「ノート:キタサンブラック」の版間の差分

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::* 獲得賞金の後述にある表ですが、[[著名な記録を持つ競走馬一覧#日本の獲得賞金高額馬]]があります。キタサンブラックのページの情報が古くなっているので参照を追加して削除した方がいいです。
::--[[利用者:くらげは癒し|くらげは癒し]]([[利用者‐会話:くらげは癒し|会話]]) 2024年1月16日 (火) 12:50 (UTC)
*{{コメント}} 柒月例祭です。私は周回遅れなので、あまり深く各論には突っ込みませんが・・・
*「冗長」と表現するとネガティブな価値判断を持っちゃいます。重要度・関連度・優先度が高い順に、という考え方ということ。
*基本的な方向性の話なので、たとえば目安として「最終的に何文字ぐらいまでにまとめましょう」とかって合意を諮るというのはどうでしょうね。図表とかがああるので目安程度ですけど。で、それぞれの記述に「優先順位」みたいのを決める。そういう縛りがあれば「重要度の順位の都合で、省く・注釈にまわす」という選択もする。
*「記事の改良」として'''各小節ごとに「この小節の要旨・結論」を加えては'''どうでしょう。最初に1-3文程度(「○文字」とかって決めてもいい)とか。'''あるいは節の名前を「母の父は短距離馬のサクラバクシンオー」みたいにするとか'''ね。
:*そうすると読者は「今から何の話が始まります」というのが予めわかった上で、読み始めます。節名や要旨だけ読んで、詳細を飛ばして先に進むのも自由。
:*たとえば「血統-バクシンオー」節だったら、「母父バクシンオーは短距離向きだったから、キタサンブラックには距離不安説が持ち上がることになる」みたいな一文を最初に書いとくんです。
:*それで「よみやすさ」は向上すると思うんですよねえ。
:*そういうのがないと、前提知識のない読者は「これ何の話?」ってなっちゃう。
::*<small>私は血統マニアだから、色々な話をする気持ちはわかるんですよ、キタサンブラックの血統の話をしようと思ったら、クリアアンバーからバクシンオーとアンバーシャダイが出てること、アンビオリクスとかエイトラックスの話までしたい。バクシンオーの話するならユタカオーやアンジェリカにも触れたいし、テスコボーイ産駒はナスルーラをクロスさせるとスピードタイプになり、ハイペリオンをクロスさせるとステイヤーになるとか、アンバーシャダイの話をするなら、ノーザンテーストが長スルーオダイナから短ダイナアクトレスまで色々出してること、、血統の話なんて芋づるで無限に際限なく話せますからね。</small>
*削る前の記事について、長いかどうかでいえば、まあ長いよねとは思いました。「長い」と「百科事典として適切か」とか「Jawpのルールに適しているか」というのとは別問題。(私個人だけなら「もっと長くたっていいんだぜ」って感じ。)
*多くの記述はキタサンブラックについて1から100まで余すことなく詳述しようとするときには、あってよい記述だと私は思います。が、「1から10までで十分だよ」という人にとっては情報過多になる。「100まで語るんですか」ということでしょうねえ。
:*私は今回、出典にあげられている『優駿』各号各ページを逐一参照はしていません。でも出典情報を眺めるだけでも、「キタサンブラックについて」語る文脈の直上にある情報なのかどうかが推測できそうです・・・
::*たとえばバクシンオー節の「ユタカオーは藤原牧場産」という記述は「優駿95年2月号」が情報源です。これは優駿のユタカオー特集がソースとわかります。ということは、「キタサンブラックについて直接語った情報源」から出てきた話ではない、ということになります。こういうのは「注釈にまわす」ことで本文をスリム化するという手法も考えられます。
:*これがもしも、優駿2015年12月号「キタサンブラック 血のドラマに逆らうドラマ」が情報源であったなら、それは「キタサンブラックについて語ろうとすると、ユタカオーの話から始めることになる」ことを裏打ちするわけです。
::*「血のドラマに逆らうドラマ」という題名からして、血統的には距離不安説出ますよ、ってことを端的に示していそうです。だから節の名前を「血統」ではなく「血統的には長距離に不安があった」みたいにしちゃう。そうすれば、読者は、ああそういう話が書かれているんだなとわかって読むわけです。
:*優駿の特集記事が、何ヶ月にも渡る連載記事というのもある。元ネタ側は文字数がたっぷりあるから、関係者・馬のバックボーンを詳述することができるわけで、それらをすべて余すところなく百科事典の記事に盛り込もうとすると、「長すぎる」「詳細過ぎる」と感じる人が出てくるのでしょう。それは理解はできます。(共感するかは別の話)
*私は記事を書く側の気持ちもわかるつもりなんですよ。イージーな情報源に「○○ステークスを楽勝した」と書いてあるからといって、それをそのまま使うのは、なんだか抽象的で事実関係がボヤッとしたまま。しっかり調べ一次情報源も精査網羅して、何がとう「楽勝」、「楽勝」とはなんぞやを具体的に調べたい。調べきったら、それを詳述したいわけです。3分のレースを、読むのに30分要する文章にもできる。そうすると精緻で重厚な記事になるわけですが、反面、「3行以内で」勢には読む気が失くなったり、「今なんの話だっけ」みたいになる。これはトレードオフだと思うんですよね。だから、最初の一行で要旨を簡潔に書くことで、両派の妥協点とする、って感じ。
*これは完全に「個人の感想」です。私はOkfarmさんの多くの記事から「ドラマチック感つよめ」という印象を持っています(もしかすると『優駿』がそうなのかも)。結論を先に書くということで、いくぶん解消されるような気はします。あとは「戴冠を果たした」「薄氷の勝利」とかの言葉の選び方もその印象をもたらしていて、「優勝」「僅差の勝利」とかって言い換えると、国語力落ちて平凡でつまらなくはなりますがドラマチック感は減衰するかなと。このへんは嗜好の世界ですね。
*私自身が実践できていないので、偉そうな事言うなって感じですけどね。--[[利用者:㭍月例祭|柒月例祭]]([[利用者‐会話:㭍月例祭|会話]]) 2024年1月16日 (火) 13:31 (UTC)
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