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'''妙円寺'''(みょうえんじ)は[[鹿児島県]][[日置市]]伊集院町にある[[曹洞宗]]の寺。山号は「法智山」。
 
== 沿革 ==
薩摩の戦国大名、[[島津義弘]](戒名「''妙円寺''殿松齢自貞庵主」)の[[菩提寺]]である。[[禅寺]]であるため妙円禅寺、また妙圓寺とも記す。[[1390年]]([[元中]]7年)、当時この地の支配者であった[[伊集院忠国]]の11男である[[石屋真梁]]によって、<u>[[長門国|長州]]の[[守護大名]]であった[[大内義弘]]の息女の供養の為<ref >妙円寺の寺伝による。寺伝の詳細は公式HP参照。</uref>{{要出典}}建立された。ちなみに石屋真梁は[[1394年]]([[応永]]元年)に[[島津元久]]の命で[[福昌寺 (鹿児島市)|福昌寺]]の開山となった人物でもある。石屋真梁の兄・南仲は[[広済寺 (日置市)|広済寺]]の開山となっており、妙円寺は福昌寺の兄寺にあたる。毎年行われる節分祭は県内有数の信者数を誇っている。六百年の歴史があり、[[永平寺]]と[[總持寺]]とを両本山に持つ、[[曹洞宗]]の寺院である。「[[徳重神社#妙円寺参り|妙円寺詣り]]」の妙円寺とは本来この寺のことをさす。
 
歴代[[島津氏]]当主の尊崇を受けてきたが、[[島津義弘]]は特にこの寺に対する帰依が厚く、義弘とその妻の墓所となったために[[薩摩藩]]の中でも有数の禅寺となった。しかし[[明治]]2年の[[廃仏毀釈]]により破壊され、当時の住職は島津義弘の位牌などの宝物を持って避難した。[[明治]]13年には早くも地元の支援者によりかつての寺地の近隣に再興され、[[徳重神社]]の所有となった宝物の返還を求めたが、結局達せられないまま現在に至っている<ref>ちなみに、義弘自身も出家しているため、徳重神社に祭られている義弘の御神体は仏像僧体であると言う</ref>。復興後の妙円寺は600坪程に縮小されたが、義弘の位牌はもちろん、境内には昭和11年に公爵(島津家第30代当主)[[島津忠重]]の寄贈した石屋眞梁禅師の碑があり、碑銘は陸軍大将[[町田経宇]]によって書かれている。
 
なお、<u>島津義弘公自身が帰依した妙円寺</u>{{要出典}}や[[曹洞宗]]を蔑ろにする形で、毎年徳重神社で盛大に行われる[[日置市]]主催の妙円寺詣りには県内外に疑問を持つものも多い。しかし未だに[[鹿児島本線]][[伊集院駅]]の案内や地図には、この禅寺の所在すら記されていない。
 
== 「谷山大観音」 ==
[[鹿児島市]]の珍スポットとして知られる「谷山大観音」は現在この妙円寺が管理している。
 
== 補注 ==
<div class="references-small"><references /></div>
 
== 関連項目 ==
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[[Category:日置市の寺]]
[[Category:島津氏|+]]
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