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'''ジョセフ・ウィーラー”ジョー”・シーウェル'''
== 経歴 ==
[[1920年]]にサザンリーグのニューオーリンズからインディアンズに入団する。シーウェルは、この年に頭部への死球の事故によって急逝した遊撃手の[[レイ・チャップマン]]の後釜を任され、22試合で70打数23安打、.329の成績を残す。翌年からインディアンズのレギュラーに定着、打撃面でもコンスタントに3割をマークする打者になった。1923年には打率.353と109打点を挙げる活躍をし、翌1924年はリーグ最多の45二塁打と106打点を記録した。インディアンズには1930年まで計11年在籍したが、打率が
一方で1922年以降は毎年全試合出場を続け、1930年までに当時最長となる1103試合の連続出場の記録を作ったが、1930年シーズン途中にクリーブランドから放出され、連続試合出場の記録は途絶えてしまう。
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1977年にベテランズ委員会により[[アメリカ野球殿堂]]入りを果たす。1990年にアラバマ州モービルで死去。
== 所属球団 ==
*[[クリーブランド・インディアンズ]] (1920-1930年)
*[[ニューヨーク・ヤンキース]] (1931-1933年)
== 通算成績 ==
=== 打撃成績 ===
{| class="wikitable" style="margin:0 0 0.5em 1.5em;text-align: center;"
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![[本塁打]]
![[得点]]
![[
![[盗塁]]
![[三振]]
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|}
=== 獲得タイトル・記録 ===
*[[ワールドシリーズ]]出場:2回 (1920,1932年)
*連続試合出場:'''1103'''
*通算打数/三振比率
*連続無三振試合数:'''115'''
== 特筆・エピソード ==
*チームメイトでもあった弟の[[ルーク・シーウェル]]は、1941年から1946年までセントルイス・ブラウンズの監督を勤め、1944年にブラウンズ唯一のアメリカンリーグ制覇を成し遂げている。
*もう一人の弟のトミー・シーウェルは、1927年にカブスで1試合に代打で出場しただけだった。
*いとこのリップ・シーウェルは、山なりの超スローボールを投げる投法(イーフス)をメジャーリーグに導入した投手だと言われている。
== 出典・外部リンク ==
*[http://www.baseballhalloffame.org/hofers_and_honorees/hofer_bios/Sewell_Joe.htm National Baseball Hall of Fameによる紹介(英語)]
*[http://retrosheet.org/boxesetc/S/Psewej101.htm 年度別成績 (Retrosheet)]
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[[Category:1898年生]]
[[Category:1990年没]]
{{Baseball-biography-stub
[[de:Joe Sewell]]
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