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'''アウルス・ヒルティウス'''('''Aulus Hirtius'''
== 概説 ==
彼のは紀元前54年にはカエサル配下の[[レガトゥス]]になっていた事が記録に残っている。そして[[グナエウス・ポンペイウス]]との戦闘に参加、その後[[ヒスパニア]]に派遣される。また可能性として、[[トリブヌス]]に[[紀元前48年]]になっていた可能性がある。翌年には[[アンティオキア]]に赴任、[[紀元前46年]]には[[プラエトル|法務官]]に、[[紀元前45年]]には[[ガリア・キサルピナ]]の[[総督 (古代ローマ)|総督]]になった。この時点ですでにカエサルは[[紀元前43年]]の予定執政官に任命していた。▼
カエサル暗殺後、もともとは[[マルクス・アントニウス]]の支持者であったヒルティウスだが、個人的な友人である[[マルクス・トゥッリウス・キケロ]]の肩を持ちアントニウスと対立、そして元老院の決議で同僚執政官[[ガイウス・ウィビウス・パンサ・カエトロニアヌス]]とともに[[ガリア・キサルピナ]]の[[モデナ|ムティナ]]で前総督[[デキムス・ユニウス・ブルートゥス]]を包囲するアントニウスと戦うが、ともに戦死した。死後彼の葬儀は国葬を持ってなされた。▼
▲彼のは紀元前54年にはカエサル配下の[[レガトゥス]]になっていた事が記録に残っている。そして[[ポンペイウス]]との戦闘に参加、その後[[ヒスパニア]]に派遣される。また可能性として、[[トリブヌス]]に[[紀元前48年]]になっていた可能性がある。翌年には[[アンティオキア]]に赴任、[[紀元前46年]]には[[プラエトル|法務官]]に、[[紀元前45年]]には[[ガリア・キサルピナ]]の[[総督 (古代ローマ)|総督]]になった。この時点ですでにカエサルは[[紀元前43年]]の予定執政官に任命していた。
彼はまた文人でもあり、カエサルに代わり『[[ガリア戦記]]』第8巻、『[[アレクサンドリア戦記]]』を執筆した。また彼は『[[アフリカ戦記]]』、『[[ヒスパニア戦記]]』も執筆したと言うが、実質は[[著者]]というより[[編集者]]に近かったと言う。またキケロとの共同で執筆したものもあったが、こちらは現存していない。▼
▲カエサル暗殺後、もともとは[[マルクス・アントニウス]]の支持者であったヒルティウスだが、個人的な友人である[[キケロ]]の肩を持ちアントニウスと対立、そして元老院の決議で同僚執政官[[ウィビウス・パンサ・カエトロニアヌス]]とともに[[ガリア・キサルピナ]]の[[モデナ|ムティナ]]で前総督[[デキムス・ブルートゥス]]を包囲するアントニウスと戦うが、ともに戦死した。死後彼の葬儀は国葬を持ってなされた。
▲彼はまた文人でもあり、カエサルに代わり[[ガリア戦記]]第8巻、[[アレクサンドリア戦記]]を執筆した。また彼は[[アフリカ戦記]]、[[ヒスパニア戦記]]も執筆したと言うが、実質は[[著者]]というより[[編集者]]に近かったと言う。またキケロとの共同で執筆したものもあったが、こちらは現存していない。
==関連項目==
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