「藤間勘十郎 (8世)」の版間の差分

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'''八世 藤間 勘十郎'''(はっせい ふじま かんじゅうろう、[[1980年]][[3月13日]] - )は、日本舞踊家。[[日本舞踊]]宗家[[藤間流]]家元。本名、藤間良(ふじま りょう)。幼少期は'''藤間 遼太'''(ふじま りょうた)の名で[[子役]][[俳優]]としても活動したことがある
 
== 略歴 ==
*[[歌舞伎]]舞踊の振り付けを手掛ける[[日本舞踊]]の宗家[[藤間流]][[藤間勘祖 (3世)|三世藤間勘祖]](七世藤間勘十郎、藤間高子)の[[長男]]。父親は[[観世流]][[能楽師]]の[[梅若六郎 (56世)|五十六世梅若六郎]]だが、父母の間に婚姻関係はない(藤間高子『そして始まり』より)。また[[人間国宝]][[藤間勘祖 (2世)|二世藤間勘祖]](六世藤間勘十郎)、[[藤間紫]]は祖父母にあたる
*[[子役]]時代には、『[[独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)|独眼竜政宗]]』([[1987年]] [[NHK大河ドラマ]])の「において[[伊達政宗|]]の幼少期・梵天丸を演じ、「梵天丸]]もかくありたい」のセリフ一世を風靡した。
:父親は観世流能楽師の五十六代[[梅若六郎]]だが、父と母は結婚していない(藤間高子『そして始まり』)。[[人間国宝]][[藤間勘祖 (2世)|二世藤間勘祖]](六世藤間勘十郎)の孫=[[藤間紫]]の孫でもある。
*二世[[藤間康詞]]を経て、[[2002]]年9月に八世[[藤間勘十郎]]を襲名した。
*[[子役]]時代には、『[[独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)|独眼竜政宗]]』([[1987年]] [[NHK大河ドラマ]])の「[[伊達政宗|梵天丸]]もかくありたい」のセリフで一世を風靡した。
*[[2003年]]、[[芸術選奨]]文部科学大臣賞新人賞受賞。
*[[2002]]年9月に八世[[藤間勘十郎]]を襲名。それまでは二世[[藤間康詞]]を名乗っていた。
 
== 外部リンク ==
*[http://www.soke-fujima.com/index.htm 宗家藤間流]
*[http://www.performingarts.jp/J/art_interview/0603/1.html 国際交流基金ホームページ・アーティストインタビュー]
 
[[Category:日本舞踊家|ふしま かんしゆうろう8]]