「ノート:北村紗衣」の版間の差分

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→‎テニュアにここまでの記述が必要か?: 研究者としてよりもWikipediaの活動が特筆性(Wikipedia:独立記事作成の目安)の中核と考えていること、記述のスリム化を検討すること、オープンレターの簡潔な記述について、などについてコメント。
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::逆に、「意見」だけでも存命人物の記事に否定的な記述をしてよい、という方針やガイドラインは発見できませんでした。どこかにあるのでしょうか?--[[利用者:Aoioui|<span style="color:Black; font-family: Trebuchet MS, Helvetica, sans-serif;">Aoio</span>]][[利用者‐会話:Aoioui|<span style="color:CornflowerBlue; font-family: Trebuchet MS, Helvetica, sans-serif;">ui.</span>]] 2022年2月11日 (金) 16:39 (UTC)
:{{返|Aoiouiさま宛}}「「意見」だけでも存命人物の記事に否定的な記述をしてよい、という方針やガイドラインは発見できませんでした。どこかにあるのでしょうか?」についてお答えいたします。まず、Wikipedia:中立的な観点/FAQ#中立性の欠如は削除の口実になるかにも『記事はどんな形であれ偏りのある情報を含んではならないと表され、それゆえに彼らが偏っていると見なした記述を削除する編集が見られますが、それは中立的な観点の方針に関するありがちな誤解です。中立的な観点の方針は、「編集上の」偏向が含まれることを禁じていますが、「適切に出典が明示された」偏りのある情報の掲載までは禁じていません。』とあります。また、Wikipedia:中立的な観点におけるWP:SUBSTANTIATE(偏った記述は帰属化・明確化する)に従った記載であれば記載することは問題ではないはずであり、何度もこの点は問題ないのではと指摘しております。また、WP:WELLKNOWNの観点から「もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」とあり、下書きリンクの出典も信頼できる情報源として不適切という意見もございませんでした(2022年2月11日 (金) 14:07 (UTC)投稿の「下書きリンクの出典の検証可能性や信頼できる情報源についてもご回答がございませんでしたので、方針やガイドラインに基づく回答が無ければ“問題なし”と見做して議論を進めさせていただければと思います。」)ので、差し支えないものと思います。更にWikipedia:存命人物の伝記では、評論家の意見として「評論家の見解は、それが項目本人の著名性に釣り合う重要なものでなおかつ百科事典的で、記事に有益で、信頼できる情報源に基づくものならば、記事を損なったり評論家に肩入れするような書き方でない限り明言すべきです。」として、評論家の意見を掲載することも認められています。いずれにしても既存の出典が信頼すべき情報源や検証可能性を満たしていないという典拠がなければ、記述にたる情報源として認められるとおもいます。--[[利用者:従六位上河内介|従六位上河内介]]([[利用者‐会話:従六位上河内介|会話]]) 2022年2月12日 (土) 02:12 (UTC)
 
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