「黄金の夜明け団」の版間の差分

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==誕生までの経緯==
[[File:Polygraphiae.jpg|thumb|160x160px|ポリグラフィア|代替文=]]
[[ファイル:Golden Dawns charter.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|設立許可証]]
{{See also|暗号文書 (黄金の夜明け団)}}
[[ファイル:Anna Kingsford 2.JPG|サムネイル|189x189ピクセル|シュプレンゲル嬢のモデルとされるA.Kingsford]]
[[ファイル:Golden Dawns charter.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|設立許可証]]
黄金の夜明け団の創設は、[[フリーメイソン|メイソン]]系[[薔薇十字団|薔薇十字]]団体のひとつである{{sfn|キング|江口訳|1994|p=31}}{{efn2|英国薔薇十字協会は、[[秘教]]的な事柄に関心をもつ少数のフリーメイソン(フリーメイソンリーの会員)によって1866年に結成された{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=196}}社交クラブ([[サロン]])のような団体であった。メイソンのみで構成された団体ではあるが、フリーメイソン組織ではなく{{sfn|吉村|2013|pp=52}}、メイソンリーに付属する秘教研究会のような存在であった(黄金の夜明け団とは異なり、魔術は研究対象ではなかった){{sfn|吉村|2013|pp=62-63}}。1870年代から1880年代にかけて、同協会ではいくつかの儀式や、カバラやフリーメイソンの象徴性についての講義などが行われていた{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=197}}。}}{{仮リンク|英国薔薇十字協会|en|Societas Rosicruciana in Anglia}}の会員{{仮リンク|ウィリアム・ウィン・ウェストコット|en|William Wynn Westcott}}が、1887年8月に知人より60枚の[[暗号文書 (黄金の夜明け団)|暗号文書]]を譲り受けたことに端を発する。
 
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その後のファー派では新たに{{仮リンク|アニー・ホーニマン|en|Annie Horniman}} の内輪揉めが発生したので、収束のために[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|W・B・イェイツ]]が新しく代表に就任したが、数々の衝突に嫌気が差したイェイツは1901年に退団した。同年に{{仮リンク|ホロス夫妻|en|Ann O'Delia Diss Debar}}の詐欺事件にメイザースが巻き込まれて黄金の夜明け団の名称がスキャンダラスに報道されてしまったために、社会的体面を重んじるファー派は「{{仮リンク|暁の星|en|Stella Matutina}}」と改称した。直後にファーは退団し「暁の星」はブロディ=イネスと{{仮リンク|R・フェルキン|en|Robert William Felkin}}が代表になった。1903年になると従来の教義に否定的であった[[アーサー・エドワード・ウェイト|A・E・ウェイト]]の派閥が「暁の星」から離脱して、「聖黄金の夜明け団」と称する団体を組織した{{sfn|江口|亀井|1983|pp=91-93}}。儀式魔術に反発しつつ在籍を続けたウェイトは、{{独自研究範囲|自分の団体作りのためにイシス・ウラニア神殿を利用していたことになるが、いわく付きとなった黄金の夜明け名義を採用しているので一定の思い入れはあったようである|date=2019-05-27}}。ウェイトの独立劇で「暁の星」は多くの団員を失った。{{要出典範囲|1906年にメイザースは黄金の夜明け団の幕引きを決めて、パリのアハトル神殿を本部とする魔術結社「{{仮リンク|A∴O∴|en|Alpha et Omega}}」に組織再編した|date=2019-05-27}}。同じ頃、ブロディ=イネスはフェルキンの方針に不満を覚えて[[エディンバラ]]へ帰還し、1907年に自身主宰のアメン・ラー神殿とともに「暁の星」を離れて、メイザースと和解した後に「A∴O∴」派へ合流した。さらに団員を失った「暁の星」はフェルキンの下で数々の混乱を経ながら続いた。
 
以上の経緯で黄金の夜明け団は分裂し、「{{仮リンク|暁の星|en|Stella Matutina}}」、「{{仮リンク|A∴O∴|en|Alpha et Omega}}」派、「聖黄金の夜明け団」という黄金の夜明け系の3つの分派が鼎立する事態となった{{sfn|江口|亀井|1983|pp=93-94}}。こうして元祖「黄金の夜明け団」は終焉を迎え、最終的にその教義は様々な形で受け継がれながらも、歴史の中に姿を消したのである。一方で分裂の引金を引いた[[アレイスター・クロウリー]]は結局、メイザースとも仲違いした末に飄然と世界放浪へ旅立って帰還後の1907年に「[[銀の星]]」を結成した。<gallery mode="packed" heights="160">
ファイル:Mathers.jpg|A∴O∴首領 マザーズ
ファイル:2989 Dr Felkin.jpg|暁の星主宰 フェルキン
ファイル:ArthurEdwardWaite~1880.JPG|聖G∴D∴代表 ウェイト
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==教義概要==