「所務沙汰」の版間の差分

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'''所務沙汰'''('''しょむさた''')は、[[中世]][[日本]]で使用された用語であり、所領や[[年貢]]に関する相論や訴訟・裁判のことである。
 
[[所務]]とは、元来、務めるところという字義どおり[[仕事]]・職務を意味する言葉だったが、[[平安時代]]の[[荘園公領制]]の展開に伴い、[[荘園]]や公領の管理職務に付随する[[権利]]・[[義務]]を表すようになり、[[鎌倉時代]]頃には転じて所領等の[[不動産]]管理を意味した。その後、更に転じて所領からの収益管理を意味するようになった。所領からの収益とは即ち年貢のことである。([[日葡辞書]]によると、所務は年貢を徴収すること、とある。)
 
中世日本の[[経済]]で大きなウェイトを占めていた農業生産の元手([[資本]])となるのは農地である。その農地の[[所有権]]・支配権を握ることが支配階級の生命線であった。そこで、[[鎌倉幕府]]では所務沙汰を適正に裁判するため、非常に精緻な訴訟処理システムを確立していた。
 
そこで、[[鎌倉幕府]]では所務沙汰を適正に裁判するため、非常に精緻な訴訟処理システムを確立していた。
 
所務沙汰を取り扱うのは[[引付衆]]であった。まず訴人([[原告]])からの訴状を[[問注所]]が受理し、引付衆へ進達する。引付衆は訴状を論人([[被告]])へ開示した上で、書面(陳状)で反論させた。陳状は引付衆を介して訴人へ渡された。この後、訴人から書面で2回反駁を加え、論人からも書面で2回反論できた。このように原告・被告から三回ずつ相手方に書面で主張できるようになっていた。これを''三問三答''という。そして、その上で当事者を招集し、引付衆の眼前で直接互いに相論をさせた。引付衆はその結果を評定会議へ上申し、[[評定衆|評定会議]]で判決を行った後、勝訴人へ下知状を交付した。
 
所務沙汰を取り扱うのは[[引付衆]]であり、それは次のような手順で行われた。
#訴人([[原告]])からの訴状を[[問注所]]が受理し、引付衆へ進達する。
#引付衆は訴状を論人([[被告]])へ開示した上で、書面(陳状)で反論させた。陳状は引付衆を介して訴人へ渡された。この後、訴人から書面で2回反駁を加え、論人からも書面で2回反論できた。
#*このように原告・被告から三回ずつ相手方に書面で主張できるようになっていた。これを三問三答という。
#その上で当事者を招集し、引付衆の眼前で直接互いに相論をさせた。
#引付衆はその結果を評定会議へ上申し、[[評定衆|評定会議]]で判決を行った後、勝訴人へ下知状を交付した。
以上から判るとおり、裁判結果が決して一方の主張に偏ることなく、特定の権力者の意向が反映しないよう、透明性と公平性が確保されたシステムが構築されていたのである。