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将棋の段級(しょうぎのだんきゅう)では、将棋における段級位制の概要について述べる。

将棋の段級には3つの体系があり、それは、棋士の段位(新進棋士奨励会の段級も含む)の体系、女流棋士の段級の体系、および、アマチュアの段級の体系である。

目次

段級位の確立編集

歴史的には、将棋の段級位制の確立は囲碁よりかなり遅く、18世紀になった享保2年(1717年)に、『将棊図彙考鑑』に段位の記載がされてからである[1][2]。それ以前は免状に、名人に対しての手合割を記載していた[3]

また、棋力を示すものとして、段級のほかにレーティングという概念がある[注釈 1]が、プロの将棋では昭和初期に、公式のレーティングシステムとして比例得点制度が採用されたことがある。さらに、順位戦でのクラスも、棋力を示す指標とみなされることがある[4]

段位の読み編集

段級位制は様々な分野で用いられる制度であるが、口頭での読み方には違いが見られる。

将棋界では、「九段」「四段」の読みとして、それぞれ「くだん」「よだん」が普通である(将棋以外の分野では「きゅうだん」「よんだん」と読むこともある)。ただし、「七段」の読みとしては「ななだん」と「しちだん」が混在している[注釈 2]

棋士編集

棋士(プロ)の段位は四段から九段までである。三段以下は新進棋士奨励会(奨励会)の段級位となっている。奨励会の段級位と棋士の段級位は連続しており、奨励会の三段から四段に昇段することでプロ棋士となる。

(例外的にアマチュアや女流棋士から直接四段の棋士になる道もある。これについては、「棋士 (将棋)」を参照。)

なお、四段の棋士になった後は、降段することがない。

棋士の肩書編集

プロ棋士にとっては、段位は肩書でもある。ただしタイトル保持者はタイトルが優先され、竜王と名人についてはさらに優先される [注釈 3]

現役棋士の場合、優先順位は以下の通り。

  1. 竜王・名人(竜王と名人を共に保持している場合)
  2. ○○(竜王もしくは名人)(竜王と名人のうちいずれか片方のみ保持している場合)
  3. ○(保持タイトル数)冠(竜王と名人を除くタイトルを、2つ以上保持している場合[6]
  4. ○○(タイトル名)(竜王と名人を除くタイトルを、1つだけ保持している場合)
  5. 永世称号(日本将棋連盟により現役中の呼称を認められた者、あるいは現役で満60歳を迎えた名誉王座[7]のみ)
  6. 段位

引退棋士と物故棋士は、(1)永世称号、(2)日本将棋連盟から贈られた称号、(3)段位、の優先順位に基づいて呼称される。永世名人の他に複数の永世称号を有している大山康晴中原誠は、それぞれ「大山康晴十五世名人」「中原誠十六世名人」と永世名人の称号が優先されている[注釈 4]

かつては、竜王や名人を失冠して無冠となった棋士は1年間「前竜王・前名人」「前竜王」「前名人」の称号を名乗ることができ、上記の4と5の間に該当した。

アマチュア選手がプロ公式戦に参加する場合、日本将棋連盟では「●●アマ」と一律に呼称し、アマ段位は付さない[9]

棋士の昇段規定編集

現役棋士の昇段は、この表の規定を基本としている(日本将棋連盟公式サイトに詳細な解説あり[10][11])。

昇段 名人戦順位戦
の規定
竜王戦の規定 その他のタイトル棋戦
の規定
一般棋戦
の規定
勝数規定
五段へ C級1組昇級 竜王ランキング戦
連続昇級
[注釈 5][注釈 6]
または
通算3回優勝
(1つだけ昇段)
[注釈 7]
タイトル挑戦
(1つだけ昇段)
[注釈 8][注釈 9][注釈 10]
全棋士参加
棋戦優勝
(1つだけ昇段)
[注釈 11]
公式戦100勝
六段へ B級2組昇級 2組昇級 五段昇段後
公式戦120勝
七段へ B級1組昇級 竜王挑戦
1組昇級
タイトル1期獲得
[注釈 9]
六段昇段後
公式戦150勝
八段へ A級昇級 竜王位1期獲得 タイトル2期獲得[12] 七段昇段後
公式戦190勝
九段へ 名人位1期獲得 竜王位2期獲得 タイトル3期獲得
[注釈 12][注釈 13][注釈 14]
八段昇段後
公式戦250勝

昇段は基本的に1段ごと、かつ、1年に1回以内であったが、2006年度から竜王戦の規定での昇段のみ、飛付き昇段と1年以内の2度以上の昇段が認められるようになった[注釈 15]

<竜王戦の規定により昇段となる例>
  • 四段の棋士が6組から5組に昇級し、その半年後に竜王戦以外の規定で五段昇段し、さらにその半年後に4組に昇級した場合、五段昇段から1年を経ていないが、竜王戦連続2回昇級により六段に昇段する[注釈 16]
  • 3組在籍の四段が2組に昇級すると、六段に飛付き昇段する。
  • 四段または五段が竜王挑戦を決めると、七段に飛付き昇段する。

2009年度からは、順位戦の昇級に伴う昇段や、全棋士参加棋戦優勝による昇段、タイトル挑戦・獲得関連の昇段についても同様に、昇段規定を満たした時点での昇段となり、「1年に1段位」という制限はなくなり、タイトル獲得による飛付き昇段も可能になった[14][注釈 9][注釈 17]

2018年6月1日、八段への昇段規定に「(竜王・名人以外の)タイトル獲得2期」が加えられた[12]

<タイトル挑戦・獲得関連の規定で昇段となる例>
  • 四段の棋士が、「竜王以外のタイトル[注釈 8]」への挑戦を決めると、五段に昇段する。さらにタイトルを獲得すると七段に飛付き昇段する[14][注釈 18]

上記以外にも、

  • 抜群の成績による特別昇段(理事会審議)
  • フリークラス棋士の昇段規定(年数などを加味して昇段)による昇段
    • 田丸昇のブログにおける解説によれば、フリークラス規定に基づく八段から九段への昇段は、八段昇段後20年経過していることが前提条件とされている[15]。ただし、フリークラス転出前の年数は実年数ではなく、直近の昇段後フリークラス転出までの勝利数を『1年=10勝』として年数に換算して、フリークラス在籍年数との累積が「20年」となった時点で昇段となる[15]
  • 引退棋士の昇段規定による昇段 (つまり、引退後でも昇段することがある)

などがある[10]

名誉的な昇段編集

八段で引退した棋士に(「九段」ではなく)「名誉九段」が贈られた例があり、金易二郎渡辺東一加藤治郎高柳敏夫佐瀬勇次の5名に対し、いずれも生前に贈られている[16]

八段以下の棋士が死去した場合、追悼の意味で昇段させることがある。八段まで昇段して現役のまま死去した山田道美板谷進村山聖真部一男の4名は、いずれも九段を追贈された。この場合、名誉九段ではなく「九段」である。ただし、昇段規定を満たしての九段と区別するため、「追贈九段」もしくは「九段(追贈)」と表記されることもある。最近の事例(2018年現在)としては、2016年12月25日に現役のまま死去した伊藤能六段が七段を追贈された例、2015年1月30日に死去した河口俊彦七段(2002年に引退)が八段を追贈された例がある。

昇段の日付編集

  • 順位戦昇級による昇段は、原則として規定のクラスへの昇級を決めた対局日が昇段の日付となる[注釈 19]。なお、順位戦のシステム上、同クラスに所属する他の棋士の敗戦によって昇級が決まる場合もあるため、結果として対局が組まれない日や敗戦した日が昇段日となる場合もある。
  • 竜王ランキング戦昇級・優勝や竜王挑戦による昇段は、規定の昇級・優勝・挑戦を決めた対局日が昇段の日付となる[注釈 20]
  • 勝数規定での昇段は、規定の勝数を達成した対局日が昇段の日付となる[注釈 21]
  • 棋戦優勝およびタイトル挑戦・獲得関連の昇段は、規定の棋戦優勝またはタイトル挑戦・獲得を決めた対局日が昇段の日付となる[注釈 21][注釈 22]
  • 理事会審議による特別昇段、フリークラス規定・引退棋士規定による昇段、特別記念や物故者への追贈等による昇段の場合は、日本将棋連盟が昇段日として発表した日付をもっての昇段となる。

九段と十段編集

将棋界では伝統的には「八段」が最高段位であり、「九段」「十段」は存在しなかった。 ただし、九段は名人だけの特別の段位(いわば「名人=九段」)であり、普段は「名人」と呼ぶからこそ、あえて「九段」という段位を持ち出す必要がないに過ぎないという認識が存在していた形跡がある。 例えば1902年(明治35年)に時の名人であった小野五平が作成した、相撲の番付を模した「将棋有名鑑」には「取締 京橋築地 日本西洋将棋指南 九段 名人 小野五平」と記載されている[17]

一方、1950年には、「九段戦」が設けられ、タイトル獲得者には、段位ではなく、名人に次ぐ「タイトルとしての九段」が与えられることになった。 その後、1958年に「段位としての九段」への昇段規定が定められ、大山康晴升田幸三が九段に昇段している。 しかし、「タイトルとしての九段」と「段位としての九段」は、前者は失冠すれば名乗れなくなるが後者は永久に名乗れるという実際上の違いがあるにすぎず、明確に区別されるものではなかったようである。 実際に、「タイトルとしての九段」を三連覇すると「永世称号としての永世九段」が与えられるが、永久に名乗れるか否かという区別が失われることから、「永世称号としての永世九段」と「段位としての九段」とは、ほぼ完全に同一視されていた。

1954年に九段のタイトルを3連覇して永世称号の資格を得た塚田正夫について、清水孝晏[注釈 23]大山康晴青野照市がそれぞれ著書で次のように述べている。

塚田は、ここを防衛すればタイトル三期獲得となり「永世九段」の称号を許されるということで燃えたのか二連勝のあと、昭和二十九年十一月二十七日、東京・本郷の「竜岡」で行われた第三局にも勝ち、三連勝で「実力九段」第1号となった。 — 清水孝晏、[19]
(昭和33年)四月十七日、「名人三期以上在位した者、在位二期でも順位戦の成績抜群の者」という規約により、塚田さんに次いで二人目の永世九段の資格を得た。升田さんも該当者であったが、当時は名人在位者であり、この日は私だけが永世九段を許されたのであった。 — 大山康晴、「(昭和33年)」は引用者が挿入、[20]
九段は元来、昭和20年代にあった九段戦で4期優勝した故・塚田正夫九段と、名人位を失冠して元の八段ではということで、名人2期の故・升田幸三九段に授与された2人だけの段位であった。 — 青野照市、[21]

三者の述べることは一見すると相互に矛盾しているが、

  • 1954年(昭和29年)11月27日に、九段のタイトルを3期連続で獲得したことにより、塚田正夫が「永世称号としての永世九段」の資格を得た。当時の棋士の間では「永世称号としての九段」と「段位としての九段」は同一視されていたため、塚田の段位は九段であると認識されていた。
  • 1958年(昭和33年)4月17日に連盟の規約改正により、大山康晴と升田幸三が「段位としての九段」に昇段した。ただし、升田は名人の地位にあったため、名人失冠まで免状の発行が留保された。大山は「塚田の永世称号としての九段の資格」と「自身の段位としての九段の資格」は同一の資格と認識していたため、自身は2人目の九段だと語った。
  • 1958年(昭和33年)4月17日に、連盟の規約改正により、大山康晴と升田幸三の2人が「段位としての九段」となった。しかし、大山はその後もタイトルを保持し続けたため、九段を名乗ることはなかった。一方の升田は翌1959年にタイトルを失い無冠となったことから塚田に続いて「九段」を名乗る2人目の棋士となった。

と整合的に解釈できる[注釈 24]

また、大山康晴は1960年に九段戦三連覇を果たし、「永世称号としての永世九段」の条件を満たすが、すでにほぼ同一の資格である「段位としての九段」に昇段していたため、新たに永世称号を獲得したものとはみなされなかった。

このように、当時の棋士・連盟は、「段位としての九段」と「タイトルとしての九段」の区別に敏感ではなかったが、これらが混在することにより、例えば1958年度から1961年度まではタイトルとしての大山九段への挑戦権を争う者の中に塚田九段や升田九段が含まれるという見る者にとって非常に分かりにくい状況にあった。

そこで、1962年度から九段戦は「十段戦」に移行し、タイトル称号は「九段」から「十段」に改められた。

1988年度から、十段戦が発展解消されて竜王戦となり、「十段」の称号はなくなった。ただし、十段のタイトルを多数回獲得した者に「永世十段」の称号が与えられ、大山康晴と中原誠の2名がその該当者となった。

なお、永世九段の有資格者である塚田正夫に対しては、没後に「名誉十段」の称号が追贈された。 また、棋士ではないが、名人400年を記念して、日本将棋連盟が徳川家康に十段を贈っている。

奨励会編集

詳細は、新進棋士奨励会#奨励会規定を参照。

前述の通り、奨励会には最高三段までの段級位が存在する。

奨励会に入会した者は、多くの場合6級からスタートして奨励会員同士の対局をし、規定以上の成績を挙げると一つ上の段級位に昇進できる。三段に昇進すると「三段リーグ」に参加して三段同士のみの対局を行い、そこで所定の成績を収めると四段の棋士になる。

奨励会では、成績不振による「降段点」・「降級点」を2度取ると降段・降級となる。成績不振の場合は降級して7級になる場合もある。過去に存在した奨励会の下部組織「奨励会初等科」では7級から10級までの級位が存在したものの、現在は8級以下は存在せず、7級から降級した場合には退会となる。降段・降級があるという点で、奨励会の段級位制は将棋界の中で特異なものである。

女流棋士編集

女流棋士(女流2級以上)となる方法については、女流棋士 (将棋)#女流棋士になる条件 を参照。

女流棋士の段級位と、棋士・奨励会員の段級位の体系は異なる。女流棋士の段級位は、女流2級から女流六段(以上)までだが、女流タイトルを保持するトップ女流棋士でも、棋士との公式対局での勝率は2割程度である[注釈 25]

女流棋士の昇級・昇段規定は、日本将棋連盟ホームページの「昇段規定:日本将棋連盟」で公表されている。

日本女子プロ将棋協会 (LPSA) の昇級・昇段規定は、日本女子プロ将棋協会ホームページの「棋士規程」で公表されている。2012年の公益社団法人化に際して制定された[26]。日本将棋連盟の昇級・昇段規定に、LPSA主催棋戦の戦績による規定が加わったものとなっていたが、2014年5月30日に改正され将棋連盟と全く同一のものとなっている[27]

女流棋士の昇級・昇段規定
昇段・昇級 マイナビ女子オープン
女流王座戦
女流王将戦
倉敷藤花戦 女流名人戦 女流王位戦 一般女流
公式棋戦
[注釈 26]
単年度成績 勝数規定
女流1級へ 本戦入り ベスト8 予選決勝進出[注釈 27] リーグ入り 準優勝 指し分け以上
(7勝以上)
女流2級昇級後30勝
女流初段へ ベスト4 リーグ入り[注釈 27] リーグ残留 優勝 女流1級昇級後50勝
女流二段へ タイトル挑戦 女流初段昇段後60勝
女流三段へ タイトル獲得1期 女流二段昇段後90勝
女流四段へ タイトル獲得3期 女流三段昇段後120勝
女流五段へ タイトル獲得7期 女流四段昇段後150勝
女流六段以上[28] 抜群の成績と実績(理事会審議)
  • 女流棋士の場合も、棋士(プロ)の場合と同様に「同一年度[注釈 28]に2回以上の昇段」を不可とする規定が、2008年11月23日の時点では存在した。
    • 里見香奈が、2008年、9月29日の第16期倉敷藤花戦の挑戦者決定戦[29]甲斐智美女流二段を破り、初のタイトル挑戦を決め、女流二段への昇段規定「タイトル挑戦」により、2008年9月29日付で女流二段に昇段した。第16期倉敷藤花戦三番勝負では、第1局(11月6日)第2局(11月23日)で清水倉敷藤花に連勝し、初タイトルとなる倉敷藤花を獲得した。里見は、女流三段への昇段規定「タイトル1期」を満たしたが、タイトルを獲得した2008年11月23日付ではなく、翌2009年度の最初の日である2009年4月1日付で、里見は女流三段に昇段した。昇段事由は「倉敷藤花戦タイトル獲得」と明示されている[30]
    • 下記で示すように、長谷川優貴は、2011年10月1日付で女流2級としてプロ入りし、同年度(2011年度)内の2011年10月29日付で女流初段に、2012年2月2日付で女流二段にそれぞれ昇段した。2012年2月2日現在では、女流棋士について「同一年度に2回以上の昇段」を不可とする規定は廃されていることが示される[31]
      1. プロ入り前に、マイナビ女子オープン本戦入りを2回果たしており、女流3級から女流2級への昇級規定「女流3級で規定の成績を収めた者(<3>『女流棋士昇段級規定』の『女流1級へ』の条件を満たした場合)」をプロ入り前に満たしていた長谷川は、2011年10月1日付で女流2級として女流棋士となった[32]直後の2011年10月29日に、女流棋士としての初対局として、第5期マイナビ女子オープン本戦2回戦にて甲斐智美女流王位と対局、勝利して、第5期マイナビ女子オープンベスト4に進出。これにより女流初段への昇段規定「マイナビ女子オープンベスト4」を満たし、2011年10月29日付で女流2級から女流初段に飛付昇段(女流2級から、間の女流1級を飛ばして、直接、女流初段に昇段)した[33]
      2. 長谷川は、引き続き、第5期マイナビ女子オープン本戦で、2012年1月11日の準決勝で斎田晴子女流五段を、2月2日の挑戦者決定戦で清水市代女流六段を破り、第5期マイナビ女子オープン挑戦者となると同時に、女流二段への昇段規定「タイトル挑戦」により、次年度の初日である2012年4月1日を待たずに、2012年2月2日付で女流二段に昇段した[34]
    • LPSAにおいては、「同一年度に2回以上の昇段」を認めるか明示されていないが、連続昇段級者がいるため認めていることが確認できる。
      1. 渡部愛は女流3級であった2013年10月24日、第25期女流王位戦予選で本田小百合に勝利しリーグ入りを決め、昇級規定の女流1級の条件である、他団体主催棋戦(当協会との共催含む)で以下の活躍が認められた場合の、女流王位戦リーグ入りを満たし女流2級に昇級[35]
      2. 続いて同年度の2014年3月4日、第41期女流名人戦予選で渡辺弥生に勝利し予選決勝進出を決め、女流名人位戦予選決勝進出の成績により、女流1級へと連続昇級した[36]。その10日程後の2014年3月14日に、第41期女流名人位戦予選で高群佐知子を降し、女流名人位戦リーグ入りの成績により、女流初段昇段規定を満たしたため女流初段へと二連続昇段を果たしている[37]
  • 女流六段(以上)への昇段については、「抜群の成績と実績(理事会審議)」と抽象的に示されているのみである。LPSAにおいても同様である。
    • 清水市代は2000年の10月1日付で、女流棋士史上初の女流六段に昇段した[38]。清水は、2000年10月1日の時点で、クィーン四冠(=クィーン全冠[注釈 29])を2000年6月19日に達成。また三冠保持(女流王位、倉敷藤花、女流王将)、全冠(四冠)独占を2回達成(1996年・1998年)、タイトル獲得数24期の実績を有していた。
    • 次いで中井広恵も2002年11月[39]に女流六段に昇段した。中井は、2002年11月の時点で、三冠保持(女流名人、倉敷藤花、女流王将)、クィーン名人獲得(1993年の第19期女流名人位戦で達成)[39]。タイトル獲得数15期の実績を有していた。
    • 2017年5月21日には、蛸島彰子が、LPSA理事会審議により女流六段に昇段した[40]
    • 2018年現在、現役女流棋士として女流六段(以上)に昇段したのは、清水、中井、蛸島の3名のみである。その他に、関根紀代子が、2011年8月31日付で女流五段のまま引退し[41]、その直後の2011年9月7日の連盟理事会で、「普及に多大な功績が認められ、関根紀代子女流五段が9月8日付で女流六段へ昇段することに決定」し、女流六段の免状が授与された[42]。すなわち、関根が引退女流棋士として女流六段に昇段したのは、清水、中井と同じく「抜群の成績と実績(理事会審議)」によるものである。
  • 「女流棋士総則」の「降級点規定」による引退、および「引退女流棋士昇段規定」による昇段も存在する(日本将棋連盟ホームページの「昇段規定:日本将棋連盟」では言及されていない)。
    • 伊藤明日香女流1級(引退前)は、「女流棋士総則」の「降級点規定」により2009年3月31日付で引退し[43]、「引退女流棋士昇段規定」により2009年4月1日付で女流初段に昇段した[44]
    • 高橋和女流二段(引退前)は、「子供たちへの将棋の普及活動に力を入れたいとの思いから」2005年2月9日付で(任意で)引退した[45][46]。引退から1年以上経過してから、高橋は「引退女流棋士昇段規定」により、2006年4月1日付で女流三段に昇段した[47][46]

アマチュア編集

15級[注釈 30]から九段までの段級位がある。初段以降は免状が、1級までは級位認定状が、それぞれ日本将棋連盟から発行される(原則として有料)[48]

アマチュアの段級位とプロの段級位は体系が大きく異なっており、日本将棋連盟は奨励会の6級がアマチュアの三段 - 四段、あるいは五段に相当するとしている[49][50]。また、女流2級はアマチュアの二段 - 四段相当としている。渡辺明2008年に「アマトップの方々は奨励会で言えばプロ手前の二段から三段の力はある」と述べている[51]

アマチュアの最上位クラスにはプロにはなれなかった元奨励会員も多くおり、実際にアマチュアトップは元奨励会三段であることも多い。どちらにしても元奨励会三段を倒せる実力がなければアマトップには立てない。

アマは全くの初心者からトッププレイヤーまで差が極めて大きいが、プロは奨励会に入会する時点で相応の棋力を要するため、相対的に上下の実力差は小さい。

アマチュアの段級位(六段以下)については、以下のいずれかの方法で申請資格を得た上で、日本将棋連盟に免状・認定状の発行を申請できる[52]

  • インターネット・『将棋世界』・新聞・雑誌・囲碁将棋チャンネルなどで出題される認定問題で一定以上の成績を収める。
  • 東京・大阪の将棋会館の道場で段級位を取得する。
  • 日本将棋連盟のプロ棋士、または棋道師範・棋道指導員・将棋普及指導員の推薦を受ける。
  • 将棋倶楽部24将棋ウォーズ81道場の段級位を取得する。

段級位の免状・認定状の発行が有料であるため、囲碁と同様に地方棋界では、免状を持たない「段格」のアマチュア棋士が存在する。また、同じ段級位でも取得方法によって難易度が異なる。認定問題による獲得は比較的易しく、逆に将棋倶楽部24での取得は非常に難しいとされる。

全国アマチュア将棋大会(アマチュア竜王戦、アマチュア名人戦、全国支部将棋対抗戦・個人戦(支部名人戦)の3大会)での顕著な実績によってアマ七段を認定される。この場合には免状が贈呈される。

事実上の最高段位であるアマ八段については「(1)アマチュア竜王戦全国大会(第19回以降)で、通算3回の優勝(2010年に規定が設けられたが、2017年現在、該当者はまだ出ていない)[53]」「 (2)検定試験(筆記、ネット[54])」「 (3)棋士の推薦」の3つの取得方法があり、2000年から2016年の間に44名がアマ八段を取得している[55]

政治家、著名人、将棋普及への貢献者などに、名誉称号の意味合いを含めたアマチュア段位免状が贈呈されることがある。政治家の田中角栄[注釈 31]福田赳夫、将棋普及に貢献した永井英明[56]読売新聞社のトップを長く務める渡邉恒雄らには、アマ八段が贈られている。

2011年には、日本将棋連盟東海本部(現日本将棋連盟東海普及連合会)の設立に尽力した堀田正夫に、史上初となるアマ九段が贈られた(堀田には2002年にアマ八段が贈られていた)[57]

2014年9月23日くまモンにアマ初段が贈られた(ゆるキャラに段位が授与された初めての事例)[58]

現役で九段昇段した棋士の一覧編集

現役で段位が九段になった棋士の一覧を示す。項目名のボタンをクリックすれば、並び替え(ソート)が可能である。 かっこ内は、九段昇段の事由が発生した日を表す。ただし、昇段日と同じである場合や、新規定の施行日での昇段の場合には記さない。 左端の数字は棋士番号であり、小さい番号であるほどプロ入りが早かったことを表す。

1973年に、それまでは「(原則として)名人3期」のみであった九段昇段の条件が緩和され、「九段昇格規定30点を満たす」と「タイトル3期、かつ八段に昇段している[注釈 32]」の2つの条件が加えられた[59]

「九段昇格規定30点」の点数は下記のように計算する[60]

タイトル獲得期数 × 3 + タイトル挑戦回数 + 一般棋戦優勝回数 + A級以上在籍年数

その後、「八段に昇段後250勝(勝数規定)[59]」、「名人1期」、「竜王2期」の3つの条件が加えられている(2018年現在)。また、2013年現在、フリークラスの棋士が八段から九段に昇段する規定がある(2018年現在、当該規定によって現役で九段昇段したのは田丸昇のみ)[15]

棋士 九段昇段 昇段事由 八段昇段 八段⇒九段 生年月日 昇段時年齢
11 塚田正夫 1954年11月27日 九段戦3連覇(永世九段) 1940年 05475約14年 1914年08月02日 40歳03か月
26 大山康晴 1958年04月17日 名人3期 1948年04月01日 036683668日 1923年03月13日 35歳01か月
18 升田幸三 1958年04月17日 名人2期でも順位戦で抜群 1947年05月10日 039953995日 1918年03月21日 40歳00か月
92 中原誠 1973年11月03日 九段昇格規定30点 1970年04月01日 013121312日 1947年09月02日 26歳02か月
57 二上達也 1973年11月03日 九段昇格規定30点 1956年04月01日 064256425日 1932年01月02日 41歳10か月
43 丸田祐三 1973年11月03日 九段昇格規定30点 1948年04月01日 093479347日 1919年03月30日 54歳07か月
64 加藤一二三 1973年11月03日 九段昇格規定30点 1958年04月01日 056955695日 1940年01月01日 33歳10か月
77 内藤國雄 1974年02月04日 タイトル3期かつ八段に昇段している 1967年04月01日 025012501日 1939年11月15日 34歳02か月
7 大野源一 1974年11月03日 贈九段(表彰感謝の日表彰) 1940年 30000約34年 1911年09月01日 63歳02か月
39 花村元司 1976年04月20日 贈九段(将棋会館落成式表彰) 1952年04月01日 087858785日 1917年11月18日 58歳05か月
10 坂口允彦 1976年11月17日 贈九段(将棋の日表彰) 1938年 40000約38年 1908年12月10日 67歳11か月
44 灘蓮照 1976年11月17日 贈九段(将棋の日表彰) 1953年04月01日 086318631日 1927年03月16日 49歳08か月
85 米長邦雄 1979年04月01日 九段昇格規定30点 1971年04月01日 029222922日 1943年06月10日 35歳09か月
66 有吉道夫 1979年04月01日 九段昇格規定30点 1965年04月01日 051135113日 1935年07月27日 43歳08か月
25 松田茂役 1981年11月17日 贈九段(将棋の日表彰) 1951年11月17日 1072810728日 1921年06月28日 59歳09か月
131 谷川浩司 1984年04月01日
(1983年06月15日)
名人1期 1982年04月01日 00731731日 1962年04月06日 21歳11か月
46 五十嵐豊一 1984年04月01日 勝数規定 1949年04月01日 1278412784日 1924年09月27日 59歳06か月
17 小堀清一 1984年04月01日 勝数規定 1952年04月01日 1168811688日 1912年02月10日 72歳01か月
42 加藤博二 1984年04月01日 勝数規定 1959年04月01日 091329132日 1923年09月15日 60歳06か月
68 芹沢博文 1984年04月01日 勝数規定 1961年04月01日 084018401日 1936年10月23日 47歳05か月
61 関根茂 1984年04月01日 勝数規定 1968年04月01日 058445844日 1929年11月05日 54歳04か月
86 大内延介 1984年04月01日 勝数規定 1972年04月01日 043834383日 1941年10月02日 42歳05か月
93 桐山清澄 1984年10月09日 勝数規定 1975年04月01日 034793479日 1947年10月07日 37歳00か月
32 廣津久雄 1985年06月18日 勝数規定 1961年04月01日 088448844日 1923年02月26日 62歳03か月
96 勝浦修 1985年11月01日 勝数規定 1976年04月01日 035013501日 1946年05月08日 39歳05か月
100 森けい二 1985年12月09日 勝数規定 1976年04月01日 035393539日 1946年04月01日 39歳08か月
99 森安秀光 1988年01月27日 勝数規定 1980年04月01日 028572857日 1949年08月18日 38歳05か月
147 南芳一 1989年02月22日 タイトル3期かつ八段に昇段している 1986年04月01日 010581058日 1963年06月08日 25歳08か月
142 高橋道雄 1990年04月01日
(1989年03月17日)
タイトル3期かつ八段に昇段している 1989年04月01日 00365365日 1960年04月23日 29歳11か月
74 佐藤大五郎 1991年11月25日 勝数規定 1972年04月01日 071777177日 1936年10月19日 55歳01か月
97 石田和雄 1992年03月31日 勝数規定 1979年04月01日 047484748日 1947年03月29日 45歳00か月
60 北村昌男 1994年02月10日 勝数規定 1973年11月03日 074047404日 1934年10月30日 59歳03か月
175 羽生善治 1994年04月01日
(1993年02月12日)
タイトル3期かつ八段に昇段している 1993年04月01日 00365365日 1970年09月27日 23歳06か月
114 青野照市 1994年08月05日 勝数規定 1983年04月01日 041444144日 1953年01月31日 41歳06か月
127 田中寅彦 1994年12月16日 勝数規定 1984年04月01日 039113911日 1957年04月29日 37歳07か月
113 淡路仁茂 1996年04月26日 勝数規定 1983年04月01日 047744774日 1950年03月21日 46歳01か月
182 佐藤康光 1998年06月18日 名人1期 1996年04月01日 00808808日 1969年10月01日 28歳08か月
87 西村一義 1999年09月28日 勝数規定 1984年04月01日 056585658日 1941年12月14日 57歳09か月
104 田中魁秀 2000年02月24日 勝数規定 1984年04月01日 058075807日 1947年03月02日 52歳11か月
194 丸山忠久 2000年06月28日 名人1期 1998年04月01日 00819819日 1970年09月05日 29歳09か月
198 藤井猛 2000年10月01日
(1999年11月26日)
竜王2期 1999年10月01日 00366366日 1970年09月29日 30歳00か月
148 塚田泰明 2000年12月15日 勝数規定 1988年04月01日 046414641日 1964年11月16日 36歳00か月
195 郷田真隆 2001年08月06日 タイトル3期かつ八段に昇段している 1999年04月01日 00858858日 1971年03月17日 30歳04か月
123 小林健二 2002年03月01日 勝数規定 1986年04月01日 058135813日 1957年03月31日 44歳11か月
183 森内俊之 2002年05月17日 名人1期 1995年04月01日 026032603日 1970年10月10日 31歳07か月
161 森下卓 2003年12月12日 勝数規定 1994年04月01日 035423542日 1966年07月10日 37歳05か月
189 屋敷伸之 2004年04月01日
(2002年05月13日)
タイトル3期かつ八段に昇段している 2002年05月13日 00689689日 1972年01月18日 32歳02か月
135 福崎文吾 2005年10月28日 勝数規定 1990年03月26日 056955695日 1959年12月06日 45歳10か月
235 渡辺明 2005年11月30日 竜王2期 2005年11月17日 0001313日 1984年04月23日 21歳07か月
143 中村修 2008年01月23日 勝数規定 1993年10月15日 052135213日 1962年11月07日 45歳02か月
146 島朗 2008年04月17日 勝数規定 1994年04月01日 051305130日 1963年02月19日 45歳01か月
201 深浦康市 2008年09月26日 タイトル3期[注釈 33]かつ八段に昇段している 2004年04月01日 016391639日 1972年02月14日 36歳07か月
207 久保利明 2010年03月30日 タイトル3期かつ八段に昇段している 2003年04月01日 025552555日 1975年08月27日 34歳07か月
157 井上慶太 2011年03月03日 勝数規定 1997年04月01日 050845084日 1964年01月17日 47歳01か月
109 田丸昇 2013年04月01日 フリークラス規定 1991年04月16日 080218021日 1950年05月05日 62歳11か月
204 三浦弘行 2013年08月16日 勝数規定 2001年04月01日 045204520日 1974年02月13日 39歳06か月
185 先崎学 2014年04月01日 勝数規定 2000年04月01日 051135113日 1970年06月22日 43歳09か月
263 佐藤天彦 2016年05月31日 名人1期 2015年01月08日 00509509日 1988年01月16日 28歳04か月
213 鈴木大介 2017年03月01日 勝数規定 2003年04月01日 050835083日 1974年07月11日 42歳08か月
222 木村一基 2017年06月26日 勝数規定 2007年04月01日 037393739日 1973年06月23日 44歳00か月

(2017年6月26日現在)

免状・級位認定状編集

免状はプロ・アマチュアどちらも、基本的な文面は同じである。以下、双方の概略と差異について述べる。

略史編集

江戸時代将棋所を名乗る「将棋三家」(大橋本家・大橋分家・伊藤家)が免状を発行していた。明治時代になっても依然として三家が発行権を握っていたが、大橋分家、伊藤家は絶え、残る大橋本家も十二代当主の大橋宗金1910年明治43年)に死去し、以降の大橋本家は将棋界から手を引いていった。宗金は自身は五段に留まったため、早くから免状の審査を小野五平(のちの十二世名人)、のちに関根金次郎(のちの十三世名人)に委託していた。

こうして、時の名人が免状を発行するようになったが、名人だけでなく時の実力者も勝手に免状を発行するようになった。1927年、日本将棋連盟が発足し、1935年に実力制名人戦がはじまったことで、免状発行権も日本将棋連盟に一元化された。

日本将棋連盟は、当初はアマチュアにのみ免状を発行し、プロには発行していなかった。プロの昇段者は、ただ規定に基づき氏名が発表されるだけであった。

第二次世界大戦後、プロにも免状を発行することになった。日本将棋連盟は瀧井孝作に文面を依頼し、瀧井の撰した文面が、現行の免状に使われている。文面は初段から九段まで少しずつ異なる[61][62][63]

アマ免状・級位認定状編集

初段以上の免状には、日本将棋連盟会長、名人竜王の直筆署名が付く。過去には、永世名人が署名に加わったこともある[64]。また、通常は名人・竜王保持者がその他のタイトルを保持している場合でもそれらは免状に記載しないが、羽生善治が七冠を達成した際には全タイトルを併記した特別免状が発行されたことがある。現在でも永世名人(または永世名人資格者)や他の棋士の署名を付けるキャンペーンが不定期で行われている[65]。推薦人やその他の棋士の署名を希望することもできるが、費用は応相談となる。

免状の発行数は非公開だが、米長邦雄は「年間1万本近く署名する」と著書で述べている[66]。署名を続けていると和紙の繊維が舞い上がり綿埃のようになるため、署名の際にはマスクが手放せないという[66]

一方、級位認定状は印刷された会長署名のみとなり、文面も15級 - 1級まで全て同じである。

プロ免状編集

対象は棋士・女流棋士・指導棋士。署名は日本将棋連盟会長のみで、竜王・名人の署名はない。

アマ免状は段位を「允許」、プロ免状は「免許[67]と表現する(ただし、八段以上はどちらも「推ス」)。対象者の表記は、アマは「(氏名)殿」、プロは「棋士(氏名)」「女流棋士(氏名)」「指導棋士(氏名)」となる[64]

プロ免状は、年に2回、4月半ばの「将棋大賞表彰式・免状授与式」[68]、11月17日(将棋の日)の「『将棋の日』表彰・感謝の式典」[69]において(いずれも東京・将棋会館関西将棋会館の2か所で開催)、昇段者に授与される。

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 有名な例は、日本将棋連盟が運営するネット将棋サイトの「将棋倶楽部24」であり、匿名ではあるがプロ棋士も参加している。
  2. ^ テレビの将棋番組における棋士や女流棋士の発言の中で聞くことができる。
  3. ^ ある棋士が竜王名人棋聖の3つのタイトルを保持していると仮定する。この棋士の呼称は「竜王・名人」である。しかし、棋聖戦を主催する産経新聞社による呼称は「棋聖」である。また、棋聖戦に関する報道においては、他の報道機関(例:朝日新聞社)も「棋聖」と呼称する[5]
  4. ^ 報道媒体や内容によっては、棋士が保持している永世称号の全表記や、保持している永世称号の数による「永世○冠」もしくは特定の永世称号で呼称される場合もある。例えば、王座戦を主催する日本経済新聞社の報道で「中原誠名誉王座」と呼称される例がある[8]
  5. ^ 竜王戦の昇段規定で、従来「竜王ランキング戦(各組トーナメント)連続2回優勝」であったものが、2006年2月に条件が緩和され「連続2回昇級」に改められた。「連続2回優勝」の難易度は高かったため、その規定で昇段したのは、第1期を除く17年間(第2期 - 第18期)において僅か2例のみであった。
    • 行方尚史 6組優勝(第7期)→ 5組優勝(第8期)1995年10月1日に五段昇段
    • 木村一基 4組優勝(第14期)→ 3組優勝(第15期)2003年4月1日に七段昇段
    しかし、「連続2回昇級」の規定に改められた直後の第19期(2006年度)では、その1期だけで3名が昇段するという昇段ラッシュとなった。
    • 山崎隆之 4組3位(第18期)→ 3組3位(第19期)→ 2組 2006年8月10日に七段昇段
    • 大平武洋 6組3位(第18期)→ 5組3位(第19期)→ 4組 2006年9月19日に五段昇段
    • 片上大輔 6組優勝(第18期)→ 5組3位(第19期)→ 4組 2006年10月10日に五段昇段
    この3人の昇段の日付が不揃いなのは、10月1日付け昇段ではなく、昇級を決める対局に勝った日を昇段日とする規定に変更されたことによる。なお、昇段を伴わない連続2回優勝の例としては、森内俊之郷田真隆がおり、また、羽生善治の場合は連続2回目が「竜王挑戦により六段昇段」であった。
  6. ^ 降級した翌年から2期連続昇級した場合は昇段しない。永瀬拓矢は第28期4組で優勝、第29期も3組決勝進出で連続昇級となったが、第27期で3組から4組に降級していたため、七段に昇段しなかった。
  7. ^ 「ランキング戦通算3回優勝」の規定で昇段した初のケースは、北島忠雄である(6組優勝(第11期)、5組優勝(第14期)、4組優勝(第16期)で、2003年10月1日に六段昇段)。なお、通算3回優勝時に七段以上のためしなかった例は、連続優勝を含んで通算3回以上の木村一基・森内俊之・羽生善治・行方尚史らを含めると10名を超える(1組優勝3回の中原誠のほか、丸山忠久井上慶太塚田泰明深浦康市森下卓先崎学阿部隆など)。
  8. ^ a b 竜王挑戦の場合は七段に昇段となる。名人については挑戦資格が順位戦A級在位者に限定されており、八段への昇段規定「順位戦A級昇級」が存在するため、名人挑戦者の段位は必然的に八段以上である。
  9. ^ a b c 竜王戦・名人戦以外のタイトル棋戦での挑戦・獲得の規定による昇段の第1号は、2010年度に王位を獲得した広瀬章人である。まず、挑戦権を得た日付で五段から六段へ1つ昇段し、さらに、奪取に成功した日付で(六段昇段から1年を待たず)即、七段へ昇段した。
  10. ^ 第3期叡王戦では高見泰地が決勝七番勝負に進出したことにより六段に昇段した。叡王戦はタイトル戦となって一期目であり、当期では決勝進出者同士による番勝負によってタイトル保持者たる叡王を決定することとなっていたため、決勝進出がタイトル挑戦に準じるとされた。高見泰地五段が六段に昇段”. 日本将棋連盟 (2018年1月30日). 2018年1月30日閲覧。
  11. ^ 2009年4月1日に追加された規定である。ちなみに、棋戦優勝の規定が追加される前の特別昇段の最後の例は、阿久津主税の七段昇段(2009年4月1日付け)となった(2008年度朝日杯将棋オープン戦優勝を受け、理事会が「類まれなる成績」で昇段させた)。こまおと:日本将棋連盟は4月1日付で昇段規定を改定した(毎日新聞 2009年4月12日)[リンク切れ]
  12. ^ 「(名人以外の)タイトル3期獲得かつ八段に昇段していること」という九段への昇段規定により[11]、2018年5月31日までは、八段の棋士であれば3期目のタイトル獲得で直ちに九段に昇段するものの、仮に七段のまま、竜王及び名人以外のタイトルのみを合計3期以上獲得したとしても、八段への昇段規定(竜王位1期獲得、順位戦A級昇級、七段昇段後公式戦190勝)を満たすまで九段昇段は「おあずけ」となっていた[13]。2018年6月1日付で、「(竜王・名人以外の)タイトル2期獲得」による八段への昇段規定が追加されたことで[12]、七段のまま3期目のタイトルを獲得する事象はなくなり、この「おあずけ」は解消された。
  13. ^ 「タイトル3期」の規定の制定後、この規定によって初めて九段昇段したのは、内藤國雄である。
  14. ^ この規定による九段昇段においては、2001年 - 2006年の朝日オープン将棋選手権優勝もタイトル獲得に準じる扱いとされる。その唯一の例が深浦康市である(朝日オープン1期と王位2期で、2008年に九段昇段)。
  15. ^ ただし、渡辺明の竜王1期獲得および2期獲得に関してだけは、2005年からすでに適用された(2005年10月 - 11月の2か月間に3つ昇段して九段になった)。
  16. ^ このようなケースは、実際に発生している。以下はその具体例。
    • 中座真は、2006年(第19期)に5組で優勝して4組昇級、2007年4月11日に勝数で六段に昇段した後、同年9月20日に第20期4組3位となり3組昇級(連続2回昇級)を決めて七段に昇段した。
    • 村中秀史は、2008年(第21期)に6組3位となり5組昇級、2009年9月15日に勝数で五段に昇段した後、同年10月16日に第22期5組3位で4組昇級(連続2回昇級)を決めて六段に昇段した。なお、村中は次の第23期4組で、1回戦、昇級者決定戦1回戦、残留決定戦を3連敗し、5組に即降級している。
    • 大石直嗣は、2012年(第25期)に6組で優勝して5組昇級、2013年4月22日に勝数で五段に昇段した後、同年5月15日に第26期5組決勝進出で4組昇級(連続2回昇級)を決めて六段に昇段した。五段昇段から約3週間、2勝を挙げただけでの昇段となった。
    • 三枚堂達也は、2016年(第29期)に6組3位となり5組昇級、2017年7月27日に勝数で五段に昇段した後、同年11月24日に第30期5組3位で4組昇級(連続2回昇級)を決めて六段に昇段した。2017年5月8日の第30期竜王戦ランキング5組準決勝に勝っていたらその時点で五段に昇段して、次の昇段に必要となる勝数もリセットされるため、2017年内の六段昇段が難しくなる所だった。対局に負けたことによって六段昇段が早まった珍しいケースである。
    • 藤井聡太に至っては、竜王戦連続昇級の間に2回の昇段を挟んでいる。すなわち、四段であった時の2017年(第30期)に竜王戦6組から5組に昇級、2018年2月1日に五段に昇段(順位戦C級1組に昇級)、同年2月17日に六段に昇段(第11回朝日杯将棋オープン戦で優勝)した後、同年5月18日に第31期竜王戦5組決勝進出で4組昇級(連続2回昇級)を決めて七段に昇段した。
  17. ^ なお、順位戦では1年に1つしか昇級できず、名人への挑戦権もA級棋士に限られるため、飛びつき昇段は発生せず、同一年度内での複数の昇段も起きない。
  18. ^ タイトル挑戦・獲得による昇段の規定がなかった時代に、四段の郷田真隆が四段のまま王位を獲得した例がある。
  19. ^ 従来は昇級年度初日である4月1日付の昇段であったが、2009年以降から現行規定に改定された。安用寺孝功の六段昇段(2009年2月10日付け)が適用ケースの第1号。
  20. ^ 従来は10月1日付けであったが、上述の飛びつき昇段の制度が導入された頃から現行規定に改定された。
  21. ^ a b 昇段を決めた対局が収録で行われるテレビ棋戦やインターネット棋戦であるため、対局日と放送日・配信日が異なる場合も昇段規定を達成した対局日が昇段の日付となる。この場合、昇段直後に昇段の発表は行われるが、テレビ放送やインターネット配信等で対局結果が公開されるまで、昇段理由は明示されない。
  22. ^ 屋敷伸之は、3期目のタイトル(いずれも棋聖)を獲得した当時、まだ七段であった。勝数規定で2002年5月13日に八段に昇段したが、タイトル3期の規定で九段昇段したのは翌々年の2004年4月1日である。この当時、八段免許状発行日(勝数規定での昇段の場合は4月1日付)から最低1年経なければ九段に昇段できないという規定が存在していたため。高橋道雄、羽生善治も順位戦の規定で八段に昇段した後、すでにタイトルを3期獲得していたため、八段昇段後1年で九段に昇段している。
  23. ^ 清水孝晏は、1974年(昭和49年)に「将棋世界」の編集長を務めていた人[18]
  24. ^ なお、日本将棋連盟公式サイトでは、1975年(昭和50年)11月3日に塚田正夫が紫綬褒章を受章した時点での、塚田の氏名表記を「塚田正夫九段」としている[22]。また、塚田正夫は1977年(昭和52年)に死去した直後に「名誉十段」を追贈され、1989年に「実力制第二代名人」を追贈されている[23]。2017年現在、日本将棋連盟公式サイトでの塚田正夫の氏名表記は「名誉十段 塚田正夫」である[23]
  25. ^ 例えば、2012年2月24日現在で最強の女流棋士とされる里見香奈女流三冠[24]の「対プロ棋士公式戦通算成績」(2012年2月24日現在)は、20戦、4勝16敗、勝率0.2000 であり、里見の「女流棋士公式戦通算成績」(2012年2月24日現在)159戦、115勝44敗、勝率0.7233 を大きく下回っている[25]
  26. ^ 「タイトル戦以外の女流公式棋戦」は、女子将棋YAMADAチャレンジ杯(女流3級を含む女流初段以下の女流棋士が参加)のみ。2012年から2014年は開催なし。2012年までは、女流最強戦(2007年創設2012年終了)、2006年までは、レディースオープントーナメントおよび鹿島杯女流将棋トーナメントの2棋戦があり、これらの棋戦の昇級・昇段条件は「ベスト4で女流1級、準優勝で女流初段、優勝で女流二段に昇段」とされていた。
  27. ^ a b 女流名人位戦のリーグが1リーグになってからの規定。A級・B級の2リーグがあった当時は、「B級リーグ入り」で女流1級に昇級、「A級リーグへ昇級」で女流初段に昇段、という規定であった。昇段規定:日本将棋連盟(2012年10月14日現在のアーカイブ)も参照。
  28. ^ 将棋界の年度は、4月1日に始まり、3月31日に終わる。
  29. ^ 清水市代が、クィーン四冠=クィーン全冠を達成した2000年6月19日の時点では、女流タイトルは、女流名人、女流王位、女流王将、倉敷藤花の4つだった。その後、女王(第1期マイナビ女子オープン五番勝負は、2008年4月-5月)と女流王座(第1期女流王座戦五番勝負は、2011年10月-12月)の2つが加わり、2012年2月23日現在では、女流タイトルは、女王、女流王座、女流名人、女流王位、女流王将、倉敷藤花の6つになっている。
  30. ^ 15級~11級の級位認定状は2017年に新設。新設 級位認定状
  31. ^ 没後の追贈。
  32. ^ 2018年6月1日付で「(竜王・名人以外の)タイトル2期獲得」による八段への昇段規定が追加されたことで[12]、「タイトル3期」を満たした棋士は必ず八段以上であることになった。
  33. ^ 深浦康市が九段昇段条件を満たした際の「タイトル3期」は、朝日1期を含む。

出典編集

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参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集