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[[1996年]]、アネリアは幼少のころからヴァイオリンを習っていた音楽学校で学び続けていたが、翌[[1997年]]に彼女の父は交通事故により死亡した。ヴァイオリニストではなく歌手として、アネリアはプロへの転向を決意した。
 
[[2001年]]以来、アネリアはブルガリアの[[ポップフォーク]]歌手ミルコ・カライジエフ({{lang|bg|Милко Калайджиев}} / ''Milko Kalayzhiev'')と共演し、カライジエフはアネリアの指導的立場となるとともに、彼女の音楽性に大きく影響を与えた。
この年、彼女は[[スヴィレングラト]]にて初めてプロモーション活動としてレコード販売店を訪れ、「{{lang|bg|Онемях като я чуй}}」を歌った。アネリアはその後スウェーデンに移り音楽のキャリアは一時中断したが、後にブルガリアに帰国し、[[パイネル]]との契約を果たす。アネリアは[[トドル・ディミトロフ]]のプロデュースにより彼女の初のアルバムを製作した。