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→‎オープンレターに関する動向について: どこにコメントを置けばいいのか分からなかったので、一番下に置いておきます。
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:::{{Quotation|あるいは、[[プレスリリース]]や個人のウェブサイト、ブログ、自伝などで情報を提供するかもしれません。<中略>下記のような場合、当事者提供の情報を記事に加筆しても構いません。<中略>本人のブログや個人サイトは、たとえ出典として用いなくても、[[Wikipedia:外部リンク|外部リンクの選び方]]の観点から、[[Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#外部リンク|外部リンク]]や[[Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#参考文献|参考文献]]にリストしても構いません。|[[WP:BLPSELFPUB]]}}
:::と書かれており、存命人物の記事本人の情報発信を出典に用いることができます。「記載しない」ということが難しいのであれば、上記方針に基づいて記事主題の人物のブログなどを用いて、現実との差を埋めることが可能です。--[[利用者:Assemblykinematics|Assemblykinematics]]([[利用者‐会話:Assemblykinematics|会話]]) 2022年2月9日 (水) 21:35 (UTC)
 
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{{コ|議論の流れについて}} なにか議論が混雑しているので改めて書きますが、わたしが現時点での加筆反対に用いているのは「信頼できる大手メディアに報じられていないこと」「あるのは意見だけであること」で、これは見て分かるからシンプルなんですよ。だから、新たな情報源があれば態度が変わるかもしれません。現時点で情報源として一番強いのは、信頼できる大手メディアの事実報道なのだろうと考えています。
 
しかし、加筆賛成側がやっているのは新たな情報源を出す行動ではない。今ある情報(アゴラや論座やAERAなど)が「信頼できる大手メディアの」「(意見ではなく)事実報道である」ように見せようとしている。だからどんどん議論が複雑化していく。でも、こういう流れは不毛なんですよ。どれだけ言葉を尽くしても、アゴラや論座やAERAに掲載されている個人の意見が、信頼できる大手メディア(一流の報道機関)の事実報道に取って代わるわけがない。だからこそわたしは「朝日新聞系列で意見があるのに、なぜ母体の朝日新聞では報じてないのか」と具体名を出して質問したのです。これには「もっと良い情報源のことか」だとか、うまく答えている形跡がない。それでまた、複雑化した議論に戻ろうとする。こういう流れは、事実の報道がないという現実を無視しようと論陣を張っているようにしか見えません。やってほしいことはこういうことじゃないんですよ。このオープンレターの事柄が記事主題本人にとって「''有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するもの''」であることが一目で分かるような情報源を出してほしいんです。できませんか? もしできないなら、そういう情報源が出てくるまで待ちませんか? これで「待つことができない」のであれば、わたしが意見を変えることもないでしょう。--[[利用者:Aoioui|<span style="color:Black; font-family: Trebuchet MS, Helvetica, sans-serif;">Aoio</span>]][[利用者‐会話:Aoioui|<span style="color:CornflowerBlue; font-family: Trebuchet MS, Helvetica, sans-serif;">ui.</span>]] 2022年2月10日 (木) 17:06 (UTC)
 
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