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{{Hinduism}}{{Buddhism}}[[Image:Ueno monk.jpg|thumb|250px|[[上野駅]]前の托鉢僧]]
'''托鉢'''(たくはつ、[[
== インドにおける托鉢 ==
古代インドの宗教では、出家者は一般に所有欲を否定するために
仏教やその他古代インド宗教の修行者への呼称の1つである[[阿羅漢]](あらかん)は[[サンスクリット語]]の Arhat の音写語であるが、その意味は漢訳の「応供」(おうぐ)が示す通り、「供養を受けるにふさわしい人」であるほか、[[比丘]](びく)もサンスクリット語の bhiksu の音写語であり、その意味は「乞う人」である。
しかしながら、その一方で「食物を乞うだけの人」(pindola)は、在家の人々から卑俗な人々として見られていた。
古代インド宗教の1つである仏教でも
『[[法句経]]』には、[[バラモン]]が托鉢に来た[[釈迦]]に論戦を挑んで逆に感化され、在家信者となった逸話が収録されている。
奈良時代には[[行基]]などによって河川の堤防やため池・井戸などの社会インフラの整備や大仏建立のための[[勧進]]という、[[チャリティ]]としての意味合いでも托鉢は行われるようになった。
こうした場合の托鉢には資金集めのほかに広報的な意味合いも含まれていたため、自己の周辺地域だけではなく、遠隔地に至るまで行われるようになった。
▲このような遠隔地に及ぶ托鉢は、やがて[[平安時代]]末期の[[空也]]などの[[聖]](ひじり)と呼ばれる[[遊行者]]による[[浄土教]]の[[布教]]活動に繋がっていった。
1872年11月9日には托鉢の禁令([[教部省]]第25号達)が出された。1881年8月15日には解禁([[内務省]]布達甲第8号)されたが、[[管長]]の免許証の携帯が義務づけられた。
現在の托鉢には、集団で自派の[[檀家]]の家々(近隣に限らない)を訪問する形態と、個人で[[寺院]]の門前や往来の激しい
このよう
▲托鉢では、[[道路交通法]]に基づく[[警察署]]の道路使用許可は不要というのが通説となっている。
▲このような日本の仏教における托鉢が本来の目的から外れるようになったのは、日本を含む[[東アジア]]に広まった[[大乗仏教]]では[[上座部仏教]]とは異なり、物品の所有を禁止しておらず、その結果として寺院が寄進された[[荘園]]等を運営し、その[[小作料]]等で寺院を維持する事が可能となったため、維持を目的とした托鉢を行う必要がなくなった事による。
== 関連項目 ==
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* [[頭陀袋]]
* [[乞食]]
== 参考文献 ==▼
== 外部リンク ==
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* [http://home.earthlink.net/~brelief/pindapata.html Pindapada in Flint]
{{Buddhism-stub}}▼
▲== 参考文献 ==
▲* pindolagaと古代インドの托鉢観(河崎豊、印度学仏教学研究51-1、2002年)
{{DEFAULTSORT:たくはつ}}
▲{{Buddhism-stub}}
[[Category:仏教
[[Category:インドの宗教
[[Category:行法
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