「アウルス・ヒルティウス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Louperibot (会話 | 投稿記録)
m 機器人 正在新增: ca:Aule Hirti
Tanuki Z (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
1行目:
'''アウルス・ヒルティウス'''('''Aulus Hirtius''', [[紀元前90年]] – [[紀元前43年]])は[[共和政ローマ]]末期の[[元老院 (ローマ)|元老院]]議員。[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]暗殺の翌年[[紀元前43年]][[執政官]]を勤めた人物として知られる。また彼は文人としても知られ、カエサルの代わりに[[ガリア戦記]]第8巻を執筆した人物としても知られる。
 
== 概説 ==
彼のは紀元前54年にはカエサル配下の[[レガトゥス]]になっていた事が記録に残っている。そして[[グナエウス・ポンペイウス]]との戦闘に参加、その後[[ヒスパニア]]に派遣される。また可能性として、[[トリブヌス]]に[[紀元前48年]]になっていた可能性がある。翌年には[[アンティオキア]]に赴任、[[紀元前46年]]には[[プラエトル|法務官]]に、[[紀元前45年]]には[[ガリア・キサルピナ]]の[[総督 (古代ローマ)|総督]]になった。この時点ですでにカエサルは[[紀元前43年]]の予定執政官に任命していた。
 
カエサル暗殺後、もともとは[[マルクス・アントニウス]]の支持者であったヒルティウスだが、個人的な友人である[[マルクス・トゥッリウス・キケロ]]の肩を持ちアントニウスと対立、そして元老院の決議で同僚執政官[[ガイウス・ウィビウス・パンサ・カエトロニアヌス]]とともに[[ガリア・キサルピナ]]の[[モデナ|ムティナ]]で前総督[[デキムス・ユニウス・ブルートゥス]]を包囲するアントニウスと戦うが、ともに戦死した。死後彼の葬儀は国葬を持ってなされた。
彼のは紀元前54年にはカエサル配下の[[レガトゥス]]になっていた事が記録に残っている。そして[[ポンペイウス]]との戦闘に参加、その後[[ヒスパニア]]に派遣される。また可能性として、[[トリブヌス]]に[[紀元前48年]]になっていた可能性がある。翌年には[[アンティオキア]]に赴任、[[紀元前46年]]には[[プラエトル|法務官]]に、[[紀元前45年]]には[[ガリア・キサルピナ]]の[[総督 (古代ローマ)|総督]]になった。この時点ですでにカエサルは[[紀元前43年]]の予定執政官に任命していた。
 
彼はまた文人でもあり、カエサルに代わり[[ガリア戦記]]第8巻、[[アレクサンドリア戦記]]を執筆した。また彼は[[アフリカ戦記]][[ヒスパニア戦記]]も執筆したと言うが、実質は[[著者]]というより[[編集者]]に近かったと言う。またキケロとの共同で執筆したものもあったが、こちらは現存していない。
カエサル暗殺後、もともとは[[マルクス・アントニウス]]の支持者であったヒルティウスだが、個人的な友人である[[キケロ]]の肩を持ちアントニウスと対立、そして元老院の決議で同僚執政官[[ウィビウス・パンサ・カエトロニアヌス]]とともに[[ガリア・キサルピナ]]の[[モデナ|ムティナ]]で前総督[[デキムス・ブルートゥス]]を包囲するアントニウスと戦うが、ともに戦死した。死後彼の葬儀は国葬を持ってなされた。
 
彼はまた文人でもあり、カエサルに代わり[[ガリア戦記]]第8巻、[[アレクサンドリア戦記]]を執筆した。また彼は[[アフリカ戦記]]、[[ヒスパニア戦記]]も執筆したと言うが、実質は[[著者]]というより[[編集者]]に近かったと言う。またキケロとの共同で執筆したものもあったが、こちらは現存していない。
 
==関連項目==