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==経歴==
李世民と[[長孫皇后]]の間に生まれた。承乾殿に生まれたため、承乾と名づけられた。[[620年]]に王に封ぜられ、[[624年]]に中山王に封された。[[626年]]、太宗が即位すると、皇太子に立てられた。
 
幼いころは聡明で、政務の裁決を任されても基本を外さず、太宗の行幸のおりには監国をつとめた。しかし成長すると、遊興を好んで素行は乱れた。太宗は[[孔穎達]]・[[令狐徳フン|令狐徳棻]]・[[于志寧]]・張玄素・趙弘智・王仁表・崔知機らを選んで承乾を教導させたが、承乾は改悛しようとしなかった。承乾は病のため足が悪く、素行も悪かったので、廃位されるのを恐れて、弟の魏王[[李泰]]を敵視した。