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'''西岡'''(にしおか)は、[[北海道]][[札幌市]][[豊平区]]南部の地区である。豊平区南部の住宅と、自衛隊演習場を含む丘陵地からなる
 
明治のはじめには'''焼山'''(やけやま)と呼ばれていたガ、[[1909年]]には'''西山'''と改称され、[[1944年]]に西岡となった。札幌の中心部からみると南東だが、当時豊平町役場があった[[月寒]]からみると南から南西、室蘭街道([[国道36号]])から南西にあたる。
== 概要 ==
 
*もとは焼山(やけやま)と呼ばれていた。[[1909年]]には西山と改称され、[[1944年]]に西岡となった。
== 概要地理 ==
南北に細長い地区は、[[西岡水源池]]を境に北側が住宅地、南側が低い丘陵地とはっきり分かれる。西岡の地形は、支笏火山の噴出物で作られた台地で、土壌は火山灰である。
 
北側は東を[[月寒川]]、西を[[望月寒川]]に刻まれ中央が盛り上がった南北に長い台地である。東西約1km、南北約6km。標高は北が約70m、南が約150m。東で福住、西で平岸・澄川の各地区に隣り合うが、そこも同様の台地である。ここには条・丁目が割り振られている。西から東に、南北に細長く西岡1条から5条まで分ける。各々の条を、北から南に1丁目から14丁目まで分ける。両方とも、市の中心に近いほうが番号が小さい。古くは北半分を西岡一区、南半分を西岡二区と分ける区分があった。この地区の北側は全面が住宅地で、南にいくにつれ畑がまばらに混じる。
 
条・丁目がない南側は[[月寒川]]の上流域で、面積としては北側よりずっと広いが、市街化調整地域で住宅はほとんどない。北西の望月寒川上流部に工場、墓地などが置かれる。
 
*山 - 焼山
*川 - [[月寒川]]、[[望月寒川]]
*池 - [[西岡水源池]]
 
== 歴史 ==
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明治35年([[1902年]])に月寒村・豊平村・平岸村の3村が合併し、[[豊平町|豊平村]]となり、西岡地区はこの豊平村の一部となった。明治42年([[1909年]])には、西岡地区は焼山から西山となり、昭和19年([[1944年]])に西岡となった。その後、昭和36年([[1961年]])には豊平町(元の豊平村)が札幌市に併合されたため、西岡地区は札幌市の市政下に入った。
 
バスの便を得た1960年代から住宅の造成が盛んになり、宅地化が進行した。昭和42年([[1967年]])には[[札幌大学]]が開学した。
 
==交通==
鉄道、地下鉄は通らない。歴史的に重要な道は水源池通で、一部が[[北海道道82号西野真駒内清田線]]に指定されるが、大部分は市道である。通りの名は[[西岡水源池]]に由来するが、水源池建設以前からあった西岡最初の道である。長らく馬車・自動車が通行できる唯一の道であった。
 
最初のバスの運行は[[1959年]](昭和24年)で、札幌から水源池通りの10丁目まで往復した。1960年代の終わりには、現在の市街地の全域がバス路線でカバーされるようになった。宅地化とともに、1970年代からには水源池通と並行、交差する舗装道路が次々と整備された。東西に走るものに、北の境界にある白石藻庭通([[北海道道453号西野白石線)、羊ヶ丘通、福住桑園通(一部が[[北海道道82号西野真駒内清田線]])、五輪通(一部が[[北海道道82号西野真駒内清田線]])がある。
 
== 施設など ==