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== 生涯 ==
=== 生い立ち ===
[[1954年]][[4月23日]]、[[東京都]][[品川区]]生まれ。その後、[[神奈川県]]に転居し[[1958年]]から[[1963年]]まで[[川崎市]][[等々力 (世田谷区)|等々力]]の[[水郷]]地帯で[[ハス|蓮の実]]を食べて育つ<ref name="takasugidan nenpu">[http://www.nk.rim.or.jp/~imi/nenpu.html 高杉弾年譜]</ref>。またこの頃から[[万引き]]の常習犯となる<ref name="takasugidan nenpu" />。父親は名の通った会社の[[社長]]で比較的裕福な家庭に育つが<ref name="sumidagawa">[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/sumidagawaranichi 隅田川乱一インタビュー(『Jam』ライター&コンセプター)]</ref>、周囲の環境には常に不満があったようで「自分を拘束しているのは親と学校だけで、その二つから逃れることができれば、自分は自由になれる、なんて甘い考えを持っていた」と後年高杉は回想している<ref name="out vol.1">[http://www.nk.rim.or.jp/~imi/oht-01.html 高杉弾「OUT OF HIGH TIMES」第1回「解禁」なんていらない。ぼくの気楽な隠居生活とガンジャのゆるやかな関係について。]</ref>。
 
[[1969年]][[10月21日]]、1594人もの[[逮捕]]者を出した[[10.21国際反戦デー闘争 (1969年)|国際反戦デー闘争]]に[[野次馬]]として参加<ref name="takasugidan nenpu" />。その後も[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]の親戚から誘われた[[デモ活動|デモ]]に野次馬として頻繁に参加する<ref name="interview QJ">[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/takasugidan 高杉弾インタビュー(『Jam』『HEAVEN』初代編集長)]</ref>。
 
[[中学校|中学]]3年以降は[[ジャズ]]と[[ブラックミュージック|黒人音楽]]に加えて[[ガンジャ]]([[大麻]]を意味する[[ジャマイカ・クレオール語|ジャマイカ語]]で語源は[[ヒンディー語]]の「神の草」に由来)にハマり、この頃から[[植草甚一]]、[[筒井康隆]]、[[稲垣足穂]]、[[日高敏隆]]、[[平野威馬雄]]、[[フリオ・コルタサル]]、[[禅問答]]の本を読むようになる<ref name="out vol.1" />。
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=== 日芸時代 ===
[[File:RinzaiGigen.jpg|thumb|250px|[[臨済義玄|臨済]]の[[禅]][[語録]]『[[臨済録]]』は高杉弾にとって[[人生]]の[[教科書]]となった<ref name="garo" />。]]
[[1973年]]、[[日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科|日本大学芸術学部]][[文芸学科]]に[[入学]]するが授業には出席せず、日芸文芸棟4階の[[ロッカー]]ルームを改造した[[サロン]]風の[[アジト]]で[[酒]]を飲んだり、[[大麻|マリファナ]]を吸ったり、[[レコードプレイヤー]]をかけたりして、丸一日くつろいでいたという<ref name="interview QJ" />。いつしか高杉弾のアジトは学校に居場所がない学生や女の子たちの溜まり場になり、のちに[[隅田川乱一]]<ref name="sumidagawa" />、[[近藤十四郎]]<ref name="kondou" />、[[八木眞一郎]]、[[山崎春美]]、[[坂本ナポリ]](本名)らが出入りするなど『[[Jam (自販機本)|Jam]]』編集部の原型となった<ref name="interview QJ" />。なお当時の日芸文芸棟は[[人形劇]][[クラブ活動|サークル]]から[[武邑光裕]]の[[神秘学]][[研究会]]まで入り乱れて混沌としており<ref name="sumidagawa" /><ref name="kondou">[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/kondotoshiro 近藤十四郎インタビュー(『HEAVEN』二代目編集長)]</ref>、それに加えて[[大学闘争|学園紛争]]後の余波で学内全体が精神的に荒廃していた時代背景もあってか<ref>八木眞一郎「突き抜けた世界を追求したくて『Jam』を創刊した」『スペクテイター』39号、72-79頁。</ref>、ロッカールームからの立ち退きを命じられたことは特になかったとみられる。
 
[[1974年]]、[[同人誌|ミニコミ誌]]『'''便所虫'''』を佐内順一郎名義で創刊。過激な内容から[[教授]]や[[体育会系]]の学生に疎まれ、配布したそばから勝手に回収され焼却処分されるなど数々の妨害工作に遭いながら後に『'''BEE-BEE'''』と改題して月刊で25号まで続く<ref name="interview QJ" /><ref name="garo" />。ちなみに『便所虫』では同級生の女子を実名で[[不細工|ブス]]順にランク付けする企画などが掲載され、末期には[[隅田川乱一]](美沢真之助)や[[山崎春美]]([[ガセネタ (バンド)|ガセネタ]]/[[山崎春美#TACO|TACO]])も原稿を寄稿した<ref name="spectator">高杉弾「面白いかどうかが一番大事ですよ。素人なんだから」『スペクテイター』39号、80-90頁。</ref>。
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この頃、盟友の[[隅田川乱一]]、[[八木眞一郎]]、[[ダンサー|舞踊家]]の[[田中泯]]らと出会い、乱一の勧めで読んだ[[臨済義玄|臨済]]の[[禅]][[語録]]『[[臨済録]]』に感銘を受け、本がボロボロになるまで読みふける<ref name="spectator" />。高杉曰くある時期から『臨済録』の現代語訳を始めたというが<ref name="garo" />、いまだ刊行されていない。
 
また[[漫画家]]に憧れて同年に娯楽的出版グループ〈冗談社〉を設立し、漫画同人誌『neu』を創刊するなど同人活動を本格化させる<ref name="takasugidan nenpu" />。ちなみに漫画家では[[つげ義春]]、[[永島慎二]]、[[鈴木翁二]]、[[川崎ゆきお]]、[[谷岡ヤスジ]]、[[山上たつひこ]]らに傾倒し、後に[[山崎春美]]の推薦で当時は全く無名だった[[蛭子能収]]にも関心を寄せる<ref name="ax89">[[青林工藝舎]]『[[アックス (雑誌)|アックス]]』Vol.89「特別企画/復活!!タコ CD BOX発売記念再会対談 山崎春美×蛭子能収…そして根本敬・湯浅学(at映像夜間中学)」</ref>。また漫画雑誌では『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』や『[[COM (雑誌)|COM]]』を愛読していた<ref name="garo">[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1997年3月号「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/mediamansubete 特集/僕と私の脳内リゾート―ブレイン・リゾーター高杉弾とメディアマンのすべて]」</ref>。
 
[[1977年]]、のちの『[[Jam (自販機本)#『HEAVEN』新創刊|HEAVEN]]』3代目編集長で[[アバンギャルド|前衛]]的な[[バンド (音楽)|ロックバンド]]「[[ガセネタ (バンド)|ガセネタ]]」「[[山崎春美#TACO|TACO]]」の[[ロック (音楽)|ロック]][[音楽家|ミュージシャン]][[山崎春美]]と出会う<ref name="takasugidan nenpu" />。同年、乱一が原稿を寄稿した『BEE-BEE』25号が月刊誌『[[本の雑誌社|本の雑誌]]』主催の「輝け!第1回全国ウスバカ的無価値的チリガミコーカン的ガリバン誌コピー誌熱血コンテスト」で優勝し<ref name="sumidagawa" />、のちに作家となる[[椎名誠]]に出会う<ref name="takasugidan nenpu" />。この頃から小鳥の餌([[アサ|麻]]の実)から[[大麻]]の種を取り出して近所の畑に撒き、大麻の[[栽培]]に精を出す(現在は[[発芽]]しないよう加熱処理されている)<ref name="spectator" />。
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==== 蛭子能収を再発見 ====
同年8月頃、[[山崎春美]]が行方不明になっていた[[蛭子能収]]の所在について[[青林堂]]の[[渡辺和博]]に問い合わせたところ連絡先が判明し<ref>スーパー変態マガジン『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』([[白夜書房]])1982年3月号「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/02/28/205602 蛭子能収インタビュー]」(聞き手・構成/[[山崎春美]])</ref>、原稿を依頼するため[[池袋]]の[[喫茶店]]「白十字」で打ち合わせを行う。高杉によれば蛭子は当初「女の裸を描けないからエロは描けない」「こんな自販機で売ってるエロ本で本当に原稿料が出るんですか」といぶかしんでいたという<ref name="spectator" /><ref name="zihankibon wonderland">高杉弾『週刊本38 霊的衝動 100万人のポルノ』(朝日出版社)第1章「印刷ポルノの黄金時代」の中「自販機本ワンダーランド」より。</ref>。そこで高杉と山崎は{{Quotation|一応表紙はエロな感じに見えるんですけど、中身は自分たちが好きに作ってるんですよ。自分たちはこれを“ゲリラ”だと思ってるんです<ref name="baitoru" />。僕たちは学生のころから蛭子さんのファンで、自分たちが雑誌を作るようになったらぜひ蛭子さんに描いてほしいと思ってた。この本はエロの体裁を取ってますけど、中身は全然違うんです。中身は自分たちが好きなように作っていい本なんで、蛭子さんもエロは描かなくていいんです<ref>[https://web.archive.org/web/20150407052847/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people03.html 不条理旋風、始動!プロ漫画家・蛭子能収、堂々のデビュー!! (3/6) ] - OCN TODAY(2009年11月25日)</ref>。エロの部分は写真でやってますから、漫画は特に意識しないで昔『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』に描いてたようなのでもいいし、好きに描いて下さい<ref name="zihankibon wonderland" />。とにかく文字ページ並みにギャラは出しますから<ref name="spectator" />。}}と説得し、これに応じた蛭子は『Jam』4号(1979年6月号)に「[[私はバカになりたい|不確実性の家族]]」を寄稿。これが再デビュー作となった<ref name="baitoru">{{Cite web|url=http://www.baitoru.com/contents/star/37/|title=蛭子能収 インタビュー|publisher=バイトル|date=|accessdate=2018-05-23}}</ref>。
 
==== ニューウェーブ自販機雑誌『HEAVEN』新創刊 ====
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[[1998年]][[5月25日]]、日芸時代からの盟友で『[[#自販機本『Jam』創刊|Jam]]』『[[#ニューウェーブ自販機雑誌『HEAVEN』新創刊|HEAVEN]]』のブレーン役だった[[隅田川乱一]](美沢真之助)が他界。この年、[[青林堂]]から分裂した[[青林工藝舎]]が新たに漫画雑誌『[[アックス (雑誌)|アックス]]』を創刊、同誌の[[手塚能理子]]編集長からの依頼で創刊号より[[コラム]]「日常の神々」を連載し[[1999年]]末まで続く。この連載を最後に[[自販機本]]時代から数えて約20年間途切れ目なく続けてきた何らかの定期刊行雑誌への連載仕事がゼロとなる<ref>[https://web.archive.org/web/20000824013903/http://www.nk.rim.or.jp/~imi/udom.html Update On MEDIAMAN Last Update 08/20/2543]</ref>。
 
[[2000年]]、雑誌『[[ラクダ・パブリシング|創的戯言雑誌]]』のインタビューに応じ、1年の半分近くを海外で過ごす隠居生活を送っていることや、日本の友人とさえ音信不通の日々が続いていることを明かす<ref name="takasugi 2000">[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/mediaman 高杉弾インタビュー「ぼくはプロの編集者であったことなどなかったし、むしろ編集者に変装した変質者でした」]</ref>。また高杉は同誌のインタビュー内で〈[[メディア (媒体)|メディア]]〉について以下の持論を展開している。{{Quotation|さて、20年も前に『'''メディアになりたい'''』という本を出してしまっているぼくにとって、すでに〈[[メディア (媒体)|メディア]]〉になどあまり興味がなく、ひたすら気になるのは〈[[#メディアマン|メディアマン]]〉の消息だけです。
 
ぼくは20年前からプロの編集者であったことなどなかったし、むしろ、編集者に変装した変質者でした。『[[Jam (自販機本)|Jam]]』も『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』も、過去の自分が戯れに作っていた物で、変質者が一時的な退屈しのぎに好き勝手な紙の切り張りをしていた。要するに、ゴミを[[カットアップ]]した[[スクラップブック]]ですね。それに程々のお金を払い、それなりに楽しんでくれた人たちがいた、というだけのことでしょう。
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ぼくはもう雑誌にもインターネットにも何の期待感も抱いていません。そんなものはもう古い。過剰に管理されるメディアなんて、もううんざりだ。数年前に「脳内リゾート開発」という概念を提供しましたが、できることならもっと多くの人々に、人間がもともと持っている優秀なアナログ機関である脳味噌の、未開の部分に注目していただきたい。気楽に、柔軟にね。
 
それから、〈[[#メディアマン|メディアマン]]〉というのは特定の個人を指す名ではなく、「高杉弾という個人に内臓されるメディアとしての脳味噌」を経由して表現されるすべての事象に因んで[[公案]]された〈[[概念]]〉であると理解していただきたい。|[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/mediaman 高杉弾インタビュー「ぼくはプロの編集者であったことなどなかったし、むしろ編集者に変装した変質者でした」]}}
 
[[2003年]]から[[コアマガジン]]社の[[大麻|マリファナ]]季刊情報誌『[[BURST HIGH]]』(当局より相当な圧力があり現在廃刊)にコラム「[http://www.nk.rim.or.jp/~imi/oht-10.html OUT OF HIGH TIMES]」を連載する。これが高杉弾最後の雑誌連載となった(連載記事は高杉弾の公式サイトで無料公開されており誰でも閲覧可能となっている)。
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==メディアマン==
高杉弾は「'''メディアマン'''」誕生の経緯について次のように述べている<ref name="garo" />。{{Quotation|僕はいろんな仕事をしてるんで、自分のことを他人に説明する時に、自分と他人の間にもう一人の自分を置くと便利だな、って思ってそれで気がついたのがメディアマン。例えばAさんが思ってる高杉弾とBさんが思ってる高杉弾って違うヤツだろうし、その両方の高杉弾は、僕から見たら高杉弾ではないわけですよ。それは僕にとってはどうでもいい事なんだけれど、あちこちに僕の知らない高杉弾がいると分かりにくくなるんで、それで自分と他人の間にメディアマンというのを作って、そのメディアマンからいろんなことを他人に発信してみようと思ったの。だから、ヘンなこと書いてるって思われても、それはメディアマンが書いたことで僕には関係ない(笑)。|[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1997年3月号「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/mediamansubete 特集・僕と私の脳内リゾート―ブレイン・リゾーター高杉弾とメディアマンのすべて]」}}
 
高杉曰く「'''メディアマンは〈高杉弾〉と〈誰か〉を結ぶ不可視のリンク・メソッドである。メディアマンは〈私〉であり、同時に〈私以外の誰か〉である。メディアマンはどこにでも存在し、同時にどこにも存在しない'''」<ref>[http://www.nk.rim.or.jp/~imi/takasugi.html 高杉弾とはなにか]</ref>。
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==参考文献==
* [[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1993年9月号「特集/三流エロ雑誌の黄金時代」
* 青林堂『月刊漫画ガロ』1997年3月号「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/mediamansubete 特集/僕と私の脳内リゾート―ブレイン・リゾーター高杉弾とメディアマンのすべて]
* [[竹熊健太郎]]+[[但馬オサム]]『天国桟敷の人々』([[太田出版]]『[[Quick Japan]]』12-19号連載、18号を除く、[[1997年]])
* [[ラクダ・パブリシング|ラクダ・パブリシング/モリオカノリユキ]]『創的戯言雑誌 赤ノ号』[[2000年]]
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== 外部リンク ==
* [http://www.nk.rim.or.jp/~imi/nenpujwebb.html 高杉弾年譜超逸脱的オンラインマガジン《JWEbB》] - 公式ウェブサイト
* [http://www.nk.rim.or.jp/~imi/jwebb.html 超逸脱的オンラインマガジン《JWEbB》]
* [http://www.nk.rim.or.jp/~imi/club.html 月刊『ガロ』で連載終了!「CLUB IRREGULARS」]
* [http://www.nk.rim.or.jp/~imi/oht-10.html 季刊『BURST HIGH』誌で連載「OUT OF HIGH TIMES」]
* [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/02/28/014044 明石賢生インタビュー(群雄社代表取締役)]
* [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/kondotoshiro 近藤十四郎インタビュー(『HEAVEN』二代目編集長)]
* [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/sumidagawaranichi 隅田川乱一インタビュー(『Jam』ライター&コンセプター)]
* [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/yasudakuniya 安田邦也インタビュー(元エルシー企画、アリス出版、群雄社編集者)]
* [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/yamazakiharumi 山崎春美インタビュー(『HEAVEN』三代目編集長)]
* [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/takasugidan 高杉弾インタビュー(『Jam』『HEAVEN』初代編集長)]
* [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/mediaman 高杉弾インタビュー「ぼくはプロの編集者であったことなどなかったし、むしろ編集者に変装した変質者でした」]
* [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/freakland 百恵ちゃんゴミ箱あさり事件で有名になった自動販売機ポルノ雑誌『Jam』の編集長が明かすその秘密―わしらのフリークランド]
* [[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1997年3月号「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/mediamansubete 特集/僕と私の脳内リゾート―ブレイン・リゾーター高杉弾とメディアマンのすべて]」
* [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/reitekishoudou 高杉弾の昭和ポルノ史~印刷ポルノの黄金時代 自販機本から裏本まで~]
* [http://blog.livedoor.jp/tokyogekiyasuichiba/archives/3824486.html 昭和ポルノ史 アリス出版の栄枯盛衰]
* {{Twitter|takasugidan_bot|高杉弾}}