「エルサレム旧市街」の版間の差分
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[[Image:Western-wall-plaza.jpg|250px|thumb|岩のドーム(後方左)と嘆きの壁(前面)]]
[[Image:Jerusalem1883.jpg|thumb|250px|エルサレムの地図(1883年)]]
'''エルサレム旧市街'''(エルサレムきゅうしがい、{{Lang-en|the Old City of Jerusalem}}; {{lang-ar|البلدة القديمة}}, ''al-Balda al-Qadimah''; {{lang-he|הָעִיר הָעַתִּיקָה}}, ''ha-ir ha-atiqah'')は、[[パレスチナ国|パレスチナ]](現在は[[イスラエル]]占領下の[[パレスチナ#パレスチナ自治区|パレスチナ自治区]]・[[東エルサレム]]地区)、[[エルサレム]]市中にある旧市街
エルサレムはいくつかの歴史的な宗教における重要な[[聖地 (アブラハムの宗教)|聖地]]・[[史跡]]を含んでいる。[[ユダヤ教]]徒にとっての[[神殿の丘]]と[[嘆きの壁]]、[[キリスト教徒]]にとっての[[聖墳墓教会]]、[[イスラム教]]徒([[ムスリム]])にとっての[[岩のドーム]]と[[アル=アクサー・モスク]]などである。これらのスポットと旧市街全体は、[[1981年]]に[[世界遺産]]として登録された。
伝統的に、旧市街は19世紀になって導入された4つの区画に分けられている<ref>{{cite book |last=Ben-Arieh |first=Yehoshua |pages=14 |editor=|title=Jerusalem in the 19th Century, The Old City|publisher=Yad Izhak Ben Zvi & St. Martin's Press|year=1984| | id = ISBN 0312441878}}</ref>。ムスリム地区、キリスト教徒地区、ユダヤ教徒地区、アルメニア人地区である。1981年に[[世界遺産]]として登録された。▼
▲伝統的に、旧市街は[[19世紀]]になって導入された4つの区画に分けられている<ref>{{cite book |last=Ben-Arieh |first=Yehoshua |pages=14 |editor=|title=Jerusalem in the 19th Century, The Old City|publisher=Yad Izhak Ben Zvi & St. Martin's Press|year=1984| | id = ISBN 0312441878}}</ref>。ムスリム
== 市壁の歴史 ==
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全体では、旧市街の市壁は43の見張り塔、11の門(うち7つは現在開放されている)を含んでいる。
==
[[Image:OldCityMap.PNG|thumb|300px|旧市街の概略図 右下が[[神殿の丘]]。そこから時計回りにユダヤ人
===アルメニア人地区===▼
[[File:Church, Mosque, Synagogue; Jerusalem.jpg|thumb|300px|[[w:Church of Our Lady of Sorrows, Jerusalem|キリスト教会]]、[[モスク]]、[[シナゴーグ]]が並び建つムスリム街区{{efn2|手前右の[[w:Church of Our Lady of Sorrows, Jerusalem|教会]]が{{仮リンク|アルメニア典礼カトリック教会|en|Armenian Catholic Church}}の[[w:Armenian Catholic Patriarchal Exarchate of Jerusalem and Amman|エルサレム=アンマン]][[総大司教]][[エクザルフ|代理]][[教会管区|管区]]庁、手前左寄り・三日月印を冠した[[ミナレット]](尖塔)が[[イスラム教]]の[[モスク]]、中央遠方に見える[[メノーラー]](七支燭台)の印 [[File:Menora.svg|25px]] が[[ユダヤ教]]の[[シナゴーグ]]。ムスリム街区を貫通する「[[ヴィア・ドロローサ]]」の一角。}}]]
{{main|en:Armenian Quarter}}
[[アルメニア人]]
{{see also|聖ヤコブ主教座聖堂}}
アルメニア人の[[修道院]]から2発の不発弾が見つかってからは、[[第三次中東戦争|1967年の第三次中東戦争]]は、地区の住民たちから「奇跡」として思い起こされるようになった。▼
1948年の[[第一次中東戦争]]以降、4つの街区は[[ヨルダン]]の管轄下に置かれた。ヨルダンの法では、アルメニア人や他のキリスト教徒たちに、キリスト教系の私立学校において、[[聖書]]にも[[クルアーン]]にも均等な時間を割り当てることを要請し、かつ教会資産の拡大を制限した。
今日、エルサレムには3000人以上のアルメニア人が住んでいるが、そのうち500人がアルメニア人地区で暮らしている。中には、[[神学校]]で学んだり、教会業務に従事するための一時的な居住者もいる。総主教座はこの街区に領地を持つとともに、[[西エルサレム]]などに高価な財産を所有している。▼
▲今日、エルサレムには3000人以上のアルメニア人が住んでいるが、そのうち500人が旧市街のアルメニア人
1967年の第三次中東戦争の後に、イスラエル政府は戦争で損害を受けた教会や神聖視された遺跡の修復のために、その損害がどの陣営によるものかを問わず、修復のための補償を行った。
1975年にアルメニア人
===キリスト教徒
{{main|en:Christian Quarter}}
キリスト教徒
[[イエス・キリスト]]が十字架を背負って歩いたとされる「悲しみの道」({{lang-la}}[[ヴィア・ドロローサ]])がある。キリスト教徒の巡礼者や修道士たちが、大きな木の十字架を
▲キリスト教徒地区は、旧市街の北西端に位置している。ジャッファ門でアルメニア人地区と接し、北の新門まで伸びている。このラインが東の[[ダマスカス門]]まで延びており、ここがムスリム地区との境界になっている。
{{see also|パレスチナのキリスト教}}
▲[[イエス・キリスト]]が十字架を背負って歩いたとされる「悲しみの道」がある。キリスト教の巡礼者が十字架を掲げながら、イエスの受難の足取りを辿る。イエスが十字架の重みに耐えかねてつまずいた場所。人ごみの中に聖母マリアの姿を見つけた場所。そしてイエスが手を突いた壁。巡礼者はイエスのあえぐような息遣いを感じる。「悲しみの道」の終着点がこの地区にはキリスト教徒たちにとっての最大級の聖所のひとつ、[[聖墳墓教会]]がある。
===ユダヤ人
{{main|en:Jewish Quarter (Jerusalem)}}
ユダヤ人
この街区は紀元前8世紀以来のユダヤ人たちの断続的な存在によって、実に豊かな歴史的経験を重ねてきた。
1948年にはおよそ2000人いたユダヤ人たちは包囲の上で集団退去を命じられ、歴史ある[[シナゴーグ]]群も破壊された。この
それ以降は再建も進み、2004年には2348人の住民を数えるまでになっており[http://www.jiis.org.il/imageBank/File/shnaton_2004/shnaton_c1404.pdf]、多くの教育施設も設立されている。
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再建される前には[[ヘブライ大学]]の[[考古学]]者[[:en:Nahman Avigad|Nahman Avigad]]の監督下で、発掘調査も行われた。考古学の遺物は一連の博物館に陳列されているほか、現在の市街よりも2、3階分低いところにある野外公園に陳列されており、世界的に見ても屈指のアクセスの容易さを誇る遺跡発掘現場となっている。
===ムスリム
{{main|en:Muslim Quarter (Jerusalem)}}
▲ムスリム地区は旧市街の北東端に位置し、4地区のなかで最も大きく、人口の多い地区である。ライオン門やヘロデ門があり、神殿の丘の北壁と接している。
他の3つの
== 門 ==
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: [[スレイマン1世]]の夢見に因むという伝説がある。それによれば、彼はもし旧市街の市壁を再建しなければ、ライオンに食べられてしまうという夢を見たとされる。彼はこのことを記念して、門のひとつに二頭のライオンを刻むよう命じたという。これらの獅子は今日でも見ることが出来る。
*'''新門'''
: 新門は1889年に遡るものである。この年に、フランス人の[[カトリック教会|カトリック]]聖職者が、[[スルタン]]の[[アブデュルハミト2世]]に、キリスト教徒
: エルサレムが東西に分断されていた19年間は、新門はブロックされ、そこにヨルダンの軍事前哨拠点が築かれた。
* '''フルダ門'''
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== 関連項目 ==
{{Commonscat|Old City (Jerusalem)}}
* [[パレスチナ]] - [[イスラエル|イスラエル国]]と[[パレスチナ国]](パレスチナ自治区)を含む広義の「パレスチナ地域」
* [[東エルサレム]]▼
** [[パレスチナ自治政府]]
▲** [[ヨルダン川西岸地区]] - [[東エルサレム]]
* [[神殿の丘]]
** [[岩のドーム]] - [[アル=アクサー・モスク]]
* [[嘆きの壁]]
** [[嘆きの壁事件]]
* [[
** [[聖墳墓教会]]
*
▲* [[聖ヤコブ主教座聖堂]]([[アルメニア使徒教会]])
▲**[[アラビア語]]で[[預言者]][[モーゼ]]という意味の地名であり、同名のムスリムによる祭祀と巡礼の名前。東方教会における聖金曜日の前の金曜日から1週間に渡って執り行われるが、エルサレムから集団巡礼が出発する。
== 脚注 ==
{{
=== 注釈 ===
{{notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
{{各国の世界遺産
|