「愛宕山 (仙台市)」の版間の差分

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== 歴史 ==
 
愛宕山の北斜面と南東斜面には、7世紀に[[横穴墓]]が多数作られた。[[愛宕山横穴墓群]]という。急斜面の横から、岩を削って掘り込み、内部に1メートルから3メートルほどの空間を作り、次々に人を埋葬したものらしい。
 
16世紀前半に[[経塚]]が築かれ、[[1931年]](昭和6年)に発掘されて[[愛宕山経塚]]と呼ばれた。
 
江戸時代に[[愛宕神社 (仙台市)|愛宕神社]]が山上に建てられ、[[経ヶ峯]]から虚空蔵堂が移転してきた。愛宕山は仙台に入る街道から外れていたが、迂路をとって登る人も多かった。ここから仙台の町が展望できたためである。現代の観光客は[[青葉山 (仙台市)|青葉山]]から仙台市街を見下ろすが、そこは[[仙台城]]本丸であるから、江戸時代に旅行者が立ち寄ることはできなかった。
 
仙台の市街が拡大し、愛宕山の麓まで住宅が建てられると、斜面の横穴は民家の物置に使われた。第2次世界大戦中には、防空壕に転用されたものもあった。こうした転用で多くの中の遺物・遺骨が失われたた。さらに後には、宅地造成のために壊されるものもあった。[[1976年]](昭和51年)には、愛宕大橋建設に伴う道路工事で愛宕山装飾横穴古墳が見つかり、緊急発掘の後、取り壊された。