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2008年9月27日 (土) 05:44時点における版

とめは、文政年間(1818-1830)の和姫(第11代将軍・徳川家斉の二十女)付女中の下女。生没年は不詳。


略歴

相模小田原(神奈川県小田原市)の餅屋・藤屋惣兵衛の娘であったが、異性関係で問題を起こし、大奥の御使番の下女をしていた姉の「ふく」を頼って大奥に入る。文政11年(1828)、当時17歳(数え年)前後であったが、15歳と偽って和姫付の女中の下女となった。 しかし、小田原の町民の娘であることから、大奥の生活に馴染めなかった。このため、連日、郷里・小田原の父母のこと、さらには小田原にいる恋仲の男のことを思い続けていたという。そして、大奥が火事になれば小田原に帰ることができると考え、とめは同12年(1829)3月28日の夕方に長局の乗物部屋に放火した。出火直後、御火の番が煙に気づき、幸いにもすぐに駆けつける。そして、火を小火の段階で消し止めることに成功した。鎮火後、とめが放火したことが判明したが、この後、とめがどのような処分を受けたのかは伝えられていない。しかし、八百屋お七事件などから考えても、大奥を追い出されるか、もしくは火あぶりとなったと考えるのが賢明である。