「将棋の段級」の版間の差分

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*理事会審議による特別昇段、フリークラス規定・引退棋士規定による昇段、特別記念や物故者への追贈等による昇段の場合は、日本将棋連盟が昇段日として発表した日付をもっての昇段となる。
 
=== 段と段 ===
将棋界では「十段」という段位伝統的にない。また、1954年(昭和29年)までは、「八段」が最高段位であり、「九段」という「十位も公式には存在しなかった。
ただし、九段は名人だけの特別の段位(いわば「名人=九段」)であり、普段は「名人」と呼ぶからこそ、あえて「九段」という段位を持ち出す必要がないに過ぎないという認識が存在していた形跡がある。
ただし、例えば1902年(明治35年)に時の名人であった[[小野五平]]が作成した、相撲の番付を模した「将棋有名鑑」に「取締 京橋築地 日本西洋将棋指南 '''九段''' 名人 小野五平」と記載されている例があり<ref>{{Harvnb|東|1998|p=11|loc=図版「将棋有名鑑(明治35年)」}}</ref>、「名人=九段」という認識が非公式に存在した形跡がある
 
一方、1950年 - 1961年には、「[[十段戦 (将棋)|九段戦]]」(タイトル戦)行わ設けられ、その優勝者(タイトル獲得者は、段位ではなく、名人に次ぐ「'''タイトル称号'''としての九段'''が与えられた。その後、'''段位'''るこしての「九段」が創設されになった。
ただし、1902年(明治35年)に時の名人であった[[小野五平]]が作成した、相撲の番付を模した「将棋有名鑑」に「取締 京橋築地 日本西洋将棋指南 '''九段''' 名人 小野五平」と記載されている例があり<ref>{{Harvnb|東|1998|p=11|loc=図版「将棋有名鑑(明治35年)」}}</ref>、「名人=九段」という認識が非公式に存在した形跡がある。
その後、1958年に「'''段位としての九段'''」への昇段規定が定められ、[[大山康晴]]と[[升田幸三]]が九段に昇段している。
しかし、「タイトルとしての九段」と「段位としての九段」は、前者は失冠すれば名乗れなくなるが後者は永久に名乗れるという実際上の違いがあるにすぎず、明確に区別されるものではなかったようである。
実際に、「タイトルとしての九段」を三連覇すると「永世称号としての永世九段」が与えられるが、永久に名乗れるか否かという区別が失われることから、「永世称号としての永世九段」と「段位としての九段」とは、ほぼ完全に同一視されていた。
 
'''1954年に九位'''とのタイトルを3連覇して永世称号「九段」の創設資格を得た[[塚田正夫]]について、清水孝晏{{Refnest|group="注釈"|清水孝晏は、1974年(昭和49年)に「[[将棋世界]]」の編集長を務めていた人<ref>{{Cite journal ja-jp|author=[[鈴木輝彦]]|year=|title=イメージと読みの将棋観・II-テーマ2-大山康晴十五世名人の油断|journal= 将棋世界|serial=2017年10月号|publisher=日本将棋連盟|naid=|pages=127-1291}}</ref>。}}、[[大山康晴]]、[[青野照市]]がそれぞれ著書で次のように述べている。
一方で、1950年 - 1961年に「[[十段戦 (将棋)|九段戦]]」(タイトル戦)が行われ、その優勝者(タイトル獲得者)に'''タイトル称号'''としての「九段」位が与えられた。その後、'''段位'''としての「九段」が創設された。
 
'''段位'''としての「九段」の創設については、清水孝晏{{Refnest|group="注釈"|清水孝晏は、1974年(昭和49年)に「[[将棋世界]]」の編集長を務めていた人<ref>{{Cite journal ja-jp|author=[[鈴木輝彦]]|year=|title=イメージと読みの将棋観・II-テーマ2-大山康晴十五世名人の油断|journal= 将棋世界|serial=2017年10月号|publisher=日本将棋連盟|naid=|pages=127-1291}}</ref>。}}、[[大山康晴]]、[[青野照市]]がそれぞれ著書で述べている。
 
{{Quotation|[[塚田正夫|塚田]]は、ここを防衛すればタイトル三期獲得となり「永世九段」の称号を許されるということで燃えたのか二連勝のあと、昭和二十九年十一月二十七日、東京・本郷の「竜岡」で行われた第三局にも勝ち、三連勝で「実力九段」第1号となった。|清水孝晏|<ref>{{Harvnb|加藤|1987|p=126-127|loc=第6章-兄弟弟子の死闘-概説(筆者:清水孝晏)}}</ref>}}
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{{Quotation|九段は元来、昭和20年代にあった九段戦で4期優勝した故・[[塚田正夫]]九段と、名人位を失冠して元の八段ではということで、名人2期の故・[[升田幸三]]九段に授与された2人だけの段位であった。|青野照市|<ref>{{Harvnb|青野|2016|pp=110-111|loc=棋士の段位はどうやって決める?}}</ref>}}
 
三者の述べることは微妙一見すると相互異なっ矛盾しているが、
 
* 1954年(昭和29年)11月27日に、九段(タイトル)3期獲得により、塚田正夫が九段(段位)となった。
* 19581954年(昭和3329)11月27日に、九段のタイトルを3期連続で獲得したことにより、塚田正夫が「永世称号としての永世九段」の資格を得た。当大山棋士認識では「永世称号としての九段」「段位としての九段」は同一視されていたため、塚田の段位は九段であると認識されていた。
* 1958年(昭和33年)4月17日に連盟の規約改正により、大山康晴と升田幸三の2人「段位としての九段」に昇した。ただし、升田は名人の地)となりにあったため名人失冠まで免状の発行が留保された。大山は「塚田の永世称号としての九段の資格」と「自身の段位としての九段の資格」3名同一の資格と認識していたため、自身は2人目の九段だった。
* 1958年(昭和33年)4月17日に、連盟の規約改正により、大山康晴と升田幸三の2人が「段位としての九段」となった。しかし、大山はその後もタイトルを保持し続けたため、九段を名乗ることはなかった。一方の升田は翌1959年にタイトルを失い無冠となったことから塚田に続いて「九段」を名乗る2人目の棋士となった。
と解釈できる。
 
と整合的に解釈できる{{Refnest|group="注釈"|なお、日本将棋連盟公式サイトでは、1975年(昭和50年)11月3日に塚田正夫が[[褒章#紫綬褒章|紫綬褒章]]を受章した時点での、塚田の氏名表記を「塚田正夫九段」としている<ref>{{cite web|url=https://www.shogi.or.jp/news/2017/11/post_1609.html|title=森内俊之九段に紫綬褒章|accessdate=2017-11-02|date=2017-11-02|publisher=[[日本将棋連盟]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171102113942/https://www.shogi.or.jp/news/2017/11/post_1609.html|archivedate=2017-11-02}}</ref>{{Refnest|group="注釈"|。また、塚田正夫は1977年(昭和52年)に死去した直後に「名誉十段」を追贈され、1989年に「実力制第二代名人」を追贈されている。2017年現在、日本将棋連盟公式サイトでの塚田正夫の氏名表記は「名誉十段 塚田正夫」である。<ref>{{cite web|url=https://www.shogi.or.jp/player/pro/11.html|title=棋士データベース 名誉十段 塚田正夫|publisher=[[日本将棋連盟]]|accessdate=2017-11-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171102115227/https://www.shogi.or.jp/player/pro/11.html|archivedate=2017-11-02}}</ref>}}。
 
また、大山康晴は1960年に九段戦三連覇を果たし、「永世称号としての永世九段」の条件を満たすが、すでにほぼ同一の資格である「段位としての九段」に昇段していたため、新たに永世称号を獲得したものとはみなされなかった。
''[[#現役で九段昇段した棋士の一覧|現役で九段昇段した棋士の一覧]]'' も参照。
 
このように、当時の棋士・連盟は、「段位としての九段「タイトルとしての九段戦の制度区別に敏感ではなかったが、これらが混在することにより、例えば1958年度から1961年度まで大山九段(九段(タイトルしての大山九段(段位)を共に保持)への挑戦権を争う顔ぶれの中に塚田九段升田九段が含まれる事態いう見る者にとって非常に分かりにくい状況にあった。
 
そこで、1962年度から九段戦「[[十段戦 (将棋)|十段戦]]」に移行し、タイトル称号は「九段」から「十段」に改まったことにより、上記の事態は解消さめられた。
 
1988年度から、十段戦が発展解消されて[[竜王戦]]となり、「十段」の称号はなくなった。ただし、十段のタイトルを多数回獲得した者に「永世十段」の称号が与えられ、大山康晴と[[中原誠]]の2名がその該当者となった。また、九段のタイトルを多数回獲得した塚田正夫には、没後に「名誉十段」の称号が追贈された。
 
なお、棋士永世九段の有資格者はないが、名人400年を記念ある塚田正夫に対して日本将棋連盟が[[徳川家康]]没後「名誉十段」の称号が追っているされた
また、棋士ではないが、名人400年を記念して、日本将棋連盟が[[徳川家康]]に十段を贈っている。
 
== 奨励会 ==