「養子的キリスト論」の版間の差分

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'''養子的キリスト論'''(ようしてき- ろん、Adoptionism)とは、[[イエス・キリスト]]はもともと普通の人間であり、[[救世主イエス・キリスト|神の子]]となったのは[[ヨルダン川]]で[[洗礼者ヨハネ]]から[[洗礼]]を受けた時点であるとする論。養子説ともいう。[[キリスト教]][[正統教義]][[ヤハウェ]]・イエス・[[聖霊]]は[[三位一体]]であるとする)に反し、[[異端]]とされる。
 
[[様態論]](modalism, [[サベリウス主義]])とともに[[モナルキア主義]](単一神論)の1つ。
 
==2世紀のエビオン派==
[[ユダヤ人キリスト教徒]]の一部(?)で自らを貧しい者(エビオン)と称した一派の説。エビオン派は律法[[モーセ五書|トーラー]]を守り、禁欲的であったといわれ、3-4世紀には消滅した。
イエスは[[ナザレのヨセフ]][[イエスの母マリア]]との子で、初めから神性があったわけではなく、洗礼を受けた際にキリストになった、として[[パウロ]]の説にある[[処女懐胎]]やキリストの神性を否定する。(従って普通の人間も律法トーラーを保つことでキリストとなりうる?)
 
==皮なめしのテオドトス==
皮なめしのテオドトス(Theodotus)は、2世紀末にイエスは洗礼のときにキリストになったと主張し、ローマ教会の[[ヴィクトル1世 (ローマ教皇)|ヴィクトル1世]](在位 189年- 199年)に[[破門]]された。(養子論的単性論)
 
==8世紀の養子論論争==
<!---([[キリスト教年表]]には780年とある。下記のアルクィンのことか)([[アルクィン]]より)--->
8世紀、北スペインで養子的キリスト論(養子論)が勢力を持ち、トレド大司教のエリバントゥスとウルヘル(Urgel)(Urgel)の司教フェリックスが、イエスは人間で、神の養子になったという説を唱えていた。[[イスラム教]]・[[神学]]者から三位一体説を厳しく批判されたことが背景にあったようである。794年のフランクフルト教会会議で[[アルクィン]]が主張する正統教義に敗れた。
 
[[アルクィン]]はフェリックスに対して書いた。「ネストリウスの不信仰がキリストを2つの性質で2つに分割したように、あなたの無教育で無謀な説もキリストを2つに分割しました。1、人間の子として、2、神の養子として」
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<!----コメントアウトした部分は養子論(Adoptionism)英語版より---->
 
[[category:キリスト教神学|ようしてききりすとろん]]
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