ホーム
おまかせ表示
付近
ログイン
設定
寄付
ウィキペディアについて
免責事項
検索
「官職の唐風改称」の版間の差分
言語
ウォッチリストに追加
編集
履歴の双方向閲覧
← 古い編集
新しい編集 →
削除された内容
追加された内容
ビジュアル
ウィキテキスト
2006年12月16日 (土) 04:49時点における版
編集
新アルパカ
(
会話
|
投稿記録
)
1,067
回編集
編集の要約なし
← 古い編集
2007年11月7日 (水) 04:53時点における版
編集
取り消し
SHANAOH
(
会話
|
投稿記録
)
150
回編集
→経緯
新しい編集 →
2行目:
== 経緯 ==
仲麻呂は[[光明皇太后]]の力を借りて朝廷を次第に掌握していった。仲麻呂は大陸の先進文化の導入に非常に意欲的であった。
天平宝字2年(
758年
)
に[[淳仁天皇]]が即位すると政治の全権を握り朝廷の唐風化を積極的に推進していった。しかし仲麻呂の失脚によって全てもとに戻された。
== 改称した官司・官職の一覧 ==