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'''江川太郎左衛門'''('''えがわたろうざえもん''')は[[伊豆国|伊豆]]の[[韮山]]([[静岡県]][[田方郡]][[韮山町]])を本拠とした江戸幕府の世襲[[代官]]。'''太郎左衛門'''は、江川家の代々の当主の通称である。
 
== 系譜 ==
江川家は中世以来の名家であり、始祖が[[清和源氏]][[源経基]]の孫であることもはっきりしている。初め宇野氏を名乗った。伊豆には平安末期に移住し、宇野治長が[[源頼朝]]の挙兵を助けた功で江川荘を安堵されたことにより、領域支配が確定した。その後[[鎌倉幕府]]・[[後北条氏]]など、その時代の支配者に仕えた。江川家と改めたのは[[室町時代]]のようである。
 
[[天正]]18年([[1590年]])、[[豊臣秀吉]]による[[小田原城|小田原]]攻めの際には、江川家28代英長は寝返って[[徳川家康]]に従い、代官に任ぜられた。以降江川家は、[[明治維新]]まで[[相模国|相模]]・伊豆・[[駿河国|駿河]]・[[甲斐国|甲斐]]・[[武蔵国|武蔵]]の[[天領]]5万4千石分(後26万石に膨れ上がる)の代官として、民政に当たった。
 
== 著名な「江川太郎左衛門」 ==
上記の通り、江川家は[[平安時代]]以来明治維新にいたるまで38代続いた家であり、代々が太郎左衛門を名乗った。このうち、歴史上著名な人物を特に列挙する。
 
#[[江川英毅]](35代当主、農地の改良・商品作物の栽培など天領の増収に尽くす。文化人としても名を残す)