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オーストリア帝国の皇族
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2007年4月18日 (水) 07:50時点における版
ルートヴィヒ・ヴィクトル・フォン・エスターライヒ(Ludwig Viktor von Österreich, 1842年5月15日 - 1919年1月18日)は、オーストリア帝国の皇族。オーストリア大公。フランツ・カールの四男。全名はルートヴィヒ・ヴィクトル・ヨーゼフ・アントン(Ludwig Viktor Joseph Anton)で、「Luziwuzi」と呼ばれた。
1842年5月15日、フランツ・カールとその妃であったバイエルン王マクシミリアン1世の王女ゾフィーの間に第五子(末子)としてウィーンのシェーンブルン宮殿で生まれた。兄にオーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世やメキシコ皇帝マクシミリアンがいる。
ルートヴィヒ・ヴィクトルは同性愛者であり、しかもその性癖を隠そうともしなかったためたびたびスキャンダルを巻き起こした。母ゾフィーが進めようとした縁談はことごとく破談になり、ついに兄フランツ・ヨーゼフ1世によってウィーンからの立ち退きを命じられた。以後彼はザルツブルク州のジーツェンハイム(現ザルツブルク=ウムゲーブング郡ヴァルス=ジーツェンハイム)のクレスハイム宮殿に隠棲した。
1919年1月18日、ルートヴィヒ・ヴィクトルはクレスハイム宮殿で死去した。76歳であった。遺体はジーツェンハイムの墓地に葬られている。