「ノート:長谷川豊」の版間の差分

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:ご期待に添えず、長谷川豊さんにとっては納得できないところもあろうかと思います。しかし、ここがWikipediaである以上、方針に沿ってことを進める必要があります。
:以上、長くなりましたが理解していただくようお願いします。長文ゆえ、書いている間に他の方の投稿もありましたが文面はこのまま投稿します。 -- <span style="font-family: '游明朝', serif; font-weight: bold;">[[利用者:Sho.miz|Sho.miz]] - <sup>[[利用者‐会話:Sho.miz|T]]</sup>/<sub>[[特別:投稿記録/Sho.miz|C]]</sub></span> 2020年7月9日 (木) 16:30 (UTC)
 
{{コ}} 㭍月例祭と申します。私の立場については[[利用者‐会話:長谷川豊#おねがい]]で説明しておきました。ひとまず結論だけ書きます。(理由を書くと長くなる。もう6時間以上かけていますが一向に短くまとまらない)正直、難しいです。
 
*ウィキペディアに書かれるのは、「正しいこと」でもなければ「事実」でもない。単に検証可能だというだけでも不足。「百科事典に書くに相応しいこと」です。存命人物伝(BLP)の場合まずそこに難しさがあります。
 
私は「現時点での材料からみれば」「当面はこうしておくのが無難じゃないか」と次のように考えます。
 
*まず、百科事典に収録するテーマとしては、難易度が高い主題だ、困ったね、てことです。そこはまず共有しておきたいなと思います。
*何が難易度高いって、BLPであり、現役で政治的主張をする人物であり、しかもとんがった発言をする人だってことです。[[Wikipedia:論争のある記事|ウィキペディア外でも物議を醸している主題]]であり、百科事典がいちばん苦手とするテーマの一つでしょう。
*しっかり調べ物をして、俯瞰的な目線でバランスのとれた網羅的な記事を書くのが理想です。ですが、一過性のニュース記事に飛びついて、その帰結として断片的な情報がバランス悪く収集された「まとめ記事」が多数ある。この記事に限らず。
 
そういう状況で、特に取り扱いが難しいテーマだということを確認した上で、「だから当分はこうしておこう」と妥協しておくのが落とし所。(なんか賛成は得られなさそうだな、とも思いますけど。)
 
*現状、ネガティブ情報に偏って詳述されており、特筆すべき事情に応じて適切なバランス(分量)へ是正は必要
*「本人サイドによる都合のいい情報」に偏る(都合が悪いことをあまりにも書かない、のも偏向の一種)のもまたダメ
 
*現時点では、アナウンサーとしての事績に留めておくのが無難。
*政治的な言動においては、とんがった発言をする人物であり、それを詳述しようとすると記事もとんがってしまう。でもそれは百科事典としては避けたい。だから、何がどうとんがっているかの説明は避け、とんがった部分は全部書かない、というのがとりあえず無難。(とんがってるということで特筆すべき存在になっているという面もあるようなので、難しいとは思う。)
 
*適正な状態(中立的)にする指針となるのは、適切な・俯瞰的な・分析的な・二次情報源(第三者が書いた伝記本が典型)。
*が、現時点ではそういう情報源はなさそうだから、評価のむずかしい政治的主張については、適切な情報源がないから一切書かないでおく、というふうにするのが次善の策
*最終的には、この方が物故者になって10年ぐらい経たないと、いい塩梅の百科事典記事にするのは難しそう。
 
考え方の基本は「存命人物」と「記事のバランス」(≒中立性)です。これを軸に「検証可能だとしても、書くべきことかどうか」を検討します。現状は、数多くの存命人物記事と同じように、記事全体として多岐に渡る課題がある、というところです。
 
最優先はBLPです。特別に高い注意を払って記事を書き、「書かないべき」事柄もあります。
*「ウィキペディアの各方針を他の記事よりも厳密に遵守しながら書いてください」([[WP:BLPSTYLE]])
*「人物の生涯の<u>細部</u>については、信頼性の<u>高い</u>参考資料だけを用いるべき」(冒頭文)
*「否定的な情報で(中略)<u>貧弱な</u>情報源しかないものは(中略)即刻除去するべき」(冒頭文)
::※ここでいうBLPにおける情報源の信頼性の高さとか貧弱さというのは、毎日とか朝日という話ではないです。新聞記事はたいてい、Wikipediaではさほど高い価値の情報源とは扱えないです。新聞社の政治的姿勢の話ではなく、Wikipediaが求める信頼性の高さというのは専門家の査読を経た分析的二次情報源が理想です。要は高名な歴史学者や社会学者・政治学者が論文で「2017年の選挙における長谷川氏の主要な主張」を書けばそれが理想的な情報源で、それを別の学者が引用すれば最高です。これに比べ、速報的で無署名の新聞記事はそれに劣り、争点の一つになっている「政策4項目」における全候補者への一律アンケートにおける○✕回答の生データ、みたいなものは情報源としての評価はかなり低いです。それだけを基に「この人はこう主張した」とレッテル化して記述する材料としては弱すぎです。
 
次に「記事のバランス(適切な重みづけ)」です。中立性というのは単に両論併記しろということではなく、重要さに応じた分量に配慮しろ、というところがあります([[WP:WEIGHT]])。簡単にいうと、重要なことは長く詳しく書き、どうでもいいことは詳述するな、ということです。その「重要さ」の判断基準は俯瞰的情報源です。
*[[WP:NOTNEWSPAPER]]-「ウィキペディアでは人物や出来事の歴史的な特筆性が考慮されます。」「主題全体における重要性に見合った分量の記載に限定されるべきです(詳細はWikipedia:存命人物の伝記をご覧ください)」
 
「バランス」なので、大記事の中でネガティブな事柄がいくらか書かれることはありえます。しかし小記事でネガティブ情報に大部分を割いて詳述するのはダメです。一般の記事では他の部分が加筆されるのを待てばいいのですが、BLPではダメです。
 
この方の場合には、「政治的発言をめぐる炎上案件」は、たぶん「どうでもいいこと」とまで切り捨てられない面があるようだな、とも思います。が、それは取り扱いが難しい事柄であり、上等な情報源(伝記本)が出るまでは差し控えるというのがいい、と私は思います(皆さんはそう思わなさそうだなあとも思いますけど)
 
おそらく、この人物は「アナウンサー」としてのキャリアはもうクローズされていて、だから「アナウンサーとしての長谷川豊」についていろいろ書くぶんにはあまり問題がなさそうです。理想を言えば関係者が大方他界して「今だから言えること」みたいな情報源が普及した頃合いが本当の書き時なんですけどね。いっぽう「政治的主張を発信する人」としては現役なので、何をどう書くにも要注意なんですよ。プロ野球選手の記事で、シーズン中に打率の変化をいちいち書かないのと一緒。
 
争点の1つになっている「政策4項目」ですが、私はこれは「一切書かない」がいまのところ正解だと考えます。御本人が「本来の主張と違う」と主張しているのが理由ではなく、情報源のスジが悪い上に「わざわざ書くようなことじゃない」(検証可能だとしても)。「全候補者へのアンケートの全内容」というのは、「そんなこと特筆に値することか」という観点でスジが悪い。そこから一部だけを抜き出すのも恣意的な疑いはあります(ただしこの4項目は、2017選挙の主要な争点とされたテーマに大筋では沿っているので、べらぼうに恣意的だというほどではないです)。2時間に及ぶ単独インタビューで十分突っ込んだやり取りとかでもなく、複雑な政治問題に関する○✕2択アンケートを使って、レッテルのようにワンフレーズを箇条書きするのは、いかにもミスリードを誘い、妥当ではないということです。--[[利用者:㭍月例祭|柒月例祭]]([[利用者‐会話:㭍月例祭|会話]]) 2020年7月9日 (木) 19:24 (UTC)
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