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* [[面白主義]]
* [[80年安保]]
* [[MONDO]]<ref name="SPA!19950920">[[扶桑社]]『[[SPA!|週刊SPA!]]』1995年9月20日号所載「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/mondo 【最低・最悪】モンド・カルチャーの正体]」特集</ref>
* [[カルト映画]]/[[モンド映画]]/[[スナッフフィルム]]/[[スプラッター映画]]
* [[ガロ系]]/[[特殊漫画]]/[[ヘタウマ]]/[[エロ劇画誌|三流劇画]]/[[貸本劇画]]/[[カルト漫画]]
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「鬼畜系」という言葉が活字出版物上に現れるようになったのは「鬼畜系カルチャー&アミューズメント入門講座」と銘打たれた『[[危ない1号]]』第2巻「特集/キ印良品」([[データハウス]]/[[東京公司]])が刊行された1996年頃からとみられている<ref>「本来、鬼畜系という呼称は、雑誌『危ない1号』(データハウス)周辺が出演したロフトプラスワンで開催されたイベントのタイトル『鬼畜ナイト』(96年開催。のちにイベントの模様がデータハウスより書籍化された)や『危ない1号』第2巻『特集/キ印良品』(データハウス・96年)の表紙に踊っていたキャッチフレーズ『鬼畜系カルチャー&アミューズメント入門講座』から来ているものと考えられます。その『鬼畜』というワードを『危ない1号』の編集長・青山正明氏に提唱したのが、同年に『鬼畜のススメ』(データハウス・96年)という著書を出版することになる村崎百郎氏です。その時点で『ここからここまでが鬼畜系です』というような明確なジャンルとしての定義があって名付けられたわけではなく、後にジャンル名として使われることになることも想定していなかったでしょう」ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、10-11頁。</ref>。
 
『[[SPA!]]』編集部は鬼畜ブーム特集「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/01/04/141233 鬼畜たちの倫理観]」(1996年12月11日号所収)で「鬼畜系」について「'''モラルや法にとらわれず、欲望に忠実になって、徹底的に下品で、残酷なものを楽しんじゃおうというスタンス'''」と定義し「死体写真ブームから発展した悪趣味本ブームの流れと'''[[モンド・カルチャー]]'''<ref name="SPA!19950920"/> の脱力感が合流。そこに過激な企画モノAVの変態性が吸収され、さらに[[薬物乱用|ドラッグ]]、[[レイプ]]、[[児童買春|幼児買春]]などの犯罪情報が合体した」ことを踏まえながら「インターネットの大ブームにより、過激なアンダーグラウンド情報が容易に入手できるようになったのも、この流れを加速させた要因だろう」と鬼畜系カルチャーが誕生した大まかな流れを概説している<ref name="SPA!19961211"/>。
 
=== ロマン優光による総括 ===
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[[世界恐慌]]が起こった1929年(昭和4年)から1936年(昭和11年)にかけて'''[[エログロナンセンス]]'''と呼ばれる[[エログロナンセンス|退廃文化]]が[[日本]]でブームとなった。時代的背景として[[関東大震災]](1923年)による帝都壊滅、[[白色テロ|官憲のファシズム台頭]]、[[プロレタリア文学|プロレタリア文化]]運動の弾圧、恐慌による倒産や失業の増加、凶作による娘の身売りや[[心中#一家心中|一家心中]]などで社会不安が深刻化しており、出口のない暗い絶望感と[[ニヒリズム]]が世相に充満していた<ref>「『文芸市場』の創刊当時を語るとなると、[[関東大震災]]をヌキにして語ることはできない。焼土と化した帝都。軍部の[[白色テロ]]の横行、[[関東大震災朝鮮人虐殺事件|朝鮮人の大量虐殺]]、[[甘粕事件|大杉栄、伊藤野枝、大杉の甥宗一少年の暗殺]]、[[亀戸事件|南葛労働組合員九名の惨殺]]、加うるに、[[虎ノ門事件|虎ノ門で行われた難波大助の皇太子暗殺未遂]]も、暗く、大きく作用して世は正に暗黒時代と言うにひとしかった。[[日本共産党]]が非合法を清算して、自由主義運動から始めなければいけないと迷うたほどだから、大方察しがつくだろう。[[治安維持法]]に反対する、政治運動をめぐって、[[アナ・ボル論争|アナとボルに分裂]]、対立したプロレタリア文学運動も、自然の脅威による帝都壊滅に出あって、いつとはなしに肩を接するように、元の共同戦線に帰って行ったが、絶望感とニヒルが底流していて、革命的志向を失ないがちだった」[[金子洋文]]「梅原北明と『文藝市場』」『文藝市場/復刻版 別冊』財団法人[[日本近代文学館]]、1976年5月30日発行、1頁。</ref>。大衆は刹那的享楽に走り、[[共産主義革命]]を翼賛する“反体制的反骨”のプロレタリア文化運動も行き詰まりの果てに、常識を逸脱するエログロナンセンスへと流れていった<ref>「戦後の[[バブル時代|バブル期]]には、左翼的で晦渋な[[ニュー・アカデミズム]]が流行した。戦前の[[エログロナンセンス|エロ・グロ・ナンセンス]]の時代には、[[共産主義革命]]を支援する[[プロレタリア文学|プロレタリア文化]]運動の隆盛があった。つまり昭和の初めと終わりには、軽薄さと社会派の両面から、常識やジャンルを逸脱する熱気が大きく盛り上がっていたのだ」[[足立元]]「猥本出版の王・梅原北明と昭和エロ・グロ・ナンセンス」『[[芸術新潮]]』2020年9月号, 新潮社, pp.36-41</ref><ref>「……濃淡の差こそあれ、ブルジョワ的婦人雑誌、その他一切の通俗読み物までブルジョワ・エロ・グロによって一塗りに彩られている。……何ら新しいイデオロギーも何もありはしない。エロの粉黛を、紅色に変化することによって、数万の読者を扇情してるだけだ。ばかりでなく、手近いところで、活動のレビュー、商店の飾り窓、新聞面の広告、一切合切がそうだ。何故そうか? あっさり言って、ブルジョワ文化が、行き詰まったからだ。二進も三進も、現実を無視して思想の、イデオロギーの進展はありはしない。濁った、流れない水は腐るよりほかない。エロも、グロもナンセンス新興芸術派もそこから発生した。見たまえ、殺人毒ガスマスクと大本教、昭和五年度二千件のストライキと日本刀──新聞面だけでも、可なりなグロがある。ましてや本誌編集者の梅原北明君が、常々、ロシア大革命史の翻訳者として著名になり、現在『グロテスク』の編集者であることなども、正にグロではないか。……しかし、プロレタリア芸術家は、この一九三一年度を『ブルジョワ・エロ・グロに巣食う人々』の駆逐に向かって闘争されなければならない」[[徳永直]]「ブルジョワ・エロ・グロ」グロテスク社『グロテスク』1931年4月号(復活記念号)129-130頁から抜粋。(引用文中、[[歴史的仮名遣]]で書かれた箇所については[[現代仮名遣い]]に改めた)</ref>。このムーブメントはまさしく混迷極まる昭和初期のわずかな暗い谷間に咲いた、現実逃避の徒花であった<!--(コメント)その通りなのかもしれませんが、百科事典には似つかわしくない詩的な表現ですね。-->。
 
このブームの中心人物こそ「[[エログロナンセンス]]の帝王」「[[地下出版]]の帝王」「[[エロ本|猥本出版]]の王」「[[発禁]]王」「[[罰金]]王」「[[わいせつ|猥褻]]研究王」などと謳われたエログロナンセンスの[[オルガナイザー]]・'''[[梅原北明]]'''である<!--(コメント)全般的に、煽るのが仕事であるメディアによって述べられた手前味噌的な批評文句をそのまま引用して、さらに太字によって強調して当ブームを形容する箇所が多いように感じます。その結果、百科事典であるにも関わらず、センセーショナリズムな文体が多いように感じます。一応、引用とわかる形になっている溜め、グレーゾーンかもしれませんが。-->。北明は『[[デカメロン]]』『[[エプタメロン]]』の翻訳で知られる出版人で、1925年(大正14年)11月にはプロレタリア文芸誌の体裁を取った特殊風俗誌『'''[[文藝市場]]'''』([[文藝市場社]])を既成[[文壇]]へのカウンターとして創刊。創刊号では「文壇全部嘘新聞」と題して[[田山花袋]]、[[岡本一平]]、[[辻潤]]が[[春画]]売買容疑で取調べられている横で、[[菊池寛]]邸が全焼し、[[上司小剣]]が惨殺されるという過激な虚構新聞を見開き一頁を割いて掲載した。それら内容はいずれも冗談と諧謔の精神に満ち溢れており、既成権威に対して[[イデオロギー]]を持たず<ref>「北明編集時の『グロテスク』をざっと見る限り、北明の『エロ・グロ・ナンセンス』がブルジョワ新興芸術ともプロレタリアート芸術ともかなり異質な、'''芸術至上主義やイデオロギーを排した生産的な秩序破壊の活動'''であったことがうかがわれる」秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 61頁。</ref><ref>わずか7年ほどの間に[[梅原北明]]は“反体制的反骨出版”を怒濤の勢いで行った。しかしながら北明には政治的・思想的な[[イデオロギー]]はなかったという。北明本人はエログロ出版から手を引く直前、雑誌で次のように回想している。{{Quotation|僕が要するに以前の雑誌グロテスクによってグロテスクとかエロチックとかいうようなことをまるで流行させたかのごとくに思われるのでありますけれども、然しこれは、僕は意識的にグロテスクあるいはエロチックをやったわけではなくて、詰り非常に大胆不敵な考えの下から、エロチシズムあるいはグロテスクということを主としまして、'''そして世の中を何でも構わぬから、お茶に濁して遣ろうという気になって、それを始めたのが丁度世の中に一種の流行を受けた'''というような訳で、始めから流行をさせようとかしないという様な意味でなくして、'''僕としては何でも構わぬから行ってやろう'''という単純な気持でやった訳です。ところが僕が止めた時分に世の中が案外そう云う様な時期になって実は僕としてはもう今日になってはエロだとかグロだとかの時代ではないと思うのです。そこで僕のほうじゃ好い加減鼻について居るのです。それで僕は一年許り止めて居たので、ところが、こっちが好い加減倦いたりして居る頃に世の中が漸くエロのグロのと騒いできたような訳なのです。|[[グロテスク社]]『[[グロテスク (雑誌)|グロテスク]]』1931年4月号(復活記念号)所載「全国留置場体験座談会」251頁。}}</ref><ref>「父は北明についてかつて何度か文章を発表しています。『なぜ、発表したのか』と聞きましたところ、『義理があったから』と答えました。ずいぶん、古いことをいうなと思って聞き返しましたところ、『義理とは人間関係を重んじることで、古いとか新しいの問題ではない』とのことです。この義理ということばですが、北明も義理を重んじた人のようです。こうしたあたりに北明を単なる『純血左翼』たらしめなかった原因の一つがあるように思います。つまり、イデオロギーより、人間関係を優先させる生き方をとったのです。そのためもあってか、後年、北明を評した文章の中に『ノンイデオロギーの徒』といったことばを書きつらねている人がいました。(中略)北明は、企業性がゼロに等しい男でした。だから、利害を度外視して思いきった華麗な出版活動を行ないえたのだと思います。倒産のうき目にあっても、北明が『再び出版を行なうから、予約金を送ってほしい』と、定期講読者に手紙を出すと、ミズテンで北明に金が送られてきたといわれています。弾圧にめげずに、ぜひ、おもしろい本を作ってほしい、という手紙が寄せられたとのことです。かりに利潤があがっても、北明は目のかたきのように金を使い、その一部は、冷や飯をたべさせられていたプロレタリア文学の作家にカンパしたそうです。このあたりに、左翼後遺症がうかがえる。同時に、人間関係をたいせつにした北明の一面があります」梅原理子「梅原北明 ポルノ出版の帝王―反逆、諧謔の一生」[[檸檬社]]『[[黒の手帖]]』1971年11月号「特集:評伝―伊藤晴雨/高橋鐵/梅原北明/稲垣足穂」58-62頁。</ref> 無意味なまでに反抗するような姿勢は、当時の[[同人]]からも「'''焼糞の決死的道楽出版'''」と評された<ref>[[文藝市場社]]の尾高三郎は、梅原北明編纂『明治大正綺談珍聞大集成』(1929年 - 1931年)の推薦文で、採算の取れない“決死的道楽出版”を行う理由を次のよう記している。{{Quotation|'''日本一の新聞蒐集家梅原北明氏決死的道楽出版'''<br />明治大正綺談珍聞大集成<br />(前略)親愛なる友よ。大正昭和年間に於ける猥本刊行者の親玉たる梅原北明の存在は餘りに有名であります。併し、彼をして単なる世界各国の猥文献提出者として葬るならば、餘りに彼の蒐集課目を無視したる言葉で、彼こそ實に日本一の新聞蒐集家であると云へば何人も驚嘆するでありませう。事ほど左様に彼は古新間の蒐集に拾数年を費し、この間に投じた蒐集費は数拾萬圓の上に算します。<br />この貴重な長時間と莫大な費用とで纏めあげたのが、今回の「明治大正綺談珍聞大集成」で(中略)内容装幀共に日本有史以来の凝りかたで、<ruby><rb>軈</rb><rp>(</rp><rt>やが</rt><rp>)</rp></ruby>て死んだ親爺のせつせと稼ぎ蓄めて残し去つた財産の大部分をかぢつて了ひさうです。<br />然らば、何が故に實費以下に頒布なさんとするのか? それには一つの大きな原因がなければならない。'''所謂原因は燒け糞です。梅原北明第三十一回の筆禍禁止勲章授與紀念報告祭に要する燒糞出版だからであります。'''損得を云つちやいられません。冗談にも早く三十二回目にしろよと云ひますので、責任出版者たる拙者こと文藝市場社こと尾高三郎こと、誠にもつて北明なんて愚にもつかぬ不經濟極る親友を脊負つてゐるばかりに、末は畳の上で死ねるか死ねないか今のところ一寸疑間ものです。<br />冗談は扨て置きまして、この紀念を、日本の後代に永遠に残し去かんとする慾望が編者の印税であり、又、明治、大正六十年の人類が刻み残した生ける珍記録の集成こそ、吾々にとつて、最も懐かしい人間的な歴史でなければなりません。と私は確信するので御座います。<br />たとへ、この'''貴重なる決死的道楽出版'''が、果して、諸賢に共鳴され得るや否やは大なる疑間です。併し吾々は、そうした<ruby><rb>對</rb><rp>(</rp><rt>たい</rt><rp>)</rp></ruby>社會的に不純なる投機的精紳とは絶対に妥協出来ないことだけは断言いたしておきます。<br />退窟は死なりと誰れかが云ひましたが、退窟で仕様のない人達にとつては、正に本書は唯一の獵奇趣味に富む眠む氣覺しであるかと思はれます。'''金錢と云ふ観念を全く超越した装幀の贅澤さ、内容の極珍ぶりに、東京中の出版業者は、多分泡をふいて極度の妬みと嘲けりを投げ與へることでせう。'''(中略)'''本書は一部でも多く賣れれば賣れるだけ損害が益々甚大になる譚です。が、この珍聞を一人でも多くに告げ得られる喜びは、千や二千の端金には換へられない貴い喜びだと信ずるからであります。特に百人の俗人に讀まるゝより一人の獵奇家諸氏に愛讀されんことを欲する次第で御座います。'''(後略)|文藝市場社『グロテスク』1928年11月号(第1巻第2号)}}</ref><ref>[http://hendensha.com/?p=3423 「公敵」としてのコンテクストメイカー梅原北明『殺人會社』『文藝市場宣言』『火の用心』『ぺてん商法』【FIGHT THE POWER】]</ref><ref name="umehara">[[梅原正紀]]「[https://web.archive.org/web/20210205102152/http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/umeharahokumei 北明について]」『[[えろちか]]』No.42「エロス開拓者 梅原北明の仕事」[[三崎書房]] 1973年1月</ref>。
 
1926年(大正15年)12月に北明が出版した会員誌『'''[[変態・資料]]'''』(文藝資料編輯部)4号では、[[月岡芳年]]画『[[黒塚|奥州安達がはらひとつ家の図]]』と共に、[[伊藤晴雨]]が撮影した「逆さ吊りの妊婦」(1921年)が本人に無断で掲載された。その上「この寫眞は画壇の變態性慾者として有名な伊藤晴雨畫伯が、臨月の夫人を寒中逆様に吊るして虐待してゐる光景」「恐らく本人の伊藤畫伯もこれを見たら、寫眞の出處に驚くだらう」という事実無根の解説文を載せ、大いに物議を醸した{{Refnest|group="注"|[[伊藤晴雨]]によれば、撮影後すぐに妻は下ろしたとしており、虐待を加える暇はなかったとされる。妻のキセは2日後に無事出産するが、晴雨は妻が無事だったことにがっかりしたという。}}。なお、北明と晴雨は[[留置場]]で同室した仲であり、互いの性格をよく知っていたことから、晴雨は写真の無断転載について「北明という男は罪のない男で腹も立たない」と述べている<ref>[[伊藤晴雨]]「女体逆さ釣り撮影記」第一出版社『人間探求』24号</ref>。以降も同誌には過激なグラビアが掲載され、9号(27年6月)には反戦写真集『戦争に対する戦争』(1924年)から負傷兵のえぐれた顔写真を無断転載し、チューブで食事する写真に「何と芸術的な食べかただろう!」「手数はかかるが彼の生活は王侯のそれと匹敵している」など本来の文脈から完全に逸脱した不謹慎なキャプションを添えた。この他にも[[ミイラ]]や手足の[[ホルマリン]]漬けなど[[グロテスク|グロ]]<!--の極みのような←(コメント)白黒写真時代からグロの「極み」を設定することは難しいため、表現修正-->写真が終刊まで無意味に掲載され続けた。なお、2021年9月に中野「[[まんだらけ]]」の禁書房が[[風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律|風営法違反]]で[[家宅捜査]]を受けた際、中古販売されていた『変態・資料』は頒布から90余年を経て、再び官憲に摘発・押収されている<ref>[https://www.news24.jp/articles/2021/10/22/07960904.html アダルトショップ営業…まんだらけ書類送検] - [[日テレNEWS24]] 2021年10月22日</ref>。
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1946年1月には[[菊池寛]]の命名で『[[りべらる]]』(太虚堂書房)が発刊され、創刊号は1万部を売った<ref>渡辺豪『戦後のあだ花 カストリ雑誌』三才ブックス、2019年9月、9頁。</ref>。同年10月にはカストリ雑誌ブームの火付け役となる『'''[[猟奇 (雑誌)|獵奇]]'''』([[茜書房]])が創刊され、発売から2時間で2万部を売り尽くした<ref name="watanabe11"/><ref>「刷り部数は2万部だったわけですが、2万部の根拠は、新聞広告をみた直接購読の読者が、約1万人ほどいたわけです。それだけで1万部は間違いなくでていくので、あと市場へだす分として1万部、合計2万部という線がでたわけです。(中略)創刊号を扱ったのは、河野書店だけでした。
つまり、引き受け手がなかったわけです。しかも、七半の現金取り引きでした。ところが、いざ売りだしてみると、創刊号は2時間で売り切れてしまったのです。当時は、地方の書店の親父さんが、リュックサックに現金を一杯つめこんで、東京まで買い出しにきていましたから、新聞広告などで本がでることが分かっているので、発売と同時にワッと買い占めたのでしょう」加藤幸雄「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/ryoki 連載・『猟奇』刊行の思い出(1) 創刊に至るまで]」『[[出版ニュース]]』1976年11月下旬号/1060号、[[出版ニュース社]]、9頁。</ref>。創刊の辞は「平和国家建設のために心身共に、疲れ切った、午睡の一刻に、興味本位に読捨て下されば幸いです」と、至って低姿勢なものであった<ref name="watanabe11"/>。
 
『獵奇』は「[[梅原北明]]のような出版活動が戦後も堂々と出来るのか」という意図で創刊され、戦前の[[エログロナンセンス]]を引き継いだ側面があった<ref>「『[[りべらる]]』は、私は[[カストリ雑誌]]とは、思っていませんでした。いわゆるカストリ雑誌、エロ雑誌と認めなかったわけです。当時でた『小説と読物』などは、完全な小説雑誌ですし、私の知人の22、3歳の若い男が1冊だけだしてやめた『ろまねすく』という雑誌がありましたが、これなども『りべらる』をちょっと軟化したような雑誌で、私はエロ雑誌とは認めませんでした。戦前、梅原北明のやっていたようなキワどいものとは認めていなかったのです。梅原北明のやった文芸市場社もののようなキワどいものが、堂々とやれるかどうかと、思っていたわけです」加藤幸雄「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/ryoki 連載・『猟奇』刊行の思い出(1) 創刊に至るまで]」『出版ニュース』1976年11月下旬号/1060号、出版ニュース社、7頁。</ref>。また北明の盟友だった[[花房四郎]]、[[斎藤昌三 (古書研究家)|斎藤昌三]]、[[藤沢衛彦]]が2号から編集者として参加し<ref>「2号の編集からは、スタッフがふえました。2号から参加した花房四郎の他に、斎藤昌三さん、明治大学の藤沢衛彦さん、それと三宅一郎、この3人を月1万円の顧問料をだして入れました。雑誌の定価が高いのでだせたのですが、当時の1万円といえば、かなりの高給をはずんだことになります。なにしろ、女の子の給料が600円、男の営業部員でも月給1000円といった時代でしたから」加藤幸雄「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/ryoki 連載・『猟奇』刊行の思い出(2) 戦後摘発第1号―北川千代三『H大佐夫人』で―]」『出版ニュース』1976年12月下旬号/1063号、出版ニュース社、24頁。</ref>、北明周辺の作家も積極的に起用された<ref>「その頃、『文芸市場』の編集をしていた花房四郎(当時45、6歳)という人が、新聞広告をみて、『私を使ってくれないか』といってきたのです。私は、『使うということより、編集者として、原稿集めをしてくれないか』ということで、その人を編集員にしたわけです。1号は原稿が揃っていたので、2号の原稿は、その人が集めてきたと思います。ですから、ほとんど『文芸市場社』の時代の作家が全部原稿を書いてくれたはずです」加藤幸雄「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/ryoki 連載・『猟奇』刊行の思い出(1) 創刊に至るまで]」『出版ニュース』1976年11月下旬号/1060号、出版ニュース社、8頁。</ref><ref>「それはともかく、ここでは『猟奇』が北明の原稿をあえて掲載したことに注目したい。実は『猟奇』という雑誌、戦前のエロ執筆者を積極的に登用していた。(中略)彼らの書くものは、その後、雨後の筍のように湧いた他のカストリ雑誌の下手くそな原稿に比べれば、まだしもまっとうな内容ではあるのだが、その多くは、戦前に執筆していた内容の焼き直し、あるいは延長にすぎない。カストリ雑誌は戦後突然現れたように語られているが、実は戦前の遺産を引き継ぐかたちで始まったのだ。『猟奇』の編集人が戦前のエロへの郷愁を抱いていたためなのか、その時期にエロを書き切れる人材が育っていなかったためなのかはわからないが、『猟奇』は、これまで大っぴらには出版できなかった戦前のエロをそのまま持ってきた部分が多いことは確かだ。これは昭和初期のモダニズムの影響を受けた表紙からも窺える(特に2号)」松沢呉一「カストリ雑誌と『ガロ』の長井さん―大衆向けエロ本の誕生と魑魅魍魎の特価本の流通」別冊宝島240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社、1995年12月、26頁。</ref>。執筆陣には、[[変態十二史]]シリーズの『変態伝説史』『変態浴場史』『変態見世物史』を執筆し、本誌の顧問も兼任した[[藤沢衛彦]]<ref>2号、3号、4号、5号で執筆。戦前の雑誌『獵奇画報』の編集者であり、戦後は[[明治大学]]の教授に就任した。専門は[[民俗学]]で、特に伝説研究に造詣が深い。また[[犯罪学]]や[[社会学|風俗研究]]にも通暁している。</ref>、同じく本誌の顧問で、北明とは深い交流があった古書研究家の[[斎藤昌三 (古書研究家)|斎藤昌三]]<ref>2号、3号、4号、5号で執筆。</ref>、SM界の巨匠と名高い[[伊藤晴雨]]<ref>晴雨は4号に「虐げられた日本婦人」を執筆。</ref>、[[生殖器崇拝]]研究の大家である[[久保盛丸]]<ref>創刊号、2号、3号で執筆。久保は「宇和島の凸凹寺法主」の異名を取る人物で『凸』『凹』『空曼陀羅』『生殖崇拝論』などの著作がある。1923(大正12)年に出版した『生殖器崇拝話集成』は無事発禁となった。</ref>、北明の雑誌『[[文藝市場]]』同人の[[青山倭文二]]<ref>青山は2号、3号で執筆。</ref> らが名を連ねた。1946年12月に発行された第二號では北明の遺作『[https://hendensha.com/bibi-bookshelf/petenshouho/OEBPS/bodymatter_0_0.xhtml ぺてん商法]』が掲載<ref>「(2号には)梅原北明の“遺稿”が載ってます。当時、あれはニセものだという説も流れていましたが、北明のほんものの“遺稿”なんです。というのは、青山倭文二という人が、小田原の北明の自宅から、直接もらってきた原稿なんです。北明は、小田原の自宅で亡くなったんですが、亡くなった直後に、その原稿を手に入れているのです。原稿用紙も北明自身の原稿用紙でしたし、確かにほんものだったと、いまでも思っています」加藤幸雄「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/ryoki 連載・『猟奇』刊行の思い出(2) 戦後摘発第1号―北川千代三『H大佐夫人』で―]」『出版ニュース』1976年12月下旬号/1063号、出版ニュース社、24頁。</ref><ref>「追記 梅原が去る5月に突然死んだと花房四郎君から通知を受取つたときには些か愕然とした。夢のやうな氣がした。それまでよきにつけ、惡しきにつけいろいろと交際を持ち續けて來た僕だつた。あの男の事であるから、もう慾は云はずにせめて四五年は生かして置きたかつた。何かあッと云ふような大きな仕事をしたに違ひない。然し、今はもう詮ない事である。今、その追悼文を書くのが目的ではない。せめて梅原が生前殘して置いたこの一文を公表しさえすれば足りる。遺稿は確か昭和十年頃になつたものではないかと思はれる。梅原らしい筆致で梅原らしい人柄がよく出てゐるのではないかと、微笑まされるところさへある(I・A生)」梅原北明(遺作)「ぺてん商法」『獵奇』第二號、茜書房、1946年12月、14-15頁。</ref>。ついでに[[北川千代三]]の官能小説『[[H大佐夫人]]』が問題視され、[[わいせつ物頒布等の罪]](刑法175条)による戦後初の摘発・[[発禁]]を受けた<ref>「今もなおこの誌名が出版史に残るのは、カストリ雑誌のスタイルを確立し、万単位の部数を売った実績だけでなく、第二号が刑法第175条の猥褻物頒布等によって初の摘発を受けたからだ。第3号巻頭に、摘発の経緯を説明し、低姿勢に謝罪をした『御挨拶』が掲載されている。これには、問題になったのは、『H大佐夫人』(北川千代三作の内容及挿画(高橋よし於筆)『王朝の好色と滑稽譚』(宮永志津夫作)の一部でした、とある。しかし、この二号はのちに再版が出されており、再版分は『H大佐夫人』『王朝の好色と滑稽譚』にあわせて、林恭一郎『亜拉比亜秘話』、MMT『新感覚派』計4本の原稿分16ページが削除されていることから、それらもまた問題とされ、警察からの指導があったのかもしれない」松沢呉一「カストリ雑誌と『ガロ』の長井さん―大衆向けエロ本の誕生と魑魅魍魎の特価本の流通」別冊宝島240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社、1995年12月、25頁。</ref><ref>「本誌第三號も校了になり、印刷にかゝらんとした、一月九日突如區検、内務省保安警視廳保安課三省連絡の上、本誌第二號の記事内容に就き'''刑法第一七五を適用して初の出版物に對する取締りを受けました'''。一時は官憲干渉に對し、やるかたなき憤りさへ感じ、出版の自由に對する彈壓でさヘあると思ったのであるが、取調べの進行するにつれて、當局の今回の措置が必ずしも出版の自由に對する彈壓でないと云ふ事に氣付いた次第である。第二號中、問題になったのは『H大佐夫人』(北川千代三作)の内容及挿畫(高橋よし於筆)『王朝の好色と滑稽譚』(宮永志津夫作)の内容の一部でありました。獵奇發行の意圖する處は、殺伐たる世相の中にあって、平和國家建設のために疲れきった人々の娯樂の一助にもなればと云ふ考へと、性の問題を取上げて究明し、今迄のあやまった、性道・習慣に對し出来得れば是正して行きたいと思ふのが目的であったのです、だが、その意図する處に反して、今回の事件を惹起した事は發行責任者として、自責の念にたへられない次第である。しかし、性問題に對する觀念の是正なぞと云ふ事は、一部の教育者や、特定の人達が、提唱するのみでは決して解決するのではない、あらゆる、大象を對照とした機關が、初め少しは感情的に缺陷はあるにもせよ取上げて究明しつゝ最後の高度な性教育にまで到達しなければならないのではないかとも考へられる。本誌第二號はその意味において決して、その目的を達してゐるとは考へない、性問題に對し、充分なる訓練を受けてゐない、年少者達に讀まれた場合、悪影響がないとは云ひ得ない、此點責任者として、どこまでもその責任は負ふつもりである。印刷會社、執筆者、置家、書籍取次店及讀者の方々に對し、多大の御迷惑をお掛け申した事を深謝申上げます。又、官憲諸氏のたヘず理解ある取調に對し紙上を以て感謝申上げます」加藤幸雄「御挨拶」『獵奇』第三號、茜書房、1947年1月、3頁。</ref>。これは結果として『獵奇』の名声を高め<ref name="watanabe11"/>、亜流誌として『新獵奇』『オール獵奇』『獵奇読物』『獵奇実話』『獵奇世界』『獵奇倶楽部』『獵奇ゼミナール』『獵奇雑誌・人魚』など、とにかく「獵奇」を冠したカストリ雑誌が雨後の筍のように創刊された<ref>「実はこの『猟奇』という言葉、昭和初期のエロ・グロ・ナンセンスの時代にさんざん使われた言葉である。かの新潮社も31(昭和6)年に『現代猟奇先端図鑑』を出しているくらいだ。たとえば、これ以外にも、『犯罪公論』『デカメロン』『奥の奥』といったカストリ雑誌の名前も、戦前に存在していた雑誌からのパクリで、このあたりのネーミングの安易さを見ても、カストリ雑誌を手掛けていた連中の志の低さがわかるかもしれない」松沢呉一「カストリ雑誌と『ガロ』の長井さん―大衆向けエロ本の誕生と魑魅魍魎の特価本の流通」別冊宝島240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社、1995年12月、27頁。</ref>。
 
さらに後続誌として『[[奇譚クラブ]]』『[[裏窓 (雑誌)|裏窓]]』『[[あまとりあ]]』『[[ろまんす]]』『[[風俗草紙]]』などが登場。のちに『'''[[奇譚クラブ]]'''』(1947年 - 1975年)は、[[SM (性風俗)|SM]]誌に転身して[[沼正三]]の『'''[[家畜人ヤプー]]'''』や[[団鬼六]]の『[[花と蛇]]』を連載した。『[[奇譚クラブ]]』の類似誌としては、[[澁澤龍彥]]編集『[[血と薔薇]]』(天声出版)や[[高倉一]]編集『[[風俗奇譚]]』『[[黒の手帖]]』(文献資料刊行会→[[檸檬社]])などがある。
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[[File:Poster - Freaks 02.jpg|thumb|280px|right|[[トッド・ブラウニング]]の『[[フリークス (映画)|フリークス]]』は[[1960年代]]に再評価されて以降、[[ミッドナイトムービー|深夜上映の形態で定期的に劇場公開された]]。]]
[[ファイル:Ilsa she wolf of ss poster 02.jpg|right|thumb|280px|[[エクスプロイテーション映画]]『[[イルザ ナチ女収容所 悪魔の生体実験]]』(1974年)は、[[サディズム]]と[[ナチズム]]を融合させた[[ナチスプロイテーション]]の典型的作品である。]]
世界各地の知られざる奇習や風俗を描いた[[グァルティエロ・ヤコペッティ]]監督の[[ドキュメンタリー]]映画『'''[[世界残酷物語]] MONDO CANE'''』(1962年)のヒットを嚆矢として、[[1960年代]]の[[ヨーロッパ]]や[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では、観客の[[見世物小屋|見世物]]的好奇心に訴える猟奇系のドキュメンタリー・[[モキュメンタリー]]映画が続々と登場し、人気を博していた。これら映画は「'''[[モンド映画]]'''」(Mondo film)または「'''[[エクスプロイテーション映画]]'''」と呼ばれる。特にモンド映画は、[[やらせ]]も含めたショッキングでいかがわしい演出と[[扇情主義|センセーショナリズム]]が特徴的であった。著名なモンド[[映画監督]]としては[[グァルティエロ・ヤコペッティ|ヤコペッティ]]以外にも『[[ピンク・フラミンゴ]]』の[[ジョン・ウォーターズ]]や『[[ファスター・プシィキャット!キル!キル!]]』の[[ラス・メイヤー]]などがいる。これら監督たちの映画は脱力的な大衆文化「'''[[モンド・カルチャー]]'''」のルーツとなったほか、世界中の悪趣味([[バッド・テイスト]])文化にも多大なる影響を及ぼした{{Refnest|group="注"|name="MONDO"|日本のサブカルチャーに「'''[[MONDO]]'''」という言葉と文化を輸入したのは、伝説的自販機本『[[Jam (自販機本)|Jam]]』『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』初代編集長の[[高杉弾]]といわれている。ちなみに高杉は「MONDO」について「'''アメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化'''」と定義した。また高杉は「MONDO」に一番近い不思議な[[日本語]]として「[[ひょっとこ]]」を挙げている<ref name="GARO199703">「これは日本に入って来たときに誤解されたよね。なんでもかんでもヘンなものをMONDOだってしちゃって。MONDOはもともとはイタリア語でWORLDのことなんだけれど、これを聞いたアメリカ人がすごくヘンな響きにきこえたらしくて、それで60年代にヘンなものを創ってる人達のことをモンドピープルって呼んだのが始まりだよね。それで[[ラス・メイヤー]]や[[アンディ・ウォーホル]]、[[ジョン・ウォーターズ]]なんかが『[[モンド・カルチャー|モンドカルチャー]]』とか『[[:en:Mondo New York|モンドニューヨーク]]』なんて言い出したの。要するにアメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化をそう呼ぶようになったわけだから、60年代でMONDOはなくなっちゃってるんだよ。で、MONDOを日本語に訳したら'''ひょっとこ'''だよね。ひょっとこっていうのが一番近い日本語だよ(笑)」[[高杉弾]]「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/mediamansubete#MONDO メディアマンライブトーク─高杉弾とメディアマンのすべて]」[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1997年3月号「特集/僕と私の脳内リゾート特集」48頁。</ref>。}}。日本でも[[中川信夫]]監督の『[[日本残酷物語]]』(1963年/[[国立映画アーカイブ|NFAJ]]所蔵)や[[中島貞夫]]監督の『[[セックスドキュメントシリーズ#にっぽん'69 セックス猟奇地帯|にっぽん’69 セックス猟奇地帯]]』などの[[モンド映画]]が製作されている。
 
その後、ヤコペッティが3年の歳月を費やし、本物の処刑シーンも収めた『[[さらばアフリカ]]』(1966年)が興行的に大失敗するなどして、過熱的なモンド映画ブームは終息したが、[[トッド・ブラウニング]]監督の『[[フリークス (映画)|フリークス]]』([[1932年]]・[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー|MGM]])がアメリカの[[映画館]]で深夜上映されたのを皮切りに、[[1970年代]]のアメリカでは[[カルト映画|カルトムービー]]や[[自主映画|インディーズ・ムービー]]が深夜上映の形態で続々公開されるようになった。これらの映画は「'''[[ミッドナイトムービー]]'''」と呼ばれ、一部の映画マニアを中心に熱狂的な人気を博した。また、ここから『[[ピンク・フラミンゴ]]』(犬の糞を食べるシーンがある)『[[エル・トポ]]』『[[ナイト・オブ・ザ・リビングデッド]]』『[[ロッキー・ホラー・ショー]]』『[[イレイザーヘッド]]』『[[エレファント・マン (映画)|エレファントマン]]』などのカルト映画も数多く生み出されていった。1972年には[[ラルフ・バクシ]]が画期的な[[アダルトアニメ]]『[[フリッツ・ザ・キャット]]』を製作し、史上最も成功した[[インディーズ]]系[[アニメーション映画]]のひとつとなった(それと同時にアニメ史上初の{{仮リンク|X指定 (レイティング)|en|X rating|label=X指定}}を受けた)。本作では[[ブラックユーモア]]や[[性行為|セックス]]描写が大胆に取り入れられ、主人公が[[学生運動]]、[[性の革命|性革命]]、[[ヒッピー]][[コミューン]]など[[アメリカ合衆国の社会|アメリカ社会]]で60年代後半に巻き起こった[[社会運動|ムーブメント]]を[[野次馬]]的に体験していく様子が毒々しく描かれている。
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このように1970年代末には、既成の出版文化から逸脱したサブカル・アングラ誌が続々と登場し、独自の文化を形成していた。そんな端境期に出現したのが、伝説的[[自販機本]]『'''[[Jam (自販機本)|Jam]]'''』『'''[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]'''』([[エルシー企画]]→[[アリス出版]]→[[群雄社出版]])である。[[メディアマン]]の'''[[高杉弾]]'''と'''[[山崎春美]]'''([[ガセネタ (バンド)|ガセネタ]]/[[山崎春美#TACO|TACO]])らによって[[1979年]]3月に創刊された『Jam』は、[[20世紀]]末の日本で花開いた「[[#サブカルチャーに於ける鬼畜系|鬼畜系]]」の元祖的存在とされた<ref name="QJ19">『[[Quick Japan]]』19号、[[太田出版]]、198頁。</ref><ref>ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、17-18頁。</ref><ref>[https://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/improtanigashira/2555/ 蓮實重彦、鬼畜系、麻原彰晃、あるいは2つの共時性を巡って] - ゲンロンスクール</ref>。特に『Jam』創刊号の爆弾企画「'''[[Jam (自販機本)#自販機本『Jam』創刊|芸能人ゴミあさりシリーズ]]'''」では、[[山口百恵]]の自宅から出たゴミを回収し、[[電波系]]ファンレターから使用済み[[生理処理用品|生理用品]]まで、誌面の[[グラビア]]で大々的に公開したことから物議を醸した(雑誌上のゴミ漁り企画は、[[アメリカ合衆国]]のアンダーグラウンド・マガジン『[[:en:Wet (magazine)|WET]]』〈1976-81〉のゴミ漁り企画が元祖である)。また同誌では、[[薬物乱用|ドラッグ]]、[[パンク・ロック]]、[[神秘主義]]、[[臨済禅]]、[[シュルレアリスム]]、{{仮リンク|フリーミュージック|en|Free improvisation}}、[[ヘタウマ]]([[蛭子能収]]・[[渡辺和博]])など[[オルタナティヴ|オルタナティブ・カルチャー]]を縦横無尽に取り上げ、[[:en:Intellect|知性]]と[[ユーモア|諧謔]]と[[狂気]]が交錯する[[パンク (サブカルチャー)|パンク]]な誌面を展開した。
 
[[1980年代]]に特異なサブカル誌が[[エロ本]]などから出現した背景について[[大塚英志]]は「[[全学共闘会議|全共闘世代]]が〈[[おたく]]〉第一世代に活動の場を提供する、という形で起きた」と指摘しており<ref>[[大塚英志]]『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』[[星海社文庫]] 2016年3月 18頁</ref>、これに関して[[高杉弾]]も「あの頃は[[自販機本]]の黄金期で出せば売れるという時代だったから、僕らみたいなわけの分からない奴にも作らせる余裕があったんだね。それに編集者は全共闘世代の人が多かったから、僕らみたいな下の世代に興味を持ってくれたんだと思うよ。それで『[[Jam (自販機本)|Jam]]』や『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』を作ったんだよね」と述懐している<ref>[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1997年3月号「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/mediamansubete 僕と私の脳内リゾート―ブレイン・リゾーター高杉弾とメディアマンのすべて]」46頁</ref>。その後、自販機本より過激な[[ビニ本]]の台頭、全国に飛び火した[[PTA]]や[[警察]]による弾圧運動などで、自販機本は急速に姿を消す。しかしながら『Jam』『HEAVEN』の[[アナーキー]]な精神は、[[アリス出版]]から分派した[[群雄社]]を経て、[[白夜書房]]〜[[コアマガジン]]系のアダルト雑誌に引き継がれていった<ref name="takarajima 19990526"/>。今日『Jam』『HEAVEN』は、伝説の[[自販機本]]として神話化されている<ref>[[赤田祐一]]「──はじめに」『[[スペクテイター (1999年創刊の雑誌)|SPECTATOR]]』vol.39「パンクマガジン『Jam』の神話」[[幻冬舎]]/エディトリアル・デパートメント、[[2017年]]、30-35頁。</ref>。
 
鬼畜系文筆家の草分け的存在である'''[[青山正明]]'''と'''[[村崎百郎]]'''も『[[Jam (自販機本)|Jam]]』の影響を強く受けており、青山は[[慶應義塾大学]]在学中の[[1981年]]にキャンパスマガジン『'''[[突然変異 (ミニコミ)|突然変異]]'''』(慶応大学ジャーナリズム研究会→突然変異社)を創刊{{Refnest|group="注"|[[青山正明]]は[[永山薫]]との対談で「面白かった時代っていうと、やっぱり『[[Jam (自販機本)|ジャム]]』『[[HEAVEN (雑誌)|ヘヴン]]』の頃。要するに、エロとグロと神秘思想と薬物、そういうものが全部ごちゃ混ぜになってるような感じでね。大学生の頃にそこらへんに触れて、ちょうど『ヘヴン』の最終号が出たくらいのときに、『突然変異』の1号目を作ったんです」と語っている([[宝島社]]『[[別冊宝島]]345 雑誌狂時代!』所載「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/AoyamaNagayama アンダーグラウンドでいこう! 自販機本からハッカー系まで]」より)。また青山は出版業界に入った理由について「僕自身は『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』という[[自販機本]]があって、その前身の『[[Jam (自販機本)|Jam]]』だったっけ? あそこらへんで、[[かたせ梨乃]]とか[[山口百恵]]の[[ゴミ漁り|ゴミ箱あさって]]……たしか、かたせ梨乃の[[タンポン]]とか、山口百恵の妹の学校のテストが二十点とかいう、すっげえ成績悪いやつを全部並べて写真撮って載せてるような……そういうメチャクチャな自販機本があったんですよ。それ見てね『あっ、こんな楽しいことやってて、食っていけるんだなー』って思って、うっかり入っちゃったんだよね。そのあとも、うっかり続きで(笑)」と[[青山正明#東京公司結成|東京公司]]のトークイベント『[[危ない1号|鬼畜ナイト]]』([[新宿ロフトプラスワン]]/1996年1月10日)にて語っている}}。[[障害者]]や[[奇形]]、[[薬物乱用|ドラッグ]]、[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]、[[皇室]]揶揄まで幅広く[[タブー]]を扱い<ref>[[吉永嘉明]]『自殺されちゃった僕』([[幻冬舎文庫|幻冬舎アウトロー文庫]])第3章「青山正明の思い出」の中「幻のキャンパス・マガジン」より。</ref>、熱狂的な読者を獲得したものの、[[椎名誠]]などなどの[[文化人]]から「日本を駄目にした元凶」「こんな雑誌けしからん、世の中から追放しろ!」<ref>[http://blog.livedoor.jp/yu_hirano/archives/1808002.html 天才編集者 故青山正明インタビュー] [[ロフト (ライブハウス)#経営者|平野悠]]. BURST 2000年9月号</ref> と袋叩きに遭い、わずか4号で[[休刊|廃刊]]する。一方の村崎は『Jam』からヒントを得て「[[鬼畜]]の[[ゴミ漁り]]」というスタイルを後に確立する<ref>[[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]「『Jam』創刊号を完読してみる」『[[スペクテイター (1999年創刊の雑誌)|Spectator]]』vol.39「[[Jam (自販機本)#パンクマガジン『Jam』の神話|パンクマガジン『Jam』の神話]]」p.50-65, 幻冬舎/有限会社エディトリアル・デパートメント, 2017年</ref>。
 
[[三流劇画ブーム]]と[[ロリコンブーム]]の仕掛人で、元[[アリス出版]]『[[少女アリス (自販機本)|少女アリス]]』編集長の[[川本耕次]]は、[[自販機本]]周辺のサブカルチャーが1990年代に[[#鬼畜・悪趣味ブーム|鬼畜系]]へと発展した経緯について次のように総括している。{{Quotation|[[自販機本|自販機エロ本]]というのは、それまであった[[エロ本]]のタブーをブチ壊し、アナーキーな性欲を街頭に開放することから始まった。既成の出版業界から見れば、[[鬼畜]]そのものだ。[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]に限らず、[[性欲]]に関するあらゆる[[タブー]]を打破し、マトモな性欲の持ち主だったら眉をひそめるようなネタを続々と登場させた。それは[[ビニ本]]に引き継がれ、タブーは次々に破られて行く。それが70年代終わりから80年代前半までのトレンドで、90年代の[[#鬼畜・悪趣味ブーム|鬼畜ブーム]]というのは、そんな連中、まぁ、おいらもその典型なんだが、'''そんな連中を「カッコイイ」と思って憧れていたネクラ少年たちが作り上げたブーム'''なんだろうが、基本は文学少年だったり音楽オタクだったりする文系のお坊ちゃまなので、'''鬼畜ごっこ'''{{Refnest|group="注"|『[[Quick Japan]]』創刊編集長の[[赤田祐一]]は「鬼畜ごっこ」の[[類義語]]として「'''痴的遊戯'''」という表現を用いている<ref>[[赤田祐一]]「『クイック・ジャパン』創刊編集長が語る90年代と現在―個人の眼と情熱が支えた雑誌作り」(構成=鴇田義晴)[[中央公論新社]]『[[中央公論]]』2021年10月号、114頁。</ref><ref>「赤田氏は、青山正明氏の文章の上手さは好きだったが鬼畜・悪趣味系サブカルには興味がなかった、高学歴の人の痴的遊戯だと思っていたという内容をインタビュー内で語っていますが、そういう記事として高度な技術が使われているより、生々しいものが読みたかったということなのでしょう。記事の趣旨が違うとはいえ、小山田圭吾氏の件について触れているのが、SNSを見なくなった理由としてあげている箇所ぐらいなのに驚いた人も多かったと思います。なんというか、赤田氏は人間の起こすことには興味があっても、人間自体には興味がなく、自分の読みたいものをつくる以外には何も考えていない、その結果として何が起こっても、それは理解できない相手の問題としてしか捉えていないのかもしれません。(中略)社会にも人間自体にも興味がなく、人間が産み出した何か名付けようのないものを見てみたいという自分の欲望に忠実な個人主義者なんだと思います。社会性に基づいた反応を要求する声とは平行線をたどるのではないでしょうか」[http://bucchinews.com/subcul/6408.html ロマン優光のさよなら、くまさん 連載第197回 松永天馬「私はサブカルが嫌いだ」を読んでみた] - ブッチNEWS 2021年10月15日</ref>。{{Bquote|〔鴇田〕―90年代の出版業界にあった余裕から生まれた異端児が『[[危ない1号]]』に代表される鬼畜系サブカルチャーかと思います。[[青山正明]]、[[村崎百郎]]、[[吉永嘉明]]といった人物が関わっていました。赤田さんは吉永さんの『自殺されちゃった僕』の編集も手がけておられます。<br />'''赤田''' “鬼畜文化”と称される露悪的な感覚って好きではなかったし、自分は関係ないですね。ただ、青山さんの書くものは好きでよく読んでいたし、ライターとしてとても優秀な人だった。つまらないネタでも読ませる文章として成立させていた。その文化周辺の人って、自分の印象では、高偏差値の人が多いですよね。その意味で、屈折したインテリの'''痴'''的遊戯なんだろうと思って、横目で眺めていました。}}}}と呼ぶのが正しい(笑)|[http://my.shadowcity.jp/2021/07/post-22114.html オマエが元祖鬼畜系だろうが - ネットゲリラ(2021年7月22日配信)]}}
 
==== 80年代の猟奇・変態カルチャーとその終焉 ====
[[1980年代]]前半には“都市環境が美化された結果、死体が見えなくなったことに対する反逆”として局所的な死体ブームが起こった<ref name="STUDIO 200612">[[村崎百郎]]インタビュー「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/UndergroundSubculture 今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ]」[[INFASパブリケーションズ]]『[[STUDIO VOICE]]』2006年12月号特集「90年代カルチャー完全マニュアル」pp.70-71</ref>。[[写真週刊誌]]『[[FOCUS]]』([[新潮社]])に創刊号から連載され、わずか6回で打ち切られた[[藤原新也]]の『'''[[東京漂流]]'''』では、[[ガンジス川]]の[[水葬]]死体に野犬が喰らいつく写真に「'''ニンゲンは犬に食われるほど自由だ'''」というキャプションが添えられた。これは[[コマーシャリズム]]によって異物を排除する志向が広く浸透した、現代社会に対する痛烈な[[アンチテーゼ]]である。
 
1982年には[[インディーズ|インディペンデント]]出版社の[[ペヨトル工房]]が刊行する耽美系[[サブカルチャー]]雑誌『[[夜想]]』5号で死体を通した文明論や異常心理に関する考察をまとめた「'''屍体─幻想へのテロル'''」特集が組まれる。1984年には[[九鬼 (アダルトビデオ)|ビー・セラーズ]]<ref>[[アリス出版]]から派生した[[アダルトビデオメーカー]]「[[九鬼 (アダルトビデオ)|九鬼]]」(KUKI)が立ち上げた別会社。1977年4月設立。</ref> から死体写真集『'''[[SCENE (死体写真集)|SCENE]]'''』([[九鬼 (アダルトビデオ)|中川徳章]]・[[アリス出版|小向一實]]・芝田洋一選)が出版された{{Refnest|group="注"|name="小林"|同書は1990年代に出版された『[[SCENE (死体写真集)|SCENE]]』と書名が同じだが、内容は全く異なっているため「初代」と区別される。元々は『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』([[白夜書房]])の別冊として[[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]が出版しようと試みたが諸事情で頓挫し、別の編集者が小林の志を引き継ぐ形で出版したという経緯がある<ref name="burst 200409">[[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]「死体カメラマン『アルバロ・フェルナンデス』との日々・南米編」[[コアマガジン]]『[[BURST]]』2004年9月号, pp.8-11</ref>。}}。これは[[法医学|法医学書]]や[[学術出版|学術書]]の形を借りずに出版された日本初の死体写真集である。その後、同写真集に触発された[[アリス出版]]編集部は『SCENE』の写真を転載し、[[自販機本]]『[[アリス出版#代表的な出版物|EVE]]』に[[根本敬]]の死体写真漫画『'''極楽劇場'''』を連載する(1991年に[[青林堂]]から刊行された根本敬初期作品集『豚小屋発犬小屋行き』に収録された)<ref>座談会・[[根本敬]]+[[湯浅学]]([[幻の名盤解放同盟]])× 原野国夫(元『[[アリス出版#代表的な出版物|EVE]]』編集部)「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/garo199309#%E5%BA%A7%E8%AB%87%E4%BC%9A%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E6%95%AC%E6%B9%AF%E6%B5%85%E5%AD%A6%E5%B9%BB%E3%81%AE%E5%90%8D%E7%9B%A4%E8%A7%A3%E6%94%BE%E5%90%8C%E7%9B%9F-%E5%8E%9F%E9%87%8E%E5%9B%BD%E5%A4%AB%E5%85%83EVE%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8%E8%87%AA%E8%B2%A9%E6%A9%9F%E6%9C%AC%E3%81%AF%E5%BB%83%E7%9B%A4%E6%AD%8C%E6%89%8B%E3%81%BF%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%AA%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%88%E3%81%AD 自販機本は廃盤歌手みたいなもんだよね]」[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1993年9月号「特集/三流エロ雑誌の黄金時代」</ref>。
 
その他にも大手出版社の写真週刊誌では、[[自殺]]した[[三島由紀夫]]や[[岡田有希子]]の死体写真、また[[日本航空123便墜落事故|日航機墜落事故]]や[[山岳ベース事件]]の遺体写真が大写しで掲載された<ref>山田宏之「写真週刊誌に見る死体」コアマガジン『BURST』2003年9月号, pp.32-33</ref>。1985年6月18日には[[豊田商事]]会長の[[永野一男]]が、[[豊田商事会長刺殺事件|約30名の報道陣の前で自称右翼の男に日本刀で刺殺され、その様子が全国の茶の間に生中継された]]<ref>「カメラの放列の前で展開されたまさかの凶行。その一部始終がテレビ放映された十八日夜、読売新聞社に『法治国家でこんなことが許されていいのか』『だれも犯行を止められなかったのか』──など様々な意見が寄せられた。『食事がノドを通らなくなってしまった』と電話口で声を震わせたのは東京都港区の主婦、今井しのぶさん(四五)。高校二年生と中学一年生の娘さん二人とともに夕食をとっているところへ、血まみれの事件現場が飛び込んできた。『人が殺される場面がそのまま画面に流れるなんて、あまりにもひどい』。ともども夕食を中断したという」{{Cite news|title="凶行中継" 茶の間に衝撃「止められなかったのか」“目前のテロ”に電話殺到|newspaper=[[読売新聞]]・東京朝刊|date=1985-06-19|page=22}}</ref>。
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=== モンド・ブーム ===
[[画像:Maboroshi no meiban kaiho domei.jpg|thumb|300px|[[幻の名盤解放同盟]]は1982年の結成以来、[[モンド歌謡曲]]の発掘、および[[電波系]]/[[根本敬|イイ顔]]/[[根本敬|因果者]]の[[フィールドワーク]]を一貫して行っている。]]
90年代には悪趣味ブームと連なる形で、世界的な'''モンド・ブーム'''が起きた<ref name="shibuya173">[[渋谷直角]]『世界の夜は僕のもの』[[扶桑社]]、2021年9月、173頁。</ref>。'''MONDO'''とは[[イタリア語]]で「世界」を表し{{Refnest|group="注"|name="MONDO"}}、未開地域の奇妙で野蛮な風習を虚実ないまぜに記録した[[モンド映画]]『'''[[世界残酷物語]]'''』(1962年)のヒットにより世界中で定着した(原題の「MONDO CANE」は、イタリア語の定句で「ひどい世界」の意)。[[モンド映画]]とは世界中の奇習・奇祭などをテーマにした映画で、[[エログロ]]満載のショッキングな映像で観客の好奇心を惹きつけておきながら「狂っているのは文明人のほうだ」と、取ってつけたような文明批判や社会批判を盛り込んだ、社会派きどりの[[モキュメンタリー]]・猟奇趣味的な[[ドキュメンタリー]]である。その後、MONDOという概念はアメリカで独自の発展を遂げ、単なる世界から'''「奇妙な世界」「覗き見る世界」「マヌケな世界」'''へと語義が変化し<ref name="takarajima198902">[[高杉弾]]「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/Mondoworld WORLD IS “MONDO”. 世界はひょっとこである。―辞書には出てない変な英語『モンド』っていったい何?]」[[宝島社|JICC出版局]]『[[宝島 (雑誌)|宝島]]』1989年2月号、pp.6-7</ref>、奇妙な大衆文化を包括する[[サブカルチャー]]の総称、ないし世間的に無価値と思われている対象をポップな文脈で再評価するムーブメントとして扱われるようになった。
 
[[メディアマン]]の[[高杉弾]]はMONDOについて「アメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化」または「けっして新しくもカッコ良くもオシャレでもないけど、なんだか人間の普遍的なラリパッパ状態を表現する暗号的な感覚」と定義し「ポップでありながら繊細ではなく、間抜けでありながら冗談ではなく、人を馬鹿にしつつも自らがそれ以上の馬鹿となり、ときにはぜーんぜん面白くなかったりもしながら、しかし着実に生き延びていった」と評している<ref name="GARO199703"/><ref name="takarajima198902"/>。
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1995年2月には、ラウンジのみならず、[[アポロ計画]]の頃に作られた宇宙もの{{Refnest|group="注"|S.A.B.P.M.=[[スペースエイジ・バチェラー・パッド・ミュージック]]。エレクトロニクス技術を駆使し、宇宙の魅惑的でモダンな魅力をエキゾチックに表現した音楽。[[中流階級]]のアメリカ人がモダンなライフスタイルを標榜した1960年代に流行し、主に独身貴族の最新[[Hi-Fi]]ステレオ・セットで流れていた。その後、ほとんど顧みられることはなかったが、1990年代のモンド/ラウンジの流れで再評価された。}}やマイナーな[[コマーシャルソング|CMソング]]など、従来は軽視されてきた[[イージーリスニング|ムード音楽]]に新たな解釈や面白さを与え、娯楽的かつ学術的に体系化した書籍『'''モンド・ミュージック'''』([[リブロポート]]発行/Gazette4=[[小柳帝]]、[[鈴木惣一朗]]、[[小林深雪]]、[[茂木隆行]]の共著)が刊行されたことで、この用語は音楽業界にそれなりに定着した<ref name="osato200">[[大里俊晴]]「"世界"の奇妙さについて――モンド・ミュージックを読む」[[青土社]]『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』1997年8月号「特集=エキゾティシズム」pp.200-211</ref><ref name="shibuya173"/>。また個性的すぎて日の目を見ずに埋もれていったディープな[[昭和歌謡]]を80年代から紹介している'''[[幻の名盤解放同盟]]'''がブームに与えた影響も大きい。迷盤・奇盤の数々を再録した、特殊音楽の[[コンピレーション・アルバム]]『[[幻の名盤解放歌集]]』([[Pヴァイン]])シリーズには5000枚以上を売った作品も存在し、廃盤レコードの編集盤としては「破格のヒット」とされる<ref name="asahi 19931104">「だれも知らない“名作”の復刻盤に人気」『[[朝日新聞]]』1993年11月4日付東京夕刊、17面。</ref>。90年代半ばには[[幻の名盤解放同盟]]の紹介で、[[大韓民国|韓国]]では下世話とみなされている[[ポンチャック]]および[[李博士]]が日本に上陸し、一時的なブームを呼んだ。元[[ボアダムス]]の[[山本精一]]はモンド音楽について「一言で言ったら変態」「趣味のよい悪趣味」「あくまで無意識」「狙ってないことがポイント」「本人は自分がモンドだなんて決して思ってない」と定義している<ref name="SPA!19950920"/>。
 
1995年には、メジャー[[週刊誌]]『[[SPA!]]』9月20日号で「'''[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/mondo 【最低・最悪】モンド・カルチャーの正体]'''」特集が組まれ、モンド・グッズが悪趣味な文脈で過去・現在を問わず横断的に紹介された。また、この頃からMONDOなアート、映画、漫画を紹介するガイドブックも多数刊行され、MONDOは20世紀サブカルを総括するキーワードとして欠かせない存在となった<ref>Gazette4『モンド・ミュージック』[[リブロポート]]、1995年2月、61頁。</ref>。この時期の代表的なMONDOガイド本としては次のようなものがある。
 
* オカルト猟奇殺人から[[ブラックメタル]]、モンドアート、[[SPK (バンド)|SPK]]などの[[ノイズミュージック]]まで暗黒文化を解説した、メルツバウの[[秋田昌美]]著『スカム・カルチャー』(1994年/[[水声社]])
387行目:
'''妄想にタブーなし!'''|[[東京公司]]「はじめに」『[[危ない1号]]』第1巻 [[データハウス]]、1995年、2-3頁。}}
 
{{Quotation|まず『[[危ない1号]]』の中で使った[[鬼畜]]という意味なんだけど、これは世界で初めてカルト集団を作った[[ハサン・サッバーフ|ハッサン・イ・サバー]]と言う人物がいて、この人は、ドラッグとセックスで信者に天国を見せておいて、もう一度天国を見せてやるからお前らの命をくれみたいなこと<ref>暗殺者を意味する「[[アサシン]]」は、暗殺教団が「[[ハシシ]]」(大麻樹脂)の投与による[[神秘体験]]で部下を[[マインドコントロール]]し、暗殺者へと仕立てたという伝説に由来するといわれる。</ref> をしたんですが、その人の言葉に「'''この世に真実などない。だから、何をやっても許される'''」って言うのがあるんです。それって、ある程度正論なんですよ。たとえば後ろから殴るのは正義に反すると言うけど、誰だって、後ろから突然殴られたくない。だから、私も後ろから殴らないから、あんたも後ろから殴らないでねって言う弱気の正当化でしかない。そんな情けない正義や道徳なんかにこだわらず、もっとオープンマインドで生きようって言うことを読者に提示したかったんです。|[[コアマガジン]]『[[世紀末倶楽部]]』第2巻、1996年、198-201頁「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/aoyamainterview1996 ゲス、クズ、ダメ人間の現人神『危ない1号』編集長の青山正明氏に聞く!]」(聞き手/[[斉田石也]])}}
 
だが(そうそう後ろから殴られることはないような)[[法治国家]]においてこのような発言をしても、法に守られた平和社会への単なる[[社会的手抜き|フリーライダー]](タダ乗り)的発言と見なすこともできるため、ある意味で退歩的・原始的な欲望を観念世界に持ち込む試みであったことが見て取れる。しかし、鬼畜系は雑誌や漫画などの言論世界だけにはとどまらず、最終的に当事者から[[青山正明|自殺者]]や[[村崎百郎|殺人被害者]]を出すなど現実世界でも大きな影響を及ぼした。青山の「すべての物語は等価」という試みについて[[ロマン優光]]は「'''失敗に終わった'''」として次のように総括している。{{Quotation|概念としては素晴らしいですよ。優劣をかってに決める社会に対して、優劣など存在しないということを言っているわけですから。この文章には感銘を受けた覚えはあります。
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彼は無邪気でした。そして、内面には良識というものがしっかり存在していました。無邪気にその良識に逆らって反語的に遊ぶゲームに興じていただけなのだと思います。しかし、その無邪気さと良識ゆえに、世の中には良識が備わっていない人間が存在すること、そういう人間が自分の悪ふざけを本気にして真似しだしたらどうなるかということが想像できていなかったのです。それは悲劇でもあり、失敗でもあります。[[神戸連続児童殺傷事件|その結果起こった出来事]]は、繊細なインテリであった氏にとっては、大きなストレスになったでしょう。|[[ロマン優光]]『90年代サブカルの呪い』[[コアマガジン]]、2019年、38-39頁。}}
 
また[[野間易通]]は『危ない1号』などで[[青山正明]]が提唱した「'''すべての物語は等価'''」という社会構造の非対称性を無視する試みについて、[[ポストモダン]]以降の「'''[[ジャン=フランソワ・リオタール|大きな物語]]([[戦後民主主義]]と[[高度経済成長]]に支えられた、社会全体で共有される統一的な価値観)の終焉'''」を可視化する目的があったと分析し、このような価値相対主義が“[[正義]]”をも相対化した結果、あらゆる[[道徳]]が価値を持たなくなり、それが現在の[[ヘイトスピーチ|ヘイト文化]]に継承されてしまった可能性を指摘している<ref name="noma224"/>。}}という言葉を引用して「'''妄想にタブーなし'''」を謳い文句に「'''鬼畜系'''」を標榜し、[[薬物乱用|ドラッグ]]・[[強姦]]・死体・[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]・[[スカトロジー|スカトロ]]・[[電波系]]・[[障害者]]・[[痴呆]]・[[変態性欲|変態]]・[[奇形|畸形]]・[[獣姦]]・[[殺人]]・[[性風俗|風俗]]・[[読書]]・[[盗聴]]・[[テクノ (ダンスミュージック)|テクノ]]・[[カニバリズム]]・[[マニア|フリークス]]・[[身体改造]]・[[動物虐待]]・[[ゲテモノ]]・[[アンダーグラウンド (文化)#インターネット|アングラサイト]]・[[カルト映画]]・[[カルト漫画]]・[[ゴミ漁り]]・[[アナルセックス]]・[[新左翼]]の[[内ゲバ]]・[[V&Rプランニング]]・[[青山正明]]全仕事まで、ありとあらゆる悪趣味を徹頭徹尾にわたり特集した。鬼畜・変態・悪趣味が詰め込まれた同誌はシリーズ累計で25万部を超える大ヒットとなり、初代編集長の'''[[青山正明]]'''は鬼畜ブームの立役者とみなされた<ref name="yosinaga"/><ref>[[扶桑社]]『[[SPA!]]』1996年12月11日号 [[青山正明]]×[[村崎百郎]]「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/01/04/141233 鬼畜カルチャーの仕掛け人が語る欲望の行方]」</ref>。
 
[[ロマン優光]]は『[[危ない1号]]』とそれ以前の悪趣味の違いについて次のように述べている。
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[[ファイル:Hyakurō_Murasaki.jpg|thumb|right|280px|[[データハウス]]創業者が運営している「[[まぼろし博覧会]]」内の常設展示「[[まぼろし博覧会#村崎百郎館|村崎百郎館]]」に設置されている[[村崎百郎]]の等身大人形<ref name="メンズサイゾー20140608">{{Cite news|language=ja|author=佐藤勇馬|date=2014-6-8|title=伝説の鬼畜ライター『村崎百郎』の記念館が完成! 妻・森園みるくが語る“鬼畜”の素顔|newspaper=[[メンズサイゾー]]|publisher=[[サイゾー]]|page=|url=http://www.menscyzo.com:80/2014/06/post_7796.html |accessdate=2021-8-2|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140613112031/http://www.menscyzo.com:80/2014/06/post_7796.html |archivedate=2014年6月13日}}</ref>]]
[[File:電波系.jpg|thumb|280px|支離滅裂な主義主張を喧伝する[[電波系|電波ビラ]]の典型。かつて[[東京メトロ銀座線]]で湊昌子(港雅子)という女性が「'''トリコじかけの明け暮れ'''」と書かれた電波ビラを配布しており、これに触発された[[ガロ系|特殊漫画家]]の[[根本敬]]は雑誌『[[宝島30]]』に連載したコラム『[[人生解毒波止場]]』や著書『夜間中学―トリコじかけの世の中を生き抜くためのニュー・テキスト』などを通じてこの言葉を広めた。また根本のフォロワーである[[電気グルーヴ]]の[[石野卓球]]も[[1995年]]にリリースした[[シングル]]『[[虹 (電気グルーヴの曲)|虹]]』で「'''トリコじかけにする'''」という[[フレーズ]]を用いている。]]
『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』([[青林堂]])1993年10月号の[[幻の名盤解放同盟]]の[[フィールドワーク]]特集「[[根本敬]]や[[幻の名盤解放同盟]]/夜、因果者の夜」で[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/GARO199310 メディアに初登場]した'''[[村崎百郎]]'''は、[[1995年]]からは「'''すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす'''」ために「'''鬼畜系'''」を名乗り、この世の腐敗に加速をかけるべく「卑怯&卑劣」をモットーに日本一ゲスで下品なライター活動をはじめると宣言<ref>[[村崎百郎]]『鬼畜のススメ 世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』[[データハウス]] [[1996年]] 著者略歴</ref>。同年4月刊行の『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ臨時増刊号/悪趣味大全]]』において'''[[#サブカルチャーに於ける鬼畜系|鬼畜系]]・[[電波系]][[著作家|ライター]]'''として本格的にデビュー後、[[青山正明]]の依頼で鬼畜本ブームの先駆けとなった『[[危ない1号]]』の編集・執筆に参加する。
 
翌[[1996年]][[1月10日]]には[[新宿ロフトプラスワン]]で[[村崎百郎]]主催の『[[危ない1号]]』関係者総決起集会『'''[[危ない1号|鬼畜ナイト]]'''』が開催、[[大麻取締法]]違反で保釈されたばかりの[[青山正明]]が一日店長を務めた。その他にも[[根本敬]]、[[佐川一政]]<ref name="sagawa">[[佐川一政]]は世界有数の[[カニバリズム|カニバリスト]]。[[エッセイ漫画]]『[[まんがサガワさん]]』([[オークラ出版]])は本人による[[パリ人肉事件]]の[[コミカライズ]](猟奇犯罪実録漫画)である。「アノ佐川一政の漫画デビューである。彼に描かせようという発想からしてタダゴトではないが、この漫画というのがまた破格のアウトサイダー・コミックなのだ。読者は飄々としたタッチで描かれるアノ事件を佐川一政のフィルターを通して追体験することになる。そこには反省も悔恨も見えない。露悪的なまでに作者は自らを晒して行く。白人女性へのフェティシスティックな妄念と、現実に遂行された食人と屍姦のありさまを…。万人向けではないし、グロテスクなキワモノと受け取る人の方が多いだろう。だが、人間の魂の深淵という禁断の領域に踏み込みたいという物好きには格好の一冊である」佐川一政『まんがサガワさん』(00年・オークラ出版)書評「殺人者の妄想にまみれた『リアル』な手触り」(永山薫)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2001年3月号、コアマガジン、291頁。</ref>、[[柳下毅一郎]]、[[夏原武]]、[[釣崎清隆]]、[[宇川直宏]]、[[石丸元章]]、[[クーロン黒沢]]、[[木村重樹]]、[[吉永嘉明]]ら30人以上の[[鬼畜系#関連ライター|鬼畜系]][[文化人]]が登壇し、[[キャッチコピー]]のとおり「誰もがいたたまれない気分に浸れる悪夢のトークセッション」を繰り広げた。イベントの模様は同年8月に『[[危ない1号|鬼畜ナイト 新宿でいちばんイヤ〜な夜]]』(鬼畜ナイト実行委員会+[[青山正明#東京公司結成|東京公司]])として[[データハウス]]から書籍化され、7万部を売り上げた<ref name="ojisaneyes 20080806">[http://www.loft-prj.co.jp/OJISAN/ojisaneyes/0806/ ロフトプラスワン・今は亡き伝説の一日店長たち/第1回 青山正明(編集者・『危ない1号』編集長)]</ref>。
427行目:
鬼畜・悪趣味ブームの背景および歴史変遷は後述のとおりである。
* [[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]は鬼畜ブームについて「95年に創刊した『[[危ない1号]]』([[データハウス]])を中心に流行した、死体や[[奇形|畸形]]写真を見て楽しんだり、[[薬物乱用|ドラッグ]]を嗜んだりと、人の道を外れた悪趣味なモノゴトを楽しむ文化」と定義し、「元々『[[完全自殺マニュアル]]』のベストセラー化をきっかけに『死ぬこと』への関心が高まり、死体写真集などの出版で『[http://bucchinews.com/subcul/6408.html 死体ブーム]』とでも言うべき状況があったが、同じ頃『[[#鬼畜・悪趣味ブーム|悪趣味ブーム]]』も並行して起こり、それらの総称として現れたキーワードが『[[鬼畜]]』だった。『[[危ない1号]]』の編集長、[[青山正明]]氏の出所記念イベント『[[危ない1号|鬼畜ナイト]]』(96年1月10日)が“鬼畜”のはじまりかと思う」と解説している<ref name="barubora" />。
* 『[[映画秘宝]]』創刊者の[[町山智浩]]は90年代の鬼畜系について「80年代のオシャレやモテや[[電通]]文化に対する怒りがあった」「オシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化{{Refnest|group="注"|[[町山智浩]]が言うところのクソ文化とは、オシャレやモテばかりを追求する[[リア充]]志向のトレンディ文化を指している([[中華圏|中国語圏]]で見られるナンセンスな[[パロディ]]文化については「[[KUSO文化]]」を参照のこと)。これは大手資本側([[電通]]・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]・[[セゾングループ]]・[[ホイチョイ・プロダクションズ]])が仕掛けた[[資本主義]]的な[[社会現象]]で、[[バブル時代]]に流行した[[拝金主義]]や[[軽チャー路線]]、[[恋愛]][[資本主義]]的価値観が軸となっている。これらトレンディ文化は、表面上きらびやかでありながら、どこか軽薄で偽善的な空気感をまとっていたのが特徴的だった。町山によればトレンディ文化に対するカウンターが鬼畜系であり、[[村崎百郎]]の「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」というスローガンもこれに由来しているという。}}へのカウンターだった」という見解を示し<ref>[https://web.archive.org/web/20210720125638/https://twitter.com/TomoMachi/status/1417347576521629706 町山智浩のツイート] 2021年7月20日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20210720125908/https://twitter.com/TomoMachi/status/1417350723633750018 町山智浩のツイート] 2021年7月20日</ref>、[[根本敬]]と[[村崎百郎]]が「すかしきった日本の文化を下品のどん底に突き堕としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど、当時の日本文化は健全で明るい「抑圧的なオシャレ」や「[[偽善]]の[[ファシズム]]」に支配されていたという<ref name="TomoMachi">[https://web.archive.org/web/20210720125443/https://twitter.com/TomoMachi/status/1417353012184457216 町山智浩のツイート] 2021年7月20日</ref><ref>「93年、『[[宝島30]]』に連載を始める時、根本さんはこんなことを言った。『今の日本は気取った、綺麗な物ばっかりになっちゃったでしょ』80年代のバブル経済は日本からダーティなものを一掃していた。みんなオシャレで明るくなった。『でも、それってかえって毒が溜まるんだよね』根本さんは言った。『それを解毒するような連載にしたい。毒をもって毒を制するみたいな』こうして連載タイトルは『[[人生解毒波止場]]』になった」[https://tomomachi.hatenadiary.org/entries/2010/12/04 『人生解毒波止場』文庫版解説(町山智浩)]</ref>。これに関して『[[SPA!]]』編集部も「それまで日本に蔓延していた軽薄短小なトレンディ文化に辟易していた人々の支持を集めた」と当時の鬼畜ブーム特集で指摘している<ref name="SPA!19961211">[[扶桑社]]『[[SPA!]]』1996年12月11日号特集「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/01/04/141233 鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?]」</ref>。
* ブームに耽溺していた[[雨宮処凛]]は、鬼畜系が生き辛さを抱えた弱者やマイノリティへの救済になっていたとして次のように自己分析した。
{{Quotation|鬼畜系にハマる私たちは「幸せそうな」人々を勝手に敵視していて、世を呪う言葉を存分に交わすことができた。そうやって発散することで、自分という犯罪者予備軍を犯罪者にせず社会に軟着陸させているような感覚は確実にあった。当時、なぜあれほど鬼畜系カルチャーにハマっていたのかと言えば、「表」の健全できれいな社会には、自分の居場所なんてないと感じていたからだった。/あの時期、ある意味で私は鬼畜系カルチャーに命を救われていた<ref>{{cite web|author=[[雨宮処凛]]|date=2021-08-18|url=https://maga9.jp/210818-1/|title=雨宮処凛がゆく! 第566回:「幸せそうな女性」を狙った卑劣な事件。の巻(雨宮処凛)|publisher=[[マガジン9]]|accessdate=2021-08-20}}</ref>。}}
470行目:
 
==== 青山正明の自殺(2001年) ====
[[2001年]][[6月17日]]、[[青山正明]]は[[神奈川県]][[横須賀市]]の自宅で[[縊死|首を吊って自殺]]した<ref>[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2017/09/25/000002 イメージの治癒力──「諦観」と「リズム」でハイな毎日を] [[青山正明]]. BURST 2000年9月号</ref>。
 
ともに[[#鬼畜・悪趣味ブーム|鬼畜ブーム]]を牽引した[[村崎百郎]]は青山の訃報に際して次の文章を雑誌に寄稿している。{{Quotation|“[[サブカルチャー]]”や“[[カウンターカルチャー]]”という言葉が笑われ始めたのは、一体いつからだったか? かつて孤高の勇気と覚悟を示したこの言葉、今や“おサブカル”とか言われてホコリまみれだ。シビアな時代は挙句の果てに、'''“鬼畜系”'''という究極のカウンター的価値観さえ消費するようになった。「──鬼畜系ってこれからどうなるんでしょう?」編集部の質問に対し、単行本『[[村崎百郎#鬼畜ブーム到来|鬼畜のススメ]]』著者であり、[[青山正明]]氏とともに雑誌『[[危ない1号]]』で“電波・鬼畜ブーム”の張本人となった男・[[村崎百郎]]の答はこうだった。
480行目:
俺の提示した'''“鬼畜”の定義'''とは「'''被害者であるよりは常に加害者であることを選び、己の快感原則に忠実に好きなことを好き放題やりまくる、極めて身勝手で利己的なライフスタイル'''」なのだが、途中からいつのまにか'''“鬼畜系”'''には死体写真や[[奇形|フリークス]][[マニア]]や[[スカトロジー|スカトロ]][[ヘンタイ|変態]]などの'''“悪趣味”'''のテイストが加わり、'''そのすべてが渾然一体となって、善人どもが顔をしかめる芳醇な腐臭漂うブーム'''に成長したようだが、「'''誰にどう思われようが知ったこっちゃない、俺は俺の好きなことをやる'''」というのがまっとうな鬼畜的態度というものなので、'''“鬼畜”'''のイメージや意味なんかどうなってもいい。
 
(中略)ドラッグいらずの[[電波系]]体質のためドラッグにまったく縁のない俺だが、それでも青山の書いた『[[青山正明#東京公司結成|危ない薬]]』をはじめとするクスリ関連の本や雑誌のドラッグ情報の数々が、[[薬物乱用|非合法なクスリ遊び]]をする連中に有益に働き、その結果救われた命も少なくなかったであろうことは推測がつく。こんな話はネガティヴすぎて健全な善人どもが聞いたら顔をしかめるであろうが、'''この世にはそういう健全な善人どもには決して救いきれない不健全で邪悪な生命や魂があることも事実なのだ。青山の存在意義はそこにあった。それは決して常人には成しえない種類の“偉業”だったと俺は信じている。'''|[[村崎百郎]]「'''[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/murasakinoaoyamaron 非追悼 青山正明──またはカリスマ・鬼畜・アウトローを論ずる試み]'''」[[太田出版]]『アウトロー・ジャパン』第1号 2002年 166-173頁}}
 
{{Quotation|当時、ペヨトル工房をやめて、フラフラしてたとこに青山正明から「新雑誌をやるんで」と声をかけられて、彼らが「ごきげん&ハッピー系」を念頭に置いて作っていたさわやかな麻薬雑誌に、ゲスで下品で暗黒文化を無理矢理ねじこんで、気づくと、読むとイヤな気持ちになる雑誌にしてた(笑)。しまいにゃ「鬼畜系」ってキャッチ・コピーまでつけて出させたのが『危ない1号』。
486行目:
あの頃は記名じゃない記事も書きまくってて、2号目なんて鬼畜記事の3分の1くらいはオレが書いてた。あと、酒鬼薔薇事件というのもあったけど、酒鬼薔薇は『危ない1号』の創刊号を読んでるんだよ。オレの犬肉喰いの記事も読んでるね。酒鬼薔薇が出した年賀状のイラストっていうのが、『危ない1号』の裏表紙に使われたLSDの紙パケのイラストの模写だったから。
 
賛否両論あったけど『危ない1号』は一応受けて、雑誌も売れて抗議も殺到。おかげで「鬼畜系編集者」の烙印を押された青山が鬱になって、この件も彼の自殺を早めた大きな要因だって、青山の周辺からはずいぶん恨まれました。謝って許されることじゃないから謝らないけどね。今でも悪かったとは思ってるよ。青山の名誉のためにも言っとくけど、青山は鬼畜とは対極にある本当に優しくて親切な良い人でした。彼の雑誌を「鬼畜系」にねじまげてしまったのは全てオレのせいです。他の連中に罪はありません。|村崎百郎インタビュー「'''[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/UndergroundSubculture 今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ]'''」『[[STUDIO VOICE]]』2006年12月号特集「90年代カルチャー完全マニュアル」[[INFASパブリケーションズ]]、70-71頁所載。}}
 
青山の没後、[[村崎百郎]]が明かしたのは、実際に『[[危ない1号]]』に関わった人間で本当に「[[鬼畜]]」な人間は、村崎本人以外に誰もいなかったという事実である<ref name="aoyama18" />。これについて[[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]は「実際に『危ない1号』に関わった人間は、青山も含め鬼畜のポーズを取っていただけであって、つまり[[#鬼畜・悪趣味ブーム|鬼畜ブーム]]は実質、村崎一人によって作られたといえるだろう。ただ当時は『危ない1号』は鬼畜な人間が集まって作った、サイテーでゲスな雑誌であるというイメージ戦略によって売り出され、そして結果的に成功した」と解説している<ref name="aoyama18" />。
510行目:
* 10月7日 - 映画『[[鬼畜 (松本清張)|鬼畜]]』([[松本清張]]原作/[[松竹]])公開。
* [[米澤嘉博|米沢嘉博]]や[[川本耕次]]が仕掛けた[[三流劇画ブーム]]が頂点を迎える。
* [[エロ劇画誌|三流劇画誌]]『[[漫画エロジェニカ]]』([[海潮社]])11月号が[[警視庁]]の摘発を受け[[発禁]]となる<ref>[[高取英]]「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/sanbakagekigaboom 三馬鹿劇画ブーム]」([[同人誌]]『発禁20周年本 真・堕天使たちの狂宴』所載)</ref>。エロマンガ誌が[[わいせつ物頒布等の罪|わいせつ物頒布]]で摘発されたのは史上初。
 
; 1979年
530行目:
; 1982年
* 『'''[[ビリー (雑誌)|Billy]]'''』([[白夜書房]])が2月号から[[変態性欲|変態]]路線に誌面刷新し、スーパー変態マガジンとなる。
* 『'''[[ヘイ!バディー|Hey!Buddy]]'''』(白夜書房)が5月号から[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]路線に誌面刷新。[[青山正明]]は「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/6grade4classPaper 六年四組学級新聞]」改め「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/FleshPaper10 Flesh Paper]」(肉新聞)を10月号から連載開始。同誌廃刊後、この連載は他誌に移籍して[[1996年]]まで続き、青山のライフワーク的連載となる。
* 8月 - 日本初の[[ロリータビデオ]]『あゆみ11歳 小さな誘惑』発売。ヒロインに懸想する青年のツトム役として青山正明が出演する。青山によると3万円という高額なビデオにもかかわらず4000本が即完売したという<ref>[[青山正明]]「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/takarajima30 ロリータをめぐる冒険]」[[宝島社]]『[[宝島30]]』1994年9月号, 167頁。</ref>。
* 9月1日 - ニューウェーブ自販機本『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』3代目編集長の[[山崎春美]]が「'''[[自殺未遂ギグ]]'''」決行。体中を出刃包丁で切りつけ[[救急車]]で運ばれる。[[ドクターストップ]]役は医大生の[[香山リカ (精神科医)|香山リカ]](後に[[精神科医]])が務めた。
*この年、[[幻の名盤解放同盟]]が[[自販機本]]『[[コレクター (自販機本)|コレクター]]』([[群雄社]])誌上で[[クロスレビュー]]を開始。その後も自販機本『[[アリス出版#代表的な出版物|EVE]]』([[アリス出版]])で引き続き連載を持つ。
594行目:
* [[山野一]]の長編漫画『[[どぶさらい劇場]]』が『[[コミックスコラ]]』([[スコラ]])4月6日号から連載開始(1994年4月5日号まで)。
* 6月8日 - [[別冊宝島]]特別編集『[[宝島30]]』創刊(1996年6月号まで)。[[根本敬]]の連載『[[人生解毒波止場]]』を[[町山智浩]]が担当する<ref name="gedoku"/>。
* 『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』([[青林堂]])1993年8月号に掲載された[[幻の名盤解放同盟]]の[[フィールドワーク]]特集「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/GARO199310 夜、因果者の夜/根本敬や幻の名盤解放同盟]」内の[[根本敬]]によるインタビューで'''[[村崎百郎|鬼畜系]]・[[電波系]]を自称する[[村崎百郎]]がメディアに初登場'''<ref>のちに村崎百郎が編集した幻の名盤解放同盟の単行本『夜、因果者の夜』(1997年11月・ペヨトル工房)に再録。</ref>。このインタビューでは村崎の生い立ちから製粉工場でのバイト経験、趣味のゴミ漁り、特有の電波系体質などが語られており、この時点で村崎百郎のキャラクターが殆ど確立していたことがわかる。
* [[根本敬]]や[[幻の名盤解放同盟]]周辺の奇妙な人物・物件の[[フィールドワーク]]が収録された『'''因果鉄道の旅'''』([[KKベストセラーズ]])刊行。90年代サブカルの聖典的存在となる。[[ロマン優光]]は本書の存在について「'''本来は文献紹介的だった悪趣味系に生身の人間を題材にするという流れを生んだ'''」と位置づけた<ref name="sukarenai 178"/>。
* [[幻の名盤解放同盟]]による[[モンド・ミュージック|モンド歌謡曲]]の紹介本『ディープ歌謡』([[ペヨトル工房]])刊行。
607行目:
* 7月 - 猟奇漫画家の[[氏賀Y太]]が[[エログロ]][[同人誌]]『毒どく』発表。テーマは[[蟲責め]]。[[花輪和一]]や[[蛭子能収]]など[[ガロ系]]のバット・テイストとは異なる文脈で鬼畜系コミックの地平を開拓する。
* 8月1日 - [[赤田祐一]]が私財600万円を投じて『'''[[Quick Japan]]'''』創刊準備号を[[飛鳥新社]]から刊行。
* 『ガロ』9月号で「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/garo199309 三流エロ雑誌の黄金時代]」特集。性欲処理を意図しない「[[ガロ系|特殊漫画]]」を積極的に掲載していたエロ本編集者が当時の総括を行う<ref>同号では『[[Jam (自販機本)|Jam]]』の[[高杉弾]]/『[[写真時代]]』の[[末井昭]]/『[[アリス出版#代表的な出版物|EVE]]』の原野国夫/『[[漫画大快楽]]』の小谷哲/『[[漫画ピラニア]]』の菅野邦明/『[[劇画アリス]]』&「[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]」の[[米澤嘉博|米沢嘉博]]/『[[漫画エロジェニカ]]』の[[高取英]]/『[[S&Mスナイパー]]』の緒方大啓などの編集者が参加・寄稿している。</ref>。『[[S&Mスナイパー]]』の編集長は、これらエロ本との出会いを次のように回想した。{{Quotation|真夜中のコンビニエンスストアーで立ち読みをした『大快楽』や『ピラニア』(それにしても凄い名前!)に掲載されていた、[[平口広美]]さんや、[[蛭子能収]]さん、[[根本敬]]さんの作品は、特に鮮烈に憶えている。暴力的で残酷なセックスを執拗に繰り返す平口さんの『白熱』や、チョン切られた女の首から、一すじにひかれた墨の色が、真っ白な空間に映えて、鮮血よりも生々しく赤かった蛭子さんの作品。そして、妊婦の腹をかっさばいた強盗が、取り出した胎児を別の女の腹を割いて中に入れ、御丁寧にも縫合までするという、空恐ろしい根本敬さんの作品に出会った時には、ただもう呆然として、コンビニエンスストアーのブックスタンドの前に立ち尽くしてしまったのを憶えている。(中略)ズリネタにならないエロ劇画は何なのだ、と思いながらも、何かエロ劇画誌はとんでもないことになっているのかも知れないと興奮したものだ。(中略)そうした作品には圧倒的なまでの個性があった。エロなんてなんぼのもんじゃいという、声が聞こえた。叫び、犯し、ヤリまくる者も、笑いながら女を殺し屍姦する者も、田舎者も労働者も、都市生活者も、ともかく日常から逸脱せずにはいられない超個性的な性の世界を生きていた。'''彼達はきっと肉体を越えたセックスを目指していたのだと思う。あるいは、セックスの向こうにある欲望に突き動かされていたのだと思う。'''|緒方大啓「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/garo199309#%E3%81%99%E3%81%90%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%A8%E3%83%AD%E5%8A%87%E7%94%BB%E3%81%AF%E3%81%99%E3%81%90%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%82%8ASM%E3%81%AB%E4%BC%BC%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8BSM%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%BC%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%95%B7%E7%B7%92%E6%96%B9%E5%A4%A7%E5%95%93 すぐれたエロ劇画はすぐれたひとりSMに似ている]」[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1993年9月号「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/garo199309 特集/三流エロ雑誌の黄金時代]」79頁。}}また同号では[[小林よしのり]]の『[[ゴーマニズム宣言]]』が特別篇として収録されている([[皇室]]を取り上げたことにより『[[SPA!]]』で掲載拒否された)。
* 12月 - [[山野一]]『[[混沌大陸パンゲア]]』([[青林堂]])刊行。[[貧乏]]、[[鬼畜]]、[[電波系|電波]]、[[不条理]]、[[薬物乱用|薬物]]、[[宗教]]、[[障害者]]、[[神]]などをテーマにした異色作品を多数収録。
*この年、身体障害者を男優に起用した[[安達かおる]]監督の[[アダルトビデオ]]『ハンディキャップをぶっとばせ!』([[V&Rプランニング]])が[[日本ビデオ倫理協会|ビデ倫]]から「[[障害者]]を見世物にするのは差別的」として審査拒否され[[発禁]]となる。後に安達は「何らかの原因で体がシンメトリーじゃない人がAVに出ちゃいけないって、僕はどう考えても納得いかない」と吐露している<ref>{{Cite web|url=https://tocana.jp/2017/03/post_12622_entry.html|title=【閲覧注意・インタビュー】ウンコ、SM、奇形・障害者AV…鬼のドキュメンタリスト・安達かおるのリアル|work=安達かおる|publisher=[[サイゾー|TOCANA]]|date=2017-03-23|accessdate=2019-07-10}}</ref>。
623行目:
* 9月 - [[秋田昌美]]『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』([[青弓社]])刊行。[[大正]]末期から[[昭和]]初期にかけての日本を席巻した「[[エロ・グロ・ナンセンス]]」の時代を彩った一連の変態雑誌群と[[梅原北明]]、[[伊藤晴雨]]、[[斎藤昌三 (古書研究家)|斎藤昌三]]、[[中村古峡]]、[[酒井潔]]など元祖鬼畜系文化人の仕事を再検証した性メディア史。
* 10月 - [[幻の名盤解放同盟]]『定本ディープ・コリア―韓国旅行記』([[青林堂]])刊行。
* 『[[週刊SPA!]]』10月5日号で「'''[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/ryouki 猟奇モノ死体写真ブームの謎]'''」特集
* 11月 - カルトビデオショップ「'''[[高円寺バロック]]'''」開店。死体、[[奇形|フリークス]]、[[殺人鬼]]グッズ、[[カルト漫画]]、鬼畜系雑誌、[[人体改造]]もの、フェチ系AV、[[立島夕子]]の[[アウトサイダー・アート]]など鬼畜系にカテゴライズされるアングラ商品を専門に取り扱っていた。2011年に店舗を縮小して新宿に移転後、2013年頃に閉店。
* 11月13日 - [[松本人志]]原作の[[テレビアニメ]]『'''[[きょうふのキョーちゃん]]'''』が[[バラエティ番組]]『[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])内で放送開始(〜95年3月5日まで)
652行目:
* 9月 - 不良系サブカルチャー中心の[[カウンターカルチャー]]誌『'''[[BURST]]'''』([[白夜書房]]→[[コアマガジン]])が隔月誌として創刊。当初は[[バイク]]と[[パンク (サブカルチャー)|パンク]]の不良雑誌で、のちに[[タトゥー]]や[[ピアス]]などの[[身体改造]]=モダン・プリミティブ路線と[[大麻|マリファナ]]路線がヒットする(いずれも『[[TATTOO BURST]]』『[[BURST HIGH]]』として独立雑誌化)。他にも死体や殺人など悪趣味系の記事が同居していた。初代編集長は[[ピスケン]]こと曽根賢。
* 9月 - 『[[人体の不思議展]]』が開催され、死体を[[プラスティネーション]](樹脂コーティング)したコレクションが展示される。最初の開催地は日本が選ばれ、主催者は死体解剖保存法違反の疑いで起訴された<ref>[https://healthnet.jp/paper/2011%E5%B9%B4/%E7%AC%AC2776%E5%8F%B7%E3%80%802011%E5%B9%B4%EF%BC%92%E6%9C%8820%E6%97%A5/%E4%B8%BB%E5%BC%B5%EF%BC%8F%E3%80%8C%E4%BA%BA%E4%BD%93%E5%B1%95%E3%80%8D%E4%B8%BB%E5%82%AC%E8%80%85%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%A7%E3%81%AA%E3%81%84/ 主張/「人体展」主催者だけの問題でない] - 京都府保険医協会『京都保険医新聞』第2776号(2011年2月20日)</ref>。
* 『[[週刊SPA!]]』9月20日号で「'''[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/mondo 【最低・最悪】モンド・カルチャーの正体]'''」特集
* 10月4日 - [[テレビアニメ]]『'''[[新世紀エヴァンゲリオン]]'''』放送開始(〜96年3月27日まで)
* 10月 - [[作田明]]監修の殺人百科『'''[[週刊マーダー・ケースブック]]'''』([[省心書房]]→[[デアゴスティーニ・ジャパン]]に吸収合併)創刊。第1弾は「チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件」特集(Vol.1・2の合併号)。次いで第2巻には[[佐川一政]]も登場。[[1997年]]8月1日まで'''全96巻'''を刊行する。
* 10月 - [[椹木野衣]]+[[木村重樹]]編『'''ジ・オウム―サブカルチャーとオウム真理教'''』(太田出版)刊行。椹木野衣・[[飴屋法水]]・[[福居ショウジン]]との鼎談を始め、[[大澤真幸]]、[[福田和也]]、[[岡田斗司夫]]、[[村上隆]]、[[根本敬]]、[[宇川直宏]]、[[中原昌也]]、[[清水アリカ]]らが参加した。また[[村崎百郎]]は[[オウム真理教事件]]の反省を踏まえ、導師(グル)への脱依存を啓発する論考「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/theaum#%E5%B0%8E%E5%B8%AB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%81%AA%E3%81%8D%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E8%A6%9A%E9%86%92%E8%AB%96 導師(グル)なき時代の覚醒論]」を本名の[[黒田一郎]]名義で寄稿している。村崎はこの論考を次のように締め括った。{{Quotation|悟りや覚醒に至る道は無数にあり、我々はどんな道を選んでも自由なんだ。観念の中に閉じこもるな。現実としっかり向かい合え。覚醒も堕落も、創造も破壊も、あらゆる可能性は常に我々の内にあり、いずれを選ぶかは、常に我々自身の意志に委ねられている。'''その権利と自由を決して手放すな'''。}}
* 『[[週刊SPA!]]』11月1日号で「'''[[電波系]]な人々大研究―巫女の神がかりから[[ウィリアム・S・バロウズ|ウィリアム・バロウズ]]、犬と会話できる異能者まで'''」特集。[[根本敬]]と[[村崎百郎]]の対談「電波系の正体を解き明かす電波対談ここに開催!」掲載(のちに大幅な加筆修正と語り下ろし談話を加えて単行本『[[電波系]]』に「オレたちを通り過ぎていった電波たち」と改題して収録)。
* 11月 - [[竹熊健太郎]]『'''私とハルマゲドン―おたく宗教としてのオウム真理教'''』([[太田出版]])刊行。[[1960年代|60年代]]生まれの元祖オタク世代として漫画やアニメなどの戦後[[サブカルチャー]]の洗礼を受け、高度資本主義社会の恩恵に浴しながら、いまひとつ世間との折り合いがつかない著者自身の体験を踏まえつつ、[[おたく|おたく文化]]の土壌から世紀末最大のカルト教団「[[オウム真理教]]」が生まれたと論じる極私的おたく文化論。2000年7月には[[筑摩書房]]から改訂文庫版が刊行された。
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* 11月30日 - B級のエロネタ中心の悪趣味雑誌『BAD TASTE』([[東京三世社|フロム出版]])創刊。[[米澤嘉博|米沢嘉博]]『[[戦後エロマンガ史]]』の初出(→[[青林工藝舎]]『[[アックス (雑誌)|アックス]]』に移籍)。
* 12月 - 『[[Quick Japan]]』([[太田出版]])11号で[[山崎春美]]特集「山崎春美という伝説─“[[自殺未遂ギグ]]”の本音」掲載。
* 『[[週刊SPA!]]』12月11日号で「'''[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/01/04/141233 鬼畜たちの倫理観─死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?]'''」特集
**[[ロリータ・コンプレックス|ロリータ]][[官能小説|官能小説家]]の[[斉田石也]]、[[V&Rプランニング]]代表の[[安達かおる]]、雑誌『[[ブブカ (雑誌)|BUBKA]]』創刊編集長の寺島知裕、[[九鬼 (アダルトビデオ)|KUKI]]の鬼畜レーベル“餓鬼”の山本雅弘、特殊漫画家の[[根本敬]]らにコメントを求め、鬼畜系ショップ「[[高円寺バロック]]」周辺の客に質問し、日本でベストセラーとなった『FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記』著者の[[ロバート・K・レスラー]]、『痴呆系―すばらしき痴呆老人の世界』著者の[[直崎人士]]、[[タコシェ]]創設者で[[著作家|ライター]]の[[松沢呉一]]らが鬼畜ブームに一言呈した上で、ラストに[[青山正明]]と[[村崎百郎]]の対談「'''[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/01/04/141233 鬼畜カルチャーの仕掛け人が語る欲望の行方]'''」を掲載。
**この特集で『SPA!』は青山に村崎のような鬼畜キャラを期待していたが、実際に登場した青山は温厚誠実なインテリの常識人だったことから、本来なら青山に割かれるはずだった誌面も大幅に縮小せざるを得なかったという。これに関して青山と交友があったデザイナーの[[こじままさき]]は「本当に常識的で穏やかないい人なんですよ。どちらかというと気弱で温厚で。完全に上から目線で、バカを鼻で笑ってる立ち位置の原稿が多いじゃないですか。でも実際に会った初対面の人には絶対それを匂わせない。愛されキャラなんですよ。なかなかいないですよね、そういう人」と語っている<ref>[http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/_84_part3.html ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第84回 こじままさきインタビュー part3]</ref>。
*マーケティング雑誌『流行観測アクロス』([[パルコ出版]])12月号に[[竹熊健太郎]]と[[岡田斗司夫]]の対談「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/daihoudan7 “鬼畜”に走るサブカル雑誌に未来はあるか?]」掲載。
* [[旭川女子中学生集団暴行事件]]が起こる。
* [[Rotten.com]]が開設。後の[[Ogrish.com]]と並んで2000年代を代表する精神的ブラクラサイトになった。
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* 『週刊SPA!』5月28日号で「台頭する『いじめられっ子』カルチャーに注目せよ!」特集
* 6月 - 別冊宝島334『トンデモさんの大逆襲!―超科学者たちの栄光と飛躍』(宝島社)刊行。
*雑誌『[[AERA]]』(朝日新聞出版)6月23日号に[[高橋淳子]]の記事「'''[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2017/12/18/022009 世紀末カルチャー 残虐趣味が埋める失われた現実感]'''」が掲載。鬼畜ブームを仕掛けた『[[危ない1号]]』側の見解として「目で見て明らかに分かるグロテスクさに人気が集中している。表層的な露悪趣味に、終始しているんじゃないか」([[青山正明]])「死体も殺人鬼も刺激物として喜んでいる連中が大勢いて、それを説教する人も、自制が働く人もいない。ああいうのは、まっとうな人間がやることじゃないという“つつしみ”が、80年代以降、なくなった」([[柳下毅一郎]])とのコメントが掲載。
* 7月7日 - [[青林堂]]の全社員が退職。結果として[[1964年]]の創刊以来一度も休刊することなく日本のマイナー文化を支え続けた伝説の漫画雑誌『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』が8月号で休刊に至る。その後、[[青林堂]]から分裂した[[青林工藝舎]]が事実上の後継誌『[[アックス (雑誌)|アックス]]』([[1998年]]2月〜)を創刊する。『ガロ』休刊の真相については[[白取千夏雄]]の自伝『「ガロ」に人生を捧げた男―全身編集者の告白』([[興陽館]]/[[おおかみ書房]])に詳しい。
* 『[[週刊アスキー]]』7月28日号で「検証・ジャンク・カルチャーと酒鬼薔薇の危険な関係」特集。[[神戸連続児童殺傷事件|酒鬼薔薇事件]]と鬼畜系カルチャーの関係性の有無について問題提起した上で[[青山正明]]、[[木村重樹]]、[[柳下毅一郎]]、[[テリー伊藤]]、[[猪瀬直樹]]らが事件に言及する。
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* 9月20日 - [[青山正明]]の2冊目の単著である『[[危ない1号]]』第4巻「'''特集/青山正明全仕事'''」が刊行される。[[キャッチコピー]]は「[[児童買春|少女買春]]から[[常温核融合]]まで」。本号をもって『[[危ない1号]]』シリーズ終刊。
* 11月1日 - [[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童ポルノ禁止法]]施行。
* 12月6日 - 『[[BURST]]』2000年1月号で「'''世紀末トラッシュ・カルチャー10年間の総括―90年代式幽霊列車の葬送'''」特集。『[[世紀末倶楽部]]』『[[トラッシュメン]]』編集人の[[土屋静光]]によるコラム「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/GomiKuzuKasuMagazine 悪趣味雑誌/ゴミ、クズ、カスのお宝雑誌]」が掲載。[[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]による『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』『[[ORGANIZER]]』『[[TOO NEGATIVE]]』、[[比嘉健二]]による『[[GON!]]』『[[ティーンズロード]]』、のちの『[[映画秘宝]]』につながる『悪趣味洋画劇場』『悪趣味邦画劇場』などの紹介や『[[世紀末倶楽部]]』を編集する上で影響を受けたという海外ミニコミ『FUCK!』『BOILD ANGEL』の解説などを収録。
*この年、[[アロマ企画]]が[[スナッフフィルム|疑似殺人]]を記録した[[穴留玉狂]]監督の[[アダルトビデオ]]『猟奇エロチカ 肉だるま』発売。発売直前に出演女優の[[大場加奈子]]が電車に飛び込み自殺<ref>{{Cite web|url=http://tocana.jp/2016/01/post_8605_entry.html|title=舌や足首を切断…! 主演女優が自殺した封印AV映像『肉だるま』の恐怖|work=天野ミチヒロ|publisher=[[サイゾー|TOCANA]]|date=2018-03-25|accessdate=2019-07-10}}</ref>。
*登場人物のモデルが[[宮崎勤]]や[[麻原彰晃]]といった実在の凶悪[[犯罪者]]であるホラー映画『[[地獄 (1999年の映画)|地獄]]』が公開。
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* [[西鉄バスジャック事件]]が発生。犯人は2ちゃんねるの[[荒らし]]であった。当時の2ちゃんねる管理人の[[西村博之]](ひろゆき)は[[報道番組]]のインタビューで「'''うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい'''」と答えている<ref>{{cite news|url=https://toyokeizai.net/articles/-/393574?page=4|title=2ちゃん創設者が分析「炎上を起こす人」の生態―ネットには「金はないが時間はある」暇人が多い|newspaper=[[東洋経済オンライン]]|date=2020-12-23|accessdate=2021-10-05}}</ref>。
* 『[[危ない28号]]』第3巻「特集/危険物特集号」の記事を参考にして作られた爆弾による連続爆発事件が起こる<ref name="toukaimura"/>。結果、同誌は全国18都道府県で[[有害図書]]に指定された<ref name="KuRaRe"/>。同年『[[危ない28号]]』の廃刊が決定する(最終巻となった第5巻は1999年11月に刊行)。
* 『[[BURST]]』9月号に[[青山正明]]の遺稿「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2017/09/25/000002 イメージの治癒力──『諦観』と『リズム』でハイな毎日を]」と生前最後のインタビュー記事「[http://blog.livedoor.jp/yu_hirano/archives/1808002.html シャバはいいけどシャブはいけません──帰って来た? 天才編集者 青山正明]」掲載。
* 12月 - [[佐川一政]]『'''まんがサガワさん'''』([[オークラ出版]])刊行<ref name="sagawa"/>。
* 12月16日 - 映画『'''[[バトル・ロワイアル (映画)|バトル・ロワイアル]]'''』公開。[[映画のレイティングシステム#R15+|R-15]]指定。
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* 6月17日 - 『[[危ない薬]]』『[[危ない1号]]』の編著者・'''[[青山正明]]が自殺'''。40歳没。
* 『[[BURST]]』9月号で[[木村重樹]]・[[吉永嘉明]]・[[園田俊明]]の鼎談「青山正明追悼座談会」掲載。
*雑誌『[[AERA]]』11月19日号に[[速水由紀子]]の記事「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2017/12/18/022009 新人類世代の閉塞 サブカルチャーのカリスマたちの自殺]」掲載。[[青山正明]]、[[ねこぢる]]、[[hide]]の[[自殺]]や『[[別冊宝島]] 死体の本』『[[完全自殺マニュアル]]』に触れつつ、[[新人類]]の行く末について案じる。
* 12月 - [[村崎百郎]]が『アウトロー・ジャパン』([[太田出版]])創刊号に「'''[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/murasakinoaoyamaron 非追悼 青山正明──またはカリスマ・鬼畜・アウトローを論ずる試み]'''」を寄稿。
 
; 2002年
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* 9月 - 90年代の鬼畜ブームの空気を詰め込んだ雑誌『SIDE FREAK』([[三才ブックス]])が創刊されるも、発売予定の第2号が刊行されず創廃刊。
* 10月12日頃 - 2ちゃんねるのスピンオフとして[[ダークウェブ]]圏最大の[[匿名掲示板]]「'''[[Onionちゃんねる]]'''」(通称・[[Tor]]板)開設。ありとあらゆるアングラネタが取り扱われ、エロいのとアングラ板では[[クラッキング]]・[[違法薬物]]・[[児童ポルノ]]などの危ない情報が平然と並べられていた<ref>「『onionちゃんねる』は2004年に『2ちゃんねる』の代替として開設された匿名掲示板で、ダークウェブにおける日本人コミュニティとしては最大規模のものであると言えるでしょう。その内のひとつ『エロいのとアングラ板』は、その名の通り、ありとあらゆるアングラネタとポルノに満ちていました。例えば、クラッキング、違法薬物、児童ポルノ、個人情報、某弁護士ネタ等々、これらが渾然一体となった坩堝のような状態が一時期のエロアン板でした。これら日本のダークウェブに慣れてしまうと、海外のいわゆる児童ポルノフォーラムなどを覗くと、いささかソフィスティケートされ過ぎていて、アングラで猥雑な空間を予想していた向きは少々拍子抜けするかもしれません」[[木澤佐登志]]「[https://note.com/taiyounomatecha/n/n095f62f4d9b1 ダークウェブについて私が知っている二、三の事柄]」[[note]] 2017年9月25日</ref>。
* 11月 - [[吉永嘉明]]『'''自殺されちゃった僕'''』([[飛鳥新社]])刊行。同僚の[[青山正明]]、友人の[[ねこぢる]]、最愛の妻の3人に相次いで先立たれた『[[危ない1号]]』副編集長が綴る慟哭の手記。プロデュースは[[赤田祐一]]。2008年10月に[[幻冬舎アウトロー文庫]]から再刊された('''[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2017/09/14/193022 解説]'''は[[精神科医]]の[[春日武彦]])。
*この年、[[アダルトビデオメーカー]]の[[バッキービジュアルプランニング]]が一連の[[強制性交等罪|強姦致傷]]事件(通称・'''[[バッキー事件]]''')を起こす。
 
797行目:
; 2006年
* 3月 - [[吉永嘉明]]『自殺されちゃった僕たち』が『[[実話ナックルズ|実話GON!ナックルズ]]』で連載開始(2008年11月号まで全32回)
* 『[[STUDIO VOICE]]』12月号で「90年代カルチャー完全マニュアル」特集。[[村崎百郎]]インタビュー「'''[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/UndergroundSubculture 今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ]'''」掲載。
* [[クラブきっず事件]]発生。
* [[在日特権を許さない市民の会]]設立。2000年代後半から2010年代前半にかけて[[ヘイトスピーチ]]が激化する。
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; 参考文献
* [[東京公司]]編『[[危ない1号]]』第2巻「特集/キ印良品」[[データハウス]]、1996年
* [[扶桑社]]『[[SPA!]]』1996年12月11日号特集「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/01/04/141233 鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?]
* [[メディアワークス]]編『[http://altculture.web.fc2.com/index.html オルタカルチャー 日本版]』1997年
* [[別冊宝島]]345『雑誌狂時代!―驚きと爆笑と性欲にまみれた〈雑誌〉というワンダーランド大研究!』[[宝島社]]、1997年
** [[青山正明]]×[[永山薫]]「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/AoyamaNagayama 自販機本からハッカー系まで──アンダーグラウンドでいこう!『JAM』『ヘヴン』『ビリー』『危ない1号』ほか]
* 双葉社MOOK 好奇心ブック15『悶絶!!怪ブックフェア』[[双葉社]]、1998年
* [[青土社]]『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』[[2005年]]8月臨時増刊号「総特集=オタクVSサブカル!」
901行目:
* [[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』[[翔泳社]]、2005年
* [[流行通信]]『[[STUDIO VOICE]]』2006年12月号特集「90年代カルチャー完全マニュアル」
** [[村崎百郎]]「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/UndergroundSubculture 今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ]
* [[赤田祐一]]+ばるぼら『20世紀エディトリアル・オデッセイ 時代を創った雑誌たち』[[誠文堂新光社]]、2014年
** ばるぼら「[https://archive.ph/7nRGu 出版界の出来事年表 1855-2014]」
907行目:
* [[ロマン優光]]『90年代サブカルの呪い』[[コアマガジン]]〈コア新書〉2019年
* [[宮沢章夫]]『[[ニッポン戦後サブカルチャー史]]』
* {{Cite web|url=http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2017/06/04/232259|title=鬼畜系サブカルチャーの終焉/正しい悪趣味の衰退|work=虫塚虫蔵|date=2017-06-04|accessdate=2018-09-12}}
* {{Cite web|url=http://www.bekkoame.ne.jp/~alteredim/asoh/060215.html|title=鬼畜系とエログロナンセンスの時代/鬼畜系は20世紀の世紀末現象だったということ|work=麻生結|date=2006-02-15|accessdate=2018-09-12}}
* [https://togetter.com/li/1322020 鬼畜系サブカルを総括する(1) 日本悪趣味文化史編] - [[Togetter]] 2019年2月23日
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* '''[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]''' - 『[[Jam (自販機本)|Jam]]』の後継誌として[[1980年]]4月に創刊。3代目編集長は[[山崎春美]]。[[1980年代]]を代表する伝説的な[[ニュー・ウェーブ|ニューウェーブ]]雑誌として知られる<ref>{{Cite web|url=http://www.pandora.nu/bluebox/doc_cult/cult0001.html|title=幻の自販機本『HEAVEN』にUGルーツを追え!|work=Cannabis C4|publisher=BLUEBOX|date=2001-11-18|accessdate=2017-06-17}}</ref>。[[キャッチコピー]]は「空中楼閣的天眼通」。
* '''[[突然変異 (ミニコミ)|突然変異]]''' - [[青山正明]]が[[慶應義塾大学]]在学中の[[1981年]]4月に創刊した[[変態性欲|変態]][[同人誌|ミニコミ誌]]。本誌は伝説的[[自販機本]]『[[Jam (自販機本)|Jam]]』『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』の影響を大きく受けており<ref>[[青山正明]]は『別冊宝島345 雑誌狂時代!』(宝島社 1997年)掲載の[[永山薫]]との対談記事の中で「面白かった時代っていうと、やっぱり『ジャム』『ヘヴン』の頃。要するに、エロとグロと神秘思想と薬物、そういうものが全部ごちゃ混ぜになってるような感じでね。大学生の頃にそこらへんに触れて、ちょうど『ヘヴン』の最終号が出たくらいのときに、『突然変異』の1号目を作ったんです」と語っている。</ref>、小学校の[[盗撮]]や[[差別用語]]の[[クロスワードパズル]]などの鬼畜企画を始め、[[奇形]]・[[障害者]]から[[皇室]]揶揄まで幅広く[[タブー]]を扱った<ref>吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第3章「青山正明の思い出」の中「幻のキャンパス・マガジン」より。</ref>。当時の[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]ブームに乗ってメディアからの取材が殺到。熱狂的な読者を獲得したものの『突然変異』に嫌悪感を抱いた[[椎名誠]]が[[朝日新聞]]紙上で批判文を発表。抗議や脅迫の電話が殺到し、わずか4号で休刊に追い込まれた。[[キャッチコピー]]は「脳細胞爆裂マガジン」「ペーパードラッグ」。
* '''[[ヘイ!バディー|Hey!Buddy]]''' - [[白夜書房]]が発行していた[[ポルノ雑誌]]。[[1980年]]7月創刊。[[1982年]]春から明確な[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]路線に移行してブームの過熱を煽り、最盛期には8万部を売り上げた。読者投稿の写真コーナーも充実しており、3年余りで7万2000枚もの写真が編集部に寄せられた<ref>[http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/29_2.html ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第30回「ロリコンにおける青山正明(2)」]</ref>。しかしその内容には、少女を物陰に連れ込んで撮影した「いたずら写真」のコーナーなど明らかな犯罪行為も多く含まれていた<ref>[[青山正明]]×[[志水一夫]]×[[斉田石也]]「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/takarajima30 受験と女権とロリータ文化]」『宝島30』1994年9月号(宝島社)138-145頁。</ref>。別冊の投稿写真集『[[ヘイ!バディー|少女アングル]]』が当局から[[警告]]を受け<ref>『宝島30』1994年9月号(宝島社)青山正明「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/takarajima30#%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E5%86%92%E9%99%BA ロリータをめぐる冒険]」167頁。</ref>、同じく増刊『[[ヘイ!バディー|ロリコンランド]]』が[[発禁]]となり、『Hey!Buddy』本誌も[[1985年]]11月号をもって[[休刊|廃刊]]となった<ref>[http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/post_908.html ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第11回]</ref>。
* '''[[ビリー (雑誌)|Billy]]''' - [[白夜書房]]が発行していた[[ポルノ雑誌]]。[[1981年]]6月創刊。[[スカトロジー|スカトロ]]から死体・[[獣姦]]・[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]・[[薬物乱用|ドラッグ]]・[[奇形|フリークス]]まで悪趣味の限りを尽くした伝説的な[[変態性欲|変態]]雑誌であり、[[エロ本]]とはいえ[[商業誌]]としては斬新な異端ネタが満載だった<ref>[http://blackbox.pandora.nu/TX1/BK11.HTM BLACK BOX:鬼畜 =ビリー=]</ref>。[[東京都青少年の健全な育成に関する条例|都条例]]のため[[1984年]]12月より『'''Billyボーイ'''』と新創刊したが全く内容が変わっておらず、条例違反により[[1985年]]8月号をもって再度廃刊となった<ref name="aoyama37" />。[[キャッチコピー]]は「'''スーパー変態マガジン'''」。
* '''[[BD (ミニコミ)|BD]]''' - [[1993年]]1月創刊の[[同人誌|ミニコミ誌]]。『[[青山正明#『突然変異』創刊|突然変異]]』の影響を色濃く受けており、結果的に[[1990年代]]の悪趣味ブームを先取りした。編集長は[[デザイナー]]の[[こじままさき]]。[[吉田豪]]、[[早川いくを]]、[[枡野浩一]]、[[リリー・フランキー|リリーフランキー]]、[[根本敬]]らが寄稿し、全15号を発行(1・3・4号は欠番<ref>[http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/_83_part2.html ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第83回「こじままさきインタビュー」part2]</ref>)。
* '''[[宝島30]]''' - [[宝島社]]発行の月刊[[総合雑誌|オピニオン雑誌]]。初代編集長は[[町山智浩]]。[[1993年]]6月創刊。政治から[[サブカルチャー]]までテーマは広く、[[オウム真理教|オウム]]特集や『[[SPA!]]』決別時の[[小林よしのり]]インタビュー、[[根本敬]]の連載『人生解毒波止場』など攻めた内容が多い。[[爆笑問題]]が連載していた[[コラム]]『爆笑問題の日本原論』は30万部を超える[[ベストセラー]]にもなった。[[1993年]]8月号では[[宮内庁]][[守旧派]]による[[皇室]]内幕の告白手記を掲載し、[[右翼]]による銃撃事件に発展した<ref>[http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20101204 町山智浩ホームページ] 内 2010年12月04日付/根本敬『人生解毒波止場』[[幻冬舎文庫]]、2010年、pp.286-288</ref>。1996年6月休刊。
* '''[[TOO NEGATIVE]]''' - [[吐夢書房]]発行の隔月刊雑誌。初代編集長は元『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』編集長の[[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]。本誌では[[1990年代]]の『Billy』を標榜し、[[SM (性風俗)|SM]]・[[ボンデージ]]を主軸にしつつ撮り下ろしの死体写真も多数掲載して死体写真家の[[釣崎清隆]]を輩出した。1994年10月から2000年1月まで[[発禁]]による中断を挟みながら全13冊を刊行したが、新創刊した7号(1997年1月)以降、小林は編集に関わっていない<ref name="barubora" />。[[キャッチコピー]]は「禁じられた絵本」。
* '''[[GON!]]''' - [[ミリオン出版]]が1994年から2001年にかけて発行していた[[サブカルチャー]]系の月刊誌。ヤンキー雑誌『[[ティーンズロード]]』(ミリオン出版)編集者の[[比嘉健二]]によって創刊された。[[東京スポーツ]]新聞のB級ニュースやフェイク記事のみをかき集めて独立した雑誌にしたような内容で、海外タブロイド誌『[[ウィークリー・ワールド・ニューズ|Wilkly World News]]』の日本的解釈のもと創刊された。主にコンビニルートで全国的に流通し、悪趣味系雑誌では最も広く読まれたとみられる。また印字級数は極小で、内容の無意味ぶりに比して情報密度は非常に高かったのも特徴である。誌面では死体写真や仰天ニュースの類がよく掲載されており、びっくり箱を具現化したようなインパクト重視の誌面となっている(ただし『[[世紀末倶楽部]]』編集人の土屋静光は「たんなるアメリカン・ジョークのビジュアル化に過ぎず、悪趣味というタームからはズレるだろう」と評している)<ref>[[コアマガジン]]『[[BURST (雑誌)|BURST]]』2000年1月号「特集/90年代式幽霊列車の葬送──世紀末トラッシュ・カルチャー10年間の総括」より土屋静光(『世紀末倶楽部』編集長)「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/GomiKuzuKasuMagazine 悪趣味雑誌/ゴミ、クズ、カスのお宝雑誌]」</ref>。本誌は[[村崎百郎]]の活動拠点となり、月刊ペースで「汚物童子・村崎百郎の勝手に清掃局/隣の美女が出すゴミ」というゴミ漁りの連載を行なっていたことから同誌で村崎の存在を知った読者も多い。その後は『[[BUBKA]]』(コアマガジン→白夜書房)や『[[裏BUBKA]]』(コアマガジン)などの亜流誌も登場するに至った(しかし鬼畜ブームが去ったのち『GON!』は徐々に内容がソフト化し『BUBKA』もアイドル雑誌となる)。のちに『GON!』は『[[実話ナックルズ]]』に発展するが「B級の実話誌」という点を除けば、ほぼつながりは存在しない。
* '''[[危ない1号]]''' - 悪趣味ブームの原点とされている鬼畜系[[ムック (出版)|ムック]]。初代編集長は[[青山正明]]。「妄想にタブーなし」を謳い文句に数多くの悪趣味を扱った。[[1995年]]7月創刊。[[青山正明#東京公司結成|東京公司]]編集/[[データハウス]]発行。
* '''[[危ない28号]]''' - [[データハウス]]が発行していた[[ムック (出版)|ムック]]。[[クラッキング (コンピュータ)|ハッキング]]や[[兵器]]、[[薬物乱用|ドラッグ]]など、実行すれば犯罪者になってしまいそうな情報が満載であり、結果全国18[[都道府県]]で[[有害図書]]指定された<ref name="KuRaRe"/>。[[2000年]]1月に[[浦和駅]]、[[東海村]]、[[大阪府]]で発生した一連の爆弾事件で、犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述したため<ref name="toukaimura"/>、刊行済みだった第5巻を最後に[[休刊|廃刊]]を余儀なくされる。
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* '''[[蛭子能収]]'''<ref>『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』1973年8月号掲載の入選作「[[パチンコ]]」で漫画家デビュー。[[つげ義春]]や[[日本アート・シアター・ギルド|ATG]]映画に影響されたシュールで不条理な[[ギャグ漫画]]や暴力的なモチーフを多用するダークな作風の漫画家で知られる。[[高杉弾]]・[[山崎春美]]編集の伝説的[[自販機本]]『[[Jam (自販機本)|Jam]]』『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』でも執筆活動を行っていたほか、スーパー変態マガジン『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』([[白夜書房]])1982年3月号では [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/02/28/205602 山崎春美のスーパー変態インタビュー]([[遠藤ミチロウ]]、[[明石賢生]]に次いで3人目)にも応じている。主な作品集に『[[地獄に堕ちた教師ども]]』『[[私はバカになりたい]]』(ともに[[青林堂]]/[[青林工藝舎]])などがある。</ref>
* '''[[早見純]]'''<ref>1980年代の[[エロ劇画]]界において[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]趣味や[[殺人|猟奇殺人]]などの[[タブー]]を、私小説の様に文学的な独白調かつ端正な[[劇画]]タッチで描き、残虐かつ救いの無いストーリーを圧倒的画力と迫力をもって描き出した昭和のエロ劇画界を代表する伝説的な鬼畜系漫画家。[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]に先駆けて[[少女趣味]]、[[ストーカー]]、[[窃視症|のぞき]]、[[リストカット]]、[[SM (性風俗)|SM]]、[[監禁]]、[[窒息]][[レイプ]]、[[引きこもり|ひきこもり]]、[[バラバラ殺人]]など現代で起こりうる異常犯罪を予言していたかのような作品を発表していたが、前述の宮崎勤事件を契機に1989年頃から寡作になり、その後10年以上休筆していたが、[[大西祥平 (ライター)|大西祥平]]による再評価や復刻本刊行等によって2000年に再デビューを果たす。以降「伝説の猟奇エロ漫画家」「エロ漫画界の極北」「漫画界の暗黒大陸」として国内外で再評価が進んでいる。</ref>
* '''[[根本敬]]'''<ref>自称・'''[[特殊漫画家]]'''。[[東洋大学]][[文学部]]中国哲学科中退。『ガロ』1981年9月号掲載の「青春むせび泣き」で漫画家デビュー。しばしば便所の落書きと形容される猥雑な絵柄と因果で不条理なストーリーで知られ、日本の[[オルタナティヴ・コミック|オルタナティブ・コミック]]の作家の中でも最も過激な作風の漫画家である。『[[平凡パンチ]]』から『[[月刊現代]]』、進研ゼミの学習誌からエロ本まで活動の場は多岐に渡り、イラストレーションから文筆、映像、講演、装幀まで依頼された仕事は原則断らない。主著に『生きる』『因果鉄道の旅』『人生解毒波止場』『怪人無礼講ララバイ』『豚小屋発犬小屋行き』他多数。</ref>
* '''[[山野一]](ねこぢるy)'''<ref>[[貧困]]や[[差別]]、[[電波系|電波]]、[[畸形]]、[[障害者]]などを題材にした作風を得意とする特殊漫画家。山野の前妻で漫画家の[[ねこぢる]]が自身の私生活を題材にした[[随筆|エッセイ]]『ぢるぢる日記』には「'''鬼畜系マンガ家'''」である「旦那」が登場している(ねこぢる『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)75頁)。[[立教大学]][[文学部]]卒。四年次在学中、[[青林堂]]に持ち込みを経て『ガロ』1983年12月号掲載の「ハピネスインビニール」で漫画家デビュー。以後、各種[[エロ本]]などに[[ガロ系|特殊漫画]]を執筆。不幸の[[八大地獄#八熱地獄及び対応する罪|無間地獄]]を滑稽なタッチで入念に描いた作風が特徴的である。ちなみに[[青山正明]]は山野一の大ファンであり、青山が編集長を務めた『[[危ない1号]]』第2巻には山野の [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2017/10/06/131312 ロングインタビュー](聞き手・構成/[[吉永嘉明]])が掲載されている。主な作品に『'''[[夢の島で逢いましょう]]'''』『'''[[四丁目の夕日]]'''』『'''[[貧困魔境伝ヒヤパカ]]'''』『'''[[混沌大陸パンゲア]]'''』『'''[[どぶさらい劇場]]'''』(いずれも[[青林堂]])『[[そせじ]]』([[Amazon Kindle|Kindle]])がある。</ref><ref>「あれは80年代半ば。当時、僕は書籍コードも持ってない零細なダメ出版社で、むちゃくちゃマイナーな変態雑誌の編集に携わり、僕個人の好みにピッタリくる作家さん探しに奔走していた。そんなとき手にし、目眩を覚えるほどの衝撃を与えてくれたのが、[[山野一]]の処女作『[[夢の島で逢いましょう]]』だ。内容はもちろん、醜悪なシチュエーションと繊細なタッチの絵柄との絶妙な相性も、実に僕好みだった。続いて長編2作目、赤貧の少年工員がひたすら人生の坂道をノンストップでゴロゴロ堕ちていく悲惨な物語『[[四丁目の夕日]]』を目にし、僕は山野一なる漫画家の才能に完全に惚れてしまった。僕の頭の中では、山野一氏と[[根本敬]]氏は、ゲス漫画家の双璧である。この世の、永遠になくなることなき悲劇に照準を合わせ、日本の現実を踏まえたうえで徹底的にえぐっていく。短編も好きだが、願わくば、もっとむごい大部の長編作を描いてもらいたいものである(青山正明)」[[コアマガジン]]『[[ブブカ (雑誌)|BUBKA]]』1998年1月号「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2017/12/17/032438 マンガ狂い咲き 山野一 〜アセチレンからドブの上澄みまで特殊全般〜因業製造工場へようこそ!]」</ref><ref>「イヤハヤ言語道断なマンガ家が出現したものだ。その作品たるや気の弱い婦女子ならば一読三嘆、三日三晩はウナされること確実の、衛生博覧会と因果物の見世物と[[トッド・ブラウニング]]の『[[フリークス (映画)|フリークス]]』と[[ジョン・カーペンター]]の『[[遊星からの物体X]]』の濃縮混合エキスの如き代物である。このキモチワルサは、只単にフリークスやワケのわからない[[蛆|蛆虫]]、[[ミミズ]]、[[回虫|廻虫]]の類がワンサと画面にあふれているからだけではない。キモチワルイ絵なら絵心さえあればサルだって描ける。山野のキモチワルサは、そのキモチワルサが常に人間の肉体から発していると云う極めて生理的なキモチワルサなのだ。彼の本領、即ち生理的肉体に対するこだわり。つまり人間の肉体そのものの内在する気色悪さ、訳の判らなさ。つまり、外見はさほどではなくとも皮一枚下に、ドロドログニャグニャのハラワタ、ミミズの如き血管、神経、さらにはサナダ虫、廻虫、ぎょう虫、包虫等々と云った考えるだにオゾケ立つキモチワルイモノを秘匿している肉体を持って生きるコトのキモチワルサ。とにかくとんでもない想像力の持ち主の登場に拍手を贈ろうではないか」[[永山薫|福本義裕]]「本に唾をかけろ!(連載第32回)」[[白夜書房]]『[[ビリー (雑誌)|Billyボーイ]]』1985年5月号、74頁。</ref> - 現在は[[育児コミック|育児漫画]]に転向
* '''[[平口広美]]'''
* '''[[花輪和一]]'''<ref>[[丸尾末広]]と並ぶ「'''耽美系'''」「'''猟奇系'''」の作家であり、ベースとなるテーマが人間の「[[業]]」である作品が多い。著作に『赤ヒ夜』『月ノ光』『[[刑務所の中]]』『花輪和一初期作品集』(ともに[[青林工藝舎]])などがある。</ref>
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* 辰巳出版『[https://www.cyzo.com/2012/03/post_10024_entry.html 美少女漫画大百科]』1991年8月
* [[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1992年10月号「特集/特殊漫画博覧会」
* 青林堂『月刊漫画ガロ』1993年9月号「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/garo199309 特集/三流エロ雑誌の黄金時代]
* [[東京公司]]編『[[危ない1号]]』第2巻「特集/キ印良品」[[データハウス]]、1996年4月
* 辰巳出版『美少女コミックカタログ』1996年10月
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* [[ロマン優光]]『90年代サブカルの呪い』[[コアマガジン]] 2019年3月
* [[アスペクト (企業)|アスペクト]]編『村崎百郎の本』2010年12月(構成=多田遠志・尾崎未央)
* [[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1993年9月号「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/garo199309 特集/三流エロ雑誌の黄金時代]
* [[宝島社]]『[[宝島30]]』1994年9月号「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/takarajima30 特集/ロリータの時代]」(編集協力/[[東京公司]])
** {{Cite journal|和書|author=[[青山正明]]|title=[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/takarajima30#%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E5%86%92%E9%99%BA ロリータをめぐる冒険]|journal=宝島30|volume=1994年9月号|pages=164 - 168|ref={{SfnRef|青山|1994}}}}
* [[扶桑社]]『[[SPA!|週刊SPA!]]』
** 1994年10月5日号特集「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/ryouki 猟奇モノ死体写真ブームの謎]
** 1995年9月20日号特集「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/mondo 【最低・最悪】モンド・カルチャーの正体]
** 1995年11月1日号特集「電波系な人々大研究──巫女の神がかりからウィリアム・バロウズ、犬と会話できる異能者まで」
*** [[根本敬]]×[[村崎百郎]]「電波系の正体を解き明かす電波対談ここに開催!」(本記事を元に膨大量の語り下ろし談話を加味して加筆訂正を行った内容が1996年に[[太田出版]]から『[[電波系]]』として書籍化)
** 1996年12月11日号特集「'''[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/01/04/141233 鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?]'''」
*** [[青山正明]]×[[村崎百郎]]「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/01/04/141233 鬼畜カルチャーの仕掛け人が語る欲望の行方]
* [[別冊宝島]]240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社 1995年12月
** [[永江朗]]「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/takakurahajime アダルト系出版社のルーツを探せ!―系統樹なき、したたかな業界の原点]
** [[松沢呉一]]「カストリ雑誌と『ガロ』の長井さん―大衆向けエロ本の誕生と魑魅魍魎の特価本の流通」
** [[下川耿史]]「変態の総合デパート『奇譚クラブ』から『SMセレクト』が産声をあげるまで―変態メディアの細分化はどのように進んだのか?」
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* 別冊宝島345『雑誌狂時代!―驚きと爆笑と性欲にまみれた〈雑誌〉というワンダーランド大研究!』[[宝島社]] 1997年11月
* [[コアマガジン]]『[[世紀末倶楽部]]』Vol.2「総力特集/地下渋谷系―恐怖!怪奇!猟奇!残酷!ショック大全科」1996年9月
** [[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]インタビュー「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/kobayashikotaro 平口広美さんに死体写真集を見せてもらった瞬間。あ、これだ、いけるぞ、って]」(取材&文・こじままさき)
** [[青山正明]]インタビュー「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/aoyamainterview1996 ゲス、クズ、ダメ人間の現人神・『危ない1号』の編集長 青山正明氏に聞く]」(取材&文・[[斉田石也]])
* 小平絞+鈴原成『世紀末インターネット大全 鬼畜ネット』[[二見書房]] 1997年5月
** [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/kobayashikotaro NG Gallery館長・小林小太郎氏に聞く「マネされる前にお前らのところに行ってやる」]
* [[アスキー (企業)|アスキー]]『[[週刊アスキー]]』1997年7月28日号「特集/検証・ジャンク・カルチャーと酒鬼薔薇の危険な関係」
* [[メディアワークス]]編『[http://altculture.web.fc2.com/index.html オルタカルチャー 日本版]』1997年10月「[http://altculture.web.fc2.com/altculture.html 悪趣味雑誌]」の項(18-19頁)
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* [[平凡社]]『[[別冊太陽]]/発禁本―明治・大正・昭和・平成』1999年7月(構成/[[米澤嘉博|米沢嘉博]]+[[城市郎]])
* コアマガジン『BURST』2000年1月号「特集/90年代式幽霊列車の葬送──世紀末トラッシュ・カルチャー10年間の総括」
** [[土屋静光]](『[[世紀末倶楽部]]』編集長)「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/GomiKuzuKasuMagazine 悪趣味雑誌/ゴミ、クズ、カスのお宝雑誌]
* [[太田出版]]『アウトロー・ジャパン』第1号 2002年1月 166-173頁
** [[村崎百郎]]「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2017/06/04/232259 非追悼 青山正明──またはカリスマ・鬼畜・アウトローを論ずる試み]
* [[吉永嘉明]]『自殺されちゃった僕』[[飛鳥新社]] 2004年11月/[[幻冬舎アウトロー文庫]] 2008年10月
** 解説/[[春日武彦]]「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2017/09/14/193022 掟破り、ということ]
* [[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』[[翔泳社]] 2005年5月
* [[INFASパブリケーションズ]]『[[STUDIO VOICE]]』2006年12月号特集「90年代カルチャー完全マニュアル」
** 村崎百郎「[https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/UndergroundSubculture 今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ]
* {{Cite web|url=http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/post_803.html|title='''ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界'''|work=[[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]|publisher=[[大洋図書|S&Mスナイパー]]|date=2008-03-23|accessdate=2017-06-17}}
** {{Cite web|url=http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/post_877.html|title=吉永嘉明氏インタビュー|work=ばるぼら|publisher=S&Mスナイパー|date=2008-05-18|accessdate=2017-09-15}}