「クトブッディーン・マウドゥード」の版間の差分

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'''キタークトブッディーン・マウディドゥード'''('''QutbQuṭb adal-DinDīn MawdudMawdūd''' b. ‘Imād al-Dīn Zankī b. Āq-Sunqūr, قطب الدين مودود بن عماد الدين زنكي بن آقسنقود)は[[モースル]]の[[ザンギー朝]]の[[アタベク]]、[[アミール]](在位[[1149年]]-[[1169年]])。アターベク・クトブッディーン・マウドゥードなどと称する。モースルにおけるザンギー朝の始祖
 
==略歴==
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彼は[[ザンギー朝]]の祖である[[ザンギー|イマードゥッディーン・ザンギー]]の息子で[[サイフッディーン・ガーズィー]]や[[ヌールッディーン]]の兄弟であった。
 
[[1149年]]、兄の[[サイフッディーン・ガーズィー|サイフッディーン]]が死去すると、彼は兄の後を継ぎ[[モースル]]を中心とするジャズィーラ地方およびディヤール・バクル地方を[[アミール]]となった。1169年に没すると、彼の息子の一人、サイフッディーン・ムハンマド・ガーズィーがその地位を継いだ
 
==関連項目==
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*[[ザンギー朝]]
 
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[[Category:イスラム史の人物]]
[[Category:イラクの歴史]]
[[Category:シリアの歴史]]
 
[[en:Qutb ad-Din Mawdud]]