「真宗大谷派名古屋別院」の版間の差分

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: 現在の名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]栄に設置されていた別院の説教場の碑。[[名古屋高速道路]]建設工事の際に出土し、境内に移設。1893年(明治26年)建立。
* 明治天皇行在所旧址碑 - [[明治天皇]]が行幸した際、別院が行在所として使用されたことを記念して建立。
* 明治天皇名古屋大本営碑 - 1934年(昭和9年)6月1日建立。1890年(明治23年)に陸軍・海軍合同の[[軍事演習]]を名古屋で行った際、この地に[[大本営]]を設置したことを記念。[[史蹟名勝天然紀念物保存法]]に基づき、1933年(昭和8年)11月2日に[[史跡|史蹟]]として[[文部大臣]]の指定を受けた。
* [[住田智見]]講師句碑
: 1967年、住田智見の生誕100年を記念して建立。[[伊豆山神社|伊豆山[[権現]]参拝の折に詠んだ[[俳句|句]]「白毫の 光尊し 夜半・秋」を刻む。
: 住田智見は、1868年(明治元年)に祐誓寺(名古屋市[[熱田区]])で生誕。[[大谷大学]]を卒業後、[[大谷大学#概要|真宗大学]]教授、大谷大学学長を歴任した。また、真宗専門学校(現[[同朋大学]])を創設した。1938年(昭和13年)死去。
* 古渡城址碑
: 前述の通り、境内地は古渡城の跡地と伝えられる。[[織田信秀]]は[[那古野城]]を息子[[織田信長|信長]]に譲り、自らは古渡城を居城とした。1546年(天文15年)、信長はこの城で[[元服]]したといわれる。1548年(天文17年)に廃城。