「愛宕山 (仙台市)」の版間の差分

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中世まで、[[大窪谷地]]を通って当時は荒れ野だった今の仙台市都心部を通過する道がよく使われた。16世紀前半に[[経塚]]が築かれ、[[1931年]](昭和6年)に発掘されて[[愛宕山経塚]]と呼ばれた。
 
江戸時代に[[愛宕神社 (仙台市)|愛宕神社]]が山上に建てられ、[[経ヶ峯]]から虚空蔵堂が移転してきた。愛宕山は[[奥州街道]]から外れていたが、嘉永5年([[1852年]])に立ち寄った[[吉田松陰]]など、仙台を訪れるついでに登る人も多かった<ref>『郷土史仙臺耳ぶくろ』63-64頁。</ref>。ここから仙台の町が展望できたためである。また5月の[[端午]]の節句には、町に林立する幟旗を眺めるために登る人がいた<ref>1954年刊『仙台市史』第1巻395頁。</ref>。現代の観光客は[[青葉山 (仙台市)|青葉山]]から仙台市街を見下ろすが、そこは[[仙台城]]本丸であるから、江戸時代に一般人が立ち寄ることはできなかった。
 
仙台の市街が拡大し、愛宕山の麓まで住宅が建てられると、斜面の横穴は民家の物置に使われた。第2次世界大戦中には、防空壕に転用されたものもあった。こうした転用で多くの中の遺物・遺骨が失われたた。さらに後には、宅地造成のために壊されるものもあった。