西村龍次

西村 龍次(にしむら たつじ、1968年7月18日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手投手)。

西村 龍次
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県呉市
生年月日 (1968-07-18) 1968年7月18日(49歳)
身長
体重
182 cm
94 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1989年 ドラフト1位
初出場 1990年4月10日
最終出場 2001年4月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

経歴編集

プロ入り前編集

広陵高校では金本知憲と同期だったが、野球部の厳しい縦関係に耐え切れず1年の1学期で香川県寒川高校(野球部の3年後輩にココリコ遠藤章造がいる)に転校。ヤマハを経て、1989年度ドラフト会議にてヤクルトスワローズから1位指名を受けて入団。

ヤクルト時代編集

150km/h近い速球を中心にバッターの内角を突く投球で1年目から二桁勝利を挙げる。1992年、初の開幕投手に抜擢され勝利で飾る。岡林洋一と共にエース格としてリーグ優勝に貢献したが、シーズン終盤に怪我で離脱した。日本シリーズでは痛み止めの注射を打ってブルペンでの投球練習をしていたものの登板はなかった。

1993年、二年連続開幕投手を担当したがシーズン序盤中々勝てず、初勝利は5月19日ヤクルト対広島6回戦(神宮球場)での1試合両軍合計33得点、2リーグ制以降の最高記録になった試合のリリーフ登板での勝利だった。その後シーズンでは先発ローテーションを維持し11勝をあげルーキーから4年連続二桁勝利を達成。リーグ2連覇に貢献。自身も前年登板できなかった日本シリーズ登板を成し遂げ、チームも日本一を達成した。

1994年5月11日の対巨人戦で7回表、巨人のダン・グラッデンへの内角球が原因で乱闘騒ぎが発生した。この試合では序盤に西村が巨人の村田真一の頭部に死球を与え村田を負傷退場へと追いやってしまう。続いて報復で今度は巨人の木田優夫が打席に立った西村の尻に死球を与えていた。この乱闘でバッテリーを組んでいた中西親志はグラッデンと本塁上で殴り合い、両者負傷した上暴力行為で退場。西村は危険投球で退場処分を受ける。この試合をきっかけにその後危険球の規定が改められている[1]。西村とグラッデンは罰金10万円と10日間の出場停止処分を受ける。それ以降、シュートはなりを潜め、この頃から入団からの登板過多により度々故障離脱するようになった。結局この年6勝に終わり、入団以来続いた二桁勝利が途切れ、規定投球回もクリアできなかった。

近鉄時代編集

1995年の開幕直前、吉井理人との交換トレードで近鉄バファローズへ移籍。入団当初から打撃が苦手だった事もあり、球団・首脳陣から指名打者制のあるパ・リーグ向きと判断されたものだった。しかしこの年の阪神・淡路大震災の影響もあって十分な調整ができなかったことから結果を残せず、5勝に終わる。翌年はプロ初の未勝利。1997年はプロ入り初の一軍登板なし、二軍でも1試合の登板に終わり、オフに自由契約となった。

ダイエー時代編集

1998年福岡ダイエーホークスにテスト入団。先発ローテーションに定着し、10勝を挙げカムバック賞を受賞。

1999年、前年の活躍もあり開幕投手に抜擢。中盤以降ケガで戦線離脱したが、チームは初のリーグ優勝・日本一に輝く。

2000年、ヤクルト時代の1992年、1993年、ダイエー時代の1999年に開幕投手を担当した全ての年でチームがリーグ優勝3回、日本一2回を達成しているジンクスを買われ2年連続通算4度目の開幕投手を担当。その後は慢性的な怪我の影響もあり、この年は開幕投手のみの登板でシーズンを終了した。しかしチームは2年連続リーグ優勝を達成した。

2001年、3年連続通算5度目の開幕投手を担当。その後ローテーションの谷間で1試合登板したが、前年と同様に怪我の影響で本来の投球はできずじまいであった。この年チームはリーグ優勝を逃し、西村も現役を引退した。

引退後編集

九州朝日放送野球解説者に就任。『スーパーベースボール』ではテレビ朝日制作の巨人戦を中心に球種解説として活躍していた。2000年代後半からはほぼKBCでの解説のみとなっている。その傍ら、2016年まで福岡市でレストランバーも経営していた。

2007年には、NPO法人「ふくろうの森[2]」を設立するとともに、理事長に就任。定期的に野球教室などを開催し、子供たちの「夢」や「希望」を育てる活動にも尽力している。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1990 ヤクルト 31 25 7 2 0 10 7 1 -- .588 760 177.1 191 23 53 4 6 132 4 1 88 80 4.06 1.38
1991 30 29 15 6 4 15 8 0 -- .652 934 228.1 202 17 73 4 7 134 8 0 74 71 2.80 1.20
1992 31 27 9 2 2 14 13 0 -- .519 867 200.2 199 17 77 3 6 124 12 0 94 88 3.95 1.38
1993 26 23 2 0 0 11 6 1 -- .647 646 154.2 148 14 42 3 5 98 7 1 71 64 3.72 1.23
1994 22 19 3 1 0 6 9 0 -- .400 527 124.1 116 14 53 2 6 72 3 0 52 47 3.40 1.36
1995 近鉄 22 20 4 0 0 5 9 0 -- .357 498 113.2 115 9 60 1 3 45 3 0 66 59 4.67 1.54
1996 4 3 0 0 0 0 1 0 -- .000 61 13.0 16 0 8 0 0 6 1 0 11 11 7.62 1.85
1998 ダイエー 25 24 3 0 0 10 10 0 -- .500 670 152.2 163 18 60 3 4 69 10 3 72 57 3.36 1.46
1999 11 11 0 0 0 4 3 0 -- .571 252 58.0 58 8 21 1 1 34 6 0 33 28 4.34 1.36
2000 1 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 19 4.0 5 1 4 0 1 2 0 0 4 4 9.00 2.25
2001 2 2 0 0 0 0 2 0 -- .000 35 7.1 12 2 2 0 0 3 0 0 7 7 8.59 1.91
通算:11年 205 184 43 11 6 75 68 2 -- .524 5269 1234.0 1225 123 453 21 39 719 54 5 572 516 3.76 1.36
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰編集

記録編集

初記録
  • 初登板・初勝利:1990年4月10日、対中日ドラゴンズ1回戦(明治神宮野球場)、7回表に2番手で救援登板・完了、3回2失点
  • 初セーブ:1990年4月14日、対横浜大洋ホエールズ1回戦(横浜スタジアム)、9回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初先発:1990年4月18日、対阪神タイガース1回戦(明治神宮野球場)、3回0/3を3失点で敗戦投手
  • 初奪三振:同上、1回表に和田豊から
  • 初先発勝利・初完投勝利:1990年5月13日、対阪神タイガース7回戦(長崎市営大橋球場)、9回5失点
  • 初完封勝利:1990年7月29日、対横浜大洋ホエールズ16回戦(明治神宮野球場)
その他の記録

背番号編集

  • 29 (1990年 - 1994年)
  • 21 (1995年 - 1997年)
  • 38 (1998年 - 2001年)

関連情報編集

脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ 赤坂英一 (2009). キャッチャーという人生. 講談社. ISBN 9784062157353. 
  2. ^ ふくろうの森[リンク切れ]

関連項目編集

外部リンク編集