「Wikipedia‐ノート:管理者への立候補/過去ログ2011年」の版間の差分

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Tanuki Z (会話 | 投稿記録)
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コミュニケーション能力に難のある管理者はえてして不必要な軋轢をコミュニティにもたらします。捨てアカウントによる「言いがかり」に如何に対処できるのかという点も、投票に当たっての重要な判断材料ですので、[[User:Miya]]による提案にはまったく賛同できません。質疑応答をノートに移すというアイディアについても、判断材料を分散させることで単なる「人気投票」と化すことを憂慮し、同じく賛同できません。--[[利用者:Dojo|Dojo]] 2008年3月1日 (土) 09:49 (UTC)
:捨てアカでの質問は多少きがかりではありますが、投票権限がなくても質問があるのは当然だと思います。たとえば、長い間アカウントを使わずに編集を繰り返してきたような人もいる訳です。そのような方の意見を一蹴するのがWikipediaの正しいやり方だとは到底思えません。また、極端な言い方になりますが、その程度で怖気づいたり、信頼を失ってしまうような人に管理者にはなってもらいたいとは思いません。よって、今回の案には反対させていただきます。--[[利用者:Takashifan|世羅]] 2008年3月1日 (土) 10:18 (UTC)
::他の方がおっしゃる反対理由に加えるところはありませんが、オフトピである解任投票に合わせるという提案について述べます。
::一般にある事例を別の事例に適応する際にはその間の異同を見る必要があります。解任の対象はすでに立候補をして信任されて権限を(おそらく何件か)行使している管理者です。他方立候補の対象は一定の参加歴があるだけのウィキペディアンです。この両者には単純に情報量に差があります。次に解任が主に問題にするのは過失や不適切な言行など「すでに起こった」事象とそこから類推される本人の資質です。他方で立候補が主に問題にするのは管理者になった後適切に権限を行使するのかという「将来に関係する」資質です。3点目に立候補は推薦であれ本人の自発的意思が要求されますが、解任では推進者が対象となる管理者と異なることは通常のケースです。最後に仮に解任でも質問が許されていたとしてその内容は立候補で行われているものとは明らかに趣旨や性格が異なるものになるはずと推測できます。以上のように相違点は大きく適応するのは無理があると私は考えます。
::<small>クレームを受けにくい権限だけを行使する人がいてもいいというのは(私に言う資格があるのかは置いておいて)強く賛同します。ですが、クレームを受けるはずもない権限行使でもクレームをつける人はつけるというもう一つの事実も考えるとき、言いがかりを受ける覚悟もない人間に任せることは本人のためとも思えません。</small>[[利用者:Tanuki Z|tanuki_Z(sysopは偉くない)]] 2008年3月4日 (火) 08:57 (UTC)
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