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|最終出場 = 2001年4月14日
|年俸 =
|経歴 = <nowiki></nowiki>
* [[広陵高等学校 (広島県)|広陵高等学校]]
* [[寒川高等学校 (私立)|寒川高等学校]]
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'''西村 龍次'''(にしむら たつじ、[[1968年]][[7月18日]] - )は、[[広島県]][[呉市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。
 
== ・人物 ==
=== プロ入り前 ===
[[広陵高等学校 (広島県)|広陵高校]]では[[金本知憲]]と同期だったが、野球部の厳しい縦関係に耐え切れず1年の1学期で[[香川県]]の[[寒川高等学校 (私立)|寒川高校]](野球部の3年後輩に[[ココリコ]]の[[遠藤章造]]がいる)に転校。[[ヤマハ硬式野球部|ヤマハ]]を経てや{{by|1987年}}・{{by|1989年}}[[IBAFインターコンチネンタルカップ]][[野球日本代表]]、[[1989年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1989年度ドラフト会議]]にて[[野茂英雄]]外した[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]から1位指名を受けて入団。
 
=== ヤクルト時代 ===
150km/h近い速球を中心にバッターの内角を突く度胸満点の投球で1年目から二桁勝利を挙げる。{{by|1992年}}、初開幕投手に抜擢され勝利で飾る。[[岡林洋一]]と共にエー怖いもの知らずのピッチングタイルから「知らずの龍(タツ)」してリグ優勝に貢献したが、シムメズン終盤に怪我で離脱しトから呼ばれていた。日本シリただ、このニックネズで痛み止め「世間知らず」「礼儀知らず」と注射を打揶揄も入てブルペンでの投球練習をしていたものの登板はなかった模様
 
{{by|1992年}}、初の開幕投手に抜擢され見事勝利で飾る。[[岡林洋一]]と共にエース格としてリーグ優勝に貢献したがシーズン終盤に怪我で離脱し、[[1992年の日本シリーズ]]の登板はなかった。
{{by|1993年}}、二年連続開幕投手を担当したがシーズン序盤中々勝てず、初勝利は5月19日ヤクルト対広島6回戦(神宮球場)での1試合両軍合計33得点、2リーグ制以降の最高記録になった試合のリリーフ登板での勝利だった。その後シーズンでは先発ローテーションを維持し11勝をあげルーキーから4年連続二桁勝利を達成。リーグ2連覇に貢献。自身も前年登板できなかった日本シリーズ登板を成し遂げ、チームも日本一を達成した。
 
{{by|1993年}}、二年連続開幕投手を担当したがシーズン序盤中々勝てず、初勝利は5月19日ヤクルト×広島6回戦(神宮球場)での1試合両軍合計33得点、2リーグ制以降の最高記録になった試合のリリーフ登板での勝利だった。その後シーズンでは先発ローテーションを維持し11勝をあげルーキーから4年連続二桁勝利を達成。リーグ2連覇に貢献。自身も前年登板チームがマジック1きなかっ迎え10月15日広島25回戦(神宮球場)で先発し9回表2死で金本を内野フライに抑え一塁手[[広沢克己]]がキャッチし1失点完投勝利、[[1993年の日本シリーズ]]でポストシーズン初登板を成し遂げ経験、チームも見事日本一を達成した。
{{by|1994年}}5月11日の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦で7回表、巨人の[[ダン・グラッデン]]への内角球が原因で乱闘騒ぎが発生した。この試合では序盤に西村が巨人の[[村田真一]]の頭部に死球を与え村田を負傷退場へと追いやってしまう。続いて報復で今度は巨人の[[木田優夫]]が打席に立った西村の尻に死球を与えていた。この乱闘でバッテリーを組んでいた[[中西親志]]はグラッデンと本塁上で殴り合い、両者負傷した上暴力行為で退場。西村は[[危険球#危険球|危険投球]]で退場処分を受ける。この試合をきっかけにその後危険球の規定が改められている<ref>{{cite book|title=キャッチャーという人生|publisher=講談社|author=赤坂英一|year=2009|isbn=9784062157353}}</ref>。西村とグラッデンは罰金10万円と10日間の出場停止処分を受ける。それ以降、シュートはなりを潜め、この頃から入団からの登板過多により度々故障離脱するようになった。結局この年6勝に終わり、入団以来続いた二桁勝利が途切れ、規定投球回もクリアできなかった。
 
{{by|1994年}}5月11日の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦で7回表、巨人の[[ダン・グラッデン]]への内角球が原因で乱闘騒ぎが発生した。この試合では序盤に西村が巨人の[[村田真一]]の頭部に死球を与え村田を負傷退場へと追いやってしまう。続いて明らかな報復で今度は巨人の[[木田優夫]]が打席に立った西村の左腰付近に死球を与え、両チームに険悪な雰囲気が漂っていた。この乱闘でバッテリーを組んでいた[[中西親志]]はグラッデンと本塁上で殴り合い両者負傷した上暴力行為で退場。西村は[[危険球#危険球|危険投球]]で退場処分を受ける。この試合をきっかけにその後危険球の規定が改められている<ref>{{cite book|title=キャッチャーという人生|publisher=講談社|author=赤坂英一|year=2009|isbn=9784062157353}}</ref>。西村とグラッデンは罰金10万円と10日間の出場停止処分を受ける。それ以降、伝家の宝刀シュートはなりを潜めこの頃から入団からの登板過多により度々故障離脱するようになった。り、結局この年6勝に終わり、入団以来続いた二桁勝利が途切れ、規定投球回もクリアできなかった。
バッティングは非常に苦手で、ヤクルト時代の監督[[野村克也]]は「一番悩ませてくれましたよ」と語っている。
 
=== 近鉄時代 ===
翌{{by|1995年}}の開幕直前、[[指名打者]]制のあるパ・リーグ向きとの判断により、[[吉井理人]]との交換トレードで[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]へ移籍。入団当初から打撃が苦手だった事もあり、球団・首脳陣から[[指名打者]]制のあるパ・リーグ向きと判断されたものだった。しかしこの年の[[阪神・淡路大震災]]の影響もあって十分な調整ができなかったことから結果を残せず、わずか5勝に終わる。翌年はプロ初の未勝利。{{by|1997年}}はついにプロ入り初の一軍登板なし、二軍でも1試合の登板に終わり、オフに自由契約となった。
 
=== ダイエクス時代 ===
{{by|1998年}}に[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]にテスト入団。先発ローテーションに定着し、10勝を挙げ[[カムバック賞 (日本プロ野球)|カムバック賞]]を受賞。[[日米野球]]・全日本軍で出場
 
{{by|1999年}}、前年の活躍もあり開幕投手に抜擢。中盤以降ケガで戦線離脱したが、チームは初のリーグ優勝・日本一に輝く。
 
{{by|2000年}}、ヤクルト時代の1992年、1993年、ダイエクス時代の1999年に開幕投手を担当した全ての年でチームがリーグ優勝3回、日本一2回を達成しているジンクスを買われ2年連続通算4度目の開幕投手を担当。その後はしかし慢性的な怪我の影響もあり、この年は開幕投手のみの登板でシーズンを終了した。しかしチームは見事2年連続リーグ優勝を達成した。[[1999年の日本シリーズ]]・[[2000年の日本シリーズ]]は登板機会皆無
 
{{by|2001年}}、もはやジンクスだからと言わんばかりの、3年連続通算5度目の開幕投手を担当。その後ローテーションの谷間で1試合登板したが、前年と同様にからの3試合は怪我の影響思うような調整もできず西村の本来の投球はできずじまいであった。この年チームはリーグ優勝を逃し、西村たことあり、この年限りで[[現役引退した]]
 
=== 引退後 ===
[[九州朝日放送]]の[[野球解説者]]に就任。『[[スーパーベースボール (テレビ朝日系列)|スーパーベースボール]]』では[[テレビ朝日]]制作の[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦を中心に球種解説として活躍していたが、2000年代後半からはほぼKBCでの解説のみとなっている。その傍ら、2016年まで[[福岡市]][[博多区]]でレストランバー「COUNT」も経営してい
 
[[2007年]]には、NPO法人「ふくろうの森<ref>[http://www.fukurou-mori.com ふくろうの森]{{リンク切れ|date=2017-09-30}}</ref>」を設立するとともに、理事長に就任。定期的に野球教室などを開催し、子供たちの「夢」や「希望」を育てる活動にも尽力している。
 
== 詳細情報 ==
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=== 記録 ===
; 初記録
*初登板・初勝利:1990年4月10日、対[[中日ドラゴンズ]]1回戦([[明治神宮野球場]])、7回表に2番手で救援登板・完了、3回2失点
*初セーブ:1990年4月14日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋ホエールズ]]1回戦([[横浜スタジアム]])、9回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
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*初先発勝利・初完投勝利:1990年5月13日、対阪神タイガース7回戦([[長崎市営大橋球場]])、9回5失点
*初完封勝利:1990年7月29日、対横浜大洋ホエールズ16回戦(明治神宮野球場)
; その他の記録
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:2回 (1991年、1998年)
 
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* [[スーパーベースボール (テレビ朝日系列)|スーパーベースボール]]
* [[KBCホークスナイター]]
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
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* [[大阪近鉄バファローズの選手一覧]]
* [[福岡ソフトバンクホークスの選手一覧]]
 
== 外部リンク ==
{{BASEBALLstats |brjpn=nishim001tat}}
 
{{Navboxes|title=業績
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[[Category:福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手]]
[[Category:カムバック賞(NPB)]]
[[Category:NPBオールスターゲーム選出選手]]
[[Category:野球解説者]]
[[Category:日本の実業家]]