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Taka 470 (会話 | 投稿記録)
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==経緯==
東アジアの中世においては、[[倭寇]](前期倭寇)と呼ばれる海上勢力が朝鮮半島でも活動し、李氏朝鮮は討伐や懐柔、室町幕府への鎮圧求するなどの対策を行う。[[日朝交易]]において、当初李氏朝鮮は当初入港場の制限を行ってこなかった。しかしが、倭寇沈静化させるため入港場を[[釜山]]浦・薺浦(乃而浦とも、[[慶尚南道]]の[[鎮海市]])に制限し、[[倭館]]を設置して交易の統制を図った。また1426年に対馬の有力者[[早田氏]]が慶尚左右道全域で任意に交易できるよう要求したのに対し、要求を拒絶する代償として塩浦([[蔚山広域市]])も開港地に追加された。これら釜山浦・薺浦・塩浦の倭館を[[倭館#三浦倭館|三浦倭館]]と呼ぶ。
 
対馬は元々土地が痩せていたため、交易従事者のみならず朝鮮半島に渡って定住する日本人(恒居倭)が出現する。彼らは倭館の関限を超えて居住し、田地を購入して耕作する、朝鮮半島沿岸でを行うまた朝鮮人と雑居することで密貿易を行うなどの活動を行った。
李氏朝鮮はこれら恒居倭が倭寇化するのを恐れ検断権
<ref>『世宗実録』巻四一、一〇年八月壬辰条</ref>
・徴税権
<ref name="maki43">『世宗実録』巻四三、一一年三月戊辰条</ref>
<ref name="maki87">[http://sillok.history.go.kr/inspection/insp_king.jsp?id=wda_11103020_002&tabid=w 『成宗実録』巻八七、八年一二月己亥丙寅</ref>といった行政権を行使できず、日本人有力者が彼らを支配していた。]
及び
李氏朝鮮は恒居倭の増加を危惧し、宗氏に度々送還を求めた。当初宗氏は恒居倭を掌握していなかった<ref name="maki43" />ため、対馬への送還に熱心であったが、宗氏が彼らを掌握するようになると送還に消極的になり、恒居倭は増加する。
[http://sillok.history.go.kr/inspection/insp_king.jsp?id=wda_11103022_002&tabid=w 己亥条]
から、1429年当時恒居倭の徴税権は''宗氏ではなく早田氏''が把握していたこと、李氏朝鮮は恒居倭に対し営業税を課税することを検討したが''既に早田氏が課税しているため難しい''と判断し中止したことが示される。(関周一 2002)</ref>
といった行政権を行使できず、日本人有力者が彼らを支配していた。
恒居倭の増加を危惧した李氏朝鮮は宗氏に度々彼らの送還を求めた。当初宗氏は恒居倭を掌握していなかったため
<ref name="maki43" />
対馬への送還に熱心であったが、彼らを掌握するにつれ送還に消極的になり恒居倭は増加する。
 
恒居倭の増加に伴い、
*密貿易増加する
*朝鮮人の中にも所有する田の名義を日本人にして税を納めなくなる<ref name="maki87" />
*孤草島釣魚禁約(李氏朝鮮と宗氏の間で恒居倭人の漁場を定めた条約)の域を超えて漁場占拠する
*密貿易が増加する
*恒居倭の海賊化する<ref>『成宗実録』巻二四七、二一年一一月辛巳条</ref>
*孤草島釣魚禁約(李氏朝鮮と宗氏の間で恒居倭人の漁場を定めた条約)の域を超えて漁場を占拠する
*朝鮮人の中にも所有する田の名義を日本人にし税を納めなくな回避す朝鮮人の出現<ref name="maki87" />
*海賊化する<ref>『成宗実録』巻二四七、二一年一一月辛巳条</ref>
*倭寇の活動に触発され倭人を装った朝鮮人[[水賊]]の活動が活発になる<ref>『成宗実録』巻一五、三年二月甲午条</ref><ref>『成宗実録』巻二一四、一九年三月丙寅条</ref>
などといった問題が出てく生じる。それに対し李氏朝鮮は恒居倭を統制しようと圧力をかけ試みるが反発した日本人各地で暴動を起こし、暴動に対し李氏朝鮮は貿易額の制限でもって応が加、さ日本人のさらなる反発を招くといった悪循環に陥った
 
1510年、日本人の不満は頂点に達し、宗氏の応援を得て約4500(朝鮮居留日本人は約3000人)の兵力をもって攻め入り、釜山浦・薺浦を陥落させた。しかしその後日本軍は大敗を喫し、恒居倭は追放され、日本と李氏朝鮮の間は断交状態となった。しかしながら、交易で生計を立てている対馬と、[[胡椒]]・[[丹木]]・銅などの輸入を対馬に全面的に依存している李氏朝鮮の双方は折り合いを付ける必要に迫られ、[[1512年]]の[[壬申約条]]により和解が成立した。これにより交易は再開され倭館も再び開かれたが、貿易港は乃而浦のみに制限され、貿易額の半減、倭館の関限を超えた日本人の駐留禁止されるなど以前より限定されたものになった。その後も暴動はあり、李氏朝鮮では備辺司が設置された。
 
==脚注==
<references />
 
==参考文献==
関周一 『中世日朝海域史の研究』 吉川弘文社、2002年 <code>ISBN 978-4642028158</code>
 
== 関連項目 ==