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===== P、演出家、脚本家視点など =====
草彅は[[劇作家]]・[[演出家]]・[[直木賞|直木賞作家]]の[[つかこうへい]]から「大天才」と評価されている<ref name="JM2013KKT">[[#日本映画magazine 2013|日本映画magazine 2013]]、33頁。</ref>。つかは草彅主演舞台『蒲田行進曲』の作・演出を務めており、本作の公演期間前に草彅について「俺の想像を超えてた。あの子を待つためにこの20年近く、芝居をしなかったんだろうと思わせる」「素晴らしいタイミングで素晴らしい役者と出会えた」と発言しており<ref>『月刊feature』1999年4月号、[[角川書店]]、1999年2月25日。</ref><ref name= nikkei201906>『[[日経エンタテインメント!]]』2019年7月号(2019年6月4日 / [[日経BP]])</ref>、そののちも「衝撃的だったね」と振り返っている<ref>『つかこうへい (文藝別冊)』河出書房新社、2011年。ISBN 978-4309977430。</ref>。
 
つかは演出において俳優に多数の注文を繰り出すことで知られるが、草彅については「天才だよ、草彅君は。僕は1度も演技に注文をつけていない」と述べており、草彅本人には「好きにやってくれ」と伝えている。また、草彅を「非常に頭のいい子」と形容していて、「吸い取り紙にこう、水がスッと吸い上げられるような感じで、[手を真上へ挙げ]こんなふうに伸びていきましたんでね、[手で緩やかな傾斜のラインを作り]こういうふうにはならないもんですね天才ってのは、[力強く敏速に手を真上へ挙げ]こう上がっていくもんなんですね」と語っている<ref>「草彅剛の生きる道」『EZ!TV』2004年3月7日。</ref>。
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{{Quotation|オレたちの前には草彅剛のヤスが山のように立ちはだかっている。 勝てるわけがないのは承知だ。|つかこうへい|<ref name="KTY&ZMTY"/>}}
 
なお、ヤス役の俳優が主演した作品も、「蒲田行進曲」のみがタイトルの作品も、草彅主演作が最後となった。
 
つかは[[J・D・サリンジャー]]の小説『[[ライ麦畑でつかまえて]]』の主人公・ホールデンを演じる能力を持つ役者が日本に一人だけいることを記しており、その能力の高さを書き表して、「草彅剛である。」と結んでいる<ref name="YS2003TKH">つかこうへいコラム『読売新聞』2003年8月30日。</ref>。つかは「後世に残す一冊をあげろと言われれば、私は躊躇なくこの『ライ麦畑でつかまえて』を推す」「この原作が書かれたのは1951年である。[サリンジャーは本書で]戦勝に沸き、新しき世界の盟主国としてもてはやされるアメリカが、実はすでに深く過酷にむしばまれている病理を、適当に生きることの出来ない少年[ホールデン]の絶望的な自己矛盾に託した」と述べていて<ref name="KTY&ZMTY" />、「人は独りでは生きられない。愛し愛されたいから本当の自分を知ってほしい。では、本当の自分とは何か。自分ですらそれを知るのは、非常に怖い。が、ホールデンはしっかりと『自分の心の底』を見下ろした」「自らの絶望と孤独の底を見つめる勇気は、万人の生きる希望へとつながったのだ」と書いており、「一人だけ、ホールデンがいる」と示し<ref name="YS2003TKH" />、サリンジャーがホールデンに託したものをすでに草彅が役をもって体現していることについて以下のように綴っている。
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つかは[[ダニエル・キイス]]の小説『[[アルジャーノンに花束を]]』においても「[前略]その絶望と赦しと共感の中にある、チャーリイ・ゴードン[主人公]の透明な哀しみを表せる唯一の男が日本にいる」と、草彅について記している<ref>{{Cite web|date =2000|url =http://www.tsuka.co.jp/senniti/2.html|title =コンテンツ「有紀と千日(内田有紀主演舞台の日記)」2|publisher =つかこうへい事務所|accessdate =2000-10-08}}</ref>。
 
草彅とつかがともに仕事をしたのは1999年・2000年の『蒲田行進曲』のみとなったが、つかは本作以外にも草彅主演作品の構想をいくつか述べてきており、つかが[[肺癌]]で闘病のすえ2010年に死去後は、つかと長年仕事をしていた制作スタッフがつかについて、「『もう一度草彅くんとやりたいな』といつも言ってらした。それが叶わなかったのは残念だったんじゃないかなと思う」とコメントしておりいる<ref>「心に刻まれた“つかの言葉”」『スタジオパークからこんにちは』2011年1月12日。</ref>、草彅自身もつかとの仕事が終わったあとも楽しそうにつかのことをよく振り返っていたと語られている<ref name= nikkei201906/>。
 
演出家・脚本家・直木賞作家の[[松井今朝子]]は草彅について『蒲田行進曲』に主演した姿を見たとき天才だと確信しており、草彅主演舞台『父帰る/屋上の狂人』([[菊池寛]]の[[古典]]で前者「父帰る」は高松の、後者「屋上の狂人」は讃岐の[[方言]]を使った[[戯曲]]の作品<ref>[[#父帰る/屋上の狂人 2006|父帰る/屋上の狂人 2006]]、5頁。</ref>)観劇後には「本当にふしぎなくらいピュアな役者」と形容し、そのことについて「たとえば梅沢昌代は巧い女優さんだけれど、舞台に立つとやはり女優がやっているようにしか見えないのに、草彅は舞台でただ座って新聞を読んでいるだけで、逆に明治の青年がそこにいるようにしか見えないのである。これって本当にスゴイことだと思う。役者がだれでもそれを目指してほとんどができないことをすらっと出来てしまう。天才の天才たる所以だろう」と綴っている。さらに、松井は本作の制作者が草彅にこの戯曲をもってきたことについてでも「今どき舞台でこんな芝居ができるのは、この人しかいないことを改めて知らしめたようにも思えるのだった」と記している<ref group= "†">なお、草彅主演作の舞台はチケット入手困難と言われており、そのキャンセル待ちの行列ができる状態について松井は異常な事態と形容している。</ref><ref>{{Cite web|date =2006-04-06|url =http://kesako.jp/dinner_old/dinnerOld2.html|title =2006/04/06|publisher =松井今朝子|accessdate =2012-09-21}}</ref>。加えて、「また、彼は舞台だけではなく驚くべきことに映像作品でも同じクオリティの演技をしている」と指摘している<ref name= nikkei201906/>。
 
また、松井は草彅について「驚嘆するほど集中力のある演技が発揮できる」と記し、草彅の感受性の強さにも言及して「私は彼を天才的な俳優だと高く評価している」と書いている<ref>松井今朝子『今朝子の晩ごはん 仕事も遊びもテンコ盛り篇』ポプラ社〈ポプラ文庫〉、2010年4月、初版。ISBN 978-4-591-11756-9。</ref>。
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演出家・脚本家の[[河原雅彦]]は、草彅の才を「天賦の才」と形容しており<ref>『LOOK at STAR!』vol.20、[[学習研究社]]、2006年4月27日。</ref>、草彅について「あの年代でNO.1の俳優だと力強く断言する」と記している<ref>{{Cite web|date=2007-02-05|url=http://loverock07.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_b2c5.html|title=勝手にマッチャー演劇大賞。|publisher=河原雅彦|accessdate=2014-03-07}}</ref>。
 
[[2007年]]、脚本家・[[作詞家]]・戯曲家の[[坂元裕二]]はもし俳優のオリンピックがあったら、日本代表は草彅さんは役者としての空間への在り方というか、佇まいが素晴らしいです」と役者としての草彅の在り方を絶賛し述べている<ref>『女性自身』[[光文社]]、2007年12月18日。</ref>。加えて、長いキャリアの中でジャニーズに所属している役者と一緒に仕事をする機会があまりなかった坂元が過去に自らの脚本作品で起用した4名のジャニーズのうち、デビュー組ではない[[風間俊介]]を除いた残りの3名が奇しくものちに[[新しい地図]]を結成する草彅、香取、稲垣の3名だったという面白い縁もある<ref name= nikkei201906/>。
 
[[SF作家]]の[[小松左京]]から「草彅君にやってもらいたかった」と指名され、小松原作の2006年に公開された超大作映画『[[日本沈没]]』で主演を務めた。本作は邦画では破格の製作費が投じられた<ref>{{Cite news|title =草なぎ主演「日本沈没」|newspaper =YOMIURI ONLINE|date =2005-07-05|url =http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/jul/o20050704_20.htm|accessdate =2005-07-15}}</ref>。なお、小松の映像化作品の遺作となった。本作の監督[[樋口真嗣]]は草彅について、役が憑依しコントロール自在なさまを目の当たりにして驚いたことを述べている<ref name="JM2012NTH">[[#日本映画magazine 2012|日本映画magazine 2012]]、30頁。</ref>。