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この町は[[1297年]]、ゴロドク({{lang|ru|(Городо́к}}, 「小さな町」)という名で設立された。[[1365年]]にはヴォルガ川右岸の高地から左岸の低地に移転した。新しい場所にできた町はノヴィ・ゴロドク({{lang|ru|(Но́вый Городо́к}}, 「新しいゴロドク」)と呼ばれた。
 
[[15世紀]]以降、町は「スターリツァ」(「以前の川床」の意)の名で呼ばれるようになった。しかしスターリツァには「老婆」の意味もあるため、スターリツァの紋章には誤って老いた尼僧の絵があしらわれることになった。かつて強国だった[[トヴェリ]]公国の支配下にあったスターリツァは、[[1485年]]には公国の他の部分とともに[[モスクワ大公国]]に併合された。
 
[[16世紀]]初頭、モスクワ大公[[イヴァン3世]]の息子アンドレイがスターリツァ公になり、さらにその息子ウラジーミルに受け継がれた。彼らの下でスターリツァの街は黄金時代を迎える。[[イヴァン4世]](雷帝)には息子がなく、ウラジーミルは[[ボヤーレ]](貴族)たちから後継者と目されていた。イヴァン4世はスターリツァ公が自分に対する陰謀を巡らせていると思い込み、ウラジーミルとその息子達は毒薬を飲まされ、一家は全滅した。ウラジーミルの時代の繁栄ぶりは、生神女就寝(ウスペンスキー)修道院にも見ることが出来る。