「日本列島の旧石器時代」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎関連項目: 関連項目
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
はさみ山遺跡にある文を移植。こちらで載せても良い内容なので。
タグ: 曖昧さ回避ページへのリンク
88行目:
これらの遺跡からは、調理・暖房・採光のための[[炉]](石囲炉、地床炉、土坑炉)や[[礫群]]も検出されることがあり、熱のために赤色化していたことで火が使われていたことが分かる{{Refnest|group="注釈"|火を起こしたことによる細かい[[炭化物]]の粒子も検出される{{Sfn|堤|2009|pp=28-29}}。}}。[[礫群]]は、こぶし大前後の川原石が一定範囲に数十個以上密集したもので、火熱を受け赤色化していて、調理施設と考えられている{{Sfn|堤|2009|pp=28-29}}。一個から数個散らばっている配石は、幼児頭大の礫で、火熱を受けた後がなく、厨房や作業台に使ったものと考えられている。[[土坑]]の形態は多様で、[[貯蔵穴]]かどうか分かっていない。
 
===住居遺構の検出事例===
全国で1万箇所以上発見されているこれら当時代の遺跡からは、[[縄文時代]]のような数本の[[柱|木柱]]を建てて[[屋根]]を葺いた定住可能な住居([[竪穴建物]]や平地建物)が検出される事例は極めて稀で、確実に住居とみて良いものでは約2万年前に遡る[[神奈川県]][[相模原市]]の[[田名向原遺跡]](国の[[史跡]])の平地住居や<ref>{{Cite web |title=4.田名向原遺跡(史跡田名向原遺跡公園)|publisher=相模原市教育委員会|url=https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kurashi/kyouiku/bunkazai/list/kuni_shitei/1010107.html|date=2021-05-29|accessdate=2022-02-15}}</ref>、[[大阪府]][[藤井寺市]][[はさみ山遺跡]]の[[竪穴住居]]など、10例程度しか発見されていない。
 
95行目:
これは、当時の人々が定住的な[[集落]]を造って長期間留まらず、[[テント]]のような簡易な住まいで寝泊まりしながら[[狩猟採集社会|狩猟採集]]をし、移動を繰り返す「遊動生活」 をしており、大きな[[柱穴]]([[ピット (考古学)|ピット]])や地面への掘込みを伴う構造物をあまり建築しなかったためと考えられている{{Sfn|堤|2009|pp=68-71}}{{Sfn|堤|2009|pp=28-29}}。
 
====住居遺構の事例====
このほか、洞穴や岩陰を住みかとして利用していたことが知られている。
* 中本遺跡([[北海道]][[北見市]])
* 上口A遺跡([[北海道]][[常呂郡]][[端野町]])
* [[越中山遺跡]]A´地点([[山形県]][[鶴岡市]])
*[[荒屋遺跡]]([[新潟県]][[長岡市]])
*赤山遺跡([[埼玉県]][[川口市]])
*池花南遺跡([[千葉県]][[四街道市]])
*ナキノ台遺跡(千葉県[[市原市]])
*上和田城山遺跡(神奈川県[[大和市]])
* [[田名向原遺跡]](神奈川県[[相模原市]])
*[[小保戸遺跡]](神奈川県相模原市)
*南花田遺跡([[大阪府]][[堺市]][[北区]])
* 西ガガラ遺跡([[広島県]][[東広島市]])
* 椎木山遺跡([[福岡県]][[北九州市]])
*下城遺跡([[熊本県]][[阿蘇郡]][[小国町]])
* [[上場遺跡]]([[鹿児島県]][[出水市]])
 
1998年(平成10年)時点の集成では、旧石器時代の住居跡、あるいはその可能性をもつ遺構([[縄文時代]]草創期を除く)は、全国で27基あげられている{{Sfn|吉田|1998|pp=94-95}}。ただし、これらの中には住居跡と見なせるか疑問視されるものも含まれており{{Sfn|吉田|1998|pp=94-95}}、ほぼ確実に住居と考えられているものは、はさみ山遺跡や田名向原遺跡を含め10例程度しかないとされる{{Sfn|堤|2009|pp=68-71}}。神奈川県相模原市の小保戸遺跡では、2007年(平成19年)~2009年(平成21年)の調査で2万3千年前の環状[[礫]]集中(ブロック)が検出され、住居跡と考えられている{{Sfn|栗原|御堂島|2010|pp=69-75}}。
 
このほか、洞穴や岩陰を住みかとして利用していたことが知られているが(洞窟遺跡・[[岩陰遺跡]])、日本列島における遺跡数は平場のブロック群に比べて少ないとされる{{Sfn|安蒜|2010|pp=1-8}}。
 
==墓制==
225 ⟶ 244行目:
== 参考文献 ==
*{{Cite journal|和書|last=安蒜|first=政雄|journal=第四紀研究|title=日本・東南アジアの後期旧石器時代文化|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua1957/36/5/36_5_347/_article/-char/ja/|issue=36-5|publisher=[[日本第四紀学会]]|year=1997|date=1997-12|issn=18818129|pages=347-349|ref=harv}}
 
*{{Cite book|和書|first=政行|last=吉田|chapter=附編・旧石器時代の「住居遺構」集成を通して|title=用田バイパス関連遺跡群ローム層中出土の炭化材|year=1998|date=1998-03-31|pages=94-101|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/104773|ncid=BA40277761|publisher=[[財団法人]][[かながわ考古学財団]]・[[神奈川県埋蔵文化財センター]]|ref=harv}}
 
*『日本の考古学』奈良文化財研究所編集 学生社 2007年 ISBN 978-4-311-75037-3
233 ⟶ 254行目:
 
*{{Cite book|和書|first=政雄|last=安蒜|chapter=基調講演・旧石器時代のムラと住まい|title=第17回考古学講座-かながわの旧石器時代のムラと住まいを探る-|publisher=神奈川県考古学会|year=2010|date=2010-03-07|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/19115|ncid=BB02244572|doi=10.24484/sitereports.19115|pages=1-8|ref=harv}}
 
*{{Cite book|和書|first=伸好|last=栗原|first2=正|last2=御堂島|chapter=小保戸遺跡の環状分布を呈する礫群(速報)|title=第17回考古学講座-かながわの旧石器時代のムラと住まいを探る-|year=2010|date=2010-03-07|pages=69-75|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/19115|ncid=BB02244572|doi=|naid=BB02244572|ref=harv}}
 
*{{Cite journal|和書|author=三島市教育推進部郷土資料館|journal=広報みしま|title=旧石器時代の落とし穴-初音ヶ原遺跡-|url=https://www.city.mishima.shizuoka.jp/ipn017324.html|issue=277|publisher=[[三島市]]|year=2011|date=2011-06-01|ref=harv}}