「アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵)」の版間の差分

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『ジョージ三世の王位継承以降のイギリス憲法史(1760年-1860年)』({{lang|en|''The Constitutional History of England since the Accession of George III, 1760–1860''}}、[[ロンドン]]、1861年 - 1863年初版、2巻、8vo。1871年第3版、3巻){{R|DNB}}{{Efn2|name=TransJP1861|本書の日本語定訳はないことから、渡辺・小山・浜田共訳{{Sfn|レーヴェンシュタイン訳書 (1)|1989|p=65}}に従った。当訳書の原著は憲法論などで知られる哲学者・政治学者{{仮リンク|カール・レーヴェンシュタイン|en|Karl Loewenstein}}であり、革命後の共和制フランスや君主制ドイツなどとの対比の文脈で、レーヴェンシュタインはメイの著作『ジョージ三世の王位継承以降のイギリス憲法史(1760年-1860年)』を参照文献として挙げている{{Sfn|レーヴェンシュタイン訳書 (1)|1989|pp=61–65}}。}}はイギリスの憲政史に関する著作であり、[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]が即位した1760年から1860年までの100年間を扱っている{{Sfn|May|1874|pp=v–vi|loc=§ preface}}。しかし、ジョージ3世の即位が憲政史における分水嶺というわけではなく、取り扱う期間が1760年から始まる理由はそれまでの歴史が{{仮リンク|ヘンリー・ハラム|en|Henry Hallam}}の著作ですでに扱われていることだったという{{Sfn|May|1874|pp=v–vi|loc=§ preface}}{{Efn2|イギリスにおける近代的な議院内閣制の発展研究の観点からは、ジョージ3世の即位(1760年)ではなく、曾祖父の[[ジョージ1世 (イギリス王)|ジョージ1世]]の即位(1714年)をターニングポイントとするのが通説となっている。ジョージ1世はハノーヴァー家出身のドイツ人であり、英語を解すことができなかったことから、首相との会話にはラテン語を用いていたとされる。かつ即位は50歳を超えてからである。したがって「王は君臨すれど統治せず」の政治姿勢は意図したものではなく、必然的に責任内閣制が必要とされた背景がある{{Sfn|中村|1976|p=123}}。その後、ジョージ3世は1760年の即位後に王権回復に努めて民主化・立憲主義の後退が一時的に起こるものの、[[ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵)|大ピット]]による長期政権運営によって責任内閣制と首相の地位が確立している{{Sfn|中村|1976|p=26}}。}}。
 
[[島田三郎]]と[[乗竹孝太郎]]による日本語訳は1883年から1888年にかけて秀英経済雑誌社(のちに第1から3巻)と輿論社が出版を引き継ぐ(第4から6巻)より『英国憲法史』として出版された{{R|Shimada}}。このほか、メイの死後1894年時点でドイツ語とフランス語訳も出版され、19世紀末の『[[英国人名事典]]』が「ハラムに比肩する」と評価したものの{{R|DNB}}、[[ホイッグ史観]]を採用しており{{Sfn|Essays (McKay: Chapter 1)|2017|p=26}}、20世紀の歴史学者[[ハーバート・バターフィールド]]は「(メイの)証拠の様々な部分を合成する能力により、平凡な先人たちよりも大きな誤りを作り出してしまった」「歴史にドクトリン的要素を入れたことで、最初の誤りを増大させて、著作を真実から遠ざける結果となった」と批判している{{R|Butterfield}}。ただし、先人のハラムが既にホイッグ史観に立脚しており、メイはこの立場を踏襲したとも評されている。ハラムと比較して、特に社会学的な観点からの考察がメイの著作では充実した内容となっている{{R|NYT-Review1863}}。同じく20世紀の歴史学者である{{仮リンク|イアン・ラルフ・クリスティ|en|I. R. Christie}}はメイの著作が「ジョージ3世の活動は権力を政治家から国王に移行させ、憲政上のバランスを破壊した」というホイッグ史観の通説に「1714年から1760年までの間に党派政治と[[責任内閣制]]が発展し、政治家がヴィクトリア朝後期のそれと同じように活動した」という仮定を追加し、ジョージ3世時代の実態が歪められてしまった{{R|Christie}}。[[ロムニー・セジウィック]]によれば、この見方の結果、ジョージ3世が同時代の政治家から[[名誉革命]]で成立した体制の転覆を疑われたところは、歴史家の目には責任内閣制の転覆を疑われたと映ることになるという{{R|Christie}}。
 
1912年にジャーナリストのフランシス・ホランド({{lang|en|Francis Holland}})が1860年から1911年までの内容を追加して3巻で出版したが、脚注をほとんど用いないなどメイの作風とかけ離れているほか、著者の個人的な意見が含まれている作品であるため勝手に内容を追加すべきではないとして、同年のC・E・フライヤーによる書評で批判された{{R|Fryer}}。
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首相[[ウィリアム・グラッドストン]]は同書の出版が「歴史文学の発展における一大イベント」と手放しで絶賛した{{Sfn|Essays (McKay: Chapter 1)|2017|p=26}}。同時代の歴史家[[ジョン・アクトン|初代アクトン男爵ジョン・ダルバーグ=アクトン]]も1878年1月の書評でメイが「法律は社会の状況に依拠し、現実に基づかない考えや論争に依拠しないことを信じている」ため、「常に地に足をつけ、選別された事実、健全な判断力、信頼のおける経験に頼っている」と評価した{{R|Hawkins}}。
 
日本語圏では川田徳二郎が『ヨーロッパ民主史』は川田徳二郎の緒論、フランスとイギリスの章の翻訳掛かり{{R|Kawada5}}、1882年に『欧州民力史論』として日本語訳され、1882年に緒論とフランスの部第1巻が出版された{{R|Kawada}}。
 
=== 引退と死 ===
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<ref name="Koss">{{Cite book2|language=en|last=Koß|first=Michael|date=2019|title=Parliaments in Time: The Evolution of Legislative Democracy in Western Europe, 1866-2015|page=121|publisher=Oxford University Press|url=https://books.google.com/books?id=w9t1DwAAQBAJ&pg=PA121}}</ref>
 
<ref name="ShimadaKawada5">{{国立国会図書館のデジタル化資料|2937415776487|英國憲法欧洲民力1,2巻}}、5頁。</ref>
 
<ref name="Kawada">{{国立国会図書館のデジタル化資料|776487|欧洲民力史論 第1,2巻}}</ref>
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<ref name="May-Chisholm1911">{{Cite EB1911|wstitle=Parliament|volume=20|pages=835-849|last=May|first=Thomas Erskine|last2=Chisholm|first2=Hugh|author-link2=ヒュー・チザム}}</ref>
 
<ref name="Shimada">[{{近代デジタルライブラリーURL|2937415}} 英國憲法史 第一巻](1883年3月30日)、[{{近代デジタルライブラリーURL|2937416}} 英國憲法史 第二巻](1883年5月30日)、[{{近代デジタルライブラリーURL|2937417}} 英國憲法史 第三巻](1883年11月30日)、[{{近代デジタルライブラリーURL|2937418}} 英國憲法史 第四巻](1887年11月)、[{{近代デジタルライブラリーURL|2937419}} 英國憲法史 第五巻](1888年1月)、[{{近代デジタルライブラリーURL|2937420}} 英國憲法史 第六巻](1888年9月21日)の奧付より。</ref>
<ref name="Shimada">{{国立国会図書館のデジタル化資料|2937415|英國憲法史 第一巻}}</ref>
 
<ref name="NYT-Review1863">{{Cite web2 |url=https://www.nytimes.com/1863/07/14/archives/books-of-the-week-the-constitutional-history-of-england-since-the.html |title=BOOKS OF THE WEEK.; THE CONSTITUTIONAL HISTORY OF ENGLAND, SINCE THE ACCESSION OF GEORGE III., 1760 --1860. BY THE AS ERSKINE MAY, C.B. in two volumes, Volumes II. Boston: CROSBY & NICHOLS. |trans-title=今週の書籍紹介: アースキン・メイ著『ジョージ三世の王位継承以降のイギリス憲法史(1760年-1860年)』(第2巻、Crosby & Nichols社、ボストン)|publisher=[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]] |date=1863-07-14 |access-date=2020-03-13 |language=en}}</ref>