「よしもと新喜劇」の版間の差分

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|特記事項= 2007年5月より[[ハイビジョン]]制作。<br />かつては[[日曜日|日曜]]12時→土曜15時→土曜12時に放送されていた。<br />音声モードは長らく[[モノラル放送]]であったが、[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]化直前にステレオ化された。
}}
『'''よしもと新喜劇'''』(よしもとしんきげき)は、[[1962年]]([[昭和]]37年)9月から[[毎日放送]](MBSテレビ)で毎週[[土曜日]] 12:54 - 13:54 ([[日本標準時|JST]]) に放送されている[[吉本新喜劇]]の公演中継番組である。
 
== 概要 ==
[[吉本新喜劇]]所属の[[タレント]]によって行われているコメディ劇のうち、[[なんばグランド花月]](NGK)にて[[公開録画]]されているものを放送。
 
[[間寛平]]、[[今田耕司]]、[[東野幸治]]、[[藤井隆]]、[[山田花子 (タレント)|山田花子]]、[[レイザーラモンHG]](住谷正樹)など多くの出演者を売れっ子として輩出したテレビ番組であり、[[松竹新喜劇]]と並び上方喜劇の双璧をなす。
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現在の座長は[[川畑泰史]]、[[すっちー]]、[[酒井藍]]の3名であり、座付き作家と相談しながら台本を作成する。この他、副座長(リーダーに位置付け)の座員([[清水けんじ]]、[[吉田裕 (お笑い芸人)|吉田裕]]、[[信濃岳夫]]、[[諸見里大介]])を主演にした作品も不定期で放送される。
 
通常公演は収録日から2週間程度の間を置いてテレビ放送されることが基本であるが、時事性の強い作品{{efn|毎年11月または12月に上演されている「[[ジャンボ宝くじ|年末ジャンボ宝くじ]]」とのタイアップ作品は宝くじ発売日の関係から、上演終了週または翌週の土曜日に放送される。}}はテレビ放送を優先することから、公演とテレビ放送の順番は必ずしも一致しない{{efn|2017年9月から12月まで、NGKなんばグランド花月が改装工事で閉鎖中に暫定移転していた[[よしもと西梅田劇場]]での新喜劇収録はほとんど行わず、この間はNGKなんばグランド花月で過去に上演されて未放送だった作品(6月から8月にかけて、通常1週間に1作品を上演するところ前半後半の3・4日に分割したうえで2作品を上演・収録した変則公演分)を放送している(前述の宝くじ作品は[[よしもと祇園花月]]で収録)。}}。また、[[特別番組|特番]]などによって放送日が収録日から1ヶ月以上あとになった場合、4本の撮り溜め(ストック)を放出するために「調整週」としてテレビ収録・放送が行われないこともある。
 
製作局であるMBS毎日放送では、不定期で通常の新喜劇の他にロケ企画等を組み合わせた内容を放送時間を拡大して放送をしている。ただし、MBS毎日放送以外のネット局では編成上の都合から、新喜劇本編のみの放送となる{{efn|[[GAORA]]では完全版で放送される場合がある。}}。
 
毎年年始には「'''よしもと新喜劇お正月スペシャル'''」として全座長・座員が出演する特別版<ref>年度によっては放送時間が2時間枠または90分のどちらかとなる。</ref>が放送され、MBS毎日放送以外の遅れネット及び非ネットの[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列局]]でも同時ネット{{efn|一例として2017年1月3日の16:00 - 17:45に放送された『よしもと新喜劇お正月SP〜こども探偵・藍!犯人はトリ逃がさない』はキー局のTBSテレビ・北海道放送(当時)・青森テレビ・東北放送(当時)・[[テレビユー福島]]・テレビ山梨・信越放送・チューリップテレビ(当時)・北陸放送・静岡放送(当時)・テレビ高知・長崎放送を除く局でも同時ネットで放送された(MBS(毎日放送では15:54 - 16:00に『もうすぐよしもと新喜劇お正月SP』も別途放送)。}}で放送されるが、通常の放送時間を拡大して後日遅れネットで放送する局(系列外局や独立局は除く)や、編成上の都合で放送しない局もある。
 
2005年秋ごろから[[文字多重放送|字幕放送]]を実施している(一部地域を除く)。'''([[笑い]])'''と'''([[拍手]])'''の部分は人の[[顔]]と[[手]]の形を施した独自の表示をしている。
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== 歴史 ==
=== MBS毎日放送開局とうめだ花月===
ラジオ単営局として開局した毎日放送(MBS){{efn|ラジオ部門は[[放送持株会社|認定放送持株会社]]体制移行後の2021年4月に、[[MBSラジオ]]へ分社化。}}は、同じくラジオ単営局として開局した朝日放送(ABC 現:[[朝日放送ラジオ]])と共同で[[大阪テレビ放送]]を合弁していたが、これを解消して新規にテレビ局を開局することとなった{{efn|大阪テレビは1959年3月に「朝日放送大阪テレビ」を経て、1959年6月に「朝日放送テレビ」(認定放送持株会社体制への移行に伴い、2018年4月に[[朝日放送テレビ]]に事業承継)となる。}}ものの、[[1959年]](昭和34年)の開局当時は大阪・[[堂島]]の[[毎日大阪会館]]に置かれた本社にスタジオが3つしかなく、しかも上層階に設置されたうえにいずれも狭小のため使い勝手が悪く局内製作に限界があった。このため、MBS毎日放送は地場で劇場を所有する興行主と業務提携を交わし、その劇場に放送機材を設置して公開放送を行うことにした。{{main|毎日放送#概要|高橋信三#千里丘移転}}
 
終戦後に舞台演芸から映画館運営へと経営の主軸を移していた吉本興業は、映画の斜陽化を見通し、テレビ時代に見合うコンテンツとして舞台演芸に再参入するべく、大阪・梅田にあった映画館「梅田花月劇場」を演芸場に切り替える計画を進めていた。そこへMBS毎日放送が大阪地区民放第4局として単独で開局することになり、コンテンツ確保とスタジオ不足を一気に解消できるとして、両社は提携契約を交わした。こうして[[うめだ花月]]がMBS毎日放送の放送機材設置場所に選ばれた。{{main|吉本興業ホールディングス#演芸王国の復活(昭和34年 - )}}
 
当時、吉本事業部次長だった[[八田竹男]]は、テレビ時代の演芸のかたちとして、うめだ花月に観客を集めるため、所属芸人がテレビで名前を売る場を設ける必要があると考え、まったく新しいスタイルの軽演劇を起こすことにした。この軽演劇こそ吉本新喜劇の前身'''「吉本ヴァラエティ」'''で、うめだ花月とMBS毎日放送双方の大看板になるべく、両社の社運をかけて立ち上げられた。{{main|吉本新喜劇#創立}}
 
MBS毎日放送開局当日となった1959年3月1日、うめだ花月も開場。吉本ヴァラエティの初公演'''「[[花菱アチャコ|アチャコ]]の迷月赤城山」'''が記念番組として生中継された。これがこの番組の源流である{{efn|この経緯もあって、うめだ花月で録画される番組は、全てMBS毎日放送が放送した。}}。しかし、開局後しばらくはスポンサーが取りにくかったこともあって、新喜劇は不定期放送だった。
 
===レギュラー番組化 - 全国ネット===
やがて[[大正製薬]]がスポンサーに付き『'''[[大正製薬製品一覧#製造終了品|サモン]]日曜お笑い劇場'''』のタイトルで、日曜正午から45分間にわたり放送された。初期(1962年12月2日 - 1963年秋)は、当時MBS毎日放送のキー局であった[[テレビ朝日|NETテレビ]]をはじめとする同系列[[ネットワーク (放送)|全国同時ネット]]で放送された。
 
しかし、笑いの嗜好がまったく異なる関東では受け入れられず、NETテレビは翌[[1963年]](昭和38年)6月、水曜日昼枠で地元芸人を中心とした『[[大正テレビ寄席|テレビ寄席]]』を立ち上げる。MBS毎日放送では『テレビ寄席』もネット受けするが、今度は逆に近畿圏の視聴者が東京の[[寄席]]に馴染めないという理由で低迷。このため、1ヶ月で[[打ち切り]]、7月からは水曜正午枠を自主編成に切り替えて3日は単発で『ハワイアンショー』を、10日から[[グロリア魔法瓶製作所]]の一社提供枠として『グロリアホームクイズ 歌って当ててハイ何点』を開始した。
 
関東での好評によって『テレビ寄席』が日曜正午へ移動した同年10月の改編で、NETテレビも『サモン日曜お笑い劇場』の放送を打ち切り、結果的に時期を置いて互いに打ち切り合うかたちになった。その一方、水曜正午枠の『歌って当ててハイ何点』が全国ネットに昇格した。
 
当時MBS毎日放送社長だった[[高橋信三]]は「江戸笑芸は関西では受け入れられにくい。テレビ寄席の視聴率が低迷するのは当社にとって判りきっていたことで、互いに打ち切り合うという判断は正しかった」と述べたという。{{main|毎日放送#江戸笑芸番組に対する扱い|高橋信三#大正テレビ寄席打ち切り事件}}
 
ただし、1965年4月から8月まで[[サンヨー食品]]の提供で『タンメンお笑い寄席』と改題して土曜14:00 - 14:45に遅れネットしていた<ref>[[毎日新聞]]・大阪版、1965年4月17日、テレビ欄広告より。</ref>など、MBS毎日放送でも『テレビ寄席』の放送が再開されていた期間があった。
 
=== 地方への番販ネットとABC朝日放送への打倒 ===
高橋の腹心で、後に社長となる[[斎藤守慶]]が中心となっていたMBS毎日放送営業局は、大正製薬が日曜12時台のNET系全国ネット提供を『テレビ寄席』に一本化する方針だったにもかかわらず、『テレビ寄席』と『日曜お笑い劇場』が同じ放送時間になったという理由で、引き続き『お笑い劇場』のスポンサーとして残るように依頼する(事実上の[[企画ネット番組]])。大正の社長だった[[上原正吉]]は最終的に高橋の説得の前に折れ、出稿継続を了承した。これによって『お笑い劇場』は関西ローカルベースでの存続が決まり、『お笑い劇場』の1年前にスタートしていた『[[スチャラカ社員]]』で全盛を極めていた[[朝日放送テレビ|朝日放送]](ABC)を追撃する体制を整え、ついには視聴率逆転に成功。これによりMBS毎日放送の看板番組として、腸捻転解消までこの時間帯の在阪民放トップを独走した。{{main|斎藤守慶#対等意識とキー局指向}}
 
ただし、互いに打ち切り合った当初は『テレビ寄席』(日本製麺){{efn|1965年に倒産<ref>[https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=1270&query=&class=&d=all&page=19]</ref>。}}<ref>テレビ朝日社史 ファミリー視聴の25年 - 全国朝日放送(現:テレビ朝日)、374ページ、1984年。</ref>と『サモン日曜お笑い劇場』(大正製薬)<ref>[http://db.nkac.or.jp/detail.htm?id=N01-08088-00 サモン日曜お笑い劇場、1964年7月26日放送分台本] - 日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアム。[[国立国会図書館]]所蔵。</ref>ではスポンサーが異なっていたため、完全な企画ネット番組という位置付けではなかった。<!--大正製薬・NET・MBS毎日放送の3社でどのような扱いが持たれたのは不明である。-->
 
一方のABC朝日放送は[[1966年]](昭和41年)、『スチャラカ』の担当ディレクターだった[[澤田隆治]]が局舎移転にあわせてテコ入れを目論むが、脚本の[[香川登志緒]]が猛反発して番組からの降板を余儀なくされ、翌[[1967年]](昭和42年)4月に打ち切りに追い込まれる。{{main|スチャラカ社員#番組の終了}}
 
その後もABC朝日放送は『お笑い劇場』の裏番組として同種のコメディ番組をぶつけてくるが、軒並み視聴率を取れず、1年どころか半年(2クール)持たずに打ち切られるケースが続出して'''「魔の時間帯」'''と呼ばれるようになる。さらに、先述の澤田と香川の対立は同じ日曜日の夕方に放送されていた『[[てなもんや三度笠]]』に飛び火し、こちらも[[1968年]](昭和43年)4月改編で打ち切られた。これを受けてABC朝日放送は後続番組{{efn|『[[てなもんや一本槍]]』『[[てなもんや二刀流]]』『[[スコッチョ大旅行]]』。}}のスタッフから澤田を外し、のちに澤田が[[東阪企画]]を立ち上げる伏線となった。
 
そして[[1971年]](昭和46年)1月、ABC朝日放送は現在も続く『[[新婚さんいらっしゃい!]]』を開始、旧大阪テレビ時代の『[[ダイラケのびっくり捕物帖]]』以来14年間続いた日曜12時台のコメディの放送を一度は諦める。その『新婚さん』も当初は3か月間の[[つなぎ番組]]の予定で開始したこともあり、半ば諦めムードの中で立ち上げられたとまでいわれている<ref>[[三上泰生]]『6chは上方文化や』([[大阪書籍]] ISBN 4754818350)に記述あり。</ref><ref>{{Cite web|title=桂文枝さん、「新婚さんいらっしゃい!」勇退…「若いカップルの話を78歳が聞くのは無理がある」|url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220107-OYT1T50238/|website=読売新聞|date=2022-01-08|accessdate=2022-01-12}}</ref><ref>{{Cite web|title=桂文枝、『新婚さんいらっしゃい!』卒業を発表 3ヶ月のはずが50年続き「ありがたいの一言です」と涙|url=https://www.oricon.co.jp/news/2220779/full/|website=ORICON NEWS|accessdate=2022-01-12|date=2022-01-11}}</ref>。{{main|新婚さんいらっしゃい!#視聴率}}
 
やがて'''『○曜お笑い劇場』'''のタイトルで、地方局にも[[番組販売]]というかたちで再び放送されるようになった。しかし、NET系列局のある地域であっても、[[東海3県|中京広域圏]]では、当時の[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]]や[[中京テレビ放送|中京テレビ]]ではなく、長い間[[東海テレビ放送|東海テレビ]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列局)で土曜正午から放送されていた(後に名古屋テレビへ移行)。また、広島県でも[[広島ホームテレビ]]や[[中国放送]]ではなく、[[広島テレビ放送|広島テレビ]]で放送されていた(同系列の[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作版を放送した時期がある){{efn|1973年ごろは土曜日の正午に放送されていたが、どちらかの番組かは不明。}}。
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===ネットワーク変更以降===
状況が一変したのは[[1975年]]3月31日、いわゆる'''[[ネットチェンジ|テレビネットの腸捻転解消]]'''によって、MBS毎日放送のキー局が[[TBSテレビ|東京放送]](TBS)に変わったことである。
 
このとき、大正製薬は『テレビ寄席』がまだ関東地区で一定の支持を得ていたこともあって、NET系列での企画ネットによる出稿継続を決定、これにより日曜12時台の大正提供枠を13年間続いたMBS毎日放送から引き上げてABC朝日放送へ移行した。こうしてABC朝日放送で新たにスタートしたのが『日曜笑劇場・[[あっちこっち丁稚]]』である。{{main|日曜笑劇場#毎日放送から朝日放送へ|あっちこっち丁稚#概要}}
 
これを受けてMBS毎日放送は「日曜お笑い劇場」を現在と同じ1時間枠に変更、当時正午からだった[[JNNニュース|お昼のJNNニュース]]を[[JNN排他協定]]の絡みで[[同時ネット]]しなければならなくなり、開始時間に制約ができたこと、また、日曜日の午後1時台がABC朝日放送から移行したTBS東京放送発番組(『[[ロッテ 歌のアルバム]]』と『[[家族そろって歌合戦]]』)の絡みで使えなくなった{{efn|特に『家族そろって』はJNNネットワーク協議会所管で、加盟各局が毎週持ち回りで制作していた。}}こと、さらに、ABC朝日放送で土曜日に放送されていた『[[お笑い花月劇場]]』にぶつける必要性があったことなどから、土曜 15:00 - 15:55に移動させた。そして、大正製薬に代わる地場スポンサーを吉本と共同で開拓、番組の継続に目処をつけた。{{main|お笑い花月劇場#概要|スチャラカ社員#毎日放送への影響}}{{see also|斎藤守慶#ネットチェンジと新喜劇}}1976年4月10日から番組名が'''「花月爆笑劇場」'''となる<ref name="#1">毎日放送40年史編纂室『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年、p.251 </ref>。
 
その後、日曜12時台には後続番組だった『[[がっちり買いまショウ]]』を移動させるが、JNNニュースによる開始時間の制約で、視聴者の多くがABCの『日曜笑劇場』に流れ、1975年末『[[伸介のグリコがっちりショッピング|がっちりショッピング]]』に全面リニューアルしたものの、結局[[1977年]](昭和52年)4月改編で終了した。この改編で正午からのJNNニュースがその前の午前11時台に移動し、時間制約はなくなったものの、MBS毎日放送は『花月爆笑劇場』を日曜日に戻してABC朝日放送の『日曜笑劇場』にぶつけることはしなかった。この結果、MBS毎日放送では日曜日12時台の番組が、数か月で目まぐるしく変わっていき、1960年代後半のABC朝日放送も真っ青の『魔の時間帯』となった。その結果、[[1979年]]10月改編で自社制作枠を14時枠と交換の形でTBS制作番組のネットに変更、『ダイラケ』以来21年に亘ったJNN系列・日曜12時台の関西発バラエティ番組の歴史が途絶えることになった。視聴率面でも『[[アッコにおまかせ!]]』がスタートする[[1985年]]まで苦戦を強いられ続けた。
 
その後、『花月爆笑劇場』は土曜12時台に再度移動する。
 
[[1987年]](昭和62年)、なんばグランド花月(NGK)が開館するが、当初NGKでは新喜劇興行は行われず、うめだ花月での興行、収録が続けられた。同じころ、ABC朝日放送は『[[The ハタラケ興業]]』の終了をもって一度は『日曜笑劇場』としての新作制作を中止、『お笑い花月劇場』を土曜日から日曜日に移動したものの翌[[1988年]](昭和63年)4月改編で打ち切り、5月には[[なんば花月]]も閉鎖された。しかし[[1989年]](平成元年)の'''「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」'''で若手中心の「ニュー新喜劇」チームがうめだ花月からNGKなんばグランド花月に移動。1989年10月29日から番組名が現行の'''「よしもと新喜劇」'''のタイトルに変更される<ref name="#1"/>。
翌[[1990年]]([[平成]]2年)3月、うめだ花月が閉鎖され、当番組の公開録画の会場も長年慣れ親しんだ梅田から難波に移動した。{{main|日曜笑劇場#グランド花月へ移動|吉本新喜劇#新喜劇人気の下火と復活}}