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また1937年には鉄道の国有化、38年には石油産業の国有化に踏み切る。特に石油産業の国有化は米国の猛烈な反発を受け、接収の補償金支出を巡って財政危機に陥ったが、国民は熱狂的にこれを支持した。[[スペイン内戦]]に当たっては、最後まで共和政府側を支援した。3000挺とも2万挺ともいわれる小銃を送った他、人民戦線の敗北によって内戦が終結した後は、約1万人の亡命者をメキシコに受け入れた。この亡命者がメキシコの文化・芸術などに与えた影響は非常に大きかったと言われている。1937年には、ソ連を追われていた[[レフ・トロツキー|トロツキー]]の亡命も受け入れた。
 
カルデナスは、メキシコ史上もっとも左派色の強い大統領であり、それ故彼の政策への評価は人により大きく分かれるが、[[ベニート・フレス]]と並びメキシコ史上もっとも国民の人気の高い大統領である。
 
なお、彼の息子[[クアウテモク・カルデナス]]も政治家であり、やはりミチョアカン州知事を務めた後与党制度的革命党を離れ、[[中道左派]]政党の[[民主革命党 (メキシコ)|民主革命党]]PRDを結成、その党首として数回大統領選に立候補しているほか、首都メキシコ市の市長にも当選している(任期1997年-2000年)