「桂ざこば (2代目)」の版間の差分

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=== その他 ===
*千日劇場に上がっていた頃はよく遅刻をし、浮世亭歌楽([[浮世亭歌楽・ミナミサザエ]])、[[林家とみ]](2代目[[林家染丸]]の夫人で選択無形文化財)によく説教された。
*師匠である[[桂米朝 (3代目)|桂米朝]]と親しい[[永六輔]]と22歳の頃[[新宿駅]]西口広場でフォークゲリラならぬ噺ゲリラを開いていたことがある。何回か開いている内に「道路だ」との理由から[[警視庁]][[新宿警察署]]の機動隊員に永と共に強制排除されたがされる際'''「サゲまでやらせてぇなぁ!!!!」'''と絶叫していたという。
*20歳の駆け出しの頃、[[戎橋]]で大道芸人風の即興落語を開いたこともあり、当時お金が無かったので、橋の下で寝袋持参で寝ていたことがある(その余興は「たかじん胸いっぱい」で明かされ、当時の女性週刊誌にも掲載され話題を呼んだ)。
*また、[[笑福亭鶴光]]と同居していたこともあり、そのときはドライヤーとお互いの肌の熱で冬場を凌いでいたらしい。また、「[[ナンバ壱番館]]」でざこば自身が語ったところによれば、ざこばが「[[セックス|アソコに入れるの]]って本当に気持ちいいんかなぁ?」と何気なく口に出したところ、なぜか鶴光が「じゃあ入れてみよっか?」と本気になり、鶴光がざこばの[[肛門|秘部]]に'''本当に入れてしまった'''こともあった。