周遊する。運航時刻は不定で、乗客が集まると出航<ref name="白鳥丸"/>。
 
=== アクセス ===
*[[高崎駅]]([[東日本旅客鉄道|JR東日本]]・[[上信電鉄]])からバスで約90分<ref name="高崎市-山湖"/>。
*[[関越自動車道]][[高崎インターチェンジ|高崎IC]]から車で約60分<ref name="高崎市-山湖"/>。
*[[伊香保温泉]]からバスで約40分<ref name="渋川伊香保観光協会"/>
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{脚注ヘルプ}}
<references group="注"/>
{{Reflist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|colwidth=30em
|refs=
<!-- -->
*<ref name="menseki">{{Cite web|author=国土地理院|authorlink=国土地理院|date=2015-03-06|title=平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201410/kosyo.pdf|format=PDF|accessdate=2015-03-22}}</ref>
 
*<ref name="県_模式図">群馬県庁HP,県土整備部河川課,県内の一級河川一覧,{{PDFlink|[http://www.pref.gunma.jp/contents/000118353.pdf 水系模式図7 吾妻川]}},2017年8月15日閲覧。</ref>
 
*<ref name="河川大事典">『河川大事典』p807「榛名湖」</ref>
 
<!-- -->
*<ref name="榛名学-形成史">『なるほど榛名学』p11-24「榛名山の形成史」</ref>
*<ref name="榛名学-榛名湖">『なるほど榛名学』p23「榛名湖」</ref>
*<ref name="榛名学_右京">『なるほど榛名学』p115-118</ref>
*<ref name="榛名学_雨乞講">『なるほど榛名学』p45-46「雨乞講」</ref>
*<ref name="榛名学_伊香保ケーブル">『なるほど榛名学』p73-74「伊香保ケーブル鉄道線路跡」</ref>
*<ref name="榛名学_県立榛名公園">『なるほど榛名学』p89-92「県立榛名公園」</ref>
*<ref name="榛名学_伊香保姫">『なるほど榛名学』p121-122「伊香保姫」</ref>
*<ref name="榛名学_木部姫A">『なるほど榛名学』p123-124「木部姫伝説1」</ref>
*<ref name="榛名学_木部姫B">『なるほど榛名学』p125-126「木部姫伝説1」</ref>
*<ref name="榛名学_藤波姫">『なるほど榛名学』p126-127「藤波姫と腰元蟹」</ref>
*<ref name="榛名学_箱島湧水I">『なるほど榛名学』p81「箱島湧水」</ref>
*<ref name="榛名学_箱島湧水II">『なるほど榛名学』p127-128「箱島湧水の怪」</ref>
*<ref name="榛名学_戸田">『なるほど榛名学』p131-132「戸田のお水もらい」</ref>
*<ref name="榛名学_龍體院">『なるほど榛名学』p133「龍體院伝説」</ref>
*<ref name="榛名学_文芸">『なるほど榛名学』p147-161「榛名山・伊香保と文学・芸術」</ref>
*<ref name="榛名学_交通">『なるほど榛名学』p178-179「交通」</ref>
 
<!-- -->
*<ref name="平凡地名-榛名湖">『日本歴史地名大系10群馬県の地名』p349-350「榛名湖」</ref>
*<ref name="平凡地名-榛名山">『日本歴史地名大系10群馬県の地名』p348-349「榛名山」</ref>
*<ref name="平凡_沼尾川">『日本歴史地名大系10群馬県の地名』p451「沼尾川」</ref>
*<ref name="平凡_岡崎新田">『日本歴史地名大系10群馬県の地名』p169-170「岡崎新田村」</ref>
 
<!-- -->
*<ref name="角川地名-榛名湖">『角川日本地名大辞典10 群馬県』p787「榛名湖」</ref>
*<ref name="角川地名-県立公園">『角川日本地名大辞典10 群馬県』p787「榛名県立自然公園」</ref>
*<ref name="角川_岡崎">『角川日本地名大辞典10 群馬県』p224-225「岡崎」</ref>
 
<!-- -->
*<ref name="旧百科-榛名湖">『群馬県百科事典』p766-767「榛名湖」</ref>
*<ref name="旧百科-上毛三山">『群馬県百科事典』p483-484「上毛三山」</ref>
*<ref name="旧百科-木部姫伝説">『群馬県百科事典』p238「木部姫伝説」</ref>
 
*<ref name="新百科-榛名湖">『群馬新百科事典』p632「榛名湖」</ref>
*<ref name="新百科-榛名山">『群馬新百科事典』p633「榛名山」</ref>
*<ref name="新百科-榛名山地質">『群馬新百科事典』p633-634「榛名山(地質)」</ref>
*<ref name="新百科-榛名講">『群馬新百科事典』p632-633「榛名講」</ref>
*<ref name="新百科-榛名信仰">『群馬新百科事典』p635「榛名信仰」</ref>
*<ref name="新百科-榛名神社">『群馬新百科事典』p635-636「榛名神社」</ref>
*<ref name="新百科_長野堰">『群馬県新百科事典』p576「長野堰」</ref>
*<ref name="新百科_高原学校">『群馬県新百科事典』p633「榛名高原学校」</ref>
*<ref name="新百科_榛名公園">『群馬県新百科事典』p633「榛名公園」</ref>
*<ref name="新百科_榛名湖温泉">『群馬県新百科事典』p633「榛名湖温泉」「榛名湖温泉レークサイドゆうすげ」</ref>
*<ref name="新百科_榛名湖キャンプ">『群馬県新百科事典』p633「榛名湖オートキャンプ場」</ref>
*<ref name="新百科_植物">『群馬県新百科事典』p634-635「榛名山の植物」</ref>
*<ref name="新百科_動物">『群馬県新百科事典』p635「榛名山の動物」</ref>
 
<!-- -->
*<ref name="歴史散歩_77">『群馬県の歴史散歩』p77</ref>
*<ref name="群馬の川_長野堰">『群馬の川』p122-124「長野堰」</ref>
 
*<ref name="赤城神社-伝説">[[赤城神社 (前橋市富士見町赤城山)|赤城神社]]公式HP [http://akagijinja.jp/densetu/sintousyu.html 伝説 赤城大明神と上野国の神々「神道集」] 2017年8月12日閲覧。</ref>
*<ref name="水澤寺-伝説">[[水澤寺]]公式HP [http://mizusawakannon.or.jp/history/ 水澤寺の歴史・沿革] 2017年8月12日閲覧。</ref>
*<ref name="榛名神社-講">[[榛名神社]]公式HP [http://www.haruna.or.jp/?page_id=14 歴史 榛名講] 2017年8月14日閲覧。</ref>
*<ref name="生涯学習-高原学校">群馬県生涯学習センター まないねっとぐんま
[http://contents.manabi.pref.gunma.jp/gnkg01/pub/sheet.php?id=9940 自然に学ぶ、榛名高原学校] 2017年8月14日閲覧。</ref>
 
<!--火山関係 -->
*<ref name="GSI-研究史">産業技術総合研究所 詳細火山データ集 榛名火山
[https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/haruna/page2.html 研究史] 2017年8月14日閲覧。</ref>
*<ref name="地形用語">『図解 日本地形用語辞典 増訂版』,p40「火口原」「火口原」「火口湖」、p60「カルデラ」「カルデラ湖」</ref>
 
<!--みぬまおかみ神社 -->
*<ref name="東京新聞20130814">[[東京新聞]]TOKYO Web,2013年8月14日付, [http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2013/kaidan/list/CK2013081402000251.html 悲劇の身投げ…諸説今に 榛名湖(群馬県高崎市)],2017年8月15日閲覧。</ref>
*<ref name="コトバンク-蕨城">[[講談社]]『日本の城がわかる事典』 [https://kotobank.jp/word/蕨城-180419 蕨城(コトバンク版)],2017年8月15日閲覧。</ref>
*<ref name="現地石碑">御沼龗神社境内石碑「旧蕨城主渋川公夫妻奉替会」の碑文。</ref>
*<ref name="フジパン-腰元蟹">[[フジパン]]HP,民話の部屋,伝説にまつわる昔話,[http://minwa.fujipan.co.jp/area/gunma_009/ 『榛名湖の腰元蟹』],2017年8月15日閲覧。</ref>
*<ref name="県史27-790">『群馬県史 資料編27(民俗3)』,p790</ref>
*<ref name="名水">『群馬の名水をたずねて』,p12-14「箱島湧水」</ref>
 
<!--公園関係 -->
*<ref name="橋本1997">[[東京大学]]農学部演習林報告,98,25-97(1997),橋本善太郎,「{{PDFlink|[http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/22705/1/esrh098003.pdf わが国の都道府県自然公園制度の評価に関する研究]}}」,2017年8月15日閲覧。</ref>
*<ref name="県庁-公園">群馬県HP,環境森林部自然環境課,[http://www.pref.gunma.jp/01/e2310234.html 自然公園とは],2017年8月15日閲覧。</ref>
 
*<ref name="小温泉-榛名湖">『群馬の小さな温泉』,p82-87</ref>
*<ref name="山本小金沢-水質">土木学会第50回年次学術講演会(1995),山本好克・小金沢誠助,{{PDFlink|[http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/1995/50-2B/50-2B-1320.pdf 群馬県榛名湖の水質環境に関する歴史的考察]}},2017年8月16日閲覧。</ref>
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*<ref name="水質管理">高崎市役所 HP,[http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013122000030/ 榛名湖水質管理センター],2017年8月16日閲覧。</ref>
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*<ref name="水質H25-27">群馬県立渋川女子高等学校,{{PDFlink|[http://www.gmnh.pref.gunma.jp/wp-content/uploads/P24.pdf 榛名湖水質調査]}},2017年8月16日閲覧。</ref>
*<ref name="産経20150829">[[産経新聞]]・産経ニュース,2015年8月29日付,[http://www.sankei.com/region/news/150829/rgn1508290029-n1.html 赤城大沼、榛名湖のワカサギ、出荷自粛要請を解除 4年ぶり持ち帰り可能に 群馬],2017年8月16日閲覧。</ref>
*<ref name="バス釣り">『全国バス釣り場ガイド』,p96-97「榛名湖」</ref>
*<ref name="漁協">[http://www.gunfish.jp/kumisyo/harunasyo.htm 榛名湖漁業協同組合],2017年8月16日閲覧。</ref>
*<ref name="登山-相馬山">『分県登山ガイド09群馬県の山』,p98-99「相馬山」</ref>
*<ref name="はるとら">榛名湖リゾート・トライアスロンin群馬実行委員会事務局,2013年3月29日付,[http://harutra.jp/news_topics/20130329344.html 安全で綺麗な榛名湖をお楽しみに!榛名湖底清掃実施します。],2017年8月17日閲覧。</ref>
*<ref name="上毛新聞20170704">[[上毛新聞|上毛新聞ニュース]],2017年7月4日付,[http://www.jomo-news.co.jp/ns/3814991299905653/news.html 榛名湖底の緑化「予想超える」  鉄分供給材で水草増やす実験 ],2017年8月17日閲覧。</ref>
*<ref name="炭素繊維">『炭素繊維の最先端技術』,p258-259「藻場形成(榛名湖)」</ref>
 
*<ref name="環境省4回調査">[[環境省]][[自然環境局]],[[生物多様性センター]],[[自然環境保全基礎調査]],第4回調査(平成3年度),{{PDFlink|[http://www.biodic.go.jp/reports2/4th/kosho/4_kosho_allm.pdf 第4回基礎調査湖沼調査報告書(全国版)資料集]}},p52-「資料10 特定湖沼の魚類相」2017年8月18日閲覧。</ref>
 
<!-文芸関係 -->
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*『群馬県史 資料編27(民俗3)』,群馬県,1982
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*『万葉集の植物たち』,川原勝征/著,[[南方新社]],2008,ISBN 9784861241345
*『カラーブックス 竹久夢二』,細野正信/著,保育社,1972
*『全国バス釣り場ガイド』,地球丸,2000,ISBN 9784925020640
*『炭素繊維の最先端技術』,前田豊/監,CMC Publishing Co.,Ltd,2007,ISBN 9784882316725,[https://books.google.co.jp/books?id=H2_DRtveRjMC GoogleBooks版]
 
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Lake Haruna}}
* [[榛名山]] - 榛名湖 - [[沼尾川 (榛名山)]] - [[榛名神社]] - [[伊香保温泉]]・[[榛名湖温泉]]
* [[赤城山]] -[[大沼 (赤城山)]]・[[覚満淵]]・[[小沼 (赤城山)]] - [[沼尾川 (赤城山)]] - [[赤城神社]] - [[赤城温泉郷]]
* [[群馬県]] - [[伊香保町]](廃止) - [[榛名町]](廃止) - [[高崎市]][[榛名湖町]] - [[吾妻郡]][[東吾妻町]]
* [[日本の湖沼一覧]]
* [[榛名湖温泉]]
* [[榛名山]]
* [[カルデラの一覧 (日本)]]
* [[頭文字D]] - 秋名山(=榛名山)同様、ドラマ的なシーンで「秋名湖」として度々登場する。
 
== 外部リンク ==
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[[Category:関東地方の湖]]