削除された内容 追加された内容
Loveless (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 変更: zh:头陀
cl, fmt
1行目:
{{Hinduism}}{{Buddhism}}[[Image:Ueno monk.jpg|thumb|250px|[[上野駅]]前の托鉢僧]]
'''托鉢'''(たくはつ、[[Sktサンスクリット]] : pindapata):pindapata)とは、[[仏教]]や[[ジャイナ教]]を含む古代[[インド]][[宗教]]の[[出家者]]の[[修行]]形態の1つで、[[信者]]の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞い、信者に[[功徳]]を積ませる修行。'''乞食行'''(こつじきぎょう)、'''頭陀行'''(ずだぎょう)、'''行乞'''(ぎょうこつ)とも。
 
== インドにおける托鉢 ==
== 概要 ==
古代インドの宗教では、出家者は一般に所有欲を否定するために[[三衣一鉢]]の最低限の生活必需品しか所有しないほか、修行に専念するために[[農業]]などの生産活動には従事しない。したがって、出家者が生存するためには身体を維持させるために最低限の食料を出家者以外から調達する必要があり、そうした状況下から、普段、ふだん山地や森林で修行しその他の人々とは関わることが少ない出家者と、町村で生活している信者との間に托鉢による交流関係が発生した。
 
仏教やその他古代インド宗教の修行者への呼称の1つである[[阿羅漢]](あらかん)は[[サンスクリット語]]の Arhat の音写語であるが、その意味は漢訳の「応供」(おうぐ)が示す通り、「供養を受けるにふさわしい人」であるほか、[[比丘]](びく)もサンスクリット語の bhiksu の音写語であり、その意味は「乞う人」である。
 
しかしながら、その一方で「食物を乞うだけの人」(pindola)は、在家の人々から卑俗な人々として見られていた。したがって、同一の行動形態であっても、出家者としての風格を備えていない者は、在家信者から供養されなかった。
 
=== 仏教でのにおける托鉢 ===
古代インド宗教の1つである仏教でも托鉢は取り入れられた。[[東南アジア]]の[[上座部仏教]]では、2006年現在も托鉢を行っている。現在では、托鉢は毎朝行われ、教団に持ち帰ったそれらの食物は担当者によって全員に平等に分配される。
 
『[[法句経]]』には[[バラモン]]が托鉢に来た[[釈迦]]に論戦を挑んで逆に感化され、在家信者となった逸話が収録されている。
 
==== 日本でのにおける托鉢 ====
[[日本]]へも托鉢は[[中国]]([[朝鮮半島]])から仏教の伝来と共に伝わった。[[奈良時代]]には[[行基]]などによって河川の[[堤防]]や[[ため池]]、[[井戸]]などの社会[[インフラストラクチャー|インフラ]]の整備や[[大仏]]建立のための[[勧進]]という、[[チャリティ]]としての意味合いでも托鉢は行われるようになった。
 
奈良時代には[[行基]]などによって河川の堤防やため池・井戸などの社会インフラの整備や大仏建立のための[[勧進]]という、[[チャリティ]]としての意味合いでも托鉢は行われるようになった。
こうした場合の托鉢には資金集めのほかに広報的な意味合いも含まれていたため、自己の周辺地域だけではなく、遠隔地に至るまで行われるようになった。
このような遠隔地に及ぶ托鉢は、やがて[[平安時代]]末期の[[空也]]などの[[聖]](ひじり)と呼ばれる[[遊行者]]による[[浄土教]]の[[布教]]活動に繋がっていった。
 
このような遠隔地に及ぶ托鉢は、やがて[[平安時代]]末期の[[空也]]などの[[聖]](ひじり)と呼ばれる[[遊行者]]による[[浄土教]]の[[布教]]活動に繋がっていった。
 
1872年11月9日には托鉢の禁令([[教部省]]第25号達)が出された。1881年8月15日には解禁([[内務省]]布達甲第8号)されたが、[[管長]]の免許証の携帯が義務づけられた。
 
現在の托鉢には集団で自派の[[檀家]]の家々(近隣に限らない)を訪問する形態と、個人で[[寺院]]の門前や往来の激しい[[交差点]]に直立して移動せずに[[喜捨]]を乞う形態がある。
なお、托鉢では、[[道路交通法]]に基づく[[警察署]]の道路使用許可は不要というのが通説となっている。
 
このよう日本の仏教における托鉢が本来の目的から外れるようになったのは、日本を含む[[東アジア]]に広まった[[大乗仏教]]では[[上座部仏教]]とは異なり物品の所有を禁止しておらず、その結果として寺院が寄進された[[荘園]]等を運営し、その[[小作料]]等で寺院を維持する事が可能となったため、維持を目的とした托鉢を行う必要がなくなった事によからである。
托鉢では、[[道路交通法]]に基づく[[警察署]]の道路使用許可は不要というのが通説となっている。
 
このような日本の仏教における托鉢が本来の目的から外れるようになったのは、日本を含む[[東アジア]]に広まった[[大乗仏教]]では[[上座部仏教]]とは異なり、物品の所有を禁止しておらず、その結果として寺院が寄進された[[荘園]]等を運営し、その[[小作料]]等で寺院を維持する事が可能となったため、維持を目的とした托鉢を行う必要がなくなった事による。
 
== 関連項目 ==
39 ⟶ 38行目:
* [[頭陀袋]]
* [[乞食]]
 
== 参考文献 ==
* 河崎豊 「pindolagaと古代インドの托鉢観(河崎豊、」『印度学仏教学研究51-1、2002年
 
== 外部リンク ==
44 ⟶ 46行目:
* [http://home.earthlink.net/~brelief/pindapata.html Pindapada in Flint]
 
{{Buddhism-stub}}
== 参考文献 ==
* pindolagaと古代インドの托鉢観(河崎豊、印度学仏教学研究51-1、2002年)
 
{{DEFAULTSORT:たくはつ}}
{{Buddhism-stub}}
[[Category:仏教|たくはつ]]
[[Category:インドの宗教|たくはつ]]
[[Category:行法|たくはつ]]
 
[[en:Takuhatsu]]