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'''アイディア・表現二分論'''(あいでぃあ・ひょうげんにぶんろん、別称: アイディアと表現の二分法理、{{Lang-en|Idea-expression dichotomy}}または{{Lang-en|Idea-expression divide}})とは、[[知的財産権]]に関する概念であり、創作物や発見などを[[産業財産権]] ([[特許権]]や[[商標権]]などの総称) と[[著作権]]のどちらで保護すべきかを切り分ける考え方の一つである。アイディア・表現二分論は、産業財産権の対象が「アイディア」そのもの (思想、概念や事実発見などを含む) とする一方、著作権の対象はアイディアの「表現」であると捉える法理である。アイディア・表現二分論は、国際的にも確立している、著作権制度の根底を成す原則といえる。
[[File:Copyright IdeaExpDivide Ja.png|米国のアイディア・表現二分論は横割りなのに対し、日本は実用的な産業財と文化的な芸術品で分ける縦割りの発想が強い。|thumb|400px]]
'''アイディア・表現二分論'''(あいでぃあ・ひょうげんにぶんろん、別称: アイディアと表現の二分法理、{{Lang-en|Idea-expression dichotomy}}または{{Lang-en|Idea-expression divide}})とは、[[知的財産権]]に関する概念であり、創作物や発見などを[[産業財産権]] ([[特許権]]や[[商標権]]などの総称) と[[著作権]]のどちらで保護すべきかを切り分ける考え方の一つである。アイディア・表現二分論は、産業財産権の対象が「アイディア」そのもの (思想、概念や事実発見などを含む) とする一方、著作権の対象はアイディアの「表現」であると捉える法理である。
 
また、一括りにアイディアや表現と言っても、すべてが法的に保護されるわけではなく、一般社会によるアイディア利用の自由が優先し、特許権や著作権の権利者による独占が制限されることがある。さらに、創作物や発見の中には、それがアイディアなのか表現なのか、完全に分離するのが難しいものも存在する。その際には、アイディア・表現二分論から派生した「マージ理論」({{Lang-en|Merger doctrine}}) や「ありふれた情景の理論」({{Lang-fr|Scènes à faire}}) が適用される。
 
アイディア・表現二分論とその付随理論は、主に欧米の著作権法や裁判所による[[判例]]で採用されているものの、[[著作権法|日本の著作権法]]には完全に適用されていない。
 
== 定義と意義 ==
著作権法は創作物の「表現」のみを保護し、「アイディア」あるいは「思想」を保護しない。これは、著作権という制度の基本かつ大原則である{{Sfnm|髙部眞規子|2012|1pp=102&ndash;103|島並良・上野達弘・横山久芳|2009|2pp=20&ndash;21|作花文雄|2010|3p=755}}。例えば、何かのアイディアを記した論文があったとする。このとき、その論文に記されたアイディアを他者が利用したとしても、著作権法がその利用を制限することはない{{Sfn|作花文雄|2010|p=82}}。このような、アイディアと表現を分けて考え、表現のみを保護する考え方をアイディア・表現二分論<ref name=松澤>{{Cite web |url=https://www.kottolaw.com/column/180830.html |title=シーン・ア・フェール法理を手掛かりにストーリーの類似を考える~映画『カメラを止めるな!』は著作権侵害か?~ |date=2018-08-30 |author=松澤邦典 |publisher=骨董通り法律事務所 for the Arts |accessdate=2019-08-31}}</ref>や思想・表現二分論{{Sfn|髙部眞規子|2012|p=102}}などと呼ぶ。
 
アイディア・表現二分論は、国際的にも広く受け入れられている原則である{{Sfnm|髙部眞規子|2012|1pp=102&ndash;103|島並良・上野達弘・横山久芳|2009|2p=21}}。知的財産権に関する国際条約の[[TRIPS協定]]では、9条2項において、著作権の保護範囲について次のように規定している<ref>{{Cite web |url=https://www.wto.org/english/docs_e/legal_e/27-trips_04_e.htm#1 |title=Part II — Standards concerning the availability, scope and use of Intellectual Property Rights |publisher=World Trade Organization |accessdate=2019-08-31}}</ref>。
:''Copyright protection shall extend to expressions and not to ideas, procedures, methods of operation or mathematical concepts as such.''
::''著作権の保護は、表現されたものに及ぶものとし、思想、手続、運用方法又は数学的概念自体には及んではならない。''(外務省訳<ref>{{Cite web |url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/it/page25_000431.html#article9 |title=附属書一C 知的所有権の貿易関連の側面に関する協定 |date=2017-01-26 |publisher=外務省 |accessdate=2019-08-31}}</ref>)
この規定は、著作権に関する国際条約の[[WIPO著作権条約]]でも踏襲されている{{Sfn|髙部眞規子|2012|p=103}}。
 
[[コンピュータ・プログラム]]の一つであるインターネットの検索エンジンを例にとると、プログラムの[[アルゴリズム]]や基本設計、つまり検索キーワードに基づき、どのサイトを検索結果に含める・含めないかや、検索表示順を決めるロジックは「アイディア」であり{{Sfn|山本隆司|2008|pp=47}}、新たに発見するものであることから、当局に申請すれば特許が認められうる。しかし、その検索エンジンの使い方を示したフローチャートなどの説明文書は、アイディアに基づく「表現」でしかない{{Sfn|山本隆司|2008|pp=47}}。仮にその検索エンジンAを第三者が不正盗用し、類似の検索エンジンBを創作した場合、何をどこまで盗用したのかによって、特許権と著作権のどちらを (または両方を) 侵害したことになるのかが異なることから、裁判で適用される法律も変わってきてしまう。
 
アイディア・表現二分論が指す「アイディア」という言葉は、一般的な意味とは少々異なることに注意が必要である。例えば、フィクション作品のかなり詳細で具体的な設定を考え出すことも日常的には「アイディアを思いついた」などと言うが、一定以上に詳細で具体的な設定はアイディア・表現二分論における「アイディア」ではなく「表現」に該当する<ref name=松澤/>。例えば[[米国著作権法]]第102条では、アイディアに並んで、「手続き」「過程」「方式」「操作方法」「概念」「原理」「発見」について著作権による保護を否定している{{Sfn|デイビッド・A・ワインスティン|1990|p=43}}。また、創作物をアイディア・表現で二分するとき、創作物が表現している「事実」それ自体はアイディアに含まれる{{Sfn|山本隆司|2008|pp=45}}。すなわち、事実それ自体は万人の共有物であり、著作権法が保護の対象とすることはない。この原則も、国際的に受け入れられている原則である{{Sfn|髙部眞規子|2012|p=106}}。
つまりアイディア・表現二分論では、実用的な商材なのか芸術的な商材なのか、といったモノの属するジャンルは問われない。しかし日本では、経済産業省 (特許庁) 対 文部科学省 (文化庁著作権課) という行政組織の縦割りにより、産業の技術は特許法で、文化的な芸術は著作権法でそれぞれ守られている。したがって、階層的な横割りのアイディア・表現二分論とは発想が異なる{{Sfn|山本隆司|2008|pp=11&ndash;13}}。
 
アイディア・表現二分論が著作権に適用される根拠の一つは、アイディアのような抽象的なものまで特定の人物あるいは法人に独占させると、表現活動を阻害することになり得るためである<ref name=松澤/>{{Sfn|駒田泰土・潮海久雄・山根崇邦|2016|p=20}}。アイディアは表現に先立ち、表現を生み出す元である。そのため、アイディアを万人が利用可能な状態に置くことが、多様な表現の創出が社会全体で活性化することに繋がる{{Sfn|島並良・上野達弘・横山久芳|2009|p=22}}。これは、例えば[[日本国著作権法]]が目的とする「文化の発展」と適合する{{Sfn|髙部眞規子|2012|p=103}}。一方で、特定の具体的表現を独占させたとしても、通常は一つのアイディアから無数の具体的表現が可能なので、著作権法が表現活動を不当に妨げることにはならないと考えられる{{Sfn|島並良・上野達弘・横山久芳|2009|p=22}}。また、後述するように、実際の著作権制度が与えている保護が、アイディアのような抽象的なものを保護するには強力過ぎるという点がある{{Sfn|島並良・上野達弘・横山久芳|2009|pp=22&ndash;23}}。
 
[[File:Copyright IdeaExpDivide Ja.png|米国著作権法におけるアイディア・表現二分論の解説例{{Sfn|山本隆司|2008|pp=11&ndash;12}}。|thumb|350px]]
「公共性」の高低によってアイディア・表現二分論は、を整理する考え方もある。発明や創作物がどの程度の「を、公共性」を持っているかによって、高い順に「抽象的アイディア」「具体的アイディア」「アイディアの『表現』」の3階層に分類する。公共性が最も高い抽象的アイディア (たとえば化学の基礎知識) は、社会利用を促進する観点から、アイディア自由の原則が適用され、特許権や著作権での法的保護は認められない。しかし、それが具体的なアイディア (化学知識に基づいた新薬の開発) になると、申請条件を満たしていれば特許が認められ、新薬の開発者を動機づけるため、特許保有者以外は一定の期間、その新薬を製造・販売できなくなる。さらにその新薬に関する科学論文や、新薬を飲んだ患者の体験本は、アイディアの「表現」であることから、その執筆者には著作権が認められる{{Sfn|山本隆司|2008|pp=12, 46}}。
 
なぜ公共性という概念で分類するのかを考察する上で、アイディア・表現二分論が発達している米国の「産業政策理論」と呼ばれる考え方が重要になってくる。これは、モノの発明者や創作者に対し、政府が法律によって独占的な権利を無制限に与えたり、私的な恩恵を与えるのではなく、発明者や創作者を一定の期間に限って動機付け、期限が切れた後はその天才たちの成果物を社会が利用できるようにすることで、公共の利益を達成しようという発想である。さらにその背景には、競争の自由を阻害する市場の独占は悪であり、これに対する警戒心が強いという思想がある{{Sfn|山本隆司|2008|pp=9&ndash;11}}。
 
つまり、特許権であれ著作権であれ、権利者に一定の独占を認めている。しかし、その独占の強さに違いがあるため、アイディアと表現を切り分け、過度な独占につながらないよう制御する必要がある。ここでの独占の強さの違いであるが、世界の多くの国々の著作権法では、著作物が創作された時点で、自動的に著作権が発生する「[[著作権#方式主義と無方式主義|無方式主義]]」を採用している{{Refnest|group="註"|著作権の基本条約である[[ベルヌ条約]]で無方式主義を採用しており、ベルヌ条約の締結国は2019年6月時点で世界180ヶ国以上に上る<ref name=BerneConv-WIPO-2>{{Cite web |title=Contracting Parties > Berne Convention > Paris Act (1971) (Total Contracting Parties : 187) |trans-title=ベルヌ条約の1971年パリ改正版の加盟国 (閲覧時点で187か国加盟済) |url=https://www.wipo.int/treaties/en/ActResults.jsp?act_id=26 |publisher=[[WIPO]] |accessdate=2019-06-04 |language=en}}</ref>。}}。一方、特許や商標などの産業財産権は、権利者の独占が著作権より強い分、政府当局に申請して許可されなければ、その権利が認められない「方式主義」である。仮にアイディアと表現を明確に切り分けず、容易に権利が認められる著作権を笠にして、アイディアそのものまで広く独占保護を求める者が出てくると、アイディア自由の原則がないがしろにされたり、特許手続の抜け道として著作権保護が悪用されるおそれがある。したがって、アイディア・表現二分論には、著作権で保護される範囲を制限するという側面がある{{Sfn|山本隆司|2008|pp=45}}。
 
ただし、アイディア・表現二分論は著作権制度の重要な規範であるが、創作物のアイディアと表現の線引きは実際には簡単ではない{{Sfnm|デイビッド・A・ワインスティン|1990|1p=44|髙部眞規子|2012|2p=105|白鳥綱重|2004|3pp=96&ndash;98|中山信弘|2014|4p=123}}。ある著作物の著作権侵害が問題となったとき、「アイディアの表現」が複製されたのか、それとも「アイディア」のみが複製されたに過ぎないのか、といったことが議論になる{{Sfn|デイビッド・A・ワインスティン|1990|p=44}}。実際の創作物ではアイディアと表現の境界は不明確で、アイディアと表現の綺麗な二分はほとんどできない{{Sfnm|髙部眞規子|2012|1p=105|中山信弘|2014|2p=158}}。抽象的アイディアと具体的表現の間には、表現の抽象度の高低に応じてさまざまな段階があると考えられる{{Sfn|島並良・上野達弘・横山久芳|2009|p=31}}。アイディアと表現を線引きできる一般的基準を確立することは困難である{{Sfn|髙部眞規子|2012|p=105}}。実情としては、それぞれの事案ごとに、その創作物におけるアイディアと表現とは何かを個別に検討しなければならない{{Sfnm|髙部眞規子|2012|1p=105|白鳥綱重|2004|2p=98}}。
<!-- 英語版からの翻訳パートだが、要出典状況が長らく続いていて改善しないため、いったんコメントアウト。2019年6月の改稿で、別出典で書き換えたため、場合によっては以下の表記は除去してもいいかもしれません。
 
知的財産権に対する批判の中には、一般的な思想及び概念が方法論として解釈されるときに思想・概念自体に独占的な権利を与える「特許」と、そのような権利を与え得ない「著作権」との混同に基づくものがある。{{要出典|date=November 2015}}[[冒険小説]]を例にとって説明しよう。著作権は、全体としての作品に、特定のストーリーや登場人物に、あるいは本に含まれる[[挿絵]]に存在することがあり得るが、通常は、そのストーリーのアイディアや[[ジャンル]]には存在し得ない。したがって著作権は、「ある男が冒険に出掛けて探検する」というアイディアには存在し得ないが、このパターンに沿った特定のストーリーには存在し得る。同様に、ある著作物内に述べられている方法論や手順に[[特許|特許要件]]があれば、それらは各種の[[特許請求の範囲|特許請求]]の対象となり得、それは同じアイディアに基づく他の方法論や手順を包摂できる広さを持つこともあれば、そうでないこともある。例えば、 [[アーサー・C・クラーク|アーサー・C・クラーク]]が1945年の論文で通信衛星([[電気通信]]中継器として使用される[[静止軌道|静止衛星]])の概念を十分に記述していたため、1954年に[[ベル研究所]]で(独立に{{要出典|date=February 2009}})通信衛星が開発されたが特許要件があるとはされなかった。
-->
== マージ理論 ==
アイディアと表現を切り分けるのが理想である。しかし、ある表現を使用しなければ、その大元にあるアイディアも使用できないほどに結合 (マージ、merge) が強い場合、アイディア自由の原則と表現の保護という二つの考え方は両立できなくなる。この際、アイディア自由の原則を優先し、著作権による保護は制限されるという考え方がマージ理論 ({{Lang-en|Merger doctrine}}){{Refnest|group="註"|日本語では、混同理論{{Sfn|中山信弘|2014|p=72}}、融合理論{{Sfn|金井重彦|2015|p=44}}、融合法理{{Sfn|白鳥綱重|2004|p=79}}などとも呼ぶ。他のカナ転写としてはマージャー理論{{Sfn|中山信弘|2014|p=72}}もある。}}である{{Sfn|山本隆司|2008|pp=47&ndash;49}}。マージ理論が適用されたリーディング・ケースとしては、後述する1879年のアメリカ合衆国最高裁判決「{{仮リンク|ベーカー対セルデン裁判|en|Baker v. Selden}}」(101 U.S. 99) と、1971年の第9巡回区控訴裁判決「ハーバート・ローゼンタール・ジュエリー対カルパキアン裁判」(446 F.2d 738) が知られている。
 
== ありふれた情景の理論 ==
(狭義の) マージ理論を発展させたものとして、「ありふれた情景の理論」(フランス語でScènes à faire、英語圏でもフランス語がそのまま使用される) がある。マージ理論はアイディアと表現が1対1 (ないしごく限られた数) で結合しているのに対し、ありふれた情景の理論は1対Nであり、かつNの中でもお決まりの表現が一つに定まるケースである。このような場合、お決まり、つまり平凡な表現は著作権保護されないという考え方である{{Sfn|山本隆司|2008|pp=49&ndash;50}}。ありふれた情景の理論に関するリーディング・ケースとしては、後述する1988年のアメリカ合衆国第9巡回区控訴裁判決「{{仮リンク|データイースト対エピックス裁判|en|Data East USA, Inc. v. Epyx, Inc.}}」(862 F.2d 204) がある。
 
ここで注意すべきは、単に平凡な表現だからと言って、それだけを理由に法的に保護されないわけではないことである。アイディア自由の原則がまず優先的にあり、表現の保護によって大元となるアイディアまで利用を制限されてはならないからこそ、(狭義の) マージ理論もありふれた情景の理論も導き出されている。したがって平凡な表現であっても、アイディアとの結合 (マージ) が認められなければ、著作権法上で保護される{{Sfn|山本隆司|2008|pp=49&ndash;50}}。
 
なお、ありふれた情景の理論は、文学や映像などの芸術性や物語性を主に対象とし、「混同法理」はコンピュータ・プログラムなどの実用的な著作物を対象として使い分けるべきとの主張もあるが{{Sfn|Leaffer|2008|p=115}}、両者は密接に関係し、法廷では混同法理のこともありふれた情景の理論と呼ばれることが多い{{Sfn|Leaffer|2008|p=115}}。
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=== 日本 ===
日本では、マージ理論は、アイディア・表現二分論からの帰結ではなく、もう一つの著作物要件である[[創作性]]を根拠において理解することもある{{Sfnm|金井重彦|2015|1p=36|中山信弘|2014|2p=72}}。すなわち、あるアイディアを表現する場合に同一または類似の表現とならざる得ないのならば、そこに著者の創作性が発揮される余地はなく、創作性が欠如していることから著作物ではないとする{{Sfnm|金井重彦|2015|1p=36|中山信弘|2014|2p=72}}。しかしいずれにせよ、マージ理論を創作性の延長上で捉える考え方でも、米国著作権法に由来する元来の考え方でも、実際の著作権保護の範囲に大差はないといえる<ref>{{Cite web |url=http://www.itlaw.jp/merger.pdf |title=著作権法における「創作性」の概念とマージ理論 |author=山本隆司 |accessdate=2019-09-02}}</ref>。
先述の通り、日本においてはアイディア・表現二分論が完全に確立されているわけではない。たとえば実用的デザインを例にとると、日本の判例では、著作権と[[意匠権]]の両方で原則保護されるという考え方と、これを否定する考え方が併存する。前者の例は、サーファーを描いてプリントした「Tシャツ事件」(東京地裁判決、昭和56年4月20日、無体集13-1-432および判時1007-91) と、「博多人形事件」(長崎地裁、昭和48年2月7日 無体例集5-1-18) である。後者の例としては「木目化粧紙事件」(東京高裁、平成3年12月17日 知的裁集 23-3-808) が挙げられる。前者は、単に量産できる商材であるから、あるいは意匠登録の可能性があるからという理由だけで著作権保護の対象から除外すべきでないと判示している{{Sfn|山本隆司|2008|pp=56}}。
 
日本の判例において、アイディア・表現二分論やマージ理論が判旨に現れたものには、以下のようなものがある。
 
;万年カレンダー事件(大阪地裁昭和59・1・26判)
:アイディアの独創性が著作権法における表現とは異なることを明確にした判例の一つである<ref name="田村2010">{{Cite book|和書|title=知的財産法 |edition=第5版 |author=田村善之 |publisher=有斐閣 |year=2010 |isbn=978-4-641-14411-8 |pages=425-426}}</ref><ref name="西井2019">{{Cite book|和書|title=別冊ジュリスト 198号 著作権判例百選 |chapter=2 アイディアと表現の区別 |pages=6&ndash;7 |edition=第6版 |author=西井志織 |editor=小泉直樹・田村善之・駒田泰土・上野達弘 |publisher=有斐閣 |year=2019 |isbn=978-4-641-11542-2 }}</ref>。原告は、1917年から2084年までのある年月日の曜日を調べることができる特殊なカレンダーを考案・制作し、実用新案権を取得した。調べたい年月日の年と月をもとに別の索引表を調べると、ある色が決まる。そして、数種類の色付きカレンダーの内、その色に対応するカレンダーを見ると調べたい年月日の曜日を知ることができるという手法である<ref name="田村2010"/>。被告は、色彩や文字の一部は異なるが、曜日特定の手法や特定可能な年の範囲は同一であるカレンダーを製造・販売した。これに対して、原告が著作権侵害と実用新案権侵害を訴えた事件である<ref name="西井2019"/>。
:判決では、実用新案権侵害は認めたが、著作権侵害は認めなかった<ref name="昭和55(ワ)2009">{{Cite 判例検索システム |法廷名=大阪地方裁判所 |事件番号=昭和55(ワ)2009 |裁判年月日= 昭和59年1月26日 |url = http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/102/014102_hanrei.pdf }}</ref>。判決では、日本国著作権法第10条1項が著作物として例示する美術あるいは図表の著作物に該当するかが検討され、いずれの面からも原告のカレンダーは著作物に該当しないと結論付けた<ref name="西井2019"/>。判決は「(前略)本件において原告が著作物性を有すると主張するもの(中略)が、(中略)万年カレンダーの構成及びその標識体に色彩を採用した着想(アイデア)そのものに帰着するところ、法はかかる着想(アイデア)そのものには著作物性を与えていないために他ならないからである。したがつて、カレンダーとは別に索引表を設ける考案が実用新案権の対象となることは別として、本件カレンダーに著作物性を認めることはできない。」と述べ、アイディアが著作物性(著作物となり得る性質)を与えないことを述べた上で、原告のカレンダーの著作物性を否定した<ref name="昭和55(ワ)2009"/>。
:アイディアそのものを著作権法は保護しないという前提を念頭に置いた判例といえる<ref name="西井2019"/>。原告のカレンダーのアイディアが独創的であるかどうかと無関係に、そのアイディアに立って実際の表現物を作ろうとすれば、誰でも同一または類似の表現物にならざるえないと考えられ、その点からも判決は妥当と評される<ref name="田村2010"/>。
;脳波数理解析論文事件(大阪高裁平成6・2・25判)
:脳波に関する数理モデルについての研究成果がある研究者(原告)ともう一人の研究者(被告)を含む共同研究の形で発表された後、そこから派生した研究成果の論文を被告が原告の了解を得ないまま投稿し、原告を著者として含まない形で学術雑誌に掲載され、原告が著作権侵害を訴えた事件である<ref name="上野2009">{{Cite book|和書|title=別冊ジュリスト 198号 著作権判例百選 |chapter=1 アイディアと表現 |pages=4&ndash;5 |edition=第4版 |author=上野達弘 |editor=中山信弘・大渕哲也・小泉直樹・田村善之 |publisher=有斐閣 |year=2009 |isbn=978-4-641-11498-2 }}</ref>。原告の主張は明瞭でない点もあるが、その主張において「数理科学の世界では、専門著作物性が、形式的異同ではなく、数理科学における学問的意義により決定されている以上、そこでの著作権侵害は、その学問的実質により判断されなければならない。そこでの学術論文は、表現形式や表現方法には格別の意味もなく、一般に、そこに盛られた科学的思考が、著作権による保護を受ける。」などと述べ、学術論文におけるアイディアの重要性と著作権保護の必要性を主張した<ref name="上野2009"/><ref name="平成2(ネ)2615">{{Cite 判例検索システム |法廷名=大阪高等裁判所 |事件番号=平成2(ネ)2615 |裁判年月日= 平成6年2月25日 |url = http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/889/013889_hanrei.pdf }}</ref>。
:判決では、この主張に応える形で、「ところで、数学に関する著作物の著作権者は、そこで提示した命題の解明過程及びこれを説明するために使用した方程式については、著作権法上の保護を受けることができないものと解するのが相当である。一般に、科学についての出版の目的は、それに含まれる実用的知見を一般に伝達し、他の学者等をして、これを更に展開する機会を与えるところにあるが、この展開が著作権侵害となるとすれば、右の目的は達せられないことになり、科学に属する学問分野である数学に関しても、その著作物に表現された、方程式の展開を含む命題の解明過程などを前提にして、更にそれを発展させることができないことになる。このような解明過程は、その著作物の思想(アイデア)そのものであると考えられ、命題の解明過程の表現形式に創作性が認められる場合に、そこに著作権法上の権利を主張することは別としても、解明過程そのものは著作権法上の著作物に該当しないものと解される。」と述べ、アイディアは著作物ではないことを判示した<ref name="上野2009"/><ref name="平成2(ネ)2615"/>。
:本判例は、技術的思想ないし学術的知見がアイディアに属することを示した一種であり、著作権法の基本原則に関する判決として意義を持つ{{Sfnm|髙部眞規子|2012|1pp=104&ndash;105|島並良・上野達弘・横山久芳|2009|2p=21}}<ref name="上野2009"/>。他にも、特に学術論文に関する判例では、アイディアのみが共通するに過ぎないことから著作権侵害を否定したものは比較的多い<ref name="上野2009"/>。
;城の定義事件(東京地裁平成6・4・25判)
:日本の城に関する書籍を出版した著者と会社(原告)が、その書籍の模倣を含む書籍を出版した会社を著作権侵害で訴えた事件である。判決では、一部は著作権侵害が認められ、一部では認められなかった。著作権侵害が認められなかった記述が、「城とは人によって住居、軍事、政治目的をもって選ばれた一区画の土地と、そこに設けられた防御的構築物をいう」という、原告の著者が考案した城を定義する一文である<ref name="清水2009">{{Cite book|和書|title=別冊ジュリスト 198号 著作権判例百選 |chapter=2 定義の著作物性 |pages=6&ndash;7 |edition=第4版 |author=清水節 |editor=中山信弘・大渕哲也・小泉直樹・田村善之 |publisher=有斐閣 |year=2009 |isbn=978-4-641-11498-2 }}</ref>。
:判決は、定義文について「原告が長年の調査研究によって到達した、城の学問的研究のための基礎としての城の概念の不可欠の特性を簡潔に言語で記述したもの」であり、同時に「原告の学問的思想そのもの」とした。そして、「本件定義のような簡潔な学問的定義では、城の概念の不可欠の特性を表す文言は、思想に対応するものとして厳密に選択採用されており、原告の学問的思想と同じ思想に立つ限り同一又は類似の文言を採用して記述する外はなく、全く別の文言を採用すれば、別の学問的思想による定義になってしまう」と述べ、件の定義文を著作物として認めることはできないと判示した<ref name="清水2009"/>。
:本判例は、学術定義をマージ理論の観点から著作物保護を否定した判例といえる<ref name="清水2009"/>{{Sfn|中山信弘|2014|p=72}}。問題となった定義文は学問的思想そのものであった。同様の「情報量がきわめて小さく、ある考え方の骨子に相当するといわざるをえないもの」は、著作権法上のアイディアと見なされると考えられる{{Sfn|駒田泰土・潮海久雄・山根崇邦|2016|p=21}}。
;会社パンフ事件(東京高裁平成7・1・31判)
:[[編集著作物]]の著作権侵害が争われた事件である。会社案内パンフレットを作り変える予定だったある会社(被告)に、広告企画・制作の会社(原告)がラフ案を示したが、被告は金額が高いことを理由に採用しなかった。その後、被告は別の会社に依頼してパンフレットを完成させたところ、そのパンフレットは原告のラフ案に似た物であった。これに対して、原告が被告を複製権の侵害で訴えた<ref name="茶園2009">{{Cite book|和書|title=別冊ジュリスト 198号 著作権判例百選 |chapter=23 編集著作物(3)―会社案内 |pages=48&ndash;49 |edition=第4版 |author=茶園成樹 |editor=中山信弘・大渕哲也・小泉直樹・田村善之 |publisher=有斐閣 |year=2009 |isbn=978-4-641-11498-2 }}</ref><ref name="蘆立2019">{{Cite book|和書|title=別冊ジュリスト 198号 著作権判例百選 |chapter=47 アイディアと表現の区別(2)―選択と配列の相補性 |pages=96&ndash;97 |edition=第6版 |author=蘆立順美 |editor=小泉直樹・田村善之・駒田泰土・上野達弘 |publisher=有斐閣 |year=2019 |isbn=978-4-641-11542-2 }}</ref>。原告のラフ案と被告のパンフレットには、具体的な文章や写真は異なるものの、同じ計23ページから成り、各ページの内容のテーマは共通し、各ページのレイアウト、各写真・イラストから受ける印象はよく似た印象を与えるものだった<ref name="田村2013">{{Cite journal |和書|author=田村善之 |title=著作権の保護範囲に関し著作物の「本質的な特徴の直接感得性」基準に独自の意義を認めた裁判例(2・完) : 釣りゲータウン 2 事件 |date= 2013-03 |publisher=北海道大学情報法政策学研究センター |journal=知的財産法政策学研究 |volume=42 |pages=112-118 |url=http://hdl.handle.net/2115/52393 }}</ref>。
:本判例は、編集著作物におけるアイディアと表現の分別判断の貴重な事例の一つといえる。アイディア・表現二分論にもとづき、編集著作物における素材の選択方針や編集方法自体はアイディアの一種とみなされ、著作権保護の対象ではない。しかし、具体的な素材の同一性・類似性のみならず、配列の同一性・類似性も編集著作物の侵害として含める場合には、アイディア自体の保護とならないように注意を要する<ref name="蘆立2019"/>。この事件の一審では、このパンフレットという編集著作物における「素材」と見なせる各ページの具体的な文章や写真が、原告のラフ案と被告のパンフレットでは異なることから著作権侵害を否定した<ref name="田村2013"/>。
:しかし二審の判決では、パンフレット中の具体的な文章や写真は異なっていても、「両会社案内は、記事内容の配列及び各種記事に対する配当頁数の同一という基礎的な共通性に立脚した上で、同一頁の同一箇所におけるイメージ写真の選択及び特徴的イメージ写真(3、4頁)の強度の類似性並びに同一箇所における余白ないし白地部分の活用といった両会社案内を特徴づける構成の類似性からみて、具体的な素材の選択及び配列に強度の共通性がある」と述べ、この共通性は単なるアイデアの共通性ではないと判断し、被告のパンフレットは原告の複製権を侵害していると認めた<ref name="蘆立2019"/>。ただし、個別のページだけであれば、同程度の類似性があってもアイディア自体の共通に留まったであろうとも推定される。計23ページに亘って共通性が連続したことが、アイディアではなく表現の共通であるという判断に妥当性を与えたと考えられる<ref name="田村2013"/>。
 
== 関連項目 ==
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* {{Cite book|和書|title=アメリカ著作権法の基礎知識 |edition=第2版 |author=山本隆司 |publisher=太田出版 |year=2008 |isbn=978-4-7783-1112-4 |ref=harv}}
* {{Cite book|和書|title=アメリカ著作権法 |last=Leaffer |first=Marshall A. |translator=牧野和夫 |series=LexisNexis アメリカ法概説 (5) |publisher=レクシスネクシス・ジャパン |origyear=2005 |year=2008 |isbn=978-4-8419-0509-0 |ref=harv}} - 原著 "''Understanding Copyright Law, 4th edition''" の日本語訳
* {{Cite book|和書|title=著作権法入門 |edition=初版 |author=島並良・上野達弘・横山久芳 |publisher=有斐閣 |year=2009 |isbn=978-4-641-14373-9 |ref=harv}}
* {{Cite book|和書|title=詳細 著作権法 |edition=第4版 |author=作花文雄 |publisher=ぎょうせい |year=2010 |isbn=978-4-324-08975-0 |ref=harv}}
* {{Cite book|和書|title=知的財産権法Ⅱ 著作権法 |edition=初版 |author=駒田泰土・潮海久雄・山根崇邦 |publisher=有斐閣ストゥディア |year=2016 |isbn=978-4-641-15021-8 |ref=harv}}
* {{Cite book|和書|title=実務詳説 著作権訴訟 |author=髙部眞規子 |publisher=金融財政事情研究会 |year=2012 |isbn=978-4-322-11981-7 |ref=harv}}
* {{Cite book|和書|title=著作権法 |edition=第2版 |author=中山信弘 |publisher=有斐閣 |year=2014 |isbn=978-4-641-14469-9 |ref=harv}}
* {{Cite book|和書|title=アメリカ著作権法 |edition=初版 |author=デイビッド・A・ワインスティン |translator =
山本隆司 |publisher=商事法務研究会 |year=1990 |isbn=4-7857-0525-6 |ref=harv}}
* {{Cite book|和書|title=アメリカ著作権法入門 |edition=初版 |author=白鳥綱重 |publisher=信山社出版 |year=2004 |isbn=4-7972-5558-7 |ref=harv}}
* {{Cite book|和書|title=著作権法コメンタール1 1条~25条 |chapter=第2条 定義/著作物 |pages=16&ndash;51 |edition=第2版 |author=金井重彦 |editor=半田正夫・松田政行 |publisher=勁草書房 |year=2015 |isbn=978-4-326-40305-9 |ref=harv}}
 
== 関連文献 ==